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嘘をつかれて納得する人~自分の代理人になって欲しい人~

2013-10-02 21:00:00 | 性格を悪くしているエンパスの日々
はい!!今回はエンパスと言うのは他者の代理人となる能力も有るが故にワタリにとっては天敵となるタイプを御紹介します。

それは、自分の代理人となってもらいたいタイプです。

このタイプは年齢層の幅がとても広く、幼児から御年配まで、本当に多く存在します。

ちなみに、企業経営者もこう言うタイプに分類されますが、以前エネルギーバンパイヤさんに関する話を書いた記事で書いたとおり、対価を渡している為ここでは論じません。

ここで論じるのは、あくまで無償でやって欲しいと望む人々の事です。

まず、こう言うタイプの人の場合、考えている望みはタイトルに書いた通りなんです。
自分では出来ない事だと認識をしているから、他者に自己の代理人として実行して欲しいと望むのです。

こう言う人々はエンパス能力を通さないと何に付けて出来ないと言い、何もしない印象が強くなり、どう言う訳だかいつも忙しい人にばかり要求を訴えているように見えます。
そして、エンパス能力を通して見ると、こう言う人達の心の声には2種類のパターンが有ります。
まず、本当に出来ないが故に助けを求めている場合と、強力な思念波でこちらを操り、自分がやりたくない事を代理してもらおうと言う下心が垣間見える場合です。

しかしこう言う方の場合、手の内は解っているのでワタリはその心の声を聞いた上で代理人として実行するか否か?を決めています。

まず、幼児に多いのですが、本当にやり方が解らなかったり、身長や筋力が足りなかったりして目的を果たす事が出来ず、本当に困っている場合は迷わず助けます。
そして、こう言う人は身長が足りなければ踏み台を使う事を教えたり等、自分なりに目的を果たすやり方さえ分かれば次回以降自力で出来るようになる可能性が高いので、やり方を教える事も忘れません。

しかし、これが大人。特に普段からごろごろしているような奴となったら話は別です。

本当は出来るけどやりたくない事かやらせる事で自分に対する愛情を確認したいと言う下心が垣間見える事も有りますから、心を鬼にして何が何でもやらせる事こそ愛情!と言う認識に基づき可能な限り甘やかさないようにしています。

あのね、「やってあげる。」って事は実は長い目で見るとすごい残酷な事なんですよ。

「男ヤモメにウジがわく。」とはことわざの一種ですが、やってあげると言うのは最終的にはこれを実行しちゃう事なんですよね。

まず、人間必要に迫られないと本当に何もやりません。
家事も仕事も育児も、誰かがやってくれると認識し、それごく当然となればどんどん怠惰に溺れて行き、本来ある能力は失われて行きます。

例えば、ワタリは自分の子供達には自己解決能力を養う為にあえて手を貸さない、あえてケンカの仲裁もしない事が有りますが、特に現代の若者世代の親に当たる50代の人達は子供が幼かった頃、子供の為と本人の代わりに謝ったり、対人関係における問題を本人の代わりに解決していたはずです。

現代の親達にもこう言う傾向が有りますが、本来ならば子供が自分の力で解決するべき問題を「まだ子供のお前には出来ないから。」等の本人を見下すことにも成る理由から本人の代わりに親が解決した結果、「親が何でもやってくれる。」「自分が知らない所で何もかも解決されている。」と認識した子供達はどんどん怠惰に溺れ、自己解決能力が失われて行くのです。

事実、ワタリの子供達も掃除の手伝いをやらせていなかったせいか、つい最近まで自分は部屋掃除をしたりしないのが当たり前だと思っていました。
そして、幼少期に自己解決能力を養う機会を奪われた結果、一人立ちをしなければならなくなった時何も自分では解決できない大人の完成。と言う結果が目に見えているんです。

「やれば大人になってから感謝するはずだ。」と言う反論が来そうですが、残念!

やられて当然となった脳みそは、感謝なんて思いつきもしないのです。

何より、感謝と言うのはそれが特別な事と認識しているからこそ発生するものであって、感謝されたいと望むのであれば、まずは本人に解決する事の大変さや苦難を実体験として教え、それに手を貸す。と言うのが一番手っ取り早い方法です。

そして、教わらなければ何も出来ない人間は、動物達のように本能で全ての事が出来る訳では有りません。
だから、幼少期に教わる機会を奪われた人は、大人になってから本人が気がつかない限りそのままなんです。

それに、後々になっての感謝を望むのは下心です。
究極の願望達成方法は下心有ってもそれを忘れる事なんですから、下心がいつまでも忘れられないと言う時点で、貴方のその願望は成立しにくいと言えます。

それに、最低限子供はやってもらう事よりも自分でやれる。と言う方に快楽を見出します。
やってあげると言うのは、この快楽を与えない。と言う事になり、自分は何も出来ない。と言う認識を与える事になると思います。

大人になった時に必要とされる自己肯定感を構成するパーツの一つに、「自分は出来る!」と言う認識が有るんです。
これを与えられ、強固な自己肯定感へと変身するパーツとして完成させる事が出来るのは、本人の幼少期のみなんです。

まあ、もちろん自分で色々出来た方がワタリの手間が減って楽。って言うの有りますけどね(笑)
でも、エンパスとして周りを見渡すと、自己肯定感の低い人ばかりで本当嫌になって来る時が有るのは紛れもない事実なんです。

大人の場合だと、これがもっとはっきりとした形で現れます。

「男ヤモメ・・・」と言うのは大人におけるケースを説明するとても便利なことわざなんですが、貴方の為だから。なんて言ってあれやこれやと世話を焼いていると、段々と何も出来ない大人になります。

身の回りの最低限の事しかやらず、後は皆他者任せとなれば、本来持っている能力はどんどん失われ、怠惰に溺れて行き、任せていた人がいなくなった時何も出来ない自分を実感して終わるのがオチなんです。

確かに他人任せにするのってすごく楽ちんです。
ワタリ自身、家事を代行してくれる人やベビーシッターがいればどんだけ楽だろう?と妄想する時有りますし、お掃除ロボに憧れたり、食器洗い乾燥機に頼ったり、いかに自分が楽チンするか?と言う事を心の底では追及しています。

でも、だからと言って本当に何もしない生活を望んじゃいませんし、それではいけないんです。

確かに、誰かの為に尽くすのは非常に良い事ですし、心の声ですらそれを望んでいるのならば、ワタリはその人の選んで来た事。と干渉は一切しません。

でも、怠惰に溺れさせてまで尽くすのは、貴方の自己満足の為に相手を犠牲にする事です。
怠惰に溺れさせず、あえて心を鬼にする事もまた愛情で有り、尽くす事なのです。

じゃなかったら、人間以上に無償の愛情を提供するのが当然とする守護霊や高次元存在が被守護者の為と、あえて試練を静観している訳が無いでしょ?

そして、怠惰に溺れず自分でやれる事は自分でやり、生活スキルを上げていけばそれは魂の修行の一環となります。

まあ、何が何でもしてやりたいのであれば止めはしません。
ワタリの義理姉夫妻の関係がこうなのですが、需要有る所には供給が必ずあるんですから。

でも、貴方が亡くなった時、貴方が世話をしていた人はどうなるのか?それを考えた上で実行しましょう。
そして、尽くされたいと望む人は、尽くす人がいなくなった時の事を考えてから尽くされましょう。

そう、残酷な言い方ですが、貴方方のしている事は趣味以外の何物でも無く、人間は持ち主がいなくなったから処分出来るようなおもちゃじゃないんですよ?


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さあ!みんなで高次元存在に愛を注ぎまくりましょう!(笑)

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