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現代式喪中は心次第?

2019-01-07 21:00:21 | ワタリのエッセイ
ワタリは去年弟が死んだので、厳密には喪中の人になります。

年賀状も控えてお正月は過ごさずー、というのが定番なんでしょうが、正々堂々初詣に行ってきたりしています。

だって、喪中なんて今時心の問題だと思っていますから。

喪中の起こりというのはこのリンクにもありますが、神道の穢れ大嫌いの潔癖症が事の発端のようです。

まあ、平安時代まで本当に目に見えない世界のことを重要視されていましたから、先のリンクにあるように、家族の誰かが死んだら一家全員穢れている!なんてみなされるのは当たり前だったんでしょうね。

でも、今の喪中に関することとなると、本当に心のありようだとと思います。

だって、戦前までは法律で喪中が国民の義務!くらいの勢いだったわけですが、こんな風に法律で制定しないと誰もやらなくなるから法律で制定した。というのも可能性として否定できないわけですよね。

だって、それこそ皆が死んだら平等に泣いてもらえる訳ではありません。

それこそ、死んだ知らせを聞いて大喜びされる人だってこの世には実在している訳なのです。

そんな人だった場合、喪に服してくれる人は本当に少なくいのは目に見えるでしょう。

だから、法律で喪中を義務化する必要性があったんだと思います。

ただ、霊媒であるワタリから見ると、義務で嫌々やる喪中より、心の底から故人の冥福を祈る自主的な喪中の方が何倍も故人に対して強力な供養となります。

嫌々やる喪中は何も生まない。というのが唯一の救いですが、そんな無味乾燥な喪中をやって何か意味があるのかしら?と本当に心底思います。

ん?って言うか大晦日に祖父が渡に話しかけてきたんですが、祖父はワタリが喪中なんて絶対にやらない。と言う事を見抜いていたのかもしれませんね。

本当に、当たり前のように会話をしていたんでその時は気がつかなかったんですけど、ワタリが知る限りでは一番供養の多いキラキラ人霊であるうちの祖父は、どうもキラキラなだけに色々食えない人のようです。


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