かつは本師聖人(親鸞)の仰せにいはく、「某(ソレガシ)親鸞 閉眼せば、賀茂河にいれて魚にあたふべし」と云々。これすなわちこの肉身を軽んじて仏法の信心を本とすべきよしをあらはしましますゆえなり。これをもっておもふに、いよいよ喪葬を一大事とすべきにあらず。もっとも停止(チョウジ)すべし。
~覚如上人 『改邪鈔』~より
現在は、「仏教=葬送」 といった傾向が著しい。(マア、このことは、覚如上人のころからの問題でもあるのだが)
4月から、夜学で仏法の勉強を始めたが、私はお寺の子息でもく、寺院経営をするものでもなく、年齢的にも先が見えている。であるから、まったくフリーハンドで、仏法の勉強ができる。これまでの教育現場での経験やカウンセリングの学びをベースにし仏法を学んでいこうと思う。
こんなことを書くと、「一心」から遠く離れ、「知識歸命」だと、親鸞さんから怒られそうではあるのだが…。