呉鎮守府司令長官の官舎は入船山記念館になっている。丘の上の平坦な部分全体が敷地である。門を入って少し行くと番兵塔があり、ここには銃を持った衛兵が24時間立っていたそうである。
左折して100メートルくらい行くと正面が司令長官の官舎である。明治38年に建てられ、終戦まで40年間にわたって歴代の長官が使用した。戦後は英連邦軍の司令官が居住し、建物の内外を白ペンキで塗りつぶしたそうである。地中海の青い海を背景にしたマルタ島の真っ白な家々は美しいと思うが、白ペンキを塗った日本の木造家屋は、日本の風土に全然合わなかったと思う。
居間にはピアノが置かれ、壁や天井には金唐紙と呼ばれる壁紙が張られている。居間に続く食堂には豪華なダイニング・テーブルが置かれていた。日本海海戦に勝った栄光の時代には、鎮守府司令長官も立派な官舎に住んでいたのだ。
官舎の公邸部分と平屋の私邸はつながっている。離れ座敷には茶室もあるが、庭はあっさりしたもので石や植え込みなどはない。占領時代には和室の床にリノリウムを貼るなど洋風に内部を改造したそうである。司令官の家が接収され、改造されて占領軍の将軍が住むのも占領時代のひとこまだったと思う。建築当時の姿に復元されたのは平成8年である。
左折して100メートルくらい行くと正面が司令長官の官舎である。明治38年に建てられ、終戦まで40年間にわたって歴代の長官が使用した。戦後は英連邦軍の司令官が居住し、建物の内外を白ペンキで塗りつぶしたそうである。地中海の青い海を背景にしたマルタ島の真っ白な家々は美しいと思うが、白ペンキを塗った日本の木造家屋は、日本の風土に全然合わなかったと思う。
居間にはピアノが置かれ、壁や天井には金唐紙と呼ばれる壁紙が張られている。居間に続く食堂には豪華なダイニング・テーブルが置かれていた。日本海海戦に勝った栄光の時代には、鎮守府司令長官も立派な官舎に住んでいたのだ。
官舎の公邸部分と平屋の私邸はつながっている。離れ座敷には茶室もあるが、庭はあっさりしたもので石や植え込みなどはない。占領時代には和室の床にリノリウムを貼るなど洋風に内部を改造したそうである。司令官の家が接収され、改造されて占領軍の将軍が住むのも占領時代のひとこまだったと思う。建築当時の姿に復元されたのは平成8年である。