交通事故と闘う

私の父は交通事故に遭い、脳に障害を負いました。加害者は謝罪せず、損保の対応は二転三転..。その「闘い」を綴っています。

誰のせい?

2005-09-06 11:01:36 | 交通事故と闘う
共同通信でこんな記事を見つけました。

幼児の96%ヘルメットなし 自転車同乗の負傷事故

 幼児を自転車に同乗させたことがある保護者の95・4%が幼児用ヘルメットを着用させず、13・1%が転倒などで幼児の負傷を経験していたことが、全日本交通安全協会のアンケートで6日までに分かった。負傷した幼児の96・3%はヘルメットを着けていなかった。
 一方で、幼児のヘルメット着用義務化について保護者の過半数が「なじまない」などと消極的な回答をし、後を絶たない“ママチャリ”事故の実際と安全意識の乖離(かいり)が浮き彫りになった。
 警察庁は「保護者への安全教育の充実とヘルメット着用の啓発活動を推進する」としている。
 調査は2-3月に、全国の幼稚園や保育所計80カ所に通う幼児の保護者を対象に実施。7194人が回答した。
(共同通信) - 9月6日


2人乗りの是非についての議論は置いておくとしても、親としての意識の低さに、怒りを感じます。幼児のヘルメット義務化について「なじまない」との意見が過半数とのことですが、どうせ言うなら「なじまない」のではなくて「めんどくさい」と正直に言えばいいと思うのですが?

幼児シートに乗せられるような小さな子どもですから、もしもの時、反射的に手をついて頭をかばうことも出来ません。誰が守るのかと言えば「母親」以外にいません。その母親がこんな姿勢では、近年児童虐待事件が増えているというのも納得がいきます。当人達はそのつもりはなくても、私に言わせれば、「アタシの身体さえ無事なら、ガキのケガくらい知ったこっちゃない」と言っているのと同じです。
さらに言えば、相手がいる交通事故だった場合、子どもにもしものコトがあれば、母親は相手を責めるでしょう。でも、子どもは単純に被害者であったとしても、母親は自業自得です。子どもに対し、相手と母親が損害賠償してもいいくらいです。

今はおしゃれなデザインのヘルメットもたくさんありますし、わずか数千円で近所のホームセンターなどで売られています。ヘルメットの脱着もベルトをカチッとはめれば済むことですから、ものの数秒です。そのわずか数秒の手間と、数千円の出費よりも大切なものって何なのでしょうか...?


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支払い「漏れ」ですか...

2005-09-06 10:33:40 | 損保業界
9月5日付けの共同新聞によると...

「支払い漏れ数十億円規模に 損害保険業界全体で」
 損保ジャパンは5日、保険金の支払い漏れが2002年7月から05年6月までの3年間に2万7296件、約9億2000万円あったと発表。東京海上日動火災保険も同日、支払い漏れが約1万7000件になるとの見込みを明らかにした。大手2社だけで、支払い漏れは約4万5000件に達しており、損保業界全体では10万件以上、数十億円規模に拡大する公算だ。
 保険金の支払いは、損害保険制度の根本だが専門的な知識が必要で、多くの契約者が支払額の算定を保険会社に任せているのが現状。損保業界は契約者の信頼を裏切った格好だ。
 関係者によると、支払い漏れは保険金を算出するシステムに不備があったことや、支払担当者の確認漏れといった人員ミスが主な原因。
 損保ジャパンの3年間の支払い総件数790万件のうち、支払い漏れの比率は約0・35%。300件弱に1件の割合で支払い漏れが起きていた。支払い漏れの金額は、1件当たり平均約3万4000円だが、数百万円支払っていないケースもあった。


だそうです...。

※gooニュースでも取り上げ↓
損保ジャパンの保険金不払いは2万7千件、9億円 (朝日新聞) - goo ニュース

記事中でも触れられているが、保険契約の内容と支払額については、高度な専門知識が必要とされ、大半の方が損保任せなのが実情だろう。そういう意味では、日本人は自らの財産管理に関して厳しい目を持っていないのかもしれない。ただ残念ながら、昔の日本のように性善説的、「お互い様」的な立場に立って商売をするのは、今の日本では残念ながら通用しないのが現実だ。

ところでこの記事、損保が「支払い漏れ」と言ってのけるところが、さすがは損保。守銭奴ぶり全開だし、厚顔無恥もはなはだしいと思う。「支払い漏れ」ではなく、「支払い渋り」ではないのですか?
「保険金を算出するシステムに不備があったことや、支払担当者の確認漏れといった人員ミス」という言い訳がまた見苦しいのだが、だとしたらどうして、支払いにだけ、そんな高額なミスが発生するのだろうか?システムの不備ならば、自社開発にせよ外注にせよ、金の出入り両方にミスが発生してよさそうなもの。でも「保険金払いすぎが発覚」という話は聞いたことがない。加えて、人員ミスと言っておけば、トカゲの尻尾切りでどうにかごまかせるという思惑が見え見え。

保険は「(保険商品を)購入する」という表現を使うけれど、実際には「買う」という感覚より、長期のレンタル契約を結ぶとか、そういう感覚の人が多いと思う。保険会社を信頼し、担当営業マンや代理店を信頼して加入して、長年のおつきあいが始まるというのに、「買わせれば、こっち(損保)のもの」という考え方では、いつか業界自体が社会的立場を失墜しかねないと思う。いや、“とっくに”失墜してるのかも...。


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命の重さは「ゴネ得」ですか?

2005-09-05 11:12:48 | 損保業界
いつもTBして下さるけいすけさんのblogで、興味深い記事を拝見しましたので紹介します。
氏のご指摘は私も常々疑問に思っているのですが、要は、

「同じ事故でも、裁判で解決するのと話し合い(示談)で解決するのとで、賠償金額が大きく異なる」

ということです。詳しくは氏のblogをお読み頂ければと思いますが、同じ事故なのに、裁判にするだけで賠償金額が跳ね上がるということは、全く理解に苦しみます。これだけを聞くと、ある意味「被害者のゴネ得」ではないのか?と思う方もいるでしょう。しかし「ゴネず損」なのが悲しい実態なのです。

死亡事故や重度後遺障害を負った事故というのは、被害者本人はもとより、家族も相当な精神的身体的ダメージを負います。私自身も「被害家族」になるまで、ここまで大変だとは思いませんでした。
その状態にあって、裁判をするということは、相当「勇気ある一歩」を踏み出すことに他なりません。「命を金に換えるのか?」などという心ない言葉を浴びせる輩もいますし、何より加害者には事故直後から保険屋という強い援軍がいるのに対し、被害者は孤軍奮闘せねばなりません。弁護士に相談するにしても、訴訟準備を依頼するにしても、お金や手続きは自己負担です。

交通事故は立派な犯罪行為です。
事故状況や、当事者の反省、意識の違いはあるにせよ、基本的には「ほぼ同じ」刑罰が下るべきですし、「ほぼ同じ」賠償がなされるべきだと私は考えます。しかし、高次脳機能障害などの重篤な後遺症では、訴訟と通常示談で、賠償金額に数千万円もの開きがあります。とても誤差の範囲だとは言えませんし、現状の「ほぼ同じ」基準は、保険屋やお抱え弁護士、そして現実感覚に乏しい法律人たちが、被害者の無知につけ込んで決めたものに過ぎません。

交通事故で人を殺す、あるいは傷つけることは、犯人にとって最も低リスクな手段なのかもしれません..。
しかし最も恐ろしいのは、それを知らない(フリをしている)社会だと、私は思います。


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夏が過ぎ、また転院

2005-09-02 02:36:23 | 交通事故と闘う
筆無精が災いし、気がつけばちょうど1ヶ月。あまりに更新しないため、いつも私がblogを拝読させて頂いているけいすけさんからも、心配のコメントが寄られておりました。私と違い、氏の更新のマメさには、常々頭が下がる思いです。m(_ _)m

さて、8月中旬からお盆の帰省も兼ねて実家に戻ったものの、父は微熱が続き、母も私もピリピリしておりました。
父はまともな会話が出来るわけではありませんし、また微熱のせいもあってか、付き添っていて特段すること、出来ることはありません。只々、「目を配る」ということしか出来ない、でもそれが、父が「安全な1日」を送るために大切なことなのです。

今回、私が付添を引き受けて、母を終日休ませることが出来た日が、たった1日だけありました。昨年3月に父が輪禍に倒れて以来、母が丸一日身体を休めることができたのは、今回を含め1週間とありません。

「1日たりとも心の安まる日が無かった」
これが嘘偽り無い、母の気持ちだと思います。土日も祝日もなく、まともな意思疎通も出来ない父(夫)の介護をすることは、それは壮絶なことですし、簡単に真似できることではないと思います。あまり自分の親を誉めるものではないかも知れませんが、本当にそう思います。

そうこうしているうちに、血栓症の緊急手術のために転院していた病院から、元いた総合病院へ戻ることになりました。
戻ってから、今日で約1週間になりますが、ここしばらくは母も疲れているのか、父の様子を伝える電話もありませんし、こちらが掛けても留守電のことが多い日々です。
事故の書類はどんどん増える一方で、片付く書類は一つもない。この状況がいつまで続くのかと考えると、「父の介護」と、そのために必要な「事故の処理」という、先の見えない2つの闘いに、つい現実から目を逸らしたくなる昨今です。

当初、このblogを立ち上げたとき、私の中にはいろんな思いがありました。
「交通事故の厳しい、そして悲しい現実を知って欲しい」とか、「私の思いの丈を吐き出す場が欲しい」とか、「父が生き、そして闘った証を誰かに伝えたい」とか...。ですが、思いを整理しまとめようと頭を捻れば捻るほど、blogから遠ざかってしまう自分がそこにあるような気がします。「分かってもらいやすい文面で」とか、「より見やすい体裁で」と考えるほど、こねくり回しすぎて、自分でも訳が分からなくなる(なった)ことが多々です。

マメに更新していた時では、1日で40~50人の方が見て下さっていたこともあり、ついつい力が入っていってしまったのですが、これからは「ありのまま」の父を、そして私の「ありのまま」を書きつらねていきたいと考えています。
お見苦しい文章を多々載せることになると思いますが、ご容赦頂ければ幸いです...。


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