久万美術館のブログ

愛媛県の久万高原町にある美術館です。
展覧会やイベントの情報をはじめ、日々の出来事をつづっています。

「坂本忠士と田都画廊」展リーフレットより②

2013-08-01 17:02:29 | スタッフより

越境するパワー

田都画廊には、小さなテーブルを挟んで、椅子が二つ向かい合わせに置いてあった。画廊の端っこ、ビルの壁と展示ボードに挟まれた細長い空間で、三番町の通りが見下ろせる南側にあったから、冬の晴れた日など、窓から差し込んでくる陽光が心地よく、くつろぐには絶好の場所だった。画廊の主人・坂本忠士さんは、いつもこの狭い場所にいた。小さな椅子に深々と腰を下して、お客さんが来ると、ほとんどは知合いだったから、「やあー」と一声かけたあと、また雑誌か何かに目を通している。

そんな坂本さんにお会いし始めたのは、もう30年以上も前、1982年1月のこと。当時、田都では、ほとんど毎週、個展やグループ展が開かれていたから、取材に行くたびにお会いした。展示作品を一通り見終わると、いつものように、画廊の隅っこの椅子に誘われた。そこは、坂本さんがつくった「解放された空間」であった。美術、音楽、文学、演劇……。さまざまなジャンルの人たちが集い、自由に語り合っていた。多くの人たち、ジャンルを越境していくパワーが、坂本さんに宿っていたに違いない。だからこそ、解き放たれた空間、「解放区」が実現したのだろう。

69歳のとき、松山市長選に立候補した。坂本さんが直接、政治行動に出るなんて、とても信じられないことだった。しかし、いま思い返してみれば、権威、政治、社会に対する批判、異議申し立てを心がけていた人にとって、立候補は、自分がどう変われるか、という手探り、問いかけだったのかもしれない。異議の申し立ては、外部に対してだけではない、自分自身に対してもある。そんなふうに考えたのではないだろうか。坂本さんが身のまわりにつくった「解放区」。そこは、外側のためにだけつくられたのではない。自らの内側にも広がっていく、自らを問い直す「解放区」もであった。

私たちは人と出会い、場を盛り立てて、共有した忘れがたい想いをどけだけ語れるだろうか。そんなふうに語れる人が果たして、何人いるのだろう。テーブルと椅子が置いてあるだけの、田都画廊の狭い一角を思い起こすと、そんな感慨が湧いてくる。

Photo

(田都画廊/三輪田俊助展/1980年)