徒然なる生活記

気が向いたら普段の生活での出来事や思ったことなどを、日記風に書いています。(*´ω`)

ヤリスって本当に売れてるの?

2020年06月28日 | Weblog
ここ二週間は、父のお見舞い、葬儀や墓参りなどで、インサイトで結構移動していました。

新型フィットを見かけますね(^-^)

多くのフィットがデイライトを点灯しているため、あのデイライトはフィットだと一目で分かりますね。ただ、かなり明るいのが気になります。

しかし、それより売れているヤリスって、全然見かけないんですよね。アクアと顔がそっくりなので、すれ違う度にテールを見ると、ヤリスではなくアクアʅ(◞‿◟)ʃ

この二週間で、ヤリスを見たのは一台…。

逆に新型フィットは、二十台は見かけました。

コロナの影響?

よく聞くのは、毎月の販売台数の発表の数字は、ディーラーやレンタカーに販売した台数もカウントされているらしいので、そちらに流れているからでしょうか。

トヨタのディーラーは5000店舗以上で、ホンダは約2200店舗程度。二倍もあると言うので、試乗車だけでも差が出ますね。

数字で新型フィットと競ってるくらいなら、そりゃあヤリスはあまり街には出回っていないですね。

トヨタ車の品質が良いと世間ではいいますが、先日のクラウンのリコールでは、2008年から2013に販売したクラウンがだとか。

今頃リコール⁈
あり得ないですね。

それまで検証しなかったのですかね?


2014年のプリウスとか、新型ヤリスのリコールとか、ホームページを見ると、ビックリするほどリコールだらけ。

これが品質のトヨタ?

私の知人のC-HRなんて、一年経たずにナビシステムが故障したとか。

エスティマハイブリッドを乗ってる知人にいたっては、右折しようとしていた交差点の真ん中で、突然車が動かなくなってしまったとか。
:(;゙゚'ω゚'):

会社の子が乗っているアルファードに至っては、雨漏り(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)して泣いてます。ディーラーでも分からないと言う始末。


ヤダヤダ。

流石、トヨタ品質。

怖くてトヨタの車には乗れません。

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お別れ

2020年06月18日 | Weblog
本日、父の葬儀が終わりました。

亡くなってからこれまで天候に恵まれ、今日は曇りがちの天気のためやや涼しく感じられるほどで良かったです。

通夜から葬儀まで400人弱の方々にお越し頂き、さぞかし父も嬉しかったでしょう。予想を超える人の多さに私も驚きました。

田舎ではありますが、改めて父の交友の広さを実感しました。仕事の面というよりも、人付き合いの面で、分け隔てなく町の人には声を掛けるし、そして面倒見が良いから好かれていたのでしょう。

人として強く、はっきり物を言うし、知り合いが困っていると口を出していたので、ボス肌だったのでしょう。

私自身も家の父しか知りません。外でどんな付き合いをしていたかは知りませんが、それだけ立派な父であったということでしょう。

私が小さい時は、悪いことをするとすぐ鬼の形相で怒られてましたが、普段は気にかけてくれていて、時には励ましてくれたり、いつも声をかけてくれていたので、生活の中では優しさを感じていました。

食事は、全員揃って今日あったことを話すんだ、と小さい頃から教えられました。私も、子供ながらに、食事の準備を手伝うことを覚え、それが心のどこかで嬉しいし、幸せな気持ちになれていたように感じていました。

しかし、朝ご飯の味噌汁を残そうとすると、父が、残さずに食べろ!と言い、食べきるまでじっと見られていました。母は、泣いている私を見て、残しな、といいますが、父はそれでも譲らず、泣きながら食べた記憶があります。

それは、野菜を作る人の苦労や、毎日朝早くから食事を作る母の苦労を、そして一日を元気に過ごすために必要であることを、子供の私に分からせるためです。

なんか、こうして思い出すことは沢山あるなあ。

納骨を終えて実家に戻ると、大黒柱を亡くした空虚感がありました。
それは、父も小さい頃、この庭を走り回り育ち、この家を、家族を守るために必死に頑張って来たことを考えると、私も頑張って、後を継いだ兄を助け、母を支えて行かなければならないと心に誓いました。

ただ、父が先週に脳梗塞で入院してから意識は戻らなかったため、父と話もできずに悲しんで、どこか気持ちにモヤモヤがずっとありました。

しかし、今日、火葬場から埋葬まで、ずっと私が父の遺骨を持つ役割を頂けたので、ずっと肌で父を感じられました。

だから、バスで移動中も、胸に抱いた父の遺骨に心の中で父と話ができたので、気持ちが落ち着きました。



お父ちゃん。この先一人で行くの、大丈夫かい?俺も手伝ってあげようか?

大丈夫だよ!昔は柔道やって、お父ちゃんは身体を鍛えてたんだから。

お前は、後でゆっくり来んだど!
先に行ってるからな。待ってるからな。

急がなくていいからな。
無理すんな!身体壊すなよ!

じゃあな!





もう、私が何処を探しても父には会えません。

後は、こうして与えられた生を、必死に行くことにしよう。

いつか、待ってくれている父に会ったときに、恥じることのないように。

お父ちゃん、今までありがとう。


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本当にありがとう(T_T)

2020年06月17日 | Weblog
6月10日に脳梗塞で緊急入院した父が、15日の2時22分に亡くなった。

家族を守る、強い心を持った父でした。

子供の頃は、しつけに厳しかったなあ。商売をしていた父は、稼ぐことで一家の大黒柱として家族を養うことに必死だったのだろう。

今まで父が普段かけてくれた言葉を思い出してみると、自分がこのシチュエーションだとこう言うだろう、ということも、父は異なる優しい言い回しで言葉で話してくれていたことを、50歳になって気づきました。

昨年も、私が仕事が忙しい時期で疲れて嫌気がさしていて、気分転換のため週末に実家に帰った時、父が突然『仕事はどうだ?』、と聞いて来ました。

私は本音が言えず、『・・・まあ、忙しいくてちょっと疲れてる・・・』と言うと、すかさず父は『仕事が忙しいなら良かったな!』と明るく元気に言って来た。

商売をずっとやってきた父からすると、仕事が少ない時の大変さを知っているから、忙しいなら食って行けるということを言ったのだろう。

私は、ハッとしました。

そうだ、忙しいことは悩みなどのネガティブなものではなく、生活を支えるためには重要なことであることに、父のその一言が思いださせてくれました。そして、その一言で気持ちがとても軽くなりました。

細かいことはあまり言わない父でしたが、私が会社勤めを始めてからは、成功することを信じ、黙って見てくれていたのでしょう。口煩いことは一切ありませんでした。

だから、私の心の何処かで、高齢になって商売を辞めた父を安心させたいから、そしてお礼のお小遣いを渡したいから、今まで仕事を頑張れてた気がします。

福山雅治のヒット曲『家族になろうよ』の父親像は、正しく私の父も同じに感じます。

父が入院する二週間前、私の住む市内で美味しくて人気のケーキ屋さんで、両親の為にケーキを買って行き、晩ご飯の後、両親と一緒に美味しく頂いた時の、子供のような父の笑顔が忘れられません。

高校では、父と同じ柔道部に入り三年間頑張ったお陰で、小柄な私の体つきも筋肉がついてガッチリしていたため、高校の卒業式で父が来てくれ、卒業式場に私が整列して歩いて入場した時のことを家に帰ってから『胸を張って、ビシッとして入ってきて良かった!』と喜んでくれましたね。

父が喜ぶと、嬉しい自分がいました。

就職した時も、大変喜んでくれましたね。でも、八年勤めた会社を辞めて無職になって実家に戻ったとき、母が、早く仕事見つけろ、と言うのに対し、父は黙って普段通りに接してくれましたね。きっと言いたいことはあったと思いますが、何も言いませんでしたね。

私は、どれだけその父の行動に救われたか。

それでいまの自分があると思うよ。

だから、だから、もっともっといっぱい父には親孝行したかったのに。

・゜・(ノД`)・゜・。

入院した父は意識が戻らなかったため、最後まで、ありがとう、って感謝の言葉を口で伝えられませんでした。

ごめんなさい。本当にごめんなさい。

戦中戦後と、小さい頃からこの家を守りぬき、今まで家族を守るために頑張ったから、とても疲れたよね。

家族もそうだけど、親戚も皆、父を頼りにしてたからね。

強がって、一人前になったように振る舞っていたけど、お父ちゃんには到底追いつけないよ。まだまだ一緒にいて欲しかった。見ていて欲しかった。

母は、私が大切にするから、もうゆっくり休んでね。

悲しいし、寂しい。
でも、俺も頑張るよ。
 


お父ちゃんの子供で本当に良かったよ!



本当に本当に今までありがとう。
(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)





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