交通事故と闘う

私の父は交通事故に遭い、脳に障害を負いました。加害者は謝罪せず、損保の対応は二転三転..。その「闘い」を綴っています。

目を背けることの罪

2005-09-21 17:45:53 | 交通事故と闘う
先週末からの連休を利用して、父の元へ帰ってきました。

度重なる転院からA病院に戻り、ようやく1ヶ月あまりになりますが、病院に着いて早々、A病院の主治医と話しました。 「奥様(私の母)がよく気が付かれるので、何でもどんどん言って下さい」 とのこと。
この主治医は元々とても感じの良いドクターですが、輪を掛けて優しくなったように感じました。

そりゃそうです。先月の父の血栓症に伴う異変に気づいたのは、朝から清拭をした看護師でもなく、食事介助をした介護職員でもありません。素人の母ですから。「見落とし」という意味では立派な医療ミスですから、病院も神経質になるのも頷けます。もし発見が遅れて父が死んでいても、証拠らしい証拠は無かったかもしれませんが、結果として「スタッフが見過ごしていた変調を、付き添っていた家族が発見した」わけですから、こういったことで訴訟に発展するのかなぁ..などと考えてしまいました。

閑話休題。この9月で、加害者が一方的に弁護士を立ててから、約1年が過ぎようとしています。ある日突然内容証明郵便が届き、精神的負担から、母が一気に体調を崩してしまったことを覚えています。
「父を苦しめ、ろくに謝罪もせず、さらにこの仕打ちか?!」と加害者の良心、良識を強く疑いましたが、どうしてこういうことができるのか、私は未だに不思議でなりません。言うなれば、一人の人間を「半殺し」にしてしまったにもかかわらず、人任せで済ませられるのは、なぜなのでしょう...

なまじ、「生きていた」からなのでしょうか?血まみれで、腕がもげて、顔が潰れていれば反省したのでしょうか? 加害者の中では「終わったこと」になっているのでしょうか?

ここでいくら言葉を尽くしても、百聞は一見にしかず。父の哀れな毎日を実際に見れば、その事故の悲惨さは一目瞭然です。
それを知って欲しいがため、去年の8月、私は「とにかく1日、介護などしなくていいから父の横で父を見て過ごせ」と迫りました。加害者は、「お許しを得られるなら、ぜひさせて頂きます」と答えたにもかかわらず、それから1月もせず、弁護士からの内容証明郵便です。

去年の冬は、両手を真上まで(バンザイみたいに)持ち上げることができましたが、この週末にやってみたところ、もう関節が硬くなってしまって、肩から上に上がりませんでした。
こうして日々、父は衰えていきます。加害者が私との約束を守り、父の目の前に立つ日は来るのでしょうか.....

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