源氏物語の研究者の源光行は、息 親行が1185-1187年あたりに生まれたという仮定により、建礼門院美濃局もそのあたりに生まれたかと思う。

1214年迄生きていた建礼門院に仕える女房という事になるが、年齢的にも壇ノ浦の戦い の時に生まれていたかどうか‥‥という事になる。
つまり、建礼門院徳子の栄華の時代ではなく、ひっそりと暮らしていた時代の女房となるのではないだろうか?
もしくは以前書いたように、母親も建礼門院の女房として出仕し、そこに幼い時分より連れて行かれていた、なども考えられる。(1185年以前に生まれていたとすると可能か・・・)
他の方の本に光行には他にも娘がいたのではないかという事であったが(下の資料)、私が調べた範囲では見つからなかった。
1185、1186年あたりの生まれと言えば、常忍の母の年代と同じである。
常忍の母は建治二年(1276年)に90歳で歿しているそうである。

美濃と言う女房名は、親戚に美濃守がいないといけない。光行は美濃守はしていないのでは?母方の縁者に美濃守がいるのでは?
と思いました。
又雑談に参ります。
>ふと思ったのは、建礼門院美濃は、親行と同母妹とは言えないよなあ。姉なら年齢的に合... への返信
美濃局は紀(石清水八幡宮家)氏にも同時代か少し前の時代にいるのでは?と思います。
光行の兄弟の源則清が【美濃守】でした。(美濃局の叔父にあたりますが…)
幼子(うまれてすぐ?)の時分に則清は捕らえられている可能性もあり、光行が仮の父となっていた…とも考えられますね。