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Koyapopが1960年代以降に撮影したいろんな時代のいろんなクルマの写真を紹介しています。
(C) Koyapop

Imperial 1958 小幅な変更にとどまった1958年型インペリアル

2010-10-04 | IMPERIAL
前年に大きくスタイルを変えたインペリアルは1958年型ではパーツ類の小幅な変更にとどまりました。
アメリカ車初となる曲率のついたサイドウインドウを採用、タルガトップ風の上屋をより自然に見せています。
65年型のインペリアルはこちらをご覧ください。→Imperial 1965

Imperial 1958  Tokyo 1966年撮影



<参考データ>
FR/V8,6.4L/Wheelbase 3,277mm,Length 5,740mm,Width 2,057mm,Height 1,440mm

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8 Comments

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RT21 (大内 誠)
2010-10-04 09:02:24
Koyapop様
>インペリアルは、ブレツナーが手を入れたるバロン辺りが好きです。このインペリアルは初めて見ました。

>余談ですが,手前に移っていますコロナは免許を取って,初めて乗った車でした。
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インペリアルと言えば・・・ (職人)
2010-10-04 20:10:46
やっぱりこれを思い出します。

http://www.geocities.co.jp/Technopolis/5392/p001.html
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解説していただければ (Koyapop)
2010-10-06 01:21:20
大内さん、こんばんは。
>ブレツナーが手を入れたるバロン辺りが・・・
64年型のことでしょうか。

手元の本には1961年にエクスナーはコンサルタントに退き、かわりにフォードから来た(リンカーンをデザインした)エルウッド エンゲルがチーフになった、とありますが・・・
(GMに在籍したとされる)ブレッツナーですが、クライスラーで一緒に働いていたんでしょうか?
よく知らないので解説していただければありがたいんですが。
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面白いモノを (Koyapop)
2010-10-06 01:22:01
職人さん、こんばんは。
まさに58年型ですね!
やりようによって随分イメージが変わるものですね。

・・・面白いモノを見せていただきました。
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日本で一番有名なインペリアル (300d)
2010-10-07 17:45:24
日本で一番有名なインペリアルとしてアメリカのインペリアルファンサイトで紹介されてます。

この人、自分でインペリアルを探してレプリカを製作したそうです。すごいですね。

このサイトは圧倒的情報量でインペリアルに興味がある方は必見です!
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いろんな方が (Koyapop)
2010-10-07 22:40:28
300dさん、こんばんは。
世の中にはいろんな方がいらっしゃるんですねえ~
勉強になりました。
ありがとうございました。
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インペリアルと亡き父。 (元自動車少年)
2010-10-08 10:49:21
ここまでインペリアルが登場してしまったことですし、もういい加減誰に迷惑を掛けることもなさそうなので我が父が愛したインペリアルとそこに纏わる隠れた昭和史をほんの少しご披露させて下さい。

親父は今生きていればちょうど100歳。あの黒澤明氏と同じ明治の最後の年の生まれでした。
元々は今はなき陸軍参謀本部の軍属であの満州国建国の数年前から大陸に渡り、その数年後満鉄の調査部に転籍し、麻布の狸穴にあった調査部のオフィス(現在のアメリカンクラブ)と上海の事務所を慌しく往復する日々が戦前から戦後まで続いていたそうで分かりやすくいえば諜報員、スパイだったようです。
日産の創業家の鮎川氏がGHQにより公職追放となった後任として山本惣治氏が日産の社長を務め、そのまた後に社長となったある会社に親父は専務として入社、後に山本氏は父と社長を交代し彼は系列の富士自動車の社長となり追浜の工場を引き取り朝鮮戦争で傷ついた大量のウイリスジープの修理を一手に引き受け、その傍らクライスラーと技術提携を結びプリムスのノックダウン生産を始めようとしたのだが国民車構想を発表したばかりの通産省と激しく衝突し、結局僅かな台数が造られただけで本人が死去しこの事業は立ち消え、追浜工場は日産の所有となったとか。

その当時からなのかあるいはそれ以前からなのか良く分からないけれど親父は僕の知る限りクライスラー系ばかりを乗り継ぎ(一度だけインパラに浮気した)、あの国際興業が自動車輸入を開始する際も親父がクライスラーブランドを強く勧めたというような話も聞いたことがありました。そのせいかロッキード事件で騒然となった時は、マスコミに登場する田中角栄氏をはじめとする事件に絡んだ政治家や実業家が各々揃ってクライスラーインペリアルでやって来たのを僕は良く覚えています。

中でもインペリアルの66年型は当時別居したままだった僕を探しに探しまくった親父が夏休み直前のよく晴れたある日、授業中で静まり返ったまだ未舗装だった転校先の小学校の校庭を砂煙とあの低いV8エンジンのかすかな地響きと共に自ら運転してやって来たとんでもないハプニングを演じたクルマでした。そしてその数年に看取る人もいない渋谷の日赤の救急センターで一人寂しく64年の生涯を閉じたそうです。

先日知人のグランドボイジャーを偶然運転することとなり、車内に乗り込みクライスラー車独特のあの匂いをかいだ瞬間、あの何とも変わり者だった親父を思い出しちょっとセンチになってしまいましたが、きっと気付かれようもなかったことでしょう。

僕(と母)にとってクラスイラー、特にインペリアルとはそんな忘れようにも忘れられないクルマなのでした。
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勉強になります (Koyapop)
2010-10-08 12:06:49
元自動車少年さん、こんにちは。
「知られざる昭和史」の一部を披露していただきありがとうございます。
いつも勉強になります。
これからもまたいろいろ教えてください。期待していますよ。
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