交通事故と闘う

私の父は交通事故に遭い、脳に障害を負いました。加害者は謝罪せず、損保の対応は二転三転..。その「闘い」を綴っています。

母からの電話

2005-09-07 09:18:59 | 交通事故と闘う
ここ半月あまり仕事が忙しかったため、一昨日(9/5)ですが、久しぶりに母からの電話で話をしました。
折しも台風が今週中に上陸かと言われているため、父の入院するA病院も台風対策の話が出ているらしく、母も「台風がひどい日には、無理して来られなくていいですよ」と、看護師から話があったそうです。

さて、血栓の治療を終えて、元いたA病院に戻ってきて半月ほどになりますが、昨日(9/6)は腸の検査(だった)そうです。
約1ヶ月前、A病院で入院中に直腸ガンが見つかりオペしたわけですが、その直後に脚の血栓でK病院へ転院したため、A病院での術後の検査はほとんど出来てなかったようです。
ですがこの前転院してきた直後にも大腸の検査があったらしく、下剤を使って腸の中を空にしてしまわないといけないため、父は相当苦しかったようです。普通の人であれば下剤を服用してお腹を空にするらしいのですが、父は認知・認識の能力が低いため、注射の下剤を使用。しかも、ほとんどベッド上で動かない生活をしていることから、なかなか便通が悪く、浣腸を5本もしたそうです。父にしてみれば、意味も分からずいきなり浣腸されたり注射される日々なのですから、どれほど苦しいだろうかと思います..。

ちなみにこのA病院の主治医、院内でもかなり上の役職のドクターらしいのですが、かなりマメに父のところへは回診に来てくれるそうです。ただ、私は疑り深い性格ですから、素直に手放しで喜べないのが辛いところです。浮腫(血栓の兆候)は母が見つけたので、「医師も看護師も見落としていた」という意味では、A病院の医療ミスです。責任云々の話になれば、主治医の責任は免れませんから、(丁寧さの裏には)それもあるのかなぁ..などと思ったりします。ただ、氏の名誉のために、元々「かなり丁寧な説明をしてくれる医師である」ということを付け加えておきたいと思います。

閑話休題、そういった検査や環境の変化が直接の原因ではないかもしれませんが、母曰く、「どうもA病院に戻ってきて以来、認知のレベルが低くなっている気がする」とのこと。
例えば、K病院ではご飯も何とか半分くらいは自分で食べていましたが、A病院に戻って以降は、箸は握るものの、お碗に付いた絵柄をつまんで食べようとするなど、前ほど上手ではなくなっているそうです。また、お茶を飲んだ後に母がお碗を持たせても、先ほどの「お茶」から「お椀」に変わったことが認識できないらしく、お椀を傾けてズズーッと汁物を吸おうとしたりするそうです(実際にはお椀の中には固形のおかずがはいっているのに)。
A病院→K病院→A病院と、わずか1ヶ月の間に渡り歩くことになったわけですから、多少は新しい環境に慣れるまでに時間が掛かると思っていましたが、母の話を聞く限り、「血栓前」と今とでは、やはり身体的精神的なレベルが落ちているような気がします。


ガン治療に関しては、K病院から戻ってきた直後の検査の際、表面を再度焼いたとのことで、これといって変化はありません。
血栓の方ですが、これは治療をしたものの、左右とも脚の甲に浮腫があるようです。これはリハビリの先生曰く、「歩けないためどうしようもない面もある」とのこと。脚に圧力が掛からないので、なかなか浮腫が取れないようです。他動的に動かしたところでどれほど意味があるか分かりませんが、母も毎日マッサージをしているそうです。リハビリに行っても歩き回るわけではないので、「時間が薬」とは言えないのが辛いところです。

排泄の環境も変わりました。血栓でK病院への入院中にはオムツだったので、A病院に戻った後もそのままオムツを継続使用していましたが、A病院ではリハビリの回数が多く、身体を動かす機会が増えたので、いわゆるトレーニングパンツに変更しました。オムツはじっとしている人には(本人・介護者とも)便利で快適かもしれませんが、身体をよく動かす人だと、大腿部が股ズレを起こしたように赤くなってしまいます。所詮は紙ですからね..。
ただ、トレーニングパンツも善し悪しで、オムツよりフィット感が甘いため、寝返りの際に汚物で周囲を汚してしまったりします。どうやら昨晩も、夜9時~朝8時までの間に、3回もベッドシーツやパジャマなど、一式交換するハメになったそうです。

こんな状況ではありますが、高次脳機能障害の困った点は、「一見するとまとも」に見えてしまうところです。父と同じ病室に、気管切開した患者さんがおられますが、その後家族はうちの父を見て、「いつもニコニコしていていいですね」、「ご自分できちんとご飯を食べられるからうらやましい」と言われます。
「きちんと」ご飯を自力で食べられるわけではありませんし、意味があってニコニコしているわけではありません。隣の芝生は青く見えるのかもしれませんが、私に言わせれば、「気管切開で言葉を失っていても、精神的には健常で、家族と意思疎通ができる方がマシ」です。

無理解、無知とは恐ろしいものだと感じます...。


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