本日、父の葬儀が終わりました。
亡くなってからこれまで天候に恵まれ、今日は曇りがちの天気のためやや涼しく感じられるほどで良かったです。
通夜から葬儀まで400人弱の方々にお越し頂き、さぞかし父も嬉しかったでしょう。予想を超える人の多さに私も驚きました。
田舎ではありますが、改めて父の交友の広さを実感しました。仕事の面というよりも、人付き合いの面で、分け隔てなく町の人には声を掛けるし、そして面倒見が良いから好かれていたのでしょう。
人として強く、はっきり物を言うし、知り合いが困っていると口を出していたので、ボス肌だったのでしょう。
私自身も家の父しか知りません。外でどんな付き合いをしていたかは知りませんが、それだけ立派な父であったということでしょう。
私が小さい時は、悪いことをするとすぐ鬼の形相で怒られてましたが、普段は気にかけてくれていて、時には励ましてくれたり、いつも声をかけてくれていたので、生活の中では優しさを感じていました。
食事は、全員揃って今日あったことを話すんだ、と小さい頃から教えられました。私も、子供ながらに、食事の準備を手伝うことを覚え、それが心のどこかで嬉しいし、幸せな気持ちになれていたように感じていました。
しかし、朝ご飯の味噌汁を残そうとすると、父が、残さずに食べろ!と言い、食べきるまでじっと見られていました。母は、泣いている私を見て、残しな、といいますが、父はそれでも譲らず、泣きながら食べた記憶があります。
それは、野菜を作る人の苦労や、毎日朝早くから食事を作る母の苦労を、そして一日を元気に過ごすために必要であることを、子供の私に分からせるためです。
なんか、こうして思い出すことは沢山あるなあ。
納骨を終えて実家に戻ると、大黒柱を亡くした空虚感がありました。
それは、父も小さい頃、この庭を走り回り育ち、この家を、家族を守るために必死に頑張って来たことを考えると、私も頑張って、後を継いだ兄を助け、母を支えて行かなければならないと心に誓いました。
ただ、父が先週に脳梗塞で入院してから意識は戻らなかったため、父と話もできずに悲しんで、どこか気持ちにモヤモヤがずっとありました。
しかし、今日、火葬場から埋葬まで、ずっと私が父の遺骨を持つ役割を頂けたので、ずっと肌で父を感じられました。
だから、バスで移動中も、胸に抱いた父の遺骨に心の中で父と話ができたので、気持ちが落ち着きました。
お父ちゃん。この先一人で行くの、大丈夫かい?俺も手伝ってあげようか?
大丈夫だよ!昔は柔道やって、お父ちゃんは身体を鍛えてたんだから。
お前は、後でゆっくり来んだど!
先に行ってるからな。待ってるからな。
急がなくていいからな。
無理すんな!身体壊すなよ!
じゃあな!
もう、私が何処を探しても父には会えません。
後は、こうして与えられた生を、必死に行くことにしよう。
いつか、待ってくれている父に会ったときに、恥じることのないように。
お父ちゃん、今までありがとう。