中さん

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日記(7.14 )

2024-07-14 09:55:03 | 日常
2024   7月14日  (日曜日)  雨 ⇒ 

昨日行田の古代蓮公園に行った。
 今年は花が早い様子で既に花は終わりに近い。

 幾つか咲いてるものを撮っておく

空は梅雨の合間の晴れであった。蒸し暑い。

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花弁が何千枚もあるような蓮も・・珍しい。

”千弁連”センベンレンと花名札がある。
花弁が2000~3500枚もあるとあった。

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蓮の花は花弁数はあっさりと少な目のものが多いのに
蓮にしては変わった種だなあ~!
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★古代の人達はこの様な花が周囲にいっぱいあって
それを観て生活していたんであろうと思いを巡らす。
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毎日新聞  余録
 新1000円札の顔となった医学者、北里柴三郎の名字は、
 出身地の熊本県小国町で「きたざと」と呼ばれている。
 同町にある北里柴三郎記念館も「きたざと」が公式の読み方だ。

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▲一方、北里研究所、北里大学などの読み方は「きたさと」。
 北里柴三郎記念博物館(東京都港区)によると、

 明治期にドイツに留学した際に北里は「きたざと」と読ませるため、
 ドイツ語の発音を意識して「kitasato」のつづりにした。
 帰国後もこの表記を続けたため、ローマ字読みの「きたさと」が浸透したのだという。
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破傷風菌の純粋培養や血清療法などの業績を残した留学時代が、
 名前の読み方にも影響した北里である。
 帰国後は「かっけ」の原因を巡る論争などで母校の東大からにらまれ、
 一時は不遇だった


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▲そこで、福沢諭吉が物心両面で北里を支援した。
 福沢の死後、慶応大学部医学科(現慶応大医学部)開設にあたり、
 北里は医学科長を無報酬で引き受け、恩を返す。
 北里と福沢は医療に対する考え方も近かった。
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▲北里は医学生のころから「病を未然に防ぐことが医道の基本」
 論文に記すほど、予防を重んじた。
 福沢も健康の大切さを著作で強調し、自ら散歩を励行していた。
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 そんな2人の関係を示す品々も記念博物館に展示されている。
 新札効果もあり、訪問客が増えているという。
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▲高齢化の下、健康長寿社会が目標とされている。
 1000円札は最も日常的に親しまれる紙幣だ。
 国民の健康のために奔走した北里は、その顔にふさわしかろう。
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★便利な1000円札。崩すとすぐになくなる10000円札
 ”おあし”とはよく言ったもんだ。 ”御足”
 〇意味はそのまま、お金のこと。
  江戸時代に広まったお金である寛永通宝の裏に「足」の字があったため、
  このように使われるようになりました。

 


コメント
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