あなたのすきな本は何ですか?

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漁港の肉子ちゃん 西加奈子

2013-01-30 16:25:24 | ★な・は行の作家
漁港の肉子ちゃん
西加奈子
幻冬舎

肉子ちゃんは太ってる

肉子ちゃんは不細工だ

肉子ちゃんは男運がない

肉子ちゃんの本当の名前は菊子だ
だけど 自分を捨てた男を探しに行った北陸の港町で うおがしという名の焼き肉屋で働くようになり
よく肉を食べ よくしゃべり よく笑う菊子ちゃんは 
肉子ちゃんと呼ばれ そして町中の人に愛されている


大人になると 自分の心のままに笑ったり泣いたり怒ったりできないことも多い

それはダメと言われて気持ちを奥に押し込んだり イヤだという言葉をムリに飲みこんだり
その度に心はメキメキと音をたててつぶれていくけど つぶれる音を聞くのにもだんだん慣れっこになるけど

肉子ちゃんは いつでも全力で肉子ちゃんで
空気なんて読まない 誰の心にもずかずかと入っていく 
いつも笑ってていつもやかましくて 最初は馬鹿にされたり冷たい目で見られたりするけど

でもなぜかいつの間にやら 肉子ちゃんの周りの人達は肉子ちゃんのファンになってしまう


人間 お腹や頭だけじゃなくて 心が痛くなる時だってある
そんな時は 痛いって声に出して言ってもいいんだ
痛いと泣いたからって つき放したり迷惑がったり嫌ったりしない
そんな肉子ちゃんの隣にいると みんな安心して 自分でいられるんだろう


「サリンジャーっ!なんとか戦隊の名前みたいやなっ!」

肉子ちゃんがそんなふうに笑い飛ばしてくれたら きっと悲しい気持ちもさびしい気持ちもぜーんぶ空に放り投げて 一緒に笑い転げられるんだろうなと思う


大丈夫 私だけじゃない 誰だってみんな ダメな大人なんだ
そうして みんなが少しずつ ダメなところを赦しあって生きてるんだから
まるごとの自分でいいじゃないか

邂逅の森 熊谷達也

2013-01-30 16:22:07 | ★か行の作家
邂逅の森 (文春文庫)
熊谷達也
文藝春秋

とても力強い 生きる力の凄みを感じさせる小説

時は大正時代 秋田の山奥の小さな村で
マタギの家に生まれた男の一生を描く

代々受け継がれた独特の狩猟法で狩りをするマタギ 
それを生業として生きていた若い富治は 有力者の一人娘と恋に落ちたことで 村を追われ 鉱山で工夫として働くことになる

それでも山や狩りへの思い 愛おしい人への想いを断ち切れない富治は 再びマタギとして生きる決意をし 厳しい道を歩むことになるのだが…


常に山の神や自然への畏怖や敬意を持ちながら 獣たちと命をかけて闘うマタギ
頼れるのは己の感覚と力のみ
つい何十年か前までは こういう武骨な男の人達が本当に生きていたことに感嘆する
最後のクマとの格闘場面の 本当に目の前で繰り広げられているような臨場感に 読み終わってからもしばらく心臓がドキドキしていた

そして愛おしいものを守ろうとする女性たちの 芯の強さにも感動
子どもであったり 夫であったり 想う相手の幸せを願った時の女の強さは半端ではない


男と女のこととか 何が幸せかとか かたちはひとつではない

普通だとか一般的であることがただひとつの正解とは限らないと思う

いつの頃からか人は 周囲と同じものを欲しがり 誰かが決めた枠に自分を当てはめるのが当然になってしまったけど
私たちは本来 もっと自分の感覚を頼りに いろんなことを決めてきたはずだ

たとえば 豪邸や高級車や美しい女性を手に入れる それを手にする男性に選ばれて豪奢な生活を送るのが 富の象徴であり成功の証である
そんなたったひと通りの無味乾燥な価値感に 私たちはいつから縛られるようになってしまったのだろう

たった100年前の日本人にはもっと豊かでたおやかな感覚があった
でも 今さらその頃に戻ることは不可能だろう
どうにもならないことというのは ある

それでも 人間も森にすむ獣と同じ「生き物」である 

自分の生業や伴侶 自分の生き方そのものを 私たちはもっと己の感覚を信じて選んでもいいのではないかなと思う
 

「邂逅」とは思いがけなく偶然出あうこと

人生において深い影響のある出会いや 切っても切れなかったりまた繋がるような縁もあり
たとえ偶然の出会いでも そこには必ず意味がある 
人生は邂逅の連続だなとあらためて思う

永遠のゼロ 百田尚樹

2013-01-30 16:12:13 | ★ま・や行の作家
永遠の0 (講談社文庫)
百田尚樹
講談社

ゼロは零戦のゼロ
義理の祖父を持つ姉弟が 戦中零戦パイロットだった実の祖父のことを調べるため 生き残りの人達を訪ね話を聞いていく
生きて帰りたいと言って周囲から臆病者扱いされていた祖父が なぜ最後に特攻で自ら命を落とすことになったのか…
真実がすべて明らかになるラストでは 読みながらいろんな想いが込みあげ ゼロにも他の意味が見えてくる 

特攻隊に限らず あの時代戦っていた人達はみな お国のために天皇のために喜んで死んでいったわけではない
人は道具なんかじゃなく感情を持つ生き物
喜んで死にたい人なんているわけない
それでも みな大事な家族のため愛する人のためと 死ぬ理由を自分なりに見つけて納得して戦っていたんだろう
死ぬことと向き合うということは 自分はどう生きるかということと向き合うのと同じ
どう生きたいのか みなそれを考えて死んでいったんだと思う

「たとえ死んでも、それでもぼくは戻ってくる。生まれ変わってでも、必ず君の元に戻ってくる。」

また逢いたいと思うのも 君の元に帰りたいと思うのも 相手の幸せを願うのも ただ見守るのも
たぶんそれは全部 多くの不器用な男の人達のせいいっぱいの愛情
言葉はなくとも 形あるものはなくとも それは伝わり ずっと心の奥に灯をともし続けるものなんだろう



「ゼロ」は何もない状態だけど すべて失くしてもまたそこから始められるという意味だと思う
私たちは 永遠にまたゼロから始められる

無いことを憂うより これから与えてもらうものや手にするものを大切にしよう

読後そんなことを思いました