ローバー P4シリーズの後継として1963年に登場したローバー 2000です。
P5シリーズをモダナイズした感のあるボディはディテールまでよく作りこまれ上質なイメージを醸し出しています。
ローバー P4シリーズはこちらをご覧ください。→Rover 100 1960-
ローバー P5シリーズはこちらをご覧ください。→Rover 3.5 Litre 1967-
68年に誕生したローバー 3500はこちらをご覧ください。→Rover 3500 1968-
Rover 2000 Tokyo 1966年撮影
Rover 2000 Tokyo 1967年撮影
Rover 2000 Tokyo 1966年撮影 <2011年12月画像追加>
Rover 2000 Tokyo 1966年撮影 <2012年4月画像追加>
Rover 2000 Tokyo 1966年撮影 <2014年10月画像追加>
P5シリーズをモダナイズした感のあるボディはディテールまでよく作りこまれ上質なイメージを醸し出しています。
ローバー P4シリーズはこちらをご覧ください。→Rover 100 1960-
ローバー P5シリーズはこちらをご覧ください。→Rover 3.5 Litre 1967-
68年に誕生したローバー 3500はこちらをご覧ください。→Rover 3500 1968-
Rover 2000 Tokyo 1966年撮影
Rover 2000 Tokyo 1967年撮影
Rover 2000 Tokyo 1966年撮影 <2011年12月画像追加>
Rover 2000 Tokyo 1966年撮影 <2012年4月画像追加>
Rover 2000 Tokyo 1966年撮影 <2014年10月画像追加>
この車はAピラーがメッキだったので濃い色のボディカラーやレザートップが似合っているようです。
構造的にはリアサスがド・ディオン型式だったり、フロントのコイルスプリングが水平に取り付けられていたりと足回りが凝った造りになっています。(フロントサスはガスタービンエンジンを搭載する予定だった名残か?)
この後のモデルは一気に近代的なスタイリングになり、個人的には”古き良き時代”のローバーの最後のモデルだと思います。
たしかにメッキのAピラーは濃い色のルーフと合いますね。
そういえば当時ガスタービンを積んだ試作車がありましたね、フロント?あたりが違っていたような気もしますが・・・
おっしゃるように次の5ドアの3500は妙にモダーンになってしまい「らしく」ないモデルでした。
でファンはよく呼んでいました。
クラシックな外観にもかかわらず韋駄天で省線の特急「つばめ」を平行区間で抜いていくというので人気がありました。
昭和47年頃には引退しましたが、未だに周囲の友人と話すと
「ピーロクってどっちのや」ということもあります。
私もV8 3.5Lを所有しましたが、名車P-6伝説は忘れがたしというところでしょうか。
立て付けの良さ、チリの合ったトランクのようにカチリと閉まるドアには驚くばかりでした。
電車にもP-6があったのですか。
時期的にもダブっているのでたしかに紛らわしいことになりそうですね。
数年前、味の素スタジアムのフリーマーケットでローバーで出展されている方を見かけました。
ほどよくヤレた感じでしたが上質感が強く印象に残りました。
おっしゃるような「出来の良さ」もあるのであれば今どき持つには素晴らしいクルマなんじゃありません?
ところで、Friedrichさんご指摘のサイドモールはやはり後付けだと思います。最近自分の車のサイドを妻に凹まされた私には、ここにモールを付けて美しいサイドビューを守ろうとしたオーナーの気持ちが良くわかります。後期型で同じ場所にモールが付いたのを見た彼(または彼女)は、きっと自分の先見の明を誇ったことでしょう。
ところで、小林さんの言うとおりデザイナーのスペン・キングがシトロエン好きだったのなら、GS/CXに似た次のSD1は「妙にモダーン」ではなくて、案外会心作だったかもしれませんよ。かく言う私もP6/SD1が両方好きでした。SD1は稚拙な排気ガス対策のため、ものすごく故障が多かったそうですが・・・
理想の未来形であると思います。
60年代のモダンがP6やトライアンフ2000の造形だと思いますし石油ショック後の70年代後半から
各社が出した答え、シトロエンCXやSD1は変わらなかった
XJ6やVolvo244に比べ斬新と思いました。
ただ当時のローバーは「これ一本」で勝負して
あまりの故障の多さに不名誉なこととなり
80年代の本田と提携し自社開発を見送る
結末に達しました。
レンジローバーがあったとはいえスズキ社内の
ジムニーに近い用途でしょう。
背景に英国産業経済の凋落がありました。
今の日本の車が今後品質を維持出来るか
その答えはまだ誰にもわかりません。
レイランドだ、BLジャパンだのローバージャパンだのと取引先の担当者はさして変わらない顔つきばかりでしたが、名刺の社名と所在地だけがめまぐるしく変わった実に嫌な時代でした。
英国病は完治するどころか、結局はマネーゲームに走って殆ど致命的、末期的ともいえる状況になったことを考えると、まさに我が国も全く同じ轍を踏んでる気がします。
悲しすぎる話ですが、kotaroさんのご指摘は大変鋭いご指摘かも知れません。
そういえばSD1のテールランプがロータスエスプリだったかな、流用されていましたね。
この国の行く末を英国車に例えるのはもうよしましょう。
いつも飲んでるデュワーズをあと3杯干さないと、酔えないかもしれません。
そう、私は酒はスコッチ派で、若者のようにシングルモルトの名を軽々しく口に出しません。
投稿王のチャンさんは香港在で、右ハン秀逸日本車に肩入れされる理由が何となく判るような気がします。
みんなグレートブリテンの影響を如実に受けて(笑)
右ハン帝国の末裔たちです。
21世紀はまだ最初の10年を終えたところ、20世紀機械文化ノスタルジーをもう少し楽しみながら、というには暢気すぎますか。
悪酔いから目覚めてみれば、Kotaroさんから実にごもっともなご意見。全く同慶の至りであります。
物書きの端くれだった養父が生前口癖のように「夜中にモノを書くのは何故か鬱になりがちだから俺は絶対にやらない。自ら命を絶った天才達を見ろ、皆そんな逆転生活の末破滅したじゃないか」と言っていたのを思い出しました。
つかの間の涼をホロ酔い加減でKoyapopさんの作品を眺めながら・・・。いやあそんな楽しみをすっかり忘れていました、基本的に下戸な私ではありますがそういえば食器棚の奥にリザーブのミニボトルがあったはず。今夜は超久しぶりにロックでいってみましょうか。
実にささやかな楽しみではあるけれど、まだこの世も人生も捨てたものではありません。
Kotaroさんに感謝です。
先日BMC1800の写真を見ましたが、実はGSよりもこのSD1の方が正統に違いないと思いました。
つまらない疑問ですが、
モールをつけたら逆に美しいサイドビューではなくなってしまうのでは?
kotaroさんの影響からか、最近街のホンダ ローバーが気になります。
早く写真に撮らないと、と焦る日々です。
めまぐるしく会社が変わった時代、たしかにありましたね。特にローバーは記憶にあります。
ユーザーにとってはなんとも不遇な時代だったことでしょう。
前から見るとそれまでのローバー車からすると近代化された外観ですが、後姿がやはり古い印象をうけます。
特に後ろのフェンダーがホイールアーチの形状もあって重くみえてしまうのですが、モールで上下に分割されるとボディの厚みが緩和されるように思えるのでもしかしたらオーナーさんも同じ感覚だったかもしれません。
この車の試乗記ではクラッチが重いと書かれていましたがどの位のものだったのでしょうかね?
当時、私の叔父がSCに乗ってまして、たまに借りて乗り回していたのですが、クラッチの重さは渋滞にはまると憂鬱になるほどでした。それにも増して、あの大きな細いステアリングがとても重く、決して運転して楽しいクルマではありませんでした。反面、内装の趣味の良さと作りの良さは気分の良いものでした。ドアの閉まる音も最高でした。
その後の3500になってからはパワステが付き、ATにもなって随分乗り易い、ガラッと違うフィーリングのクルマになりましたね。
P6は1971年にマイナーチェンジを受けて、あみだくじのような模様のグリル、そして問題のサイドモールが追加されましたが、初期型のほうがどう見てもベターでした。当時の英国人一般の評判もそうだったと、当時のCGに小林さんが残念そうに書かれていました。
ただし、メーターが寒暖計型から整然としたレイアウトの丸型になったことと、Friedrichさんのおっしゃる車体の厚過ぎる感じを緩和するためにサイドシル下端を黒塗りにしたのは良い考えだったと思います。
ところで、BLMC/BLが駄目になったのは、魅力ある製品がミニ(クラブマン含まず)・P6・XJ・レンジローバーの上下両極端だけになってしまったからだと思います。イシゴニスをリストラしないで、ピニンファリナをコンサルとして使い続けていたら、例のシトロエンGS似のプロトタイプのように国際競争力のある大衆-中級車の投入が続けられたように思います。もちろん当時の経営陣や労組がいては、それも見果てぬ夢だったでしょうが。