川越雑記帳2(川越見て歩き)

占肩の鹿見塚と仙波町略史の碑(富士見町浅間神社)

浅間神社の富士見町公民館の脇に、大小2つの石碑が並んでいる。

境内より一段高い所、石垣の上に建てられている。

向かって右の大きな石碑には、つぎのように彫られている。

「 埼玉県指定史跡

 萬葉遺蹟 占肩之鹿見塚

    埼玉県知事 大沢雄一書 」



石碑の裏には碑文が刻まれている。

以前記録したはずだが、見つからない。

その代りではないが、右手の木の陰には石碑の説明板がある。

「県指定・旧跡 占肩の鹿見塚(うらかたのししみづか)

 万葉集巻十四の
 武蔵野に占へ肩灼きまさでにも
 告らぬ君が名うらに出にけり 」

という歌の誕生地が、ここだと書いてある。



いま、その真偽は問わない。


もう一つの小さい方の石碑には、「仙波町略史」とある。



碑文はそれほど長くはない。

「    題字 川越市長 伊藤泰吉書

仙波は仙波郷であり 其の東端は往古に入江でありしと
伝え地名に仙波と称された また台地に上代の古墳遺跡が
あって父塚母塚鹿見塚等がある 鎌倉時代には村山党
の高家が仙波氏と稱して此の処の堀ノ内に居館し永く領知
した 江戸時代には川越城附であり また寛文元年に仙波
東照宮の御神領地となった 天保年間の郷帳に石高八百
四十三石余と記され 更に新田も開拓があり発展を見て
いる 明治十一年の頃 仙波河岸がつくられ舟運の便も拓け
河岸街道が開設された、大正十一年十二月一日仙波村は川
越町と合併し県下で最初の市制施行地と発達した
 畑地耕地整理 昭和四年六月八日起工
 赤間川新堀割 昭和十三年五月竣工
    川越市文化財保護委員    岸 傳平 撰文 」

この中にも「父塚・母塚・鹿見塚」の名が記されている。

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