交通事故と闘う

私の父は交通事故に遭い、脳に障害を負いました。加害者は謝罪せず、損保の対応は二転三転..。その「闘い」を綴っています。

宮城高校生死亡事故に思う 2 -学校の責任?-

2005-05-24 12:42:41 | 交通事故と闘う
再び宮城高校生死亡事故を取り上げたいと思います。
事故から2日が経ち、当時の状況が明らかになるとともに様々なコメントが出てきていますが、そんな中、気になるコメントがありました。

以下、とある保護者のコメントですが...
(プライバシーに配慮して、一部表現を修正しています。)

>加害者の犯した罪は論外だ。
>だが、あんな交通量の多い危険なコースを歩かせなければ、子どもが事故に遭うことはなかった
>学校は被害者に対して責任ある説明すべきだ。


お子さんが事故で大けがをされた、あるいは亡くなったとなれば、その心中は察するに余りあります。しかし私は、このコメントに対し、落胆にも似た違和感を覚えます。
近年、学校を舞台にした事件事故が多くなっています。ですが、その全てにおいて学校を糾弾していたのでは、「檻の中にでも生徒を囲わない限り、何も出来なくなる」のではないでしょうか?
非礼を承知で例に出せば、先日、修学旅行先でホテルから転落して亡くなった生徒さんがいましたが、「ホテルは危険だから、平屋の民宿に全員宿泊させる」とか、あるいは「ホテルの2階以上を立ち入り禁止にする」等すれば済むことでしょうか?

今回の事故は、「飲酒運転の車が人を撥ねた」ということが最大の理由です。責めるとすれば、飲酒運転の加害者でしょう。このコメントを読む限り、どうも「安易に」学校批判に走っているように思えてなりません。
また、事故現場が「あんな交通量の多い危険なコース」というコメントですが、お子さんがウォークラリーで歩く予定のコースを知らなかったのでしょうか? 学校が「コースは毎年変更かつ秘密」としていたとは思えませんので、「交通量が多く危険だから、コース変更の検討を」と、学校にお願いすることも出来たはずです。

今回の事故は、自己責任で回避できる限界を超えたものでしたが、安易に批判に走るのではなく、責任意識や危機意識を真剣に考える機会にしたいところです。
そうでなければ、失われた若者の命は報われない、そう思います....。

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宮城高校生死傷事故に思う -200年の命-

2005-05-24 01:37:09 | 交通事故と闘う
宮城県多賀城市の飲酒運転死傷事故は、既に周知通りだと思います。
直前まで飲酒していたという“大馬鹿者”が、3人の高校生を轢き殺し、22人に重軽傷を負わせたというものですが、これまた、ココでも度々取り上げたJR福知山線脱線事故と比べ、扱いの軽さに半ば呆れているところです。

さて、TBしている“keisukekisaragi”さんのblog、私もよく拝読しているのですが、
「人を殺したこと、ケガを負わせたことに変わりないのに、交通事故だと何故、罪が軽いのか?」
という議論があります。私も120%同感です。
さらに私なりに派生(飛躍?)して考えると、今回の事故、15歳の青年3人の命を奪ったわけですから、平均寿命を80年と仮定して...
「残り65年×3人=195年!!」
このような計算に、不謹慎の誹りは免れないかもしれませんが、要は、195年という、人間2人分の一生を奪ったに匹敵する愚行にもかかわらず、この加害者は僅か数年の懲役で再び社会へもどり、恐らく数年のうちに再びハンドルを握るということです。

数値はあくまで「計算上」のものです。目の前で友人を轢き殺された高校生の心の傷等々、他の事情は考えていませんから、実際はもっと重い罪であり、もっと多くの年月を奪ったことに他なりません。

こういった事故が起こる度、日本のクルマ優先社会を憂えずにはいられませんが、何故に「変わらない」のでしょうか?
乱暴な言い方かもしれませんが、誰か大臣の息子でも飲酒運転の車に撥ねられて、植物状態にでもなれば、真剣に考えてくれるのでしょうか?
もしそうだとすれば、日本人は経験から学ぶということを、どこかに置き忘れてきたのかも知れません..。


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「脳脊髄液減少症」を知っていますか?

2005-05-17 13:05:48 | 交通事故と闘う
毎日新聞のサイトに、こんな記事を見つけました。

むち打ち症:交通事故で被害、実は脳の髄液漏れ 加害者側相手、全国で訴訟相次ぐ


この「脳脊髄液減少症(のう せきずいえき げんしょうしょう)」は、交通事故などで頭部・頸部へ強い衝撃を受けたことで、頭蓋内から髄液が漏れだし、痛みを引き起こすというものです。つい先日、「本当は怖い 家庭医学」というTV番組(ビートたけしが司会)でも取り上げられていましたので、「あぁ、あれか!!」という方もいると思います。

いわゆる「むち打ち症」は、レントゲンやMRIなどで確認できないため、本人の訴えによるところが大です。それ故に詐病(病気のフリ)があるのも事実ですが、かえって「本当にむち打ちの人」にとって、大きな不利益となっています。損保は当然のごとく「証拠がないので治療費は払いません」と言ってきますし、事情を知らない人から見れば、怠惰なだけに映ることもしばしばです。

そんな中、この「脳脊髄液減少症」を理由とした訴訟が増えていることは、概ね歓迎すべきコトだと思います。この病気で苦しむ方が増えているのは残念なことですが、これを機に、今まで「むち打ちだから」と切り捨てられていた交通事故被害者の方に対する補償が、少しでも見直されていく方向に進めばと思います。
また、治療法とされている「ブラッドパッチ療法(髄液が漏れた箇所に自分の血液を注入し、漏れを止める)」は保険適用外のため、これについても研究が進み、「適正な」診断と治療が為されることを期待したいところです。

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「対話」の必要性

2005-05-17 01:45:55 | 交通事故と闘う
この日曜日のことですが、ニュースで「犯罪被害者支援のためのシンポジウム」について報じられていました。
後で調べたところ、被害者加害者対話支援センターが開いたイベントで、大阪での催しだったそうです。

「犯罪被害者」というと殺人や傷害等々の被害者というイメージが強いのではないかと思いますが、言うまでもなく交通事故被害者も例外ではありません。しかしこのイベントのみならず、ある種の別扱いをされているようで、違和感を覚えるのは私だけでしょうか..。
度々書きますが、統計上の数値だけでも、年間1万人以上の死者がいる交通事故。しかし保険屋や弁護士が「適正な賠償」を謳い文句に、被害者-加害者の直接接触の機会を妨げているのが現実です。


シンポジウムの紹介ページに、気になる文章がありましたので紹介します。

> 犯罪は、人を傷つけます。
> 安心感や信頼感を奪い、人と人との関係を破壊し、その人自身を崩壊させます。
> ひとたび犯罪により傷ついた被害を、犯罪前の状態に戻すことは、著しく困難、あるいは、不可能です。


言い得て妙です。交通事故被害者は、基本的に車やバイク等々、事故の際の対象(相手)が恐ろしくなります。用心深くなる程度なら構わないかも知れませんが、中には二度と車に乗れない、車が恐ろしい..といった精神症状を呈する人もいます。また「その人自身を崩壊させます」の言葉が象徴するように、頭部外傷などの場合は、文字通り「人格」を失うことになります。それはヒトという生物としての生はあっても、それまで社会生活を営んできた「人間」あるいは「個人」としての死を意味します。

犯罪被害を考える時、損害賠償と謝罪(反省)は別物であって然るべきだと思いますが、こと交通事故犯罪においては、全てが数値(金銭)の多寡で考えられる傾向にあります。
まず、交通「事故」ではなく、交通「犯罪」なのだという認識が大切なのではないでしょうか..。

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弁護士の社会的責任とは

2005-05-13 23:58:07 | 交通事故と闘う
弁護士というと、基本的には「正義の味方」的なイメージを持っている人も多いでしょう。しかし、弁護士という職業の「本当の」姿を知る人は、果たしてどれほどいるでしょうか...?

ここ数日、話題に上っているニュースに、東京での「少女監禁事件」があります。
小林泰剛容疑者(24)が、ネットで知り合った兵庫県の少女(19)を東京都内のマンションで監禁していたという事件ですが、保護観察制度の盲点や、いわゆる「調教ゲーム」といったものに焦点が当てられた報道が多い中、私は、同容疑者が前回の事件を起こした際に担当した弁護士が、一番気になります。

この小林泰剛容疑者、2年半前にも首輪などを使って女性を監禁し、逮捕されていました。公判では「常習性が感じられる」と認定されながらも、執行猶予・保護観察付きの有罪判決。つまり、事実上の無罪となり、再犯を犯したわけです。

実刑を免れた背景には、当然、弁護士の「尽力」があります。ニュースで顔を見た方も多いと思いますが、北海道札幌市の、池田雄亮弁護士です。白髪で、相当に弁護士経験は長いようですが、この池田弁護士、「どうして再犯に至ったと思うか?」、「問題は何だったと思うか」といったインタビューに対し、

  「う~ん...何ででしょうねぇ...」
  「小林容疑者の変化を見抜けなかった」

といったコメントに終始しています。少なくとも私が見た範囲で、今回の被害者に対する謝罪や、「気の毒だ、辛かろう」といったコメントは一切ありません。
自分が弁護を担当し、その結果、執行猶予付きになった人間が再犯を犯したわけですから、私なら恥ずかしくて、また今回の事件の被害者に申し訳なくて、テレビになど出られません。本来、実刑を与えて更生させるべきだった人間を、自らが手を貸して、事実上の野放しにしてしまったのですから..。

弁護士法第一条には、「社会正義の実現」が謳われていますが、実際には彼ら弁護士にとって社会正義などは関係ありません。自分の「飯の種=依頼者」の利益を守ることが使命であり、裁判が終わってしまえば他人事なのです。

余談ですが、民事上の示談が成立している犯罪については、刑罰が軽減される傾向にあります。報道によると、「小林容疑者の家庭は相当裕福なようで、前回の事件の際には1200万円もの示談金を軽々と支払っての示談」だそうですが、池田弁護士にも、相応の報酬が支払われたのでしょう。

前回、そして今回の事件と、被害にあった少女は今後もずっと苦しみ続けるでしょう。しかし弁護士にとっては既に過去の問題であり、まさに他人事なのです。
私が被害者の親だったら、是非この池田雄亮弁護士に依頼して「小林容疑者を極刑に」と、訴訟を起こしてみたいものです。

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人1人、280万円で殺せますか?(JR脱線事故)

2005-05-12 10:44:49 | 交通事故と闘う
敢えて衝撃的なタイトルを付けてみましたが、読売新聞でこんな記事を見つけたからです。

今回のJR福知山線脱線事故で、JRが加入している賠償責任保険の上限が100億らしいのですが、それでは不足することが確実になっそうです。「死者が107人、負傷者が500人以上(最新報道では600人強)」となっていますので、もし保険の範囲内でしか賠償しないと仮定すると、

◎負傷者が500人を、ケガの程度等々は様々ですから「死者の半分」と見なすと....

 100億÷(死者107人+負傷者の半分250人)= 約280万円

となります。ただ第一に、「100億を超えることが確実になった」というだけで、当然、不足分はJRが自腹を切ることになります。しかし、上記の計算には衝突したマンションの損害賠償等々は含まれていませんので、実際の損害賠償額は計り知れません....。

今回の事故は、その規模の大きさからして、損害賠償訴訟が起こされるのは確実です。また、世論も100%遺族の味方ですが、交通事故は違います。往々にしてこういう事態、すなわち、保険金の範囲内での命の計算がなされているのです。

「保険を使う」ということは、賠償交渉の相手が加害者(今回はJR)から保険会社に移るということを意味します。
さすがに今回の事故で、「保険会社に任せてますから」なんてことにはならないとは思いますが、交通事故の場合は損保の担当者なり顧問弁護士が出てきて、加害者本人とこちら(被害者)の間に割って入ります。
彼らの使命は「1円でも支払いを減らすこと」ですので、そこに被害者の気持ちや加害者自身の後悔・反省の念などは関係ありません。被害者の都合などどうでもよく、あくまで仕事として捉えているに過ぎません。

事実、今回の事故で初めて加害者側損保(全労済)と話し合いをした際、日程は全労済の指定する日の中で選ばされました。当時は事故後1週間ほどで、ようやく父の意識が回復した頃でした。もちろん、言葉はまともに出ません。そんな中、全労済から「話し合いたい」と言ってきたため、こちらが日程をいくつか提案すると、

全労済の所長曰く、
  「その日、担当者が結婚式に出るためお休みしてますので、交渉は他の日にして下さい」


と言ったのです。
こちらが話し合いを申し込んだのであれば、まだ理解できます。しかし、申し込んできたのは全労済です。しかも、ようやく生死の淵から戻ってきた被害者、その家族に対し、「結婚式だから、別の日にしてくれ」というのは、いくら何でも無神経なのではないでしょうか?

私自身はこういった経験もあり、今回のJR西日本経営陣の“ふてぶてしさ”は、特段驚かされるものではありませんでしたが、交通事故に限らず、これから不幸にして事故の被害者となられた方、基本的に保険会社はあなたの敵だと思って掛かって間違いありません。それがたとえ1,000円でも、できれば払いたくない、900円にまけられないかな...などと思っているのです。

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「生命中心の社会」を取り戻すために....

2005-05-11 15:14:53 | 交通事故と闘う
日々“過熱”の度を増す脱線事故報道ですが、とても冷静かつ客観的に分析しているサイト(ブログ)を見つけましたので、紹介したいと思います。

「事件・事故報道で今一度考えたいメディアの責任と体質(上)」
(↑別ウィンドウで開きます。)

藤代裕之さんという、元地方新聞記者の方が書いたブログですが、私なりにまとめますと、
「マスコミの役割は私的に批判を繰り返すことではなく、原因究明や今後の防止策に繋がるような客観的かつ科学的視点で事実を突き詰めていくこと」
といった内容かと思います。これまでの脱線事故報道の中で、私はこれほど的を射て、冷静かつ客観的・科学的な視点に立ったものをみたことがありません。

今回の脱線事故は、まずもってその現場の“映像の”悲惨さから、同情と怒りの声を産みました。しかし、以前にも書きましたが、この事故の100倍もの人が毎年交通事故で命を奪われています。
しかも交通事故死者の統計は、事故発生後24時間以内に死亡した場合のみ死者としてカウントされますから、

 まる2日ICUで頑張ったが息絶えた人=(統計上は)ただのケガ人

としてカウントされます。


また、私の父のように重篤な障害を負わされた人間も、ただの「けが人」というカウントです。これまで健康だった人間が、独力では生きていけない身体にされても、あるいは腕1本の骨折でも、“けが人”です。
脱線事故では、「病院に収容されていた男性が息絶えた」などと報じられましたが、交通事故ではそういうことはありません。「記録」の上ではけが人でも、実際には死んでしまった人が大勢隠されているのです。

今回の脱線事故は、公共交通機関の安全対策や今の日本の効率優先社会に警鐘を鳴らすことになりましたが、もしかすると脱線事故遺族の方でさえも、
「脱線事故で死んだのは納得できないが、交通事故で死ぬのは不運(なだけ)」というとらえ方とする人もいるかもしれません。
毎年の(統計上の)交通事故死者の数からすれば、「たった100人足らずが死んだだけ」の事故ですが、是非この事故を教訓にし、今まで我々が見過ごしてきた「生命中心の社会」を取り戻せたら、そんな思いです。

「あたりまえ」の幸せがほしい

2005-05-11 04:45:20 | 交通事故と闘う
眠れず、ふと外を見ると、夜も白んできていました。
既に出勤している方、あるいはお子さんのお弁当を作るため家族で一番早起きしているお母さん、もうすぐ夜勤や泊まりの仕事を終えられる方、いろんな人が、今日が何事もなく過ぎると思いこんでいます。ごく当然に。
私もまさか、父が撥ねられたあの日までは、こんなことで自分が悩み、眠れない日々が続くなど思いも寄りませんでした。でも、今日も日本のどこかで、私と同じように親が事故によって瀕死の重傷を負い、あるいは理不尽な車によって命を絶たれる人がいるかと思うと、なんというか不条理、納得できないとしか言いようのない気持ちでいっぱいです。

事故以来約1年、私も時間を作っては父の介護にあたっていますが、他ならぬ母は、本当に1日も、その付添を休んだことがありません。正月もお盆も、自分が39℃の熱を出した日も、母は短時間であっても必ず病院に行っています。そんな母が昨日は健康診断を受けたようですが、私は、何か悪い結果でも出るのではと恐ろしくて、「どうだった?」と電話することさえできませんでした。
今から少しは親孝行の真似事が出来るかと思っていた矢先の事故。父にも母にも、これからゆっくりのんびり過ごしてもらって、旅行でも勧めようと思っていた矢先の事故でした。

連日、JR福知山線の脱線事故が報じられていますが、その100倍もの人が毎年命を奪われていて、命こそ助かったものの、自分の力では何一つできなく“されて”しまった人たちが大勢いるのに、私も含め、どうして目を向けてこなかったのでしょう...。
父は命拾いこそしましたが、既に独力では生きていけない身体になりました。介護する母も、これから先の父(夫)との楽しい豊かな時間を奪われたばかりか、周囲の無理解な人々から、「そんなに付き添って何になる?」といった心ない言葉に傷ついています。私や妻は、その有給休暇のほとんど全てを父の介護に使い切りました。

でも、加害者は、「弁護士に一任した」で済まされてしまうんです。
自分の妻や子どもの名前すら言えなくなった父、でも加害者は不起訴です。
一人の人間を半殺しにし、ろくに謝罪にも来なかった人間が、無罪なのです。

事故は2004年の3月のことでした。あっという間に1年が過ぎましたが、私も事故をなかなか直視できず、やらなければいけない賠償交渉や書類作成など、はっきり言って逃げてきました。
ですがもう、そうは言ってはいられない現実があります。

こんな早い時間帯の書き込み、ご覧になる方はほとんどいないでしょう。でも、もしご覧になったら、どうか今日1日、大切に生きて下さい。
朝送り出した我が子や夫、妻、それが最後になるかもしれないのです。
決してケンカしたり、ムッとしたままで送り出さないで下さい。

今日もどうか1日、「当たり前に」平和な時間が過ごせますように.....。

交通事故証明書の取得を禁ずる法律?

2005-05-10 15:43:43 | 交通事故と闘う
前回書きました交通事故証明書、事故に遭うと、いろんな場合に必要になってきます。
直接申請のほか、郵便振替申請でも良いわけですから、物理的には誰でも申請可能ですし、一応、「事故関係者が申請できる」となっています。


今回の事故で、こちらも事故証明が必要になったのですが、介護等々に時間を取られ、なかなか取りに行く時間がありません(当時は、郵便振替で申請できることを家族の誰も知りませんでした)。そこで加害者側に、

「こちらでも事故証明書が1部必要だが、介護等々で取りに行く時間がない。代わりにとってもらえないか?」

と頼んだところ、加害者側損保である全労済の担当者は、

「事故証明書を代行して取得することは、禁止されているのでできません」
「そう決められています」


と言って、代行取得を拒否してきました。

法律で取得が禁止されているのか、あるいは全労済の規約で禁止されているのか、是非調べてみたいと思いますが、ちなみに私の加入する某大手損保に尋ねたところ、

「そんな法律はない」
「ケガをした被害者から頼まれて事故証明を取るくらい造作もないこと。担当者の良識を疑う」
とのこと......。

事故証明代金の600円が惜しかったのか、その手間を惜しんだのかは分かりません。
しかし1つ言えることは、損保担当者にしてみれば、被害者は「お客様」ではありません。敢えて悪辣な表現をすれば、「自分たちから金をむしり取ろうとしている敵」に他なりません。
自分自身が事故を起こしたわけでもありませんから、そこに良心の呵責もあろうはずがありません。やらなくて済む仕事は徹底して拒否するという姿勢なのでしょう。

残念ながら、私には損保の交通事故担当者は勤まりそうにありません....。

遠方で起きた事故の、交通事故証明の取り方

2005-05-09 15:04:21 | 交通事故と闘う
突然ですが、今日は交通事故証明書について書きたいと思います。

交通事故証明書は、各都道府県の安全運転センター(大体、免許センターの中にあったりします)で発行してもらえますが、直接出向かなくても、郵便振替で申請ができることはよく知られています。

問題は、「他県での事故の事故証明書が必要な場合は?」ということです。
で、安全運転センターに尋ねてみたところ、交通事故証明書は、どこの都道府県で申請してもOKなのだそうです。
(知りませんでした....(;^_^A )

申請料と書類は、一旦は申請地の警察署に入るらしいのですが、その後、当該都道府県に自動的に回されるめ、事故地や申請者の住所と全く異なる場所(都道府県)で申請を行っても、問題なく届くそうです。
ただし、書類が回される関係上、直接、当該都道府県に申請した場合と比べ、若干日数が掛かるそうです。でも、遠方までわざわざ事故証明を取りに行く煩わしさからすれば、大変助かりますね。