交通事故と闘う

私の父は交通事故に遭い、脳に障害を負いました。加害者は謝罪せず、損保の対応は二転三転..。その「闘い」を綴っています。

最高裁・金谷利広「元」裁判長のとんだ遺産

2005-06-15 00:58:30 | 交通事故と闘う
昨日に続いて、最高裁・金谷利広「元」裁判長について取り上げます。
「元」と書きましたのは、この金谷利広「元」裁判長、既に退職しているのです。そのため今回の判決申し渡しは、代読という形で行われました。
(罷免の×印を付けられないのが残念です...。)

判決当日(6月14日)の新聞各紙の夕刊は、軒並み1面トップで扱っています。
さらに、TV各社のニュースを午後9時以降チェックしましたが、やはり今回の判決について、

> 超低金利時代に到底そぐわない判決...
> 被害者の苦悩、裁判所に通じず...
> 命の尊さより、時代遅れの民法を重んじた...


といった内容、コメント、記事ばかりです。これを、当の金谷利広は、どう見ているのでしょうか?
「法律の専門家たる俺様の崇高な判断に、愚民どもは黙って従え」とでも?

それにしても、この金谷利広という男、とんでもない「置き土産」をしてくれたものです。
何せ、これまでの地道な努力で被害者が勝ち取ってきた、「今の時代に、利率5%で計算するって、変じゃないの?」というごく当たり前の判例を否定し、損保の業績アップに貢献するわけです。被害者からしてみれば、そして一般常識に照らせば、世間感覚に乏しい、常識外れの裁判官ですが、損保業界にしてみれば、救いの神です。表彰ものです。

今後、私も父の損害賠償で闘っていくことになります。その時、きっと損保は言うでしょう。
「利率5%の計算は、最高裁で認められた判例です」と..。
私のみならず、今後、交通事故被害で苦しめられる被害者は、加害者や損保に加え、金谷利広の残した「負の遺産」に苦しめられることになるのです。

結局、審理差し戻しということになりましたので、事件の最終決着までには、まだ時間が掛かる見通しです。我が子を奪われた親をどれだけ苦しめれば気が済むのでしょう。
是非差し戻し審で、金谷利広の判決は常識外れとの見解を示し、世間感覚を持った裁判になることを強く期待したいと思います。


世間感覚に乏しい、最高裁元判事の金谷利広へ

 人の命より大切な「法の公平性」って、何のためのものですか?
 まさか、退職後の天下り先は損保ですか?
 その損保に持っていく土産代わりの判決ではありませんよね?

 我が子を奪われた親の苦しみより、100年前の法律がそんなに大事ですか?
 昔と同じ判決を繰り返すことが、時代の実情に合った判決より大切なのですか?
 被害者と加害者、あなたが敢えて一方助けるならば「加害者」なのですか?

 私には分からない。 そして、許せない。

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冷酷無比の極み、最高裁・金谷利広裁判長の「常識」を疑う

2005-06-14 16:57:34 | 交通事故と闘う
読売新聞のウェブで、驚くべき判決が出たことを知りました。
ニュースを見て、これほど本気で腹が立ったのは久しぶりです。是非読んで頂きたいと思います。
(記事本文は、下記リンク先でご覧下さい。)

交通事故逸失利益、利息控除は「5%が妥当」…最高裁


交通事故の被害者に賠償金が支払われる際、「将来得たであろう給与(逸失利益)」が支払われます。
しかし、一括して賠償金を受け取ると「運用することで利子が付く」ということから、利息分を差し引いた額を支払うことになっています。その利率の算定材料として、民法で定められた「法定利息5%」があるのですが、この超低金利時代ですから、当然5%も利子が付くはずありません。時代に合わないとの批判が数多く出ています。

しかし今日の判決で、最高裁の金谷利広裁判長は「利息分として5%は差し引くべき」との判決を下しました。その理由に、呆れてモノが言えません。

> 5%より引き下げるべきという主張は理解できるが、賠償額の算定に当たっては、
> 裁判官ごとに判断が分かれることを防ぎ、被害者間の公平を確保する必要がある
> から、中間利息は民法が法定利息としている5%を採用しなければならない

(°Д°)ハァ?

私のような俗人と違い、頭が良すぎるのでしょうか?
そもそも「金利1%にも満たない超低金利時代=5%で計算するのは時代にそぐわない」ということは、このご時世、国民の誰もが実感しているでしょう。現在の日本に、元本保証で金利5%の銀行があったら、みんな預金に殺到します。しかも「被害者間の公平を確保する」と言っていますが、そもそも5%で計算されることが、被害者に不利益を強いているのではないでしょうか?
だとすれば、時代にそぐわない法律を改めるべきであり、そのための布石となるような判決こそが、社会正義のために必要なのではないのでしょうか?

今やドライバーの多くが任意保険に加入していますから、実質的に支払うのは、多くの場合「損保」という企業です。逆に支払を受けるのは、今回のように大切な我が子の命を奪われた親や、重篤な後遺症を負わされた被害者、すなわち「個人」です。
今回の判決で「2審・札幌高裁判決を破棄し、賠償額を算定し直し」ということになりましたから、中間利息の引き上げで約2200万円が減額される見通しですが、企業が2200万円「損」をすることと、被害にあった個人が受け取る賠償金が2200万円減額されることは同じでしょうか?

仮に、一家の大黒柱である働き盛りの父親が被害にあったとして、数千万円単位で賠償額が変わるということは、その後の一家の生活を一変させるでしょう。
例えば、子どもは大学進学を諦めるかもしれません。妻はこの不況の時代に、パートより実入りのいい商売を探さねばならなくなるかもしれません。昼間に普通に働ける仕事ではないかもしれません。我が子に先立たれた親の「苦しみ」や「悲しみ」は、誰も贖(あがな)ってはくれません。

そういった苦しみや悲しみに思いを馳せ、被害者の無念を思いながらこの判決を下したのだとすれば、金谷利広裁判長はさぞや冷酷無比を絵に描いたような人物なのだと思います。人間は感情の動物です。理屈や理論は大切ですが、相手の心を推し量れるのが人間の人間たる所以だと私は考えています。金谷利広裁判長のご家族が交通事故に遭われた際には、是非とも今と同じ気持ちで「法定利息5%」を主張し、相手方損保を喜ばせてあげて頂きたいと思います。

金谷利広裁判長に問えるものなら問うてみたい。

あなたの奥さんが車に轢き殺されても、「年間1万人の死者の1人、大したことではない」と思えますか?
朝送り出した子どもが、ただの肉片に変わり果てても、「交通事故なら仕方ない」と納得できますか?
家族を奪われた痛みに耐えながら、損保や顧問弁護士と対峙する気力がありますか?


きっと、こういう人が退職すると、守銭奴的な損保から顧問弁護士として厚遇で迎えられるのでしょうね。
次の参議院選挙の際、金谷利広裁判長に「罷免」の×印を着けるのが楽しみです。

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無知の恐ろしさ

2005-06-13 10:50:04 | 交通事故と闘う
久しぶりに、父の見舞いにゆっくり行ってきました。事故から1年少々、父の様子も随分変わってしまったことに、驚いて帰ってきました。

かつては自ら立ち上がろうとする素振りを見せ、私たち家族が手を貸すことも頻繁でした。
その後入院中に、(高次脳機能障害のため正しい認識が出来ず、無理な動きをして)骨折。立ち上がることはほぼ困難になり、ベッドと車いすの移動での「つかまり立ち」がやっとになりました。
現在は、福祉施設を経て病院に入院中ですが、自分から食事に箸を付けることもなくなり、手を貸さずに放っておけば、1日2日で死ぬような状態です。

こういう状態の変化は、実際に寄り添ってみないと伝わりにくいものがあります。
事故後1ヶ月ほどのことですが、車いすに座っている父を見た加害者が、「随分回復されたようで安心しました」と言いました。にこやかに座ってはいますが、全く会話の通じない父。トイレも食事も人の手を借りずにはできない「人間」を見て、「回復してよかった」などと言える無神経さに、「知らない」ということの恐ろしさを感じました。

加害者は一方的に弁護士を立て、後は知らぬ存ぜぬを決め込んでいます。「月に1度、父の生活の様子を見にくる」と約束したものの、去年の秋以来、1度も来たことはありません。
そんな加害者には損保とお抱え弁護士が付き、被害者は独力で弁護士を探さなければならない、それが現実です。しかし、自分がその境遇に置かれなければ、きっと誰も、事故被害者の不遇を知ることはなく、「保険に入っているから」という漠然とした安心感の中、日々車を運転しているのでしょう。

そう考えると、「知らないこと」の恐ろしさを実感すると共に、思いを巡らせずに済む「幸せさ」を、羨ましくも思います....。


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斟酌するということ

2005-06-08 10:28:58 | 交通事故と闘う
「しんしゃく」=相手の意をくみ取ること

今朝の毎日新聞ウェブで、「私大生の19%が、日本語語彙力「中学生並み」」との記事を読みましたが、この斟酌という言葉も、知っている、あるいは正しく使える学生さんがどれほどいるのか疑問です。親御さんたちは苦労して学費を捻出しているのに、なんとも哀しくなります。
(まぁ、親の言いなりでエスカレータ式に大学進学という人も少なくありませんから、そんな憂いすら無い親も多いでしょうか..。)

閑話休題。昨晩、偶然夜中にTVをつけたところ、国会議員と若者が議論する番組があっていました。若手の女性議員が熱心に説明していましたが、今ひとつ答弁の切れ味に欠け、押され気味。また若者達は相変わらず....と思っていたところ、早稲田大学の学生さんが登場。

その学生さん、女性議員の話は途中で遮るは、根拠も述べずに断定的物言いで畳み掛けるはで、こんな人とディベートしたら怖いなぁ..(笑)と思わせる奮闘ぶり。結局、女性議員の出した議案は否決されましたが、こういう「頭のよい」学生さんを見ると、日本の将来がますます不安になります。

結局の所、どんな職業でも人と人との関わりという点では、共通しています。自分自身がやらなくても、会社のどこかの部署では、絶えず他社の社員や自社の顧客との関わりがあっています。相手の意を介し交わることが出来て初めて、取引も上手くいくというものですが、こういう学生さんが就職するとどうなるのでしょうか?
企業や個人が自らを利することは、一方で社会正義に相反する場合もあります。そういう時に、大局的に考えることが出来るのか? 倫理観が欲望に勝てるのか?

知識を得ることも大切ですが、人との関わりを大切にして欲しいと思います。


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