初代スイフトをベースにフロントとリアが「シボレーらしく」デザインされたシボレー クルーズです。
同ボディはヨーロッパでスズキ イグニスとして生産/販売され、スバルにOEM供給されました。
兄弟車のスズキ スイフトはこちらをご覧ください。→Suzuki Swift 2000-
Chevrolet Cruze Tokyo 2009年撮影
Chevrolet Cruze Tokyo 2009年撮影
Chevrolet Cruze Tokyo 2011年撮影 <2011年5月画像追加>
Chevrolet Cruze Tokyo 2010年撮影 <2011年5月画像追加>
Chevrolet Cruze Tokyo 2008年撮影
Chevrolet Cruze Tokyo 2008年撮影
Chevrolet Cruze Tokyo 2009年撮影
Chevrolet Cruze Tokyo 2011年撮影 <2011年5月画像追加>
<参考データ>
FF(4WD)/L4,1.5L/Wheelbase 2,360mm,Length 3,625mm,Width 1,610mm,Height 1,545mm
同ボディはヨーロッパでスズキ イグニスとして生産/販売され、スバルにOEM供給されました。
兄弟車のスズキ スイフトはこちらをご覧ください。→Suzuki Swift 2000-
Chevrolet Cruze Tokyo 2009年撮影
Chevrolet Cruze Tokyo 2009年撮影
Chevrolet Cruze Tokyo 2011年撮影 <2011年5月画像追加>
Chevrolet Cruze Tokyo 2010年撮影 <2011年5月画像追加>
Chevrolet Cruze Tokyo 2008年撮影
Chevrolet Cruze Tokyo 2008年撮影
Chevrolet Cruze Tokyo 2009年撮影
Chevrolet Cruze Tokyo 2011年撮影 <2011年5月画像追加>
<参考データ>
FF(4WD)/L4,1.5L/Wheelbase 2,360mm,Length 3,625mm,Width 1,610mm,Height 1,545mm
ただこのクルマに関しては全く別の見地からあることを象徴しているかのように思えます、それは
「スズキの鈴木修社長はこんな小さな車でも何でもGMに買わせるほどの営業手腕を持っている」あるいは「GMの傘下に居ながら唯一本家も驚くほど業績を伸ばした優良企業」となった鈴木修社長の執念の象徴のような気がするのです。
例えるなら中島の零戦を終戦後アメリカに売りつけロッキードやグラマンのバッジをつけて見事量産契約を取り付けたような。
決して表情には出さないけれどそんな敗戦を味わった戦中派のささやかな勝利宣言の象徴だったのではないかといったら言い過ぎでしょうか。
2001年というのもある意味印象深い年でした。
ある年代以上の方はこんな小さな日本製の車にシボレーのバッジがついたことに驚かれたであろうし、下の世代は既にアメリカ車は憧れでなく付加価値もそれほど感じなかったのではないでしょうか。
たしかネオンやサターンが失敗した後くらいかと思います。
ただGMとフォードは世界の自動車再編の中で覇権を争い、まさに帝国主義のような存在でした。今思えば欧米の自動車の世紀の最終章であったのですが。
鈴木はしたたかで最後まで残るとむかし著名な自動車評論家が言っていました。その通りです。
戦国大名でいうと真田氏のような存在でしょうか。
この頃は米国の軍旗を揚げていたようです。
確か当時は大宇製セダンもスズキ系のディーラーで販売していたと記憶しているのですが、こちらはいまだに見たこともありません。
おっしゃるとおりでスズキは実にしたたかなかメーカーですね。
軽No.1にこだわらなくなった?と思ったらいきなり大きな車を出したり。インドでの50%のシェアを武器にVWと渡り合うなどなかなかのものです。
クルーズの前後のデザインはGMによるもののようですが、Friedrichさんが言われるようにフロントの構成が2代目スイフトにしっかり活かされているあたりにもスズキのしたたかさがうかがえるように思います。
提携後初のコラボとなったこちらの車↓
http://livedoor.2.blogimg.jp/hk10123/imgs/4/f/4f07abd7.jpg
大きさはともかく全体形は元々シボレーっぽかったのでこちらのほうがクルーズよりは違和感がなかったかもしれません。