入船山は呉鎮守府の長官宿舎ができてからは「長官山」と呼ばれ、戦後はもとの「入船山」と戻った。丘の名前から、遠い昔にはこの辺まで海だったのかとふと想像する。
入船山の門を入ると、直ぐ左手に東郷平八郎元帥が呉に住んでいたときの「離れ座敷」が移築されている。座敷は二部屋で、その前は「故山苑」という日本庭園である。
緩やかな坂を上っていくと塔時計がある。大正時代から呉海軍工廠の屋上にあったものをここに移設した。少し先に煉瓦作りの券売所がある。長官官舎があった頃、そこは衛兵の詰め所だったのではないかと思う。戦争末期、通っていた小学校は陸軍の兵舎になり、校門を入った所に詰め所ができた。そこには衛兵がいつも数人いて、将校が門を出入りするたびに兵士が「捧げ銃」の敬礼をしていた。ここでも、日常あのような風景があったと思う。
発券所から再び門を入ると旧火薬庫がある。なぜ長官官舎に火薬庫かと不思議に思ったが、高鳥砲台跡から戦後移築したとあった。砲台の場所は分からない。内部には、呉の歴史の絵画が展示してあった。
郷土館、歴史民俗資料館などが戦後建てられ、旧呉鎮守府関連の資料が展示されているようだ。
長官宿舎の玄関前にはロータリーがある。送迎の車を玄関に着けていたことに後で気がついた。
入船山の門を入ると、直ぐ左手に東郷平八郎元帥が呉に住んでいたときの「離れ座敷」が移築されている。座敷は二部屋で、その前は「故山苑」という日本庭園である。
緩やかな坂を上っていくと塔時計がある。大正時代から呉海軍工廠の屋上にあったものをここに移設した。少し先に煉瓦作りの券売所がある。長官官舎があった頃、そこは衛兵の詰め所だったのではないかと思う。戦争末期、通っていた小学校は陸軍の兵舎になり、校門を入った所に詰め所ができた。そこには衛兵がいつも数人いて、将校が門を出入りするたびに兵士が「捧げ銃」の敬礼をしていた。ここでも、日常あのような風景があったと思う。
発券所から再び門を入ると旧火薬庫がある。なぜ長官官舎に火薬庫かと不思議に思ったが、高鳥砲台跡から戦後移築したとあった。砲台の場所は分からない。内部には、呉の歴史の絵画が展示してあった。
郷土館、歴史民俗資料館などが戦後建てられ、旧呉鎮守府関連の資料が展示されているようだ。
長官宿舎の玄関前にはロータリーがある。送迎の車を玄関に着けていたことに後で気がついた。