こうのとりちゃんを待つ日々・・・ななの不妊治療NOTE

39歳、結婚9年目。子宮内膜ポリープ切除2回、稽留流産を経て体外受精3回目で妊娠継続中です。双子であることが判明!

いろいろ考え中です

2009-09-02 | 不妊
本当に早いものでもう9月ですね


昨日リセットしました。


13日目に受診するように言われていますが、13日は予定があるから14日に行こうかと思っています。


血液検査と卵の様子を見て、プラノバールを処方されるだけだから、1日くらいずれてもたいしたことないだろうって勝手に判断します





さて、母との件についてはきっと皆さんにご心配おかけしているのだろうな~と思いながら、特に進展もせず、続きを書けないでいました。


あれから一度も直接話していないし、メールで必要な用件はやりとりしています。


な~んとなく気まずいまんま、自然消滅的にきっといつもどおりに戻って行くのでしょう。


たぶん、母はこういう性格なのだからこれで60年以上生きてしまったのだからもう変えられないと私が思うしかないのでしょう。


仕方がないですね。











それとは別に、今、また考え始めていることがあります。


うまく言えないけれど、自分の今後の生き方というか方向性というか。


今までとりあえず40歳までは治療して、あとは自然に任せて・・・。


という感じでした。


で、治療を辞めたら資格を活かした仕事を探そう、第2の人生を踏み出そう!とも思っていました。


大学を卒業して10年会社に勤めて辞めた時は、別にもう働かなくてもいいやって思っていました。


仕事が生きがいとは到底思えなかったし。


でも、こうしてバイトをしながらぼちぼちいろんなことをする時間を5年くらい続けていて思うのは、こういうのも悪くないけれど1つの仕事を持ってそれが楽しい、生きがいだって思える仕事をしていくのも悪くないかもって。


子どもを育てながらだったり、お金のためだけにする仕事だったりじゃなくて、本当に心からその仕事をしたいと思えて時間をたっぷりつぎこめるような一生涯続けられるようなこと。


ある意味、仕事が趣味って言えるような。


そんなイメージを持つようになりました。


その時に、じゃあどんな仕事って考えたら2つ浮かびました。


まず1つは不妊カウンセラー。


私は「産業」と「キャリア」という主に働く人相手のカウンセラーの資格はありますが、「不妊」は持っていません。


でも、私が1番辛さを知っているのは「不妊」かもなって思います。


残念ながらもう8年近く「不妊」という言葉、環境から逃れられないでいます。


人生で8年って長いですよね。


ただ1つ心配なのは、自分はもう子どもをあきらめられたと思っていても、その後ずっとクライエントさんの話を聴き続けることによって、また苦しさが蘇ってくるのでは・・・?ということ。


十分予測できますよね。


そしてもう1つ、将来について考えた時に浮かんだのは「親のいない子どもたちに関わる仕事」です。


昨日もしばらくPCの前でいろいろ検索しながら見ていましたが、今、虐待や離婚やいろんなことで親と一緒に暮らせない子がものすごく増えています。


どこの施設も満杯状態で、とても大変な状況のようです。


仕事の内容・種類まではまだはっきりと自分の中に浮かびませんが、施設の職員として働く、カウンセラーとして子どもの話を聴くことに関わる、ボランティアで子どもと遊ぶことに関わる、里親として関わる等など、いろいろな関わり方はあると思います。


とても大変な仕事で、半端な気持ちではできないことだろうと思います。


でも、今、やってみたいという気持ちは少し芽生えてきています。


もしかしたら今月末の地域の児童相談所の里親説明会にいってみようかとも思っています。


少しでも現状がわかるかもしれないと思って。










4月の流産から4ヶ月が過ぎ、やっと少し「何かしようかな」という気持ちが出てきたのかもしれません。


治療を今、止める気はないし、もちろん赤ちゃんが欲しいという気持ちは変わりません。


ただ、目の前の直近の目標だけを見つめ続けることに疲れてきてしまったのかもしれません。


以前、どなたかがブログに書いていらっしゃいましたが、不妊治療は校庭を何周もさせられるマラソンみたいだって。


確かに本当にそう思います。


一生懸命「あと1周!」と思って走っても、先生に「はい、ダメ。もう一周!」と言われて、また走り出す。


一緒に走り始めた友達は途中でどんどん「はい、OK!」とゴールを抜けていく。


自分だけが取り残されていく感覚。


走り方が悪いのか、体力がないのか、気力が足りないのかと思い悩む。


周りは次第に自分より若い子が増えていき、自分はさらにスピードが出せなくなり途中抜けて一休みする。


でもぐるぐる頑張って走っている人たちを見るとまた焦り始め、自分も走らなければ!走らなければ始まらない!とまた身体に鞭打って走る。


自分にはゴールテープはないかもしれないのに。


あると信じて走る、走る、走る・・・。


途中、先生に呼ばれ、血を抜かれたり、痛い注射をされたり、いろんなことをされて、それでも走らないと時間は過ぎていく。


当然、息切れする。


もうゴールを延ばされるのは嫌になってきます。


自分が「あそこがゴール、そこまであと何メートル」って思ってるのに、どんどんゴールは遠のいていきます。


そしてやっとの思いでゴールテープを切り、あとはじっと休んでお腹で育つのを待つのみ・・・と思ったところで「やっぱり駄目でした。もう1回校庭に戻りなさい」と言われ、また走り出す。


こんなにきつい修業はないよね






だから目の前のゴールじゃなくてもっともっと遠い所に目標を設定したいと思ったんです。


校庭を走り終わった先に、何を目指すか。


ゴールテープが切れなかったとしても、その後は校庭を抜け出して、今度は校庭のような狭い同じ場所を走り続けるんじゃなくて、自分のペースできれいな景色を見ながら行きたい場所に向かって走りたい。


今はそのための練習だと思いたい。


フルマラソン、いやそれ以上の距離を走れるだけの体力&気力を今養っているところなのだと。


この辛い練習がいつかきっと自分の役に立つときが来るのだと、そう思いたい