手話通訳者のブログ

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「新しい手話」の弊害

2017-02-27 00:01:00 | 手話
ランクルさん、コメントありがとう。

>そんなにいて、そんなに少ないんですか。
時の経過と共に、少なくなってきました。
昔はたくさんいた。

>どこでこうなったのだろうか?
一言で言えば、「新しい手話」の弊害です。
手話通訳者の勉強=新しい手話を覚えること
こう思っている手話通訳者が増えてきました。

最近の手話通訳者は、新しい手話をよく勉強している。
で、ニュースの通訳なんかをやらせると、これらの新しい手話がスムーズに出てくる。
で、手話通訳者仲間から喝さいを浴びる。
でも、この手話、ろう者が見てもわかりません。

全日本ろうあ連盟は、毎年、200ぐらいの新しい手話を創っています。
これ、もう、やめた方がいい。

全日本ろうあ連盟のみなさん、全国手話通訳問題研究会の皆さん、このブログを読んでおられたら、反論していただきたい。




6 コメント

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右に同じく… (ランクル)
2017-02-27 00:37:15
>全日本ろうあ連盟のみなさん、全国手話通訳問題研究会の皆さん、このブログを読んでおられたら、反論していただきたい。

私も同じく、意見をお待ちしています。
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最初から誤りの出発 (京都手話通訳)
2017-02-27 21:17:53
 新しい手話と言うなら古い手話を知った上の話しでしょう。ろうあ者の人々が使っていた手話をきちんと調べないで、一部の人の思い付きで手話??を作って無理矢理広げるなんて最初から間違っています。
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通訳者が使われる「手話」は誰の為? (ランクル)
2017-02-28 00:45:00
>新しい手話と言うなら古い手話を知った上の話しでしょう。ろうあ者の人々が使っていた手話をきちんと調べないで、一部の人の思い付きで手話??を作って無理矢理広げるなんて最初から間違っています。

こちらのコメントは、いいように受け取りたいですが?!

ただ、当事者として言いたいことは、上の者同士でやり取りしても、それが現場まで響いて来なければ何にもならないし、手話通訳者同士で分かり合えても、肝心のろう者に伝わらなければ、それは手話ではない。

新しい手話の全てが、ろう者に浸透するとは限らないし、現場に於いては伝わることが何より優先されるので、新しい手話をいっぱい知っているかどうかは、単なる自己満足に過ぎない。
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ろうあ者に手話と言いながらろうあ者の手話は無視 (花坊初)
2017-02-28 01:48:52
すみますせん。当事者として言いたいことは、上の者同士でやり取りしても、それが現場まで響いて来なければ何にもならないし、手話通訳者同士で分かり合えても、肝心のろう者に伝わらなければ、それは手話ではない。は本当に手話でコミュニケーションをしているろうあ者の方々を思っておられるなら現場に響かない、通じないー新しい手話ーは手話とは言えないでしょう‼そういう意味と理解させていただきます。新しい手話と発表された手話にはもともとあった手話を知らない人が話し言葉に対応して作っているものも多くあります。書ききれませんが。
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ろう者に浸透するとは限らない手話は手話でしょうか (ある手話通訳)
2017-02-28 02:01:12
ろう者に浸透するとは限らないし、現場に於いては伝わることが何より優先されるので、新しい手話をいっぱい知っているか。伝わることが何よりも優先とても大事なことと常々感じていますよ。言われとおりですね。お年寄りのろうあ者のかたが、手話通訳のかたに新しい手話を覚えなさい、と叱られているのに悲しくなります。わたしの手話ダメなの?と尋ねらててきました。何かしらおかしいと思います。教えてください。
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ご意見ありがとうございます。 (ランクル)
2017-02-28 04:26:03
皆さん、コメントありがとうございます。

たいしさん、この場所使わせていただき、ありがとうございます。

>新しい手話と発表された手話にはもともとあった手話を知らない人が
話し言葉に対応して作っているものも多くあります。

仮に一歩譲って、そうだとします。

前はなかったが、今は世間一般に知れ渡っている「新語」があって、そ
れを手話にすることに関しては、私としても拒否する理由はありません
し、そういう類の「新語」であれば、ろう者もやがて使うようになりま
しょうか。

ただ、むやみやたらに手話を増やしも、ついていけない、追いつかない
ろう者もいると、言いたいです。

朝から晩まで、手話通訳問題研究会やろうあ連盟に詰めっきり…ならと
もかく、そういう新しい手話に常時触れられるろう者って、そんなにい
ないと思います。
そういうろう者にしてみたら、そこまで覚える必要あるかと、疑問にも
思いたくなります。

>お年寄りのろうあ者のかたが、手話通訳のかたに新しい手話を覚えな
さい、と叱られているのに悲しくなります。わたしの手話ダメなの?と
尋ねらててきました。何かしらおかしいと思います。教えてください。

私も同じこと言われたら、やはり悲しいです。

もし、そのろう者が以前に、その通訳者に手話を教えていたとならば、
飼い犬に手をかまれるとはこのことでしょうか?

じゃあ、そういう場へ(ろう者が)参加してもっと覚えればどうか?と言わ
れたら、それはまた話の論点が違ってきますので、ここでは無しとして…。

私は、どっちかと言えば、新しい手話のオンパレードで通訳されるより
シンプルで分りやすい手話をしてくれる「通訳者」を選びます。

はっきり言わせていただくと、今、テレビに出ている「ワイプ」の手話
通訳者や、講演会等の手話って、ほんとに分らないです。異国人にさえ
感じます。

通訳現場で、新しい手話を出されて、ろう者がそれを知らなくて聞き返
したら、何のための通訳者かと言いたくなります。

逆に、覚えている手話が少なくても、丁寧に、該当する手話が無ければ、
同じ意味の他の手話に置き換えたり『指文字』や筆談で対応、そういう
臨機応変に出来る通訳者の方が、格好悪くても、ずっとずっと好きです
し、そういう資質のある通訳者であれば、「ろう者一般に浸透している
手話」だけで十分だと思います。

手話通訳問題研究会やろうあ連盟も、新しい手話を開発するのもいいが、
「そういう人」をろう者の為の「通訳者」として育てる為にはどうした
らいいかに、もっと目を向けていただきたく思うわけです。

このような思いを持っているろう者もいるってことが、はるか上まで反
映されていないように感じます。

組織の規模が大きくなり過ぎて?、下っ端?の切実な思いが届かないの
も事実…。

手話とは、手話通訳者の為でなく、ろう者に伝える、伝わるための手話
であることが、大前提なのです。

私のような人を、はなから否定するでなく、「こういうろう者」もいる
ってことを、受け止めていただけたらと、思う次第です。

これが、切実な当事者の「声にならない現場の声」なのです。



誤字脱字意味不明がありましたら、ご容赦ください。

ランクル
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