こうのとりちゃんを待つ日々・・・ななの不妊治療NOTE

39歳、結婚9年目。子宮内膜ポリープ切除2回、稽留流産を経て体外受精3回目で妊娠継続中です。双子であることが判明!

流産宣告後

2009-04-24 | 稽留流産
稽留流産の診断を受けた翌日からダンナちゃんが会社を休んで、一緒にいてくれることになりました。


私はそんなに大ごとだと思っていなかったので、ダンナちゃんと私の母が電話で話していて「そうなんです。ぼくもななを1人にはしておけないと思って・・・はい、手術まで僕が会社を休みますから大丈夫です」という言葉を聞いて驚いた。


私・・・今の私は1人にはしておけない大変な状態なんだ・・・と、泣きながら妙に客観的に自分のことを思った。


母からのメールにも「すぐにでも行こうか?」とあったが「今は会っても何も話せないし」と断った。


流産の宣告があったのが火曜日で、手術が次の月曜日、ということでずいぶん時間がある。


私は看護師さんの「もし手術までに出血が始まったらすぐに連絡をしてください。ただしここの診療時間内だけです。万が一夜中とかそういうときは救急でどこかの病院で緊急手術をしてもらってください」という言葉がものすごく引っかかっていた。


私が住む横浜市は産婦人科が少なく(住民の数に対して)心配なのはよくわかっている。


もし、夜中に出血したときはどうしたらいいんだろう?


できれば救急車は避けたいがタクシーなどで勝手に行っても「かかりつけ医ではないから」という理由で断られたりしないのだろうか?


そこでダンナちゃんにすぐに電話で調べてもらった。


やはり・・・


結果は「大きい病院でもたまたまその日の宿直が産婦人科医でなければ診られません。救急車を呼ぶ方がいいです」というような答えだったそうです。


でも、救急車でも、かかりつけ医がない場合タライ回しにされた挙句・・・というのは最近よく聞くニュース。


かかりつけ医が不妊専門のクリニックの人は一体どうしたらいいというのだろう?







ここから私の気持ちは「悲しい」「悔しい」に加え「怖い」「不安」もふくらみどうしようもなく不安定になった。


もし、たとえどこかの病院に受け入れてもらえたとしても、変な病院で変な処置をされて二度と妊娠できなくなったら・・・などと良くない想像ばかりしてしまう。






翌水曜日、木曜日は半分泣きながら半分寝る・・・ような生活を送った。


木曜日のお昼ぐらいから生理痛に似た下腹部痛が始まった。


これはもしや出血が始まろうとしているのではと思った。


不安がどんどん大きくなる。


ダンナちゃんも私と一緒に不安になっている。


眠れぬ夜を過ごした。


翌金曜日の朝、やはり腹痛がおさまらないのでクリニックに電話をし、先生に確認すると「まだ大丈夫だとは思うけど・・・心配なら今から来てください」ということだった。


少しほっとする気持ちと、予定よりも早くお腹の赤ちゃんとさよならしなければならなくなった切なさと・・・複雑だった。