兄も妹も所帯を持ち早々に家を出て、僕は今も母親と二人で暮らしている。望んだ生活ではないし、時々などと控えめにも言えないくらい頻繁にぶつかる。理不尽さに引き下がりたくないと思いつつも、最後は折れざるを得ない。
さて、國村隼さんが出ているからと視始めたドラマ『生きるとか死ぬとか父親とか』。初回冒頭のシーンに心を掴まれた。辛い気持ちを手紙やメールに乗せてラジオ局に送るということはなかったけど、学生時代は深夜ラジオを聴いては時に救われることもあったと思う。そう、明瞭な記憶は残っていないけど。
ドラマで描かれた父娘の関係を自分と母親のそれに重ねて視ながら、ジェーン・スーさんが書かれた原作本を読んでみようと思った。
國村さんが演じられると、それだけで魅力的に見えてしまうけど、実際のお父上も周囲の女性を惹きつける魅力を持った方だということが、スーさんの綴られた文章から浮かび上がってくる。そしてそのことは、父の父親以外の部分を見せつける。僕も、大人になって思うと「あれは、母の母親以外の部分だったのかな…」ということもある。ただ、それを訊ねようと思ったこともないし、これからもないだろう。父と母の順序が逆になっていたら、同性の僕でも戸惑うこともあったかもしれない。長い長い仮定のトンネルの中、もう一つ言えば、そんな状況であったらきっと僕も、家を出ていただろう。
家族だけでなく、人間関係というのは難しい。母との1対1の関係でもそうなので、関係者が更に増えれば余計だろう。しかし一方で、関係者が増えることが更なる混乱を招くと決めつけているのは僕自身であって、もしかしたら母と僕の関係に風を吹き込んでくれるような人がいたのかも…と、そんな人とめぐり逢う確率を考えたら、僕の考えは現実的だろう。そろそろ長いトンネルも出口かな。
文庫版とはいえ、購入額のうちのいくらかがスーさんのお父様の生活費に回っていくんだなと、読後の余韻を感じる。そして、明日以降ドラマの続きを視るときに「ああ、この場面は!」などと思ったり、吉田羊さんと國村隼さんの掛け合いを楽しみたい。
そう、母の口撃も少しは避けられるようになるかな…