九里 【九里】を探して三千里

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源義家ー義国ー義康-義兼-義氏(上総三郎)-泰氏-頼氏-家時ー貞氏ー高氏(尊氏)…

2020-05-13 | 清和源氏


西尾市史 71頁周辺に「九里利氏の出自」とあるらしいが、ただいま図書館も遠隔複写もお休みなので確かめられないでいる。九里 足利氏の出自 なのか?



そこで、吉良氏の周辺を探ってみる。

武家家伝 足利将軍家の略系図を見て思ったことは、


この系図に記載はないが、源義光の娘は佐々木季定(為俊)の妻である。
さらに、季定の息秀義の娘が井上六郎実綱に嫁ぎ、其の実綱は行実の養子となっている。
また、源義光の孫に佐竹昌義がいる。そこが、片岡経春・弘経と経久のあたりとつながっている。

系図の中の
この成行は「藤姓足利氏の祖で、鎮守府将軍・藤原秀郷の流れを汲む足利成行の嫡子として誕生。」
こちらの藤原姓足利氏 は、成綱の娘が源義家に嫁いでいることから、将軍家の足利氏ともゆるく繋がっている。

保元の乱では家綱の子・俊綱が下野国から八田知家と並んで源義朝配下として参戦している。
治承4年(1180年)5月の以仁王の挙兵では、俊綱の嫡子・忠綱が平氏軍に加わり宇治川を先陣で渡河して敵軍を討ち破る大功を立てた。が、内乱の過程で源頼朝に滅ぼされた。大胡・佐野・阿曾沼のなどの一門は頼朝に帰順し、鎌倉御家人として発展した。

阿曽沼氏(武家)
山上氏(武家)
大胡氏(武家)
佐野氏(武家)
園田氏(武家)
木村氏(武家)

波多野遠義、(1107 ?~1167 ?) (1109 ?~1159?) (1111 ?~1131 ?) (1113 ?~1163?)
官位:従五位下 筑後守、父:波多野秀遠、母:一宮紀伊の女、筑後守、
波多野実方、(1113 ?~1163 ?)波多野余三、遠義の子、広沢家の始祖。
奥州征伐に従軍する。
源頼朝上洛に後陣として従事する。
源頼朝の東大寺供養参列に随兵として従事する。
武蔵国大蔵谷の戦いにより武蔵国広沢を賜わる


戸矢子有綱兄弟 足利俊綱、戸矢子有綱、深栖郷綱、利根成次、西場成実、山上高綱

子息:佐野基綱、園部行綱、佐野高綱、阿曽沼広綱、木村信綱、柏木有房、壬生親綱、鍋山有利、那須綱吉、堀川基親、白山賢厳、加賀局(島津忠佐の妻)

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