川越雑記帳2(川越見て歩き)

三芳野の里はいずこか天神社(三芳野神社)

三芳野神社の参道入口は、ちょうどイチョウが紅葉していた。
その右下に石碑が建てられている。


あいにく電柱が影を落して見にくいが、石碑には次のように彫られている。


  三芳野神社
 我が方によると鳴くなる
   三芳野の田面の雁を
       いつかわすれむ
           伊勢物語より

「伊勢物語」十段で男(在原業平)が詠んだ歌である。
三芳野神社に直接関係している訳ではないが、歌の中の三芳野に関連づけているのだろう。

石碑の裏に廻ってみると、こちらにも碑文がある。
碑は南に向いているので、ほとんどの場合逆光になり見にくい。
近づいて読んでみると、次のように刻まれている。


三芳野神社は平城天皇の大同二年(紀元八〇七)に
祭神は当初素盞鳴尊 奇稲田姫命を奉斎し 中世に
菅原道眞を明治二年に城内宇佐八幡宮を合祀された
神体は正平二十四年新田泰氏が三芳野に出陣の折
戦勝祈願に奉献した赤銅の五本骨の開扇を神爾として
祀る 室町期を代表する文部省指定重要美術品である
 三芳野の里とは川越一帯の称で 初雁の名所として
この地を訪れたという在原業平の歌が伊勢物語に伝えられている
 長禄元年太田道灌川越城築城と共に城の守護神として
社殿を修覆管理 天正十九年徳川家康は社領二十石を
寄進 徳川家光も来城神鏡三面を寄進し 城主酒井忠勝に
社殿の造替を命じ寛永二年天海僧正を導師として遷宮に奉仕
その後代々の将軍により修覆がなされ 宝物の奉納あり
幕府直営の神社となる 昭和三十年県指定文化財となり
今日に至る 爾来郷土の守護学問の神として崇敬が厚い
  昭和六十一年三月 川越初雁ライオンズクラブ
         結成十周年記念
             撰文浄書 深井照代


三芳野の里がどこかについては諸説あるようだ。 →伊勢物語と川越

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