中さん

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日記(2.18)

2024-02-18 17:29:27 | 日常
2024   2月18日  (日曜日)    晴れ

〇9時半から3時間草取り・耕運機掛け・サク作りを行った。大分足腰に疲れが来た。
 天気は最高で青空が出て動くので暑いぐらいだ。こういう日は家庭菜園に好都合だ。
〇畔の角に植えてある木「クロガネモチ」の木と思うが
 花が咲いたか!と思ったが先っぽの葉っぱが赤く色づいて花に見える。びっくり。

〇冬の間にスナップ豌豆の苗つくりをしておいたものを、今回5本だけ移植してみる。

まだ寒い日も来るので試し植えだ・・・苗はまだ沢山あるので徐々に植えていこう。
〇ジャガイモ種は皆野の義姉が10㎏分買ってきてくれた。
 カットと藁灰付けは今晩の仕事だ。
 灰つくりは午前中に藁を鉄板の上で燃やしいっぱい作っておいた。
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新潟日報  日報抄 記事
 落語の多くが江戸の下町を舞台にしている中、
「松山鏡」は数少ないご当地ものだ。
「鏡を知らない越後の松山村」が舞台。
 日報政経懇話会長岡会で、講師の立川談慶師匠が一席語り聞かせてくれた

父親の墓参りを欠かさない孝行息子の正助に殿様が褒美をやろうという。
 金も田畑も辞退した正助は「死んだお父っつぁんに会いてえ」
 殿様が「決して人に見せるな」と与えたのはだった
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「あれまあ、お父っつぁん、ずいぶん若返った」
  自分の顔を父と信じた正助は、つづらに隠してひそかに朝晩の面会を楽しむ。
  怪しんだ妻がつづらをのぞくと「やっぱり隠し女が」-と話は続く
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▼お定まりの夫婦げんかになり、
 仲裁に入った尼さんが鏡を見てオチがつく。
 「ふたりがけんかしたで、中の女、きまり悪いと頭を丸めて尼になった」
 正直者で疑うことをしない県民気質が、ほのぼのと
  描かれている

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十日町市松之山地域には、別の「松山鏡」が伝わる。
 こちらは実母と死に別れた娘が主人公だ。
 継母に虐待されるようになった娘は、
 鏡ケ池に映った自分の姿を「亡き母が迎えに来た」と勘違いする。
 実母に会いたい一心から、池に身を投げてしまった
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▼滑稽話か悲話かは違えど、どちらも亡き親を慕う子の思いが伝わる。
 日常に鏡があふれる現代では、むしろ自分の顔をまじまじと見る機会は減ったかもしれない。
 年をとったら自分の顔に責任を持て、とも言われる。
 自分に正直に、誠実に生きているか-。鏡の中に問いかけてみる。
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◆信じれば行動が変わり、
 行動が変われば習慣が変わり、
 習慣が変われば必ずよい結果に繋がります。
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立川談慶 落語家/作家

将来は人を笑顔にする仕事、落語家になりたい─
   子供の頃から漠然と抱いていた夢を叶えてくれたのは、
   天才落語家・立川談志でした。
忘れもしない落語研究会に所属していた大学時代。
 先輩に勧められて立川談志の落語を初めて生で聞いた時、
 その達人芸に雷に打たれたような衝撃を受け、
 以後私は談志の追っかけになったのです。
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談志は、饒舌な語り口や枕
 (本題に入る前の導入部。花鳥風月をテーマにするのが一般的だった)
  で時事問題を語るなど、
  落語の常識を覆すスタイルを確立したまさに天才。
  談志との出逢いが、私の人生を大きく変えていきました。
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大学卒業後、一度は衣料品メーカーに就職。
 しかし、落語、談志への思いは断ち切れず、
 3年間のサラリーマン生活に別れを告げ、
 立川流の門を叩いたのです。1991年、25歳の時でした

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★十日町市松之山地域は新潟出向時期や新米を食べる会などで
 松之山温泉のいくつかに入ったりしているが
 松山鏡の話は聞いたことがないなあ~!
 

 
コメント
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