くまどこ

東紀州ポータルサイト「くまどこ」で紹介できなかった写真、熊野地域の写真などを紹介。※写真・文章の無断転載禁止

2022.8.9 尾川川(熊野市育生町)昭和15年~20年ごろ

2022年08月09日 17時10分49秒 | くまどこ(熊野)情報
父から聞いた話を少し。
熊野市育生町は熊野市紀和町(現在)の近くに位置しています。
その紀和町が鉱山の町として栄えていた頃の話だと思います。
御浜町の尾呂志などにも鉱山の近くということで、近隣でいくつか掘られた場所が残っています。
その中で、いっとき育生町もそのような鉱山を探そうと山を掘ったことがあったようです。結果的には少なすぎたか、まったく無かったのかで鉱山の町になることはなかったのですが。
そんな時代に、父の父親(私にとってはおじいいちゃん)が、ダイナマイトを持っていたそうです。どこでどのように貰ってきたのか、買ってきたのかわからなかったが、何本か持っていたそうです。
そのダイナマイトを使って川で魚をとったそうです。
尾川川なのか、北山川なのかは定かではないのですが、船の上から投げたようなので北山川の可能性が高いと思います。
ちばてつやの「アリンコの歌」という漫画をご覧になった方は、その風景が目に浮かぶと思います。(炭鉱町での話が描かれています)
火をつけるのか、なにか取り付けて爆発させるのか、その辺りが聞いていても分かりにくかったのですが、投げ入れるタイミングがあったようで、父の父親と一緒に行った人が、なかなかダイナマイトを投げないので、はやく投げんか!と父の父親が叱っていたのを思い出していました。
川底に沈みすぎて爆発させるより、川の上の方で爆発させる方が効果があったのかと思います。
父の話の中では、川でダイナマイトが爆発すると魚がどっさりと浮かび上がったそうです。そうすると何処からともなく人が集まってきて、浮かんだ魚を取りにきたそうです。誰かに教えているわけではないのに、あんなに人が集まるのはどうしてだったんだろうか?と不思議そうに話していました。
今の時代にそんなことをしたら大変なことになりますが、そんな時代もあったのだと父の話の中で知りました。
ダムが出来る前の美しい川と豊かな生き物たちで輝いていた川であった頃の話しです。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2022.8.8 クマノニスム ア... | トップ | 2022.8.11 風伝おろし(御浜... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

くまどこ(熊野)情報」カテゴリの最新記事