あなたのすきな本は何ですか?

桔梗です
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2008-02-09 19:59:45 | プロフィール
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桔梗です

食べること飲むこと作ること好き
空と星と花も好き
キレイなものを見たり聞いたりするのが大好き
本を読むのも好き 基本的にジャンル問わず雑食ですが科学ネタは大好物
Coccoも愛してます

などなど…
家事と仕事の合間をぬって 
くるくるといろいろなことを考えたりやったりしながら楽しく生きてます♪

近頃「書評投稿」という新たな趣味も楽しんでます
オンライン書店bk1書評ポータル
書評の鉄人(202号)にも選んでいただきました(*^^*)
書評の鉄人列伝

レビューコンテストなるものにも挑戦してたりします♪
クーリエ・ジャポン レビューコンテスト


2年ほど前からmixiで備忘録として残していた本の感想を 
まとめはじめたのがこのブログ
まるで独り言のようなレビューですが
読んでいただき 何かを感じていただけたら嬉しいです

作家さんごと(50音順)の作品一覧もありますので
気になる本がありましたら探してみてください
作家別さくいん(50音順)


最後に大好きな本の一節を…(北村薫「秋の花」より)

『百年生きようと千年生きようと、結局持つのは今という一つの時の連続です。
もろさを知るからこそ、手の中から擦り抜けそうな、その今をつかまえて、
何かをしようと思い、何者かでありたいと願い、また何かをのこせるのでしょう。』

22 コメント

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客船クルーズボケさんへ (桔梗)
2012-03-26 20:22:41
大変コメントが遅くなりました
ごめんなさい

村上春樹作品 たくさん読まれているんですね
「レキシントンの幽霊」「神の子はみな踊る」はどちらも読んでいるはずなのですが…
短編一つ一つの筋はおぼろげになってしまって 自分の記憶力のなさにちょっとがっかりしてます

村上春樹の作品には 表面的は満たされながらも内に空虚なものを感じている主人公と その人と関わる女性たちという構図がよく使われますよね
人は日常生活ではなかなか 自分の中の欠けた部分を自覚することはないけど ふとした拍子にそれに気づかされることがある
一度それに気がつくと 自分の今いる世界が唯一の世界ではなくて 実は他にも広がっているように思えてくる

その多世界を見せ 自由に行き来できるかのように思わせてくれるような気がします

リベラルだなと 感じます


藤沢周平さんの本
「蝉しぐれ」をすすめておきながら 実は他の作品はあまり読んでなかったりするので
まずは「静かな木」を図書館に予約してみました
短い短編集とのこと
私も 読んだら感想を書いてみたいと思います
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藤沢周平著 「静かな木」 (客船クルーズボケ)
2012-03-13 09:10:45
藤沢周平著 「静かな木」
ごく短い短編集である。

岡安家の犬
海坂藩の近習組の岡安家は、当主の岡安甚之丞を含め犬好きであった。家ではアカという名の犬を飼っている。ある日、道場の仲間の鍋に誘われて甚之助は関口兵蔵の家に向かった。そこで出てきた鍋は犬鍋だった。しかも、野地金之助が言うにはアカを鍋にしたというのだ。激怒した甚之助は野地金之助と妹・八寿の縁談を反故にすると言い捨てる。犬を食する風習は、江戸時代に日本の何処かに有ったのか疑問。仏教思想から言えば四足の動物を食べる習慣は、少なくとも近世の日本には無かった筈で、この話の信憑性に疑問を持っている。朝鮮半島の民族は、今でも犬を強壮食として食べる。韓国出張でご馳走になったことがあるが、あまり美味しいものではない。

 
静かな木
藩の勘定方を退いてはや五年、孫左衛門もあと二年で還暦。城下の寺にたつ欅の大木に心ひかれた彼は、見あげるたびにわが身を重ね合せ、平穏であるべき老境の日々を想い描く。ところが、孫左衛門の息子・邦之助が、中老・鳥郡兵衛の息・勝弥と果たし合いをするという。理由は侮られたからと言う。

孫左衛門は、かつて鳥郡兵衛の失態をかばったことがあり、それが理由で家禄は減らされた。今となっては忌々しい事件。何が何でも、この果たし合いを辞めさせなければならない。そうでないと喧嘩両成敗で、家の存続が危ない。物語は東北の小藩、著者が数々の作品の舞台としてきた、かの海坂。淡々粛粛としたなかに気迫あり、滑稽味もある確かな筆がとらえた人の世の哀歓の描写が素晴らしい。

 
偉丈夫
支藩の海上藩の片桐権兵衛に課せられた使命は、本藩の海坂藩との国境問題。その体の大きさといい偉丈夫たる片桐権兵衛だが、実は大きな欠点があった。寡黙な彼が、難しい政治問題を難なく解決して加増されるという、大変愉快で読み応えのある。清清しい作品。

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藤沢周平著 「刺客 用心棒日月抄」 (客船クルーズボケ)
2012-03-13 09:07:59
藤沢周平著 「刺客 用心棒日月抄」

藤沢作品を何冊か読んで、これは大変面白い作品と感じた。
彼の作品の特徴は、物語は静かに始まり、最後に息もつかせない程の圧倒的な迫力で読み手をぐいぐいと引っ張っていく。彼の大方の作品は、腕が立つ下級武士の話で、剣の捌きをじっくりと楽しむ、堪能する作品である。本作はハッピーエンド的な要素(特に細谷源太夫に関して)がある。青江又八郎にも娘ができ、清々しい内容で終わりを迎える。

元家老の谷口権七郎の命を受けて青江又八郎は国元を秘密のミッションの為に脱藩して江戸に行く。元家老の娘、佐知を含めた江戸に居る嗅足組を寿庵保方が放った刺客から護ること。その間、又八郎は細谷と組んで小大名家の用心棒の仕事など、雑な用心棒の仕事を見つけては日銭を稼ぎ生活の糧としながら、大きな使命を全うする為に、困難辛苦と闘う。
江戸で嗅足組を狙った寿庵保方が放った刺客を倒した後、青江又八郎は国元に戻ることになった。そして、いよいよ寿庵保方との最後の対決が迫ってきた。

藩主、壱岐の守の鷹狩りを利用して寿庵保方(藩主の叔父)は藩主の毒殺を計画。寿庵保方は藩主を屋敷に招待して決行するも、間宮中老と元家老の谷口権七郎に見抜かれ、悪事がばれてしまい、決闘となった。剣豪、青江又八郎の働きにより、寿庵保方一味を全部抹殺した。痛快な物語。
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村上春樹著 「神の子供たちはみなおどる」 (客船クルーズボケ)
2012-03-13 09:04:53
村上春樹著 「神の子供たちはみなおどる」

なかなか難解な作品と思う。著者は何を言いたいのか、判然としないところがある。これが村上作品なのかもしれない。
この作品では母親は神様のお使いのボランティアという設定。しかし、この母親は行動が常識的に言えばややおかしい。若くて美しい母親が裸で家を歩きまわる。寂しくなると主人公の息子の寝床に入り込んでくるために、いつか性的関係を持ってしまうのではないかと恐れて、主人公は早くから他の女性と多くの性行為を持った。親子なので小さなうちは一緒に寝ることはごく当たり前のことだったが、繰り返されるうちにそれがいつの間にか、主人公に暗く抑えがたい衝動を育んでしまった。
もし我々が毎日の生活の中で非常識な行動を積み重ねていれば、それは我々をいつの間にかもう引き返すこともできない袋小路に連れて行く。一つひとつの力は小さくてもその行為を繰り返していくうちに、いつの間にかそれはとても大きな力を持つようになってしまう。小さな水滴が岩をも砕く如く。この力が開放されたときには、もう我々が対応できない状況になってしまう。
原作ではこの力に対抗するには、我々を超越したもう一つの大きな力が顕れるのを待たなくてならないと。「神の子だから」と彼女との結婚を拒んだ主人公が、もう一度その関係を立てなおすきっかけを得たのは神かもしれないと善也が考えた父親の出現によるものだった。
しかしそうした圧倒的な暴力の前で、村上春樹の物語はその中から希望を紡ごうとしているように思える。「神の子どもたちはみな踊る」の善也が見出したもの。
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村上春樹著 「アイロン」 (客船クルーズボケ)
2012-03-13 09:01:54
村上春樹著 「アイロン」


ある海岸で、たき火を囲む男と女の話。男は何らかの事情で家庭を捨て、海岸沿いの家で変な絵を書いて暮らしている。この男に親しみを覚えた主人公順子が冬の寒い夜、男のたき火に付き合い、深い傷を負った男とたき火を見ながら語りあう。

作品のテーマは、基本的に死を求める人間が、全力で生きようとする相矛盾する関係にある。
小説『たき火』の話:アラスカの奥地の雪の中で、一人で旅をする男が火をおこそうとする。火がつかなければ、彼は確実に凍死。主人公の順子は、死の瀬戸際にいるこの男の心臓の鼓動や、恐怖や希望や絶望を、自分自身のことのように切実に感じる。でもその物語の中で、何よりも重要だったのは、根本的にその男が死を求めているということ。彼女にはそれがわかった。この旅人は、本当に死を求めている。それが自分にふさわしい結末だと本人は知っている。それにもかかわらず、彼は全力を尽くして死の恐怖と闘う。生き残ることを目的として、全身全霊を持って生への闘いをする。

順子の心を深いところで揺さぶったのは、物語の中心にあるそのように相対する大きな矛盾、心の葛藤であった。

村上作品には、よく現の世界と死の世界との対比が出てくる。現の世界が享楽の世界であったり、死の世界は無の世界、或いは夢の世界であったりする。
作品の解釈はなかなか難しくどれが正解なのかよく分からない。要は個人個人が各々の解釈でよいという判断と思われる。村上氏の作品は、哲学的に深い思想がありそうで、広い意味での仏教思想ではないかと感じている。

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村上春樹著 「UFO釧路」 (客船クルーズボケ)
2012-03-08 15:36:26
村上春樹著 「UFO釧路」
 
冒頭は、“五日のあいだ小村の妻は、すべての時間をテレビの前で過ごした。銀行や病院のビルが崩れ、商店街が炎に焼かれ、鉄道や高速道路が切断された風景を、ただ黙ってにらんでいた。”五日のあいだ彼女は、すべての時間をテレビの前で過ごした。地震の五日後に彼女が出て行ったとき、のこされた手紙には「もう二度とここに戻ってくるつもりはない」と書いてあった。
妻が田舎に帰るという行為の中には「そこに生きる」と言う意味がある。
妻は心の奥底で震える感じを持っている。小村はバブルの世界で裕福な生活に現を抜かしその現実を堪能しているが、大地の奥底では絶えず芯となるものが動いている。表面的に生きる人間には背後で或いは地下深くで起こっている森羅万象に無頓着に生きている。
よく言うところの「幸福の隣には悲惨な現実が忍び寄っている、逆もまた真で悲惨な現象の側には幸福が待っている」。別の言い方をすれば、諸行無常の世界に通じるのではないかと思われる。
小村は1週間の有給をとる。同僚の佐々木から北海道に行ってほしいともちかけられる。飛行機で釧路に向かう小村。小村は空港で、佐々木の妹(ケイコ)と、その友人シマオさんに会う。佐々木から預かった小荷物をケイコに引き渡す小村。
シマオさんの運転する自動車に乗った3人は、空港を出て街道沿いのラーメン屋に入る。「コーヒは薄くて味が無く、記号としてある」という文章は、小村が表面的には充実したように見えても薄く実体がない生活をしていることに対しての警告として記述されている。食事の後の会話で、小村の離婚のことが話題になる。おくさんが家を出た理由は地震と関係あるのか? と聞かれた小村は、首を降って「わからない」と応える。佐々木ケイコさんとシマオさんは、去年の夏UFOを見た知り合いの奥さんが、一週間後に唐突に家出をして行方をくらませた話をする。「UFOが原因で?」と尋ねる小村に、「原因はわからない」と応じるケイコ。
小村は、佐々木ケイコの知人がやっているというラブホテルに案内され、狭苦しいビジネスホテルよりずっといい、と言われる。ケイコは去り、小村はシマオさんにセックスを誘われる。シマオさんとうまくセックスできなかった小村は、そのまま妻が家に残していった書置きの話をすることになる。
作品の最後;
「ねえ、どう、遠くまで来たっていう実感が少しはわいてきた?」
「ずいぶん遠くに来たような気がする」と小村は正直に言った。「でも、まだ始まったばかりなのよ」と言う。新しい人生の予感を感じさせる。
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村上春樹著 「七番目の男」 (客船クルーズボケ)
2012-03-08 15:31:24
村上春樹著 「七番目の男」

「レキシントンの幽霊」のなかにおさめられている短編「七番目の男」について。

波に飲まれて友人を失った男の話。
親友を助けられなかったという罪の意識を持ち且つその事実から逃れて生活しているが、そのうちに、それらをきちんと受け止められる「瞬間」がやってくる。

著者の言いたかった事は、次と思われる。
「我々の人生で真実怖いのは、恐怖そのものではない。恐怖は確かにそこにある。それは紛れも無い事実。それは様々なかたちをとって現れ、ときとして我々の存在を凌駕する。しかし、なによりも怖いのは、その恐怖に背を向け、目を閉じてしまうこと、逃げてしまう事。実際には、そのような恐怖から逃げる事は出来ない。そうすることによって、私たちは自分の中にある重要なものを、何かに売り渡してしまうことになる。自分の場合、それは波」

結局のところ、諦観をもちながらもベストを尽くすことしか我々に術はないのだ、という絶望的な、しかし確かな希望を与えてくれる作品だと思う。忌まわしい過去とか恐怖に真摯に向き合う事によって、心の平穏はもたらされるということと、思われる。

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村上春樹著 「緑色の獣」 (客船クルーズボケ)
2012-02-29 10:35:26
村上春樹著 「緑色の獣」

人間は自分の常識とか、領域、範疇から外れる物を、恐れ、怖い、嫌いと思い、違和感を感じる。
ここで「緑色の獣」という常識から離れた対象を起用しているが、自分の範疇に無い者に対しての恐れ、怖い、嫌いという精神的な距離感がひとつのテーマ。
この女性のとる行動がいかにも残酷、この緑色の獣は女性に危害を加えるつもりは無く、大変好意を持っている。しかし女性からすれば、獣の好意なぞ、嫌な面倒臭い対象でしかない。

人間の窮地に立たされた時の残酷さというのを感じる。自分の概念に無い対象物への距離感、恐怖感、更には残酷性がここでのテーマと思われる。人間は自分でも理解できない度し難い大きな二面性を持っている。慈悲深い親切な心と相対するのは、心の奥に潜む残酷な心、非常時にどちらが表面に現れるかは、本人にも分からない。

話は違うが、外人社会では見ず知らずの人間が自分の範疇・領域でない場所(エレベータなどの狭い空間、ホテルなどの廊下)で出会うと、彼らは微笑みで相手を見つめたり、挨拶したりする。これは相手に対して自分は敵ではない事を端的に示す行動である。日本人社会では、このような例は少ない。何故か、日本人は農耕民族且つ村社会であり、お互いを知り尽くしており、一方、西欧人は狩猟民族であるのでその行動において大幅に差異がある。人間の成り立ちと大いに関係する行動パターンである。

異質の人間同士が出会うと、最初は警戒心であり猜疑心であり、自分に好意がないと判断すると、闘争心をむき出しにして残酷な行動に移る場合がある。
一つの例:イラクの戦争で米軍がある村に立ち寄ると、住民は一斉に警戒心と敵愾心をむき出しにして、今にも戦う姿勢を見せたが、米軍の司令官が兵士に「皆、スマイル、スマイル」と呼びかけたら、現地住民もそれまでの敵愾心、闘争心を放棄して、笑顔で近寄ってきた風景を映像で見たことがある。
村上氏のこの作品も自分と異質の世界に対峙する反応を書いた範疇に属すると思われる。
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村上春樹著 『レキシントンの幽霊』 (客船クルーズボケ)
2012-02-29 10:08:36
村上春樹『レキシントンの幽霊』
ご紹介頂いた小説のひとつ、上記を読んだので感想を一筆。

友人、ケイシーの父親は、母親が死んだ際三週間熟睡、ケイシーは父親が死んだ際二週間熟睡状態。その時ケイシーにとって「眠りの世界が真実の世界で、現実の世界は幻想の世界に過ぎなかった」。眠りの世界とは、夢の世界か。眠り続けていた期間、ケイシーは夢の世界に生きていたのか。またこの眠りの世界へは、死を契機とした行程である。

この作品はともかく、「死」について書いていることは確か。レキシントンの古い屋敷の、生の側の世界が静謐であるのに対し、死の側の世界が明るく豊かであるという対比。
主人公が見た幽霊のパーティも、結局は夢か。夢の中で見た幽霊のパーティ。しかも幽霊は死後の世界。この作品では死の世界の扉の前に立ち、扉を開けた人、開けなかった人の対比がされている。
他の見方をすれば、人間の存在とは何か、本当に存在するのか、幻想の中に存在するのか、全く存在はせず仮想の世界に居るだけか、など、疑問が増え続けるばかり。デカルトの有名な命題:「我思う故にわれあり」と若干、通じるものがある。考える主体としての自己(精神)とその存在を定式化したものである。
フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉「人間は考える葦である」も考え深い。これはナイルの河の流れに身を任せて、流されずに生き続ける葦を人間の存在と結びつけているが、別の見方をすれば、人間は「考えることのできる個体」が存在の理由になっている。「考えること、思うこと」がなければ、我は存在しない。
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客船クルーズボケさんへ (桔梗)
2012-02-28 22:55:45
しばらくブログを放ったらかしにしてしまいました
コメントへのお返事遅くなってごめんなさい!!

北村薫さんのミステリーは独特の雰囲気ですよね
謎解きやトリックそのものよりも あの品のあるゆったりと知的な空気が好きです
古き良き日本といった感じでしょうか
「街の灯」はベッキーさんシリーズ三部作になっていて このあと「玻璃の天」「鷺の雪」と続きます

藤沢周平さんの「たそがれ清兵衛」
これは映画化されてるんですね
読んだことはないのですがタイトルだけ覚えがあります
それぞれの短編のタイトルもまた味があっておもしろいですね!!
今度図書館で探してみます
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藤沢周平著 「たそがれ清兵衛」 (客船クルーズボケ)
2012-02-23 10:52:17
藤沢周平著 「たそがれ清兵衛」
ご紹介頂いた藤沢周平氏の作品が面白かったので、更に読んでみた。

短編八作からなる。全てが、剣士としては一流なのだが、癖の多い人物が主人公。そこには非常に人間味溢れる武士に姿が描かれており、読んでいて大変清爽感溢れる、読者に安心感を与える作品に仕上がっている。この人間ドラマが映画人の興味を引いてたくさん映画化されている。見応えのある作品となっている。

全体的に幕末の庄内の風景はこんなふうだったのだろうと思わせる懐かしい情緒が醸し出されていると同時に、この時代も現代と同じく世間に流される人間模様が描かれている。
「たそがれ清兵衛」:井口清兵衛は下城の太鼓が鳴るとそそくさと帰るところから、たそがれ清兵衛と呼ばれている。清兵衛は病弱の妻・奈美の世話をするため。その頃、藩では筆頭家老の堀将監の専横が目に余り、殿からの指示で、上意討ちの討ち手に選ばれたのが井口清兵衛。勿論清兵衛が手強い相手をやっつけて喝采。
清兵衛にとって大切なのは女房の方、討ち手に選ばれたことをこの上ない迷惑と感じているのだ。そこには武家の建前である「お家大事」や「名誉第一」などはなく、ただ上役の命には逆らえないという掟(おきて)に従っただけ。このような姿には、藤沢周平氏の描く「人間としての武士」が感じられる。「今の日本人が忘れてしまっている、自分の身の丈に合った暮らしを大切にする気持ち」が描かれている。
 
「うらなり与右衛門」、「ごますり甚内」、「ど忘れ万六」「だんまり弥助」、「かが泣き半平」、「日和見与次郎」、「祝い人助八」の7編は、主として主人公のふとした落ち度を上司に利用されて、上司の敵役に剣を抜く事になる。しかし、主人公は剣の達人であるので、巧く首尾よく切り抜けて手柄を立てるがその報酬は僅かなものである。武士の時代は大変だったと思われる。言うなれば、High risk Low return である。なんと寂しい事か!
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北村薫著 「虚栄の市」、「銀座八丁」、「街の灯」 (客船クルーズボケ)
2012-02-17 11:05:21
北村薫著 「虚栄の市」、「銀座八丁」、「街の灯」

ご紹介頂いた小説のひとつ、上記を読んだので感想を一筆。楽しく読める作品であった。

北村薫の作風は、一応「謎解き小説」の分類になると思われるが、アガサ・クリステイとかエラリー・クイーンなどの本格的な探偵小説の道を進まず、日常的に起こる些細な、奇妙な出来事の謎を解いていく手法を採用している。ここに気楽に読める小説といった感じがある。

戦前の華族社会の話:士族出身の上流家庭・花村家にやってきた女性運転手別宮みつ子に対して、令嬢の英子はサッカレーの『虚栄の市』のヒロインにちなみ、彼女をベッキーと呼ぶ。新聞に載った変死事件の謎を解く「虚栄の市」、英子の兄を悩ませる暗号の謎「銀座八丁」、映写会上映中の同席者の死を推理する「街の灯」の三篇からなる。

本作では昭和初期という歴然とした身分の差がある時代の上流階級家庭のお嬢様、英子と若い女性運転手ベッキーの交流と事件の謎を解くミステリ。
戦前の華族社会があった頃の時代設定。この設定はある意味で、華族社会はこのようなものであったのかという認識を新たにした。桁違いのお金持ちのお嬢様がいる世界の描写が素晴らしくて雰囲気満点だし、この上品さが良い。3編とも半分ほどが時代の描写や英子の日常に費やされているので、これがミステリ小説かとは初めは分からなかった。ミステリとしては、少々物足りない感じ。逆にはこの雰囲気が本書の魅力と言えるのではないか。

全体的に宝塚の男役スターのような容姿で武道を嗜み博識で完璧なスーパーウーマンとして描かれている女性、このベッキーの存在が本書の骨格になっている。使用人という立場ゆえ、控えめで自分の能力を誇示しない所が読者に爽やかな印象を残している。ベッキーがホームズ役を果たしているようで、実際はあくまでも謎を解くのは令嬢の英子の方であり、全てを見通しているようなベッキーが英子の推理の筋道を正しい方向へ持っていくように、少しだけ助言をするというスタイル。
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客船クルーズボケさんへ (桔梗)
2012-02-16 22:05:59
お返事が遅くなってしまってごめんなさい

紹介した本を読んでいただけただけでも嬉しいのに…こんなに丁寧な感想まで書いてくださり本当にありがとうございます!!
どちらも楽しく読ませていただきました

「蝉しぐれ」清々しい本ですよね
私は主人公のふたりが大好きで…
たとえ共に生きられなくても お互いの心に残る生き方ができればそれでよいと そう思わせてくれました

シドニー・シェルダンがお好きなんですね!
私も昔「ゲームの達人」など読みました
テンポの速いアメリカっぽい作家というと あとはジェフリー・アーチャーやジャン・グリシャムの法廷物なんかもよく読みましたよ
日本文学にはないスケールの大きさや二転三転する展開がどれも面白いですよね

私は行間にたくさんの想いが詰まった日本文学も大好きです
これはおそらく どちらが良い悪いというよりも好みの違いなんでしょうと 私も思います

村上春樹のこの「国境の南、太陽の東」はとても賛否の分かれる作品のようです
不倫を推奨してるのかとか 男性のズルさが際立って不快とか そういう女性読者の感想も多く目にします
でも 人間って誰しも弱さを抱えてるし 誰でもふとした拍子に堕ちる可能性はあるし
私は そういう脆さだとか儚さだとか そういうものもひっくるめてとても愛おしいと思うのです
弱さの上にあぐらをかくつもりはないのですが 自分の弱さも他人の弱さも赦してあげていいのでは そう思えた作品でした

村上さんは 短編の「沈黙」も大好きです
「レキシントンの幽霊」という短編集に入っていてさっと読める長さですので よかったらぜひ…
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村上春樹著 「国境の南 太陽の西」 (客船クルーズボケ)
2012-02-10 09:27:25
村上春樹著 「国境の南 太陽の西」
この本では主人公、ハジメの幼年時代から中年時代までの人生を丁寧に追っており、バブル絶頂期の東京が主な舞台となっている。但し、ハジメの生まれは大阪。
小学校の時に好意をよせていた島本さん、高校生の時の恋人イズミ、三十歳で結婚した有紀子。小説の三分の一が女性遍歴的なものに裂かれた後、僕は島本さんと再会し不倫関係のようなものに落ちる。主人公と有紀子は離婚ギリギリまでいくが、島本さんは姿を消し、表情のないイズミを見た後、有紀子と和解し、小説は終わる。
僕(ハジメ)は一人っ子という育ちに不完全な人間という自覚と精神的に落ち着かない状態を持ちながら育つが、成長と共にそれを克服しようと努力する。結婚、「上品なバー」経営の成功などで裕福で安定した生活を手にするが、自分の存在の意味を改めて考える。
この作品にはさまざまな清廉誠実な姿と邪悪な心の状態が描かれており、それが交叉している。
主人公が12歳の頃出会い,28歳、36歳で再会する島本さんは「純心無垢な宿命」、
18歳の頃、残酷な別れ方をしたイズミは「無慈悲の痛み」、
イズミの従姉で深い中になった大学生の女性は「奔放さ」、
妻有紀子との日々は,ぞんざいになっていることへの「無味乾燥」、
そして手広く事業を展開し、高度資本主義の享受者である義父は「無意識のうちに刑務所の塀の上を歩く様子、落ちる方向によっては犯罪者にもなり得る、正義感(人の道)に乏しい」といった感じ。

主人公は独白する。「でもそのときの僕にはわかっていなかったのだ。自分がいつか誰かを、とりかえしがつかないくらい深く傷つけるかもしれないということが。人間というのはある場合には、その人間が存在しているというだけで誰かを傷つけてしまうことになるのだ」人間は本来、邪悪な心も併せ持つものかもしれない。

この人間の心理状態の有り様、心の二面性は非常に不可解。
非常事態に遭遇した時に心の葛藤とも言うべき、両局面が表れるような気がする。教育とか充分な躾を受けた人間は一般的に、慈悲の心、優しさ、正義感などが表れるが、そうでない場合とか、深く傷ついた己の心理状態では、逆の行動、即ち相手を肉体的に精神的に傷つける行動をする事も有り得ると思う。例えば、震災とか災害で大部分の日本人の行動、パニックにならない、暴動を起こさない、商店を襲って略奪しないなどが賞賛されたが、世界的には非常に稀な行動現象と思われる。時として正義の行動か、邪悪な行動に出るかは、時と場合より変わると思われる。自分を信用できないような心理状態になるケースもあるのではなかろうか。

島本さんは自分を覆っている宿命を主人公に打ち明けることなく、再び彼の前から姿を消す。宿命を共有しようと決意していた主人公は再度空虚さのなかに放り込まれる。

著者は最後の「誰かがやってきて、背中にそっと手を置くまで、僕はずっとそんな海のことを考えていた。」という最後の文章について、島本さんの手かもしれないという不気味な表現をしている。現実か夢かあいまいな世界での不倫により壊れかけた現実の世界が修復された途端、崩壊に至るかもしれないという幻想的曖昧さを残したまま終わらせている。
しかし最後の手は島本さんか奥さんか・・・。「海に降る雨」に託された優しさと悲しみこそが、この小説の締めくくりにふさわしい。
返信する
藤沢周平著 蝉しぐれ (客船クルーズボケ)
2012-02-05 19:04:14
桔梗さんにご紹介頂いた小説が、時代小説のなかでも筆頭にあげられる名著の一つであることを知って、読んで良かったと思う。

海坂藩を舞台にした長編時代小説。主人公文四郎の幼い日の淡い恋心を題材にしつつ、藩の権力闘争に翻弄される主人公の物語が一つの骨格にある。主人公文四郎の側にはいつも親友の小和田逸平がいて、文四郎の味方になっており、もう一人の親友与之助は江戸からの情報をいち早く文四郎に届けるという役回りを与えられている。文四郎は友人に恵まれていると感じた。巧い脇役の存在が真面目で正義感の強い主人公を際立たせている。

本書を読み始めた初期の段階では、何とも退屈な小説かと思いながら、じっと耐えて読んでいたが後半に至り「秘剣村雨、春浅くして、行く水、誘う男、暗闇、罠、逆転、蝉しぐれ」と話が大きく展開し、わくわくしながら一気に読んでしまった。「罠、逆転」のところが、最高に面白かった。
私は、話の展開の速いのが好きで、外国の小説では、The sands of time by Sidney Sheldon
に25年前に熱中した。最初は仕事上乗船していた大型貨物船の上で、映画として鑑賞し、その後帰国してから本を読んだ。これは奇想天外の話が矢継ぎ早に展開して飽きる事がなかった。日本文学では行間を読むとか、日本映画の世界ではシーンの間を読むとか言うけど、外国ものに比べて冗長的な表現方法は自分にはしっくり来ない。好き好きか、日本文化の特性ではないかと考えている。余談になって失礼。

「蝉しぐれの」面白さは、ただ単純な藩内抗争に巻き込まれて、それに立ち向かう主人公の話だけではなく、文四郎と同じく権力闘争に巻き込まれて人生の狂ったもう一人の人間模様が画かれていたり、剣術の世界での文四郎との好敵手の話が画かれたり時代小説の面白さが凝縮されている。著者は、剣術に長けておられると想像するが、剣捌きの微妙な表現に感動し圧倒された。そして、最後の章の「蝉しぐれ」(本書の表題と同じ)があることによって、本書にすっとした芯が通っている。但し、「蝉しぐれ」の章で真面目な武士の助左衛門(文四郎)が、側室であったお福を抱きしめる描写があったが、この時代にこのような行動が果たしてできたかどうか、疑問に思っている。強いて好意的に解釈すれば、この章が有る事により、本書が最後にぐっと締まった感じがする。著者の狙いはこのことかなと思われる。本を読み終わって、清清しい安堵感が広がった。

返信する
アレクサンドロスさんへ (桔梗)
2012-02-01 22:40:54
アレクサンドロスさんへ

「国境の南、太陽の西」は好きな作品です


私達は 確かな存在であることの証明を欲してしまう生き物だと思います

見てほしい 認めて欲しい 高く評価して褒めて欲しい
見てるよという言葉だけでなく 実感できる何かが欲しい
でも実感できたなら 未来永劫ずっと確かな存在を信じられるのかというと そうではないし
結局 ずっと欲しがり続けなければならなくなる ずっとずっと死ぬまで続くその欲求を断ち切るには
他者に存在の確認を依存することをやめ 自分の中に信じる心を持たなきゃいけないのかなと思います

村上春樹さんは 私たちが今見てるこの世界の存在は 私たち自身の心の中を投影してるに過ぎないことを書き続けているように思います

私たち人間の数と同じ 数十億通りの世界が存在してるのかもしれませんね

大変興味深い おもしろい書評をありがとうございました(^-^)
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本 村上春樹著 「国境の南、太陽の西」 (アレクサンドロス)
2012-01-30 09:51:43
書評なるものを一度トライしてみたいと思いここに投稿する。
書評と感想文の違いは漠然と知っていたが、文献によれば、「書評とは本の内容を把握しそれをまとめ、その上で本に対する評価を与えたり批評したりする。すなわち、読書感想文が感じたままを書けばよいのに対して、もう少し真剣に本の内容を把握して、本全体がどういうことを扱っているのか、本の意図はどのようなところにあるのか、本の筆者が最もいいたかった点は何か、といった本全体の内容の紹介。その上で、自分が特に注意して読んだ箇所、自分が面白いと感じた箇所、自分がこの内容は本を語る上で欠かせない点だと感じた箇所、といった細かい点の紹介が必要らしい」。この投稿が結果的に上記趣旨から外れたと思われるが、ご容赦願いたい。

「村上 春樹」“国境の南、太陽の西”で試してみた。
僕と言う主人公の少年期から中年にいたる過程で、多くの女性と絡みながら、心の軌跡を描いたもので、その中で主人公の揺れ動く心理、矛盾した心理状態、見事に描いている。この本を読んでいると、一様性で無い人間心理、それは物理で言うところの作用と反作用的な心理状態で、時には自分の存在が果たして本当かと自問自答する。
これに関して、フランスの17世紀の思想家・数学者であったパスカルのことば、「人間は考える葦である」を思い出した。
人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまう。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。
しかし、著者も言うように、この精神力は外的力にはかなり強いが、内部の力には弱いのではないかと思われる。この世で自殺者が多いのは、内的力に屈服した結果であろう。
著者が言いたいのは、人間の存在は「現実を現実とする証明、確かな何らかの存在が必要であり、更には確かな何らかの存在が本当なのか、これをどう証明するか」という矛盾に満ちた状況がそこにはある。
主人公が女性を見るときに、数量化、一般化できる外面的な美しさではなく、その元にある絶対的な何か、否応なしに人を引き付ける、凄い力に魅力を感じると言うのは、大いに理解できる。

書籍の題目である「国境の南、太陽の西」は、人間の心理面で存在する世界と存在しない世界との対比であると思われる。人間はこの両者の中間で心が揺れ動く。
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Unknown (客船クルーズボケ)
2012-01-12 09:00:10
本の紹介をお願いして、無理な事を頼んだものと、反省していました。真面目にご返答頂き感謝します。
考えてみると、本の紹介は相手を良く知らないと返答できない。何せ、膨大な書籍群がある訳ですから。例えば、学校の先生が生徒に本の紹介をするのは、相手を熟知しているのでやり易いと思うけど・・・。
兎も角、有難う御座いました。
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おすすめの本 (桔梗)
2012-01-09 22:46:07
コメントありがとうございます!
お返事が遅くなってしまいごめんなさい。

むむむ…。本の紹介かぁ。好きな本や面白かった本はたくさんありすぎて難しいのですが…。

藤沢周平さんの「蝉しぐれ」
三浦綾子さんの「氷点」
このふたつはどなたにもおすすめできる大好きな作品です。ぜひぜひ読んでいただきたいです!!

あとはミステリーでしたら北村薫さんの本、ファンタジーでしたら上橋菜穂子さんの本が好きなのですが。
北村さんなら「街の灯」、上橋さんなら「狐笛のかなたに」がとっかかりとして読みやすいかと思います。

昨年の私のベスト1は「ジェノサイド」、一昨年は「天地明察」です。

「氷点」以外の本は、このブログでも紹介してますので、よかったら、左側のカテゴリー欄にある作家別さくいんからたどって参考にしてみてくださいませ♪
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Unknown (客船クルーズボケ)
2011-12-28 20:17:45
恥かしながら、あまり本に親しんでいない自分に貴方のブログを訪問して感じるこの頃です。最近、時間が有るので、何か本を読んでみたいと思いますが、適当な本は有りませんか。ご紹介頂けるとありがたい。
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ありがとうございます (桔梗)
2011-12-26 20:20:46
「客船クルーズボケ」さま(笑)
こちらでは「はじめまして」ですね♪

書評とは言えないような、まるで独り言読書感想文なのですが、楽しんで書いております。

いろいろな方から、私の感想を読んで、本を手に取りましたというコメントもたくさんいただき、嬉しく思っています。

またお時間あるときに、ふらりとお立ち寄りいただけたら嬉しいです。
よろしくお願いします(^-^)
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Unknown (客船クルーズボケ)
2011-12-23 20:20:12
初めまして。読書家の貴方にコメントを初めて書きます。プロフィールを読んで、素晴らしい女性と感じました。時々、訪問させていただきます。
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