中院には「不染亭」と名付けられた建物がある。
前回、中院の境内の説明板の写真で、垣根越しに写っていた建物である。
茶室ということでそれほど大きくはないが、どこか懐かしい感じのする建物である。
その手前には、「不染亭」と書かれた石碑が建てられている。
それを読むと、なぜこの建物がこの中院にあるのかが分かる。
不染亭
不染亭は昭和の文豪島崎藤村先生が静子婦人の母堂加藤みき刀自に
昭和四年に贈られた茶室で川越市新富町に建てられて在りました
この度此処に 株式会社長谷工がマンションを構築することになり
川越市当局 長谷工 藤村学会 地元有志の熱望に依り 加藤家の
菩提寺星野山中院に 移築することを委嘱されました
移築に当って 住職 並びに中村工務店は責任を以って事に当り 茶道会館に
学び 表千家妙風会の尽力を得て 誠心誠意遂行されました
茲に 藤村先生の母堂に贈られた孝心と遺徳を偲び 昭和の川越市の
文化財として長く活用し 伝承して行きたいと思います
平成四年十一月十七日 星野山中院六十七世 表千家妙風会々長 仁平信海 印
中院のホームページを見ると、現在でも茶室として使われているようだ。
一方、「不染亭」が元あった場場所にも、石碑が建てられている。
丸広の裏通り「八幡通り」を北に進むと左手にマンションがあり、その入口左の植え込みの中にある。
このときは、外装の補修工事中で、建物の周囲には足場が組まれていた。
細長い八角柱の石碑で、その正面に「島崎藤村 ゆかりの地」と彫られている。
また、別の一面には銘板がはめ込まれ、碑文が刻まれている。
島崎藤村ゆかりの地由来
ここは旧町名を「黒門町」といい、文豪島崎藤村夫人静子の
実家加藤家の旧居跡です。藤村と静子は昭和三年十一月三日に結婚。
同年十二月八日に、藤村は初めて川越の加藤家を訪問。
以後折にふれ、川越を訪ねてはここで歓談の時をおくりました。
藤村は静子の母みきを「川越の老母」と呼んで敬愛し、感想集『桃の雫』
の中で、みきから聞いた話やその人となりを数多く記しています。
昭和四年、藤村は茶人でもあったみきに茶室をこの地に建てて贈り
「不染亭(ふせんてい)」と命名しました。この茶室は平成四年十一月、星野山中院
(川越市小仙波町五丁目)に移築し保存されています。
道路から少し奥にあり、植え込みに紛れているので、知らないと通り過ぎてしまうだろう。
→中 院/島崎藤村と川越