交通事故と闘う

私の父は交通事故に遭い、脳に障害を負いました。加害者は謝罪せず、損保の対応は二転三転..。その「闘い」を綴っています。

高くついた一言

2005-09-30 12:42:33 | 交通事故と闘う
共同通信でこんな記事を見つけました。

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すみません言えず56億円 交通事故の過大保険請求

 交通事故を起こしたのに「ソーリー(すみません)」と謝らなかったために被害者の怒りを買い、英国で少なくとも年間2800万ポンド(約56億円)もの保険金が過大請求されている-。英大手保険会社ノリッジ・ユニオンがこんな試算をまとめた。
 保険金交渉を優位に進めるため、欧米では交通事故で謝ってはいけないと言われるが、実態はまったく逆だった。同社は「謝ろうキャンペーン」を開始、ドライバーに冷静な対応を呼び掛けている。
(共同通信) - 9月30日

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文化の違いもあるでしょうが、基本的に人間として「悪いことをしたら謝罪する」というのは当然ですから、日本もヨーロッパも同じだということですね。安心しました。ただ、日本の場合は「取りあえず謝っておく」とか、「下手に出ておく」ということがありますが、その点欧米では、謝罪と自分の意思表示・自己主張は全く別ですから、その辺は日本人が見習って良いのかもしれません。

閑話休題。父を撥ねた加害者も、私に「すみませんでした」と言ったのは、事故の翌々日のことでした。それも、私がかなり乱暴に問いつめて初めて口にした一言でした。私としては、「なぜ謝らない!?」という怒りよりも、「よく謝らずにいられるな?」という疑問の方が大きかったです。やはりお互い人間ですから、素直に謝っている人と、悪態をついている人とでは、相手に対する「怒りの度合い」が変わって当然ですし、それが刑事罰なり損害賠償額に反映されて然るべきだと私は思います。

最後に、交通事故関連のページは多いですが、「交通事故電脳相談所」という、とある弁護士が開設しているページがあります。そのトップページに興味深い一言が書かれていたので、紹介させて頂きます。
※リンク許諾を得ていませんのでリンクしていませんが、gooで検索してもらうと一発です。


本HPでの管理人のスタンスは「加害者の誠意、保険会社の対応の悪さは法律的に無意味なこととして重要視しない」点にあります。

加害者が誠心誠意謝ろうが、あるいは悪態をついていようが、また保険会社の対応が悪かろうが、そんなものは法律的には無関係、大したことではありません、だそうです。

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人前で服を脱がせて遊ぶ

2005-09-29 17:57:11 | 司法・法律問題
「人前で無理矢理、服を脱がされました」
こう言われたら、あなたはどう感じますか? ちょっとした「遊び」だと思いますか?それとも、人格を踏みにじる歴とした犯罪だと思いますか?

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栃木県鹿沼市で1999年、市立中3年の生徒が自殺したのは、学校でのいじめが原因だったとして、生徒の両親が、市、県、当時の同級生2人とその両親を相手取り、総額1億1032万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が29日、宇都宮地裁であった。
 岩田真裁判長は、いじめと自殺の因果関係は認めなかったが、いじめに対する賠償として被告に240万円の支払いを命じた。学校にも、適切な防止措置を取らなかった責任があるとした。
 判決などによると、生徒は2年生のころから、髪の毛を無理やり切られるなどされ、3年生になると、同級生2人から「プロレスごっこ」などとして暴行を受けたり、教室内でズボンや下着を脱がされたりした。99年11月1日に不登校になり、同月26日自宅押し入れの取っ手にタオルをかけて首つり自殺しているのが見つかった。
 生徒の両親は2001年7月に提訴。市や県はいじめと自殺の因果関係を否定し、同級生は「いじめのつもりはなかった」としていた。
(読売新聞) - 9月29日

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この裁判長、「いじめと自殺の因果関係を認めなかった」のにもかかわらず、いじめに対する賠償として240万円の支払いを命じたとのことです。ということは....

・髪の毛を無理矢理切られ...
・2人掛かりで暴行され...
・人前で無理矢理服を脱がされる...

これらを全部足すと、栃木県では240万円だそうです。無論、その後自殺したとしても、これら暴行との因果関係はありませんから、「自殺するのは本人の勝手」だそうです。


前途ある14~15歳の若者、人生80年の時代ですから、あと60年余りの人生があったわけです。その命を自ら絶った(絶たざるを得なかった)のですから、耐え難い苦痛の毎日だったろうと思います。ご両親の無念も察するに余りあります。
私も父の事故以来、法律関係の書籍やニュースに触れる機会が多くなりましたが、日に日に疑問が増えるばかりです。どうしてこうも法律家たちは、杓子定規にしか物事を捉えられないのでしょう? 一般常識で考えれば分かることに、どうしてデータや証拠を絶対的に求めるのか、また人の感情や思い、気持ちを平気で黙殺できるのか、理解に苦しみます。

この岩田真裁判長、もちろん、どんな方か知りません。
ですが、町中でソッと近寄って彼の服を脱がせても、あるいは「プロレスごっこ」と称して法廷で殴り飛ばしても、240万円で許してくれるのですから、それは心の広いお方だと思います。
もし娘さんがおられたら、「私が240万円お支払るので、地元の大通りで素っ裸にして下さい」とお願いすれば、引き受けてくれるのでしょうか...
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日弁連・交通事故相談センター

2005-09-28 18:13:32 | 交通事故と闘う
以前にも相談に行ったことがある日弁連・交通事故相談センターに再度相談に行くため、電話で相談日を確認した。
「普通の」交通事故相談だと、平日朝から行われていて早い者順なのだが、高次脳は専門知識が必要なので、対応できる弁護士がいる日を教えてもらい、その日に合わせて相談に行くことになる......

.....と、今回電話をしたところ、私が前回相談した後、システムが変わったとのことで、完全予約制になったらしい。残念ながら、少し敷居は高くなってしまったようだ。
確かに、高次脳に対応出来る弁護士が居る日に、高次脳の相談が1件もなければ、かなり「もったいない」ということになる。逆に、高次脳相談が多いが、対応できる弁護士が少ない日というのは、利用者側が困ることになる。

そんなわけで、今月初めに電話しておいたところ、「10月○○日で調整ができたので」という留守電が入っていた。前回は、相談を思い立ってから3日で相談できたが、今回は約1ヶ月待たされることになる。弁護士会側の都合は重々理解できるが、これでは初めて経験する人は、気軽に相談..とはいかないだろう。

私自身は、近く弁護士を専任して、本格的に損害賠償交渉についても始めるつもりだが、やはり「市民がいつでも気軽に」というシステムを作らなければ、どうしてもそこに、1枚の壁があるように思えてならない。「身近な司法」になる日は来るのだろうか....
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「むち打ち」はかすり傷?

2005-09-27 09:38:12 | 交通事故と闘う
このblogによくTB下さるけいすけさんは、脳脊髄液減少症という病に苦しんでおられますが、その原因は、交通事故でのいわゆる「むち打ち」です。
追突事故などで頭が急激に振られることで起こる症状ですが、今までは「かすり傷」程度にしか解釈されてきませんでした。詳しくはけいすけさんのblogをお読みいただくのが早道かと思いますが、不当に扱われてきた「むち打ち」に捜査の手が入ることになりそうです。

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土浦検察審査会が「むち打ちは軽傷ではない」として不起訴不当

 被害者がむち打ち症の「真相」とされる脳脊髄(せきずい)液減少症になった2件の交通事故で、茨城県取手区検が「事故は軽微」として不起訴とした加害者2人について、土浦検察審査会は26日、不起訴不当を議決した。審査会は「被害者のけがは重く、軽微な事案でない」と判断し「むち打ち症は軽傷」とみなしてきた捜査当局に、再考を促した。事故との因果関係を初認定した福岡地裁行橋支部の民事判決(今年2月)に続き、同症は刑事手続きでも重い被害と認められた。
 同審査会が26日、審査を申し立てた茨城県内の高校教諭の女性(40)=埼玉県在住=に伝えた。それによると、不起訴不当の理由は(1)女性は現在も入退院を繰り返している状態で、仕事の復帰のめどが立たないほど被害が重い(2)加害者は女性との示談が未成立で、反省しているといえない――などとした。
 女性は車を運転中の00年10月、男性(38)の車に追突された。激しい頭痛が続いて体もしびれ、頚椎捻挫(けいついねんざ)や外傷性頚髄(けいずい)硬膜外血腫、バレ・リュー症候群と診断された。区検は事故翌月に、加害者を不起訴とした。
 その後、女性は自動車損害賠償責任(自賠責)保険の後遺障害で14級(局部に神経症状を残すもの)に認定されたが、治療中だった02年11月、車で通勤中に一時停止を怠った女性(44)の車と衝突。症状が悪化したが、区検は03年1月、この事故でも加害者を不起訴にした。
 女性は最初の事故の後から入退院を繰り返し、昨年9月に脳脊髄液減少症と診断。専門の治療で症状は好転しているが、今も休職中。交通事故で同じ症状と診断された患者は、全国で1000人以上と推計されている。
(毎日新聞) - 9月27日

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ちなみに、私の父をはねた加害者も、不起訴になっています。無論、検察審査会への申立準備をしています。父は脳損傷による高次脳機能障害を負い、まともな会話もできなくなりました。人間として1人で生きていくことも出来なくなったわけですが、それでも罪に問われないわけです。
裁判員制度の導入で、法曹界の人間とと一般市民との「乖離」がますます言われるようになりました。今回の土浦検察審査会の議決が、「適正な」犯罪捜査と被害者補償に繋がることを願ってやみません。
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コケにされた東京地検

2005-09-22 15:51:56 | 交通事故と闘う
9月22日付けの読売新聞で、こんな記事を見つけました。(以下、抄)
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「不起訴不当」軽視しないで、検察審査会が異例の注文
 東京第2検察審査会(検審)が東京地検に「不起訴不当」などの議決を軽視しているとして、「検審の判断は国民を代表する意見であり、最大限尊重されるべきだ」と勧告していたことが分かった。

※以下、勧告書の抜粋
・「検審が議決した不起訴不当、起訴相当の事件に対し、検察が不起訴の判断を覆すことがあまりにも少ないことに疑念を感じる」
・「検審の判断が尊重されなければ、国民主権を根源とする憲法にも反する行為」
・「法律の解釈は一般国民の視点による判断が大切で、検察と同じ視点で犯罪をとらえ、構成要件の当てはめを考える必要は全くない」


 同検審は昨年、業務上横領事件など8件で不起訴不当を議決。議決に強制力はなく、東京地検はこのうち捜査を継続中の2件を除き、再び不起訴にしている。

※東京地検の回答
 「検察は議決を最大限尊重して再度の処分をしており、検審の判断を軽視している事実はないが、疑念が生じないよう今後も的確な検察権の行使に努める」と回答
 「勧告の趣旨が、不起訴不当の事件は東京地検も一般国民の視点で公訴(起訴)権を行使すべきだというものであれば、起訴に伴う不必要な負担や不利益を与える危険がある」と反論

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 私も父が事故に遭って知りましたが、検察審査会はクジで選ばれた一般市民が、検察の不起訴に対して申立のあった事件に関し、再度調べ治して「起訴するべきだ」といった意見を出す機関です。 その意味で、上の勧告書のとおり、検察の都合や法律論云々を考慮する必要はなく、あくまで一般市民の感覚と常識で考え、それを勧告するというものです。

 今回は、橋本龍太郎の1億円ヤミ献金疑惑の不起訴が問題になったとのことですが、「1億もらったかどうか覚えてません」とか「秘書が勝手にやりました」と言われ、東京地検はそれを認めてしまったわけです。検察官としてのプライドがあれば、石にかじりついても証拠を探し出し、絶対に起訴してやる!!ぐらいの覚悟が欲しいところですが、「やっぱり不起訴ね」で終わったと聞くと、主席検事は賄賂をいくらもらったのかな?などと勘ぐってしまいます。

 話が逸れますが、2週間ほど前のNHKスペシャルで、「犯罪被害者の裁判参加」が取り上げられていました。諸外国では、犯罪被害者やその家族は、希望すれば検察と同じ席に座ることができ、加害者(+弁護士)と相対する形で裁判に参加できます。ところが日本では、被害者は傍聴席に座らされますから、「当事者ではない」という扱いを受けることになります。
 もちろん、犯罪被害者の訴訟参加を実現すべきなのですが、現状、言うなれば「検察は最後の砦」なわけですから、安易な不起訴で仕事をサボることは止めて頂きたいと思います。

 長くなりましたので最後に。上記の番組で検察関係者が「被害者が参加すると、感情論的なぶつかり合いになり、訴訟が無駄に長引く恐れがある」といったコメントをしていたと記憶しています。
 「ケンカ両成敗」と言いますが、殴った方の言い分だけを聞き、殴られた方には「お前は感情的になるから引っ込んでろ」というのは、果たして真実を導き出すことに繋がるのでしょうか.....


※読売新聞は、検察庁や検察審査会のことについて、意欲的に特集で取り上げています。私は読売の回し者ではありませんが(笑)、法曹界の問題に興味がある方は、講読してみてはどうでしょうか?

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目を背けることの罪

2005-09-21 17:45:53 | 交通事故と闘う
先週末からの連休を利用して、父の元へ帰ってきました。

度重なる転院からA病院に戻り、ようやく1ヶ月あまりになりますが、病院に着いて早々、A病院の主治医と話しました。 「奥様(私の母)がよく気が付かれるので、何でもどんどん言って下さい」 とのこと。
この主治医は元々とても感じの良いドクターですが、輪を掛けて優しくなったように感じました。

そりゃそうです。先月の父の血栓症に伴う異変に気づいたのは、朝から清拭をした看護師でもなく、食事介助をした介護職員でもありません。素人の母ですから。「見落とし」という意味では立派な医療ミスですから、病院も神経質になるのも頷けます。もし発見が遅れて父が死んでいても、証拠らしい証拠は無かったかもしれませんが、結果として「スタッフが見過ごしていた変調を、付き添っていた家族が発見した」わけですから、こういったことで訴訟に発展するのかなぁ..などと考えてしまいました。

閑話休題。この9月で、加害者が一方的に弁護士を立ててから、約1年が過ぎようとしています。ある日突然内容証明郵便が届き、精神的負担から、母が一気に体調を崩してしまったことを覚えています。
「父を苦しめ、ろくに謝罪もせず、さらにこの仕打ちか?!」と加害者の良心、良識を強く疑いましたが、どうしてこういうことができるのか、私は未だに不思議でなりません。言うなれば、一人の人間を「半殺し」にしてしまったにもかかわらず、人任せで済ませられるのは、なぜなのでしょう...

なまじ、「生きていた」からなのでしょうか?血まみれで、腕がもげて、顔が潰れていれば反省したのでしょうか? 加害者の中では「終わったこと」になっているのでしょうか?

ここでいくら言葉を尽くしても、百聞は一見にしかず。父の哀れな毎日を実際に見れば、その事故の悲惨さは一目瞭然です。
それを知って欲しいがため、去年の8月、私は「とにかく1日、介護などしなくていいから父の横で父を見て過ごせ」と迫りました。加害者は、「お許しを得られるなら、ぜひさせて頂きます」と答えたにもかかわらず、それから1月もせず、弁護士からの内容証明郵便です。

去年の冬は、両手を真上まで(バンザイみたいに)持ち上げることができましたが、この週末にやってみたところ、もう関節が硬くなってしまって、肩から上に上がりませんでした。
こうして日々、父は衰えていきます。加害者が私との約束を守り、父の目の前に立つ日は来るのでしょうか.....

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明治安田生命 組織的「詐欺」の実態

2005-09-16 11:20:05 | 損保業界
<保険金不払い>明治安田生命の悪質性暴露 金融庁が通知

 明治安田生命保険の保険金不払い問題をめぐり、金融庁が8月上旬に明治安田側に伝えた検査結果通知の中で、「顧客対応に著しく不適切な点があった」と具体的な事例を挙げて悪質性を指摘していたことが15日、分かった。明治安田は苦情に対応するためのマニュアルで「2回苦情を受けたら支払いに応じる」などと細かく規定。これまで明治安田は「営業現場の責任」を強調していたが、保険金支払いを極力抑制しようと組織的に対応していた実態が浮き彫りになった。
 金融庁は生保各社を監督する際、保険金不払いの実態に加えて、問題処理に当たっての顧客対応の姿勢を特に重視しており、明治安田の不適切な対応を重く見て、2月の業務停止命令に続き、今年2回目の行政処分に踏み切る方針だ。
 金融庁が特に深刻な問題として指摘したのは、「不払いへの苦情対応」と「個人顧客への不払いの集中」の2点。「苦情対応」では、保険金不払いへの苦情に対応するためにマニュアルを作成するなど本社主導でトラブル回避に動いていた。
 具体的に契約者から「不払いはおかしい」とクレームのあった場合、マニュアルで「苦情が1回だけなら支払いに応じないこと」「2回苦情を受けたら支払いに応じること」などと規定。結果的に不払いを承諾した契約者だけが泣き寝入りすることになった。また、訴訟に発展しそうなものについては迅速に保険金を支払い、和解に持ち込んでいた。
 「不払いの集中」については、大企業の従業員対象の団体保険では不払いはほとんどなく、個人契約者に集中。個人契約者を軽視する明治安田の営業姿勢が明らかになった。
 旧明治生命は02年3月、支払う保険金を減らすことで収益拡大を目指す方針を盛り込んだ中期経営計画を策定。同年5月には専務ら役員が主導して保険金の支払い基準を改定し、契約者の過失責任を厳しく問うよう見直した。その後、保険金の不払い件数が、年間10件程度から数百件に急増、過去5年間で1000件以上の不払いがあったとみられている。
(毎日新聞) - 9月16日


明治安田生命の払い渋り問題は、以前の記事でも取り上げましたが、ここまで来ると組織的「詐欺」ですね。

「一定の条件を定め、その条件に適合する被害を受けた場合に、保険金を支払う」というのが、保険という商品の大前提です。今回は、その条件を満たしていたにもかかわらず、屁理屈をコネて支払いを拒否したわけですから、結果的に加入者を騙した=詐欺行為と言えるでしょう。

いつも損保の問題を聞く度思うのですが、こんな業界で平気で仕事が出来る人たちは、どういう神経なのでしょうか?

背に腹は代えられませんか?
人様を騙してお金を巻き上げても、良心の呵責はありませんか?
自分の仕事に誇りをもって、我が子に説明できますか?


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足して2で割る?

2005-09-14 12:10:59 | 交通事故と闘う
少し前のものですが、こんな記事を見つけてきました。

「求刑軽い」裁判で判決 当初通りの懲役3年に

 死亡ひき逃げ事件で被告に懲役3年を求刑した検察側に裁判官が「求刑が軽い」と釈明を求め、検察側があらためて懲役4年を求刑した事件の判決公判で、岡山地裁倉敷支部の樋上慎二裁判官は9日、当初の求刑通り懲役3年を言い渡した。
 判決で同裁判官は「求刑は量刑の実際上の上限を決めると言え、実際の量刑は求刑より1ランクないし2ランク低いのが通例」と述べた。
 また弁護側の「裁判官の訴訟指揮は刑事訴訟法に違反する」との主張に「審理が尽くされたものでなければ安易に判決を言い渡せないことは明白」と求釈明の必要性を述べた。
 判決によると、業務上過失致死罪などに問われた男性被告は3月24日夜、車で岡山市の女性=当時(54)=の自転車と衝突して逃走。女性は間もなく死亡した。

(共同通信) - 9月9日



この事件、要はこういうことでしょうか?

 検 察:「懲役3年」でどうですかね?
 裁判官A:「えーっ軽すぎるんじゃ? 考え直してみてよ」
 検 察:「んじゃ、懲役4年で!」
 裁判官B:「普通、検察の言い分から少し差し引くから、懲役3年で決定!!」


例えば、検察が「懲役10年」と言い、被告(弁護士)が「懲役5年」と言う。お互いを“立てる”ため、間を取って「懲役7年半で」。こんな、「足して2で割る」ような判決でよければ、私でも裁判官が務まるように思うのですが...?

裁判官・検察官・弁護士」の三者は、地裁の場合、その大半が同じ地域で活動していて、何かしら顔なじみのはずです。事実、地裁に裁判の傍聴に行くと、法廷ではその三者が、お互いを「先生」と呼び合う、何とも滑稽な様子を見ることが出来ます。互いを「先生」と呼び合う職業は、医者、議員、時代劇の悪者助っ人(笑)と往々にして悪者が多いですが、ここまで来ると、国民の税金を使ってママゴトをしているのかと思えます。

よく法律の世界では「判例判例」と金科玉条の如く言いますが、これは「前例通りで!」と言っているに過ぎません。上の記事でも裁判官が、 「求刑より1ランクないし2ランク低いのが通例」 と、堂々と言っていることからも分かるとおりです。
犯罪も多様化し、また予想外の被害や影響を及ぼすようになりました。だからこそ、法律の専門家たちに時代に即した司法を考えてほしいところなのですが、「自分たちが新たな司法、新たな時代を築くのだ」という信念が感じられないことは、とても残念な気がします。


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最高裁裁判官国民審査

2005-09-08 19:55:12 | 交通事故と闘う
いよいよ日曜日は衆議院議員選挙です。今回の選挙では、インターネットを使っての選挙活動も話題になっていますが、意外に多いのが、最高裁裁判官国民審査を取り上げているページやblogです。
私も以前の記事で、クビにすべき最高裁裁判官を取り上げたことがありますが、残念ながらこの裁判官、先頃定年でお払い箱になっています。ただ、今回の国民審査にあたって、時事通信が行った「最高裁裁判官国民審査に関するアンケート」というのがあるのですが、気になる裁判官が1人だけいましたので、取り上げたいと思います。


津野修(つの・おさむ)
【経歴】元内閣法制局長官→現職。66歳。
【下した判決】水俣病被害で行政責任を認めた「水俣病関西訴訟」判決に関与(04年10月)▽東京都の管理職試験国籍制限を合憲とした大法廷判決で多数意見(05年1月)

この裁判官、時事通信アンケートの「裁判官は世間知らずとの批判があるが、どう思うか?」という項目に、次のように答えています。

大多数の裁判官には当てはまらない批判と感じる。

百歩譲って、仮に氏の主張通り、大多数の裁判官が「世間知らずではない」とします。ですが、裁判に当たって原告被告は、自分で裁判官を選ぶことが出来ません。ごく少数の世間知らずのアホ裁判官に偶然当たってしまい、不当な判決を受けた人はどうすればいいのでしょうか?
裁判官にとっては、多数案件のうちの1件に過ぎませんが、被告原告にとっては、唯一無二の大切な裁判です。だから本来、絶対にえん罪はあってはならないし、司法には一定のレベルが保証されなければなりません。「大半が一生懸命やってるから、アホが何人か混じっていても許してよ」という理屈は通りませんし、そのことで今、「世間知らずだ」と言われているのに、66歳にもなってそんなことも分からないとは....。

この記事の最初に書きましたが、以前の記事で取り上げた元最高裁裁判官・金谷利広は、「今のご時世、預金利息は5%くらい付くのが相場」という判決を下しています。この感覚、世間知らずと言わずして何と言えばいいのでしょう。そして金谷利広は、判決の中で「裁判官によって判決がぶれることよりも、法的な安定性が大事」とも述べています。そんなに法律が大事でしょうか?法律が神様で、人間はそれに従う“しもべ”なのでしょうか?

現行制度上の国民審査は残念ながら形骸に過ぎませんが、知的財産の訴訟なども増え、また裁判員制度の導入などで欧米並みに司法が身近になろうとしている今、司法の進むべき道が期待されていますし、私たち国民も、不逞な法律バカに司法の世界を牛耳られないよう、厳しい目で監視することが求められていると思います。


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母からの電話

2005-09-07 09:18:59 | 交通事故と闘う
ここ半月あまり仕事が忙しかったため、一昨日(9/5)ですが、久しぶりに母からの電話で話をしました。
折しも台風が今週中に上陸かと言われているため、父の入院するA病院も台風対策の話が出ているらしく、母も「台風がひどい日には、無理して来られなくていいですよ」と、看護師から話があったそうです。

さて、血栓の治療を終えて、元いたA病院に戻ってきて半月ほどになりますが、昨日(9/6)は腸の検査(だった)そうです。
約1ヶ月前、A病院で入院中に直腸ガンが見つかりオペしたわけですが、その直後に脚の血栓でK病院へ転院したため、A病院での術後の検査はほとんど出来てなかったようです。
ですがこの前転院してきた直後にも大腸の検査があったらしく、下剤を使って腸の中を空にしてしまわないといけないため、父は相当苦しかったようです。普通の人であれば下剤を服用してお腹を空にするらしいのですが、父は認知・認識の能力が低いため、注射の下剤を使用。しかも、ほとんどベッド上で動かない生活をしていることから、なかなか便通が悪く、浣腸を5本もしたそうです。父にしてみれば、意味も分からずいきなり浣腸されたり注射される日々なのですから、どれほど苦しいだろうかと思います..。

ちなみにこのA病院の主治医、院内でもかなり上の役職のドクターらしいのですが、かなりマメに父のところへは回診に来てくれるそうです。ただ、私は疑り深い性格ですから、素直に手放しで喜べないのが辛いところです。浮腫(血栓の兆候)は母が見つけたので、「医師も看護師も見落としていた」という意味では、A病院の医療ミスです。責任云々の話になれば、主治医の責任は免れませんから、(丁寧さの裏には)それもあるのかなぁ..などと思ったりします。ただ、氏の名誉のために、元々「かなり丁寧な説明をしてくれる医師である」ということを付け加えておきたいと思います。

閑話休題、そういった検査や環境の変化が直接の原因ではないかもしれませんが、母曰く、「どうもA病院に戻ってきて以来、認知のレベルが低くなっている気がする」とのこと。
例えば、K病院ではご飯も何とか半分くらいは自分で食べていましたが、A病院に戻って以降は、箸は握るものの、お碗に付いた絵柄をつまんで食べようとするなど、前ほど上手ではなくなっているそうです。また、お茶を飲んだ後に母がお碗を持たせても、先ほどの「お茶」から「お椀」に変わったことが認識できないらしく、お椀を傾けてズズーッと汁物を吸おうとしたりするそうです(実際にはお椀の中には固形のおかずがはいっているのに)。
A病院→K病院→A病院と、わずか1ヶ月の間に渡り歩くことになったわけですから、多少は新しい環境に慣れるまでに時間が掛かると思っていましたが、母の話を聞く限り、「血栓前」と今とでは、やはり身体的精神的なレベルが落ちているような気がします。


ガン治療に関しては、K病院から戻ってきた直後の検査の際、表面を再度焼いたとのことで、これといって変化はありません。
血栓の方ですが、これは治療をしたものの、左右とも脚の甲に浮腫があるようです。これはリハビリの先生曰く、「歩けないためどうしようもない面もある」とのこと。脚に圧力が掛からないので、なかなか浮腫が取れないようです。他動的に動かしたところでどれほど意味があるか分かりませんが、母も毎日マッサージをしているそうです。リハビリに行っても歩き回るわけではないので、「時間が薬」とは言えないのが辛いところです。

排泄の環境も変わりました。血栓でK病院への入院中にはオムツだったので、A病院に戻った後もそのままオムツを継続使用していましたが、A病院ではリハビリの回数が多く、身体を動かす機会が増えたので、いわゆるトレーニングパンツに変更しました。オムツはじっとしている人には(本人・介護者とも)便利で快適かもしれませんが、身体をよく動かす人だと、大腿部が股ズレを起こしたように赤くなってしまいます。所詮は紙ですからね..。
ただ、トレーニングパンツも善し悪しで、オムツよりフィット感が甘いため、寝返りの際に汚物で周囲を汚してしまったりします。どうやら昨晩も、夜9時~朝8時までの間に、3回もベッドシーツやパジャマなど、一式交換するハメになったそうです。

こんな状況ではありますが、高次脳機能障害の困った点は、「一見するとまとも」に見えてしまうところです。父と同じ病室に、気管切開した患者さんがおられますが、その後家族はうちの父を見て、「いつもニコニコしていていいですね」、「ご自分できちんとご飯を食べられるからうらやましい」と言われます。
「きちんと」ご飯を自力で食べられるわけではありませんし、意味があってニコニコしているわけではありません。隣の芝生は青く見えるのかもしれませんが、私に言わせれば、「気管切開で言葉を失っていても、精神的には健常で、家族と意思疎通ができる方がマシ」です。

無理解、無知とは恐ろしいものだと感じます...。


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