交通事故と闘う

私の父は交通事故に遭い、脳に障害を負いました。加害者は謝罪せず、損保の対応は二転三転..。その「闘い」を綴っています。

コケにされた東京地検

2005-09-22 15:51:56 | 交通事故と闘う
9月22日付けの読売新聞で、こんな記事を見つけました。(以下、抄)
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「不起訴不当」軽視しないで、検察審査会が異例の注文
 東京第2検察審査会(検審)が東京地検に「不起訴不当」などの議決を軽視しているとして、「検審の判断は国民を代表する意見であり、最大限尊重されるべきだ」と勧告していたことが分かった。

※以下、勧告書の抜粋
・「検審が議決した不起訴不当、起訴相当の事件に対し、検察が不起訴の判断を覆すことがあまりにも少ないことに疑念を感じる」
・「検審の判断が尊重されなければ、国民主権を根源とする憲法にも反する行為」
・「法律の解釈は一般国民の視点による判断が大切で、検察と同じ視点で犯罪をとらえ、構成要件の当てはめを考える必要は全くない」


 同検審は昨年、業務上横領事件など8件で不起訴不当を議決。議決に強制力はなく、東京地検はこのうち捜査を継続中の2件を除き、再び不起訴にしている。

※東京地検の回答
 「検察は議決を最大限尊重して再度の処分をしており、検審の判断を軽視している事実はないが、疑念が生じないよう今後も的確な検察権の行使に努める」と回答
 「勧告の趣旨が、不起訴不当の事件は東京地検も一般国民の視点で公訴(起訴)権を行使すべきだというものであれば、起訴に伴う不必要な負担や不利益を与える危険がある」と反論

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 私も父が事故に遭って知りましたが、検察審査会はクジで選ばれた一般市民が、検察の不起訴に対して申立のあった事件に関し、再度調べ治して「起訴するべきだ」といった意見を出す機関です。 その意味で、上の勧告書のとおり、検察の都合や法律論云々を考慮する必要はなく、あくまで一般市民の感覚と常識で考え、それを勧告するというものです。

 今回は、橋本龍太郎の1億円ヤミ献金疑惑の不起訴が問題になったとのことですが、「1億もらったかどうか覚えてません」とか「秘書が勝手にやりました」と言われ、東京地検はそれを認めてしまったわけです。検察官としてのプライドがあれば、石にかじりついても証拠を探し出し、絶対に起訴してやる!!ぐらいの覚悟が欲しいところですが、「やっぱり不起訴ね」で終わったと聞くと、主席検事は賄賂をいくらもらったのかな?などと勘ぐってしまいます。

 話が逸れますが、2週間ほど前のNHKスペシャルで、「犯罪被害者の裁判参加」が取り上げられていました。諸外国では、犯罪被害者やその家族は、希望すれば検察と同じ席に座ることができ、加害者(+弁護士)と相対する形で裁判に参加できます。ところが日本では、被害者は傍聴席に座らされますから、「当事者ではない」という扱いを受けることになります。
 もちろん、犯罪被害者の訴訟参加を実現すべきなのですが、現状、言うなれば「検察は最後の砦」なわけですから、安易な不起訴で仕事をサボることは止めて頂きたいと思います。

 長くなりましたので最後に。上記の番組で検察関係者が「被害者が参加すると、感情論的なぶつかり合いになり、訴訟が無駄に長引く恐れがある」といったコメントをしていたと記憶しています。
 「ケンカ両成敗」と言いますが、殴った方の言い分だけを聞き、殴られた方には「お前は感情的になるから引っ込んでろ」というのは、果たして真実を導き出すことに繋がるのでしょうか.....


※読売新聞は、検察庁や検察審査会のことについて、意欲的に特集で取り上げています。私は読売の回し者ではありませんが(笑)、法曹界の問題に興味がある方は、講読してみてはどうでしょうか?

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