ロシアの北都 サンクトペテルブルク紀行

2005年秋から留学する、ロシアのサンクトペテルブルク(旧レニングラード)での毎日を記します。

ロシア人達

2005-10-30 18:13:07 | Weblog
2005年10月30日
風邪はほぼ治りつつあります。またインターネットカフェからの更新のため、すぐにコメントできないことをご了承下さい。これから慣れない料理に挑戦してきます。

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2005年10月27日
ロシア滞在57日目
【今日の写真:スーパーマーケットの入口にあった気温表示。なぜか0度に「マイナス」がついている。その気持ちは分かるのだが。】

今日の主な動き
08:42 出かける
08:49 マヤコフスカヤ駅
09:01 バシレオストラフスカヤ駅
09:13 学校
12:25 事務室のある建物
13:07 コピー屋
13:15 バシレオストラフスカヤ駅
13:23 ガスティニードヴォル着
13:33 日本センター
16:49頃 ネフスキー通り駅
16:58 マヤコフスカヤ駅
17:14 ボスタニヤ通りの郵便局
18:14頃 ボスタニヤ通りのスーパー
18:22 帰宅

 朝の通学途中、バシレオストラフスカヤ駅でいつもの激しい押し合いに参戦。今日もかなりひどく、小さな子どもなら窒息してしまうのでないかと本気で心配するくらいの圧力だった。ようやく乗るエスカレーターを見定めた頃、下りのエスカレーターから降りてきた列の中を逆流して、先回りしようとしていた女性がいた。その女性がちょうど私の隣を追い抜こうとしていた時、下ってきた男が「どこへ行くのだ」といいうようにその女性の行く手を遮った。上りの列に戻るように促しているようだった。
 しかしそこで引き下がるくらいなら、最初から下りの列を逆流したりしないわけで、その女性も強引に抵抗する。すると周りにいた1人か2人も参戦してちょっとした小競り合いが始まった。誰がどちらの味方をしているのかよく分からなかったが、怒声が飛び交い、女性を制止した男に殴りかかろうとした者もいて辺りは騒然となった。私も含めて、周囲の人はみなその様子を注目していた。
 結局、その女性は今にも泣きそうな顔をしながらなおも逆流を続け、私の少し前に割り込んだのであった。こういうせこい輩を制止しようとした男性は立派だと思うが、女性の方も、簡単に引き下がらず、喧嘩に巻き込まれてまで下りの列を逆流し続けたその鉄の精神は賞賛に値する。しかも何だかんだで、普通に列に並ぶより少しだけ早くエスカレーターに乗れたのだから。それにしても、なぜ制止した男性が殴られそうになったのだろうか。この辺りは大いに謎である。

 昼、バシレオストラフスカヤ駅からメトロに乗る。今日は地図売りのおばちゃんが乗ってきて「すみませんが、静かなところお邪魔します。」と前置きして宣伝を始めた。一方的にべらべら喋ってくれるから、リスニングの訓練だと思って耳を傾ける。彼女の宣伝によると「新しい地図は40ルーブル」だそうで、意外と安い。やはりみんな安いと思ったのか、今日は1駅の間に3人ほどの乗客が地図を買っていた。そういえば私が持っている地図もそろそろ折り目が破れそうだったので、この機会に買おうと考えた。
 ガスティニードヴォル駅に着く直前、既に宣伝を終えてドアの側に佇立していたおばちゃんに声をかける。すると途端におばちゃんの表情が笑顔に変わった。私が地図を買うことをとても喜んでいるようだった。50ルーブル札を渡して10ルーブルのおつりをもらう。「これは新しい地図なのか?」と聞くと、”2005”と書いてあるところを指さして、「そうそう、新しい地図だ。」と言って私に地図をくれた。そしておばちゃんはその地図を広げ、「この地図はすごいんだ。ほら、全ての通りが載ってるんだよ。」と一生懸命説明する。私が「素敵な地図だ。」とこれに応えるとおばちゃんはご機嫌の様子。
 まもなく列車はガスティニードヴォルに到着。おばちゃんも私もそこで降りる。隣の車両に行くのかなと思っておばちゃんを見ていると、私と同じ方向の出口へ向かい始めた。一駅わずか4分の間に、私も含めて4人もの人に地図が売れたから今日は満足なのだろうか。こうして商売が成立するのは、乗客との間に暗黙の信頼関係があるからのように思える。いつもは無視されることのほうが圧倒的に多いように見えるが、それでも宣伝しながらいくつも車両を回るうちに買ってくれる人がいる。乗客の方も、彼らの商品を信頼し、どこで誰から買っても同じ、かえって店に行く手間が省けて便利だと考えて買っていくのであろう。だとすればこの車内の物売りも、ペテルブルクの素敵な文化の一つだと私は思う。

 家に帰る前、ちょっと遠回りをして郵便局に寄る。昨日は一つしか買わなかったが、日本に手紙を送るための封筒をもっと買おうと思ったのだ。
 昨日同様中にはかなり人がいて、郵便の窓口にも列が出来ていた。私もそこに並ぶ。郵便に並んでいた人数は5、6人程度だったが、かなり動きが遅く、一人の対応に10分も20分もかかっているようだった。40分くらい並んだ頃、私の前にいたおばちゃんに「封筒を買うだけなのにこんなに待つのか?」と聞いてみた。すると順番を譲ってくれると言うので最初は断ったが、「私はとても長く時間がかかるから。」と言われ、それならばと前に行かせてもらう。
 こんな親切な人もいた一方で、その後ろでは、並んでいた一人の女性と、男女2人連れの間で、どっちが先に来たかという言い争いが勃発。そのうち、そこの若い人がどうのこうのと、私の話をし始めた。どうやらどちらかが、「私の前にこの若い人がいたのだ。」と主張しているようで、そのうち2人連れの若い男が、私に、「どっちが先に来たか覚えてる?」と聞いてきた。最初は質問が理解できず、もう一度繰り返してもらう。「覚える」という単語を忘れていた私は慌てて所携の単語帳を引いて調べ、「いや、覚えてない。」と答える。実際本当に覚えていなかったのだ。私が「覚えてなくてごめんなさい。」というとそこにいた人みんな笑っていたようで、さっき順番を譲ってくれた老女は「いやいや、覚えてなくて良いのよ。」と笑いながら言ってくれた。その言い争いというのも、今朝のメトロのような本気の争いではなかったようで、その後彼らは和解したみたいだった。

 私の隣にいた老女は、私の持っていた日本語単語帳に興味津々。「日本語か?」と聞かれたので「そうだ。」と答えると、いろいろ話しかけてきた。残念ながら聞き取れない箇所多数だったが、かろうじて理解できたところによると、彼女には「カズコさん」という日本人の知り合いがいて、その人はロシア好きでよくロシアにやってくるのだそうだ。

 ようやく私の番になったが、私が「3つ」と言っているのに係の女性は1つしか箱から出してこなかった。すると後に並んでいた人達が口々に「3つだ」と係に教えてくれたので、私は無事封筒を3つ買うことが出来た。

 主張したいことは主張して言い争いもするけど、困ったときには助けてくれたり、順番を譲ってくれたり、フレンドリーに話しかけてきたり、私が外国人だからなのか、それともロシア人にも同じことをやるのか分からないが、郵便局で出会った人々は皆親切だった。   
 【今日の写真】に掲載した温度計は「マイナス0度」を現示していたが、部屋の窓の温度計は2度弱だった。どっちが正しいのか知らないけれど、夕方はこれくらいの気温だった。朝の喧嘩騒動はいただけなかったが、それだけに郵便局での出来事にはほっとした気分にさせられた。外は寒くなっても、人々の心までは寒くならないようだ。  
  


冬到来

2005-10-30 18:11:07 | Weblog
2005年10月26日
ロシア滞在56日目
【今日の写真:初雪の日のカザン聖堂。今日はベンチに憩う人々の姿は見あたらない。】

今日の主な動き
08:40 出かける
08:44 薬局
08:45 薬局を出て初めて、初雪に気づく
08:52頃 マヤコフスカヤ駅
09:04 バシレオストラフスカヤ駅
09:16 学校
12:29 大学の事務室のある建物
13:18 バシレオストラフスカヤ駅
13:29 ガスティニードヴォル駅
13:40頃 日本センター
14:50 ネフスキー通り駅
14:58頃 マヤコフスカヤ駅
15:14 旅行代理店「ゲルマン」
16:45 インターネットカフェ
17:35 郵便局
18:00頃 薬局
18:08 帰宅

 私の風邪は中期から末期にかけて鼻水が出るという特徴があるため、朝駅へ行く途中、いつもの薬局に寄ってティッシュを買う。薬局を出てびっくり。はらはらと雪が舞っている。まだ10月なのに、もう初雪だ。
 北の町とはいえ、こんなに早い時期に雪が降ることは全く予想外。それでもなぜか嬉しい気持ちになるのは、生まれてから18年間豪雪の町で暮らし、スキー、雪合戦、かまく
らづくりなど、幼い頃から私にとって雪が最上の楽しみの象徴であったからなのかもしれない。
 マヤコフスキー通り、ネフスキー大通りを通る頃にはまだわずかしか降っていなかったが、メトロを降りて、バシレオストラフスカヤ駅の外へ出る頃にはだいぶ激しくなっており、地面にうっすらと積もり始めた。

 授業の休憩時間、韓国人のスヒョンが、雪で遊ぼうと誘ってくれた。風邪を引いていることなど忘れて中庭に出る。台湾人は初めて雪を見るのだそうで、喜んで遊んでいた。降り始めの雪は、さらさらしていて固めにくい。かまくらづくりに使えないため、私や弟がよく「質の悪い雪」と呼んでいた雪質である。スヒョンらがその雪を丸めて小さな小さな雪だるまを作った。冬の到来をしみじみと感じた。

 朝降り始めたばかりなのに、昼前後には吹雪になっていた。初雪の日は何となく降ったか降らなかったのか分からない程度で終わる、というのが私のこれまでの常識。いくらロシアでも、初日からいきなり吹雪になるのはあまりに品がなくていただけないと思った。そんな中昨日支払えなかった残りの費用を支払いに、コワレンコ先生の部屋がある建物に行く。しかし先生は外出中で、2時間後にならないと戻って来ないと言われたため、今日は諦めて同じ建物内にある学食へ。
 昼時だけ会って、小さな学食は人でにぎわう。私が食べていると、同じテーブルに座った青年と後から来た青年が、何やら話を始めた。日常の初歩的な会話ならだいぶ聞き取れるようになったので、リスニングのつもりで彼らの会話を聞く。「雪がきれいだ」「今日は雪のせいで遅刻した」「先生も30分遅刻した」。そんなことを話していた。なるほど、雪が降ったことを早くも遅刻の言い訳に利用しているわけだ。もっとも、マルシュルートカやバスで通学している人には多少雪の影響もあったかもしれない。

 バシレオストラフスカヤ駅まで歩く途中、「バチバチ」という音がしたので上を見ると、強風にあおられてほどけた広告のひもが電線に接触し、火花をあげていた。大変危険だが、人々は一瞥するだけで、皆お構いなく通り過ぎていく。
バシレオストラフスカヤ駅に入って改札を通り、下りエスカレーターに乗る際、プチ押し合い状態が発生していた。下りも押し合いなんて勘弁してくれと思ったが、その原因はなんとエスカレーターが停止していたこと。停止していても、階段みたいなものだと思って多くの人は歩いて行くが、それが面倒な人はエスカレーターの右側に並んでつっ立っている。それが老人だけならまだ分かるが、若い人まで立っているから、改札付近は混雑がますます激しくなるわけだ。私もやむを得ず歩いて下るが、下に行くにつれて皆疲れてきて、人々の歩く速度が遅くなっていく。エスカレーターを降りるのに要した時間は3分以上。とてつもなく長いことをあらためて実感した。
メトロの車内に、今日はライト売りが乗ってきた。その青年は、今まで見た中で一番元気がいい売り子だった。列車が動き出すとその音に負けじと声を張り上げる。それだけでなく、実際にライトをつけてあちこち照らして実演して見せた。元気のないライト売りが車内でこんなことをしていたら皆怪しく思うだろうが、彼はとてもハイテンションだったので、その様子が大変滑稽で面白かった。残念ながらこの車両では売れなかったが、ガスティニードヴォル駅に到着すると、彼はすかさず隣の車両に移っていった。

 日本センターでのインターネットをいつもより早めに切り上げ、ゲルマンへ行く。ゲロニカに会うのは久しぶり。最初はいくつかロシア語で話したが、本題の旅行の件まで相談できるほどのロシア語力はまだないので、会話は主として英語になる。インターネットより安い交通手段やホテルをここで見つけられれば良かったのだが、彼女によるとインターネットの方が安いそうだ。それでも「3時間ならボンの空港で乗り換え出来る」「まだモスクワに行ってないなら、せっかくだからモスクワでも一泊した方が良い」「ヘルシンキには特に見るものがない」など、経験にもとづいて丁寧にアドバイスしてくれた。さらに嬉しいことに、ロシアに家族や友人を呼ぶときには、この旅行代理店から招待状を発行してくれると言ってくれた。
 ロシアは出入国が厳しいことで有名。1日だけでも入国する際はビザが必要だが、ビザを取る際、普通の旅行者は事前にホテルや交通機関などを全て予約し、その証明を領事館に提示しなければならない。要するに手続きが面倒なのである。しかしロシアに居住権のある個人や団体(会社、大学など)が発行する招待状があればそれらの予約は不要。この招待状は35USドルで発行してもらえる。招待状だけ売りつける会社は少なくないらしいが、ゲルマンでは600ルーブルで外国人登録の手続きもしてくれるという。したがって日本での手続きが簡単になるだけでなく、こちらで安いホテルを見つけたり、短期滞在用のアパートを借りるなど、より自由度が高い旅行が出来るというわけである。家族や友人だけでなく、これからロシアに来るときに私自身も利用できる。しかも短期の観光用のものから1年有効のマルチビザ(期間内何度でも出入国可能。私のビザも今はこれ。)用のものまで、用途に応じた招待状を出してくれるそうで、ありがたいことである。
 
 帰り道、いつものインターネットカフェと郵便局に寄る。スイスに帰国したスティーブンとクリスチャンに、初雪のことを知らせるメールを送り、郵便局では日本への手紙を送る封筒を買う。歩道に積もった雪は踏み固められ、中にはそこでそりを引いて遊ぶ兄弟もいた。

 夜、宿題をやっていると、私の鼻を心配してナジェージュダが鼻の上に貼る小さなテープをくれた。これで鼻水の症状が緩和されるらしいというので、ありがたく頂戴する。「(風邪を引いているのに)まだ寝ないのか?」と聞かれたが、こんな時に限って、提示された条件を含む手紙を書くという、一見簡単そうで結構大変な宿題が出ており、「今日は早く寝たいところだが、宿題をやらなければならない。」と話した。

 窓の外には風が吹いていて、だいぶ弱まったもののまだ雪がちらついていた。鉛色の空には雪が無尽蔵にあるようで、結局、一日中降り続いたのだった。
 人々の服装の変化、朝晩の冷え込みなどの様々な事象に秋から冬へという、季節の推移を見ることが出来る。これまで何日もそれを目で見て、肌で感じてきたが、不思議なことに、これまでも、これからも、なお秋から冬への「推移」という言葉を用いることが不適切でない程度にこの言葉の射程は広い。それゆえ季節の推移という言葉に一回性、具体性、記念性を求めることは出来ない。
 蓋し雪国には、秋と冬を明確に分かつ境界線があると私は考える。「昨日までは秋、今日からは冬」というように。言うまでもなく、その基準は初雪。この町が雪国なら、この基準が妥当する。私は日本をはじめ、世界各地からこのブログを見て下さる皆さんに大きな喜びを込めて報告したい。10月26日、ペテルブルクの冬が始まったことを。
 






 


2回目の風邪

2005-10-30 18:09:11 | Weblog
2005年10月25日
ロシア滞在55日目
【今日の写真:モスクワ駅前の広場。今日は青空がきれいな一日だった。】

今日の主な動き
08:42 出かける
08:51 マヤコフスカヤ駅
09:01 バシレオストラフスカヤ駅
09:13 学校
12:15 コワレンコ先生の部屋
12:40 大学を出る
12:51 バシレオストラフスカヤ駅
13:01 ガスティニードヴォル駅
13:10頃 日本センター
14:01 ネフスキー通り駅
14:08 マヤコフスカヤ駅
14:48 旅行代理店「ゲルマン」
16:02 レストラン”Самобранка”
16:37 帰宅

 出かける前、窓の温度計を見ると、赤色の液体の最上部が0度近くにあった。メトロの駅まで行く途中、足がヌルッと滑った感じがした。道路にヌルッとするものなんてあったかなと疑問に思いながら歩いていると、まもなくその答えが分かった。水たまりに氷がはっていたのである。これがよく天気予報で言われる「初氷」というやつなのか。気温0度ということが、はっきりと視認できた。

 そして良くないことに、授業を受けているあたりからのどの違和感が始まった。どうやらまた風邪のようである。前回風邪を引き始めたのが9月16日だから、ロシアに来て2回目の風邪。私のこの手の風邪は通常、半年に1回くらいだから、今回はやたら感覚が短い。一体何事かと思ったが、きっと1年分を1ヶ月のうちに前もって精算してくれるのだとありがたく考えることにする。

 今日日中の天気はとても良く、真っ青な空が広がった。午後はコワレンコ先生の所へホームステイ費用11月分を支払いに行った。いつも4週間毎に払っているのだが、今日は5週間分支払うことに。ところが5週間分だと請求額が用意してきた金額を上回り、仕方ないので16,000ルーブルだけ払って残りは明日ということになった。

 日本センターに寄った次は旅行代理店へ。先月スティーブンと出かけたとき、旅行会社で働いているロシア人と知り合いになり、名刺をもらっていた。12月のヨーロッパ旅行、アメリカのK太、フランスのI、チェコのMと一緒に行動するパリからヴェネチアまでの分は全てK太がまとめて手配してくれたのだが、行きのペテルブルクからパリ、帰りのヴェネチアからペテルブルクまでの航空券、ホテルなどは自分で手配することになったため、その予約をしなければならない。日本国内の鉄道旅行の手配なら慣れているが、航空機を利用した、しかも海外旅行となるとまだまだ分からないことが多いので、旅行代理店に相談しようと思ったわけである。

 その旅行代理店はリゴフスキー通りという、モスクワ駅近くの通りにある。ホームステイ先からもそう遠くない。メトロをマヤコフスカヤ駅で降りた後、いつもの出口から出ずにボスタニヤ広場駅に乗り換えるエスカレーターを下り、ボスタニヤ広場駅の出口から外へ出る。
 前も述べたがペテルブルクの地下鉄は相当深い所を走っているため、エスカレーターが長い。それゆえ同じ構内にある駅であっても、乗るエスカレーターによって地上の出口間相互の距離がかなり離れるのである。したがって複数の出入り口があるメトロの駅を利用する際は、どの入口から入り、どの出口から地上に出たら目的地に近いのか考えることが、非常に重要な一個の問題となる。

 リゴフスキー通りを歩いていると、太陽の日差しが暖かく感じられた。太陽からの電磁波が雲に遮られることなく、ダイレクトに地上に届く今日のような日は、気温が低くても心理的につらくならない。
建物の番号を見ながら足を進め、ようやくその近くまで来たが、旅行代理店らしきものは見あたらない。仕方なく電話してみる。14時以降ならゲロニカ(知り合いの名)はいると言っていたので、電話にはゲロニカが出たものだと思いこんでしまったが、違う人が出た。「ゲロニカはいるか?」と聞くと「彼女は電話をとりに家に帰ったが、また戻ってくる」という。ゲロニカは大変上手に英語を話すのだが、電話の相手は少ししか英語が通じないようだ。私がまだ上手にロシア語を話せないことを知ると、何とか英語を使ってコミュニケーションをとろうと努力してくれた。私の方も出来る限りロシア語もまじえてながら話してみる。念のため代理店の所在地を再確認しようと思い、「場所はこの数字の建物で良いのか?」と聞くと、「住所は分からない。5分後にもう一度電話して。」と言われた。5分後に電話してみると、やはり先日電話でゲロニカに教えてもらっていた場所と同じアドレスだということがわかった。しかし数字の末尾に”б”(英語で言うところの”B”)がつくのだそうで、通りに面した建物ではないらしい。
 電話だけでは正確な場所が分からなかったので、近くにいた、駐車場の警備員らしき男性に「бという建物はどこか?」と聞いてみると、「ここだ。」という答え。「ゲルマンという旅行の店を知っているか?」とたずねると、彼は所携の、無線機並みの大きさの電話でどこかに電話をかけた。そして「この建物の三階だ。」と教えてくれた。
 
 ようやくゲルマンに着いた。小さなオフィスに椅子がいくつかあり、そのうちの一つをすすめられて、中でゲロニカを待たせてもらう。女性が一人仕事をしていたが、特にこれといって話すこともなく、私は沈黙のままひたすら待つ。電話を取りに行ったくらいならすぐ戻ってくるだろうと思っていたが、約1時間待っても現れない。そこでその女性に「いつ帰ってくるか分かるか?」と聞く。「帰ってくるとは言ってたけど、いつ来るのか分からない。」という答えだったので、「明日3時に来るとゲロニカに伝えてくれ。」と頼んで今日は帰ることにした。

 帰り道、一昨日昼食を食べたマヤコフスキー通りのレストランで休憩する。通りの風景を見ながらお茶とデザートをいただく。寒い日にはこんな小さなことが、とても大きな贅沢のように思える。 


犯罪多発地帯

2005-10-28 18:50:21 | Weblog
2005年10月24日
【今日の写真:ブリーニーを求めて並ぶ人々。バシレオストラフスカヤ駅の向かいで】

今日の主な動き
11:47 出かける
11:53 ケンタッキーのATM
11:57 マヤコフスカヤ駅
12:04 ガスティニードヴォル駅
13:18 洗濯屋
12:34頃 日本センター
14:08頃 ネフスキー大通り カザン聖堂近くのバス停
14:38 大学の事務室のある建物
14:58 コピー屋
15:08 バシレオストラフスカヤ駅前の店でブリーニーを食べる
15:15 バシレオストラフスカヤ駅
15:26 ガスティニードヴォル駅
15:41 洗濯屋
15:48 洗濯屋向かいのレストラン
16:24 洗濯屋
17:04 日本センター 領事館主催の安全情報に関する集会
18:00頃 ガスティニードヴォル
18:37頃 ガスティニードヴォル駅
18:46 マヤコフスカヤ駅
18:59 帰宅
19:10頃 出かける
19:13 薬局
19:17 帰宅

 今日は先生の都合により授業がお休み。昼前から出かける。

 11月分のホームステイ費用を支払うため、ケンタッキーのATMで現金を引き出した後、まずは洗濯屋へ。アントンが店番をしていた。最近ここでの会話は、英語を使わなくてもロシア語だけでなんとか成立するようになってきた。そのこともあってか、彼はまた私のロシア語が上手くなっているとほめてくれた。

 洗濯の間に日本センターでインターネットを利用し、その後大学へ向かうためにバス停でバスを待つ。メトロでも良かったのだが、たまにバスに乗ってみようかなと思ったから。ここのバスやマルシュルートカには路線別に番号がついていて、どれに乗ればいいのか分かりやすい。大学近くのバス停とネフスキー大通りを往復するには、147番のバスが便利で、これまでも何度か利用している。
 ネフスキー大通りは市内で一番大きな通りだけあって、バスやマルシュルートカ次々にやってくるが、なかなか147番のバスが来ない。15分近く待ってようやくバスに乗る。
エルミタージュ美術館を右に見て、ネヴァ側にかかる橋を渡ると大学は近い。が、バス停が大学から結構離れたところにあるため、そこからさらに10分近く歩かねばならない。 ようやく大学の事務室に着いたはいいが、手続きをしてくれるコワレンコ先生が不在のため、今日は支払いができず。来たついでなので、同じ部屋にいたオリガ先生に、12月にヨーロッパに行くため、冬休みと重複しない期間は授業を欠席する旨伝えた。

 帰りはメトロでと思い、バシレオストラフスカヤ駅まで歩く。駅前の通りをはさんだ所にはちょっとした飲食店が並んでいる。昼食がまだだったので、ブリーニーを食べることに(【今日の写真】の店)。ブリーニーは私の好物で、日本で言えばクレープとほぼ同じ食べ物。りんごやスメタナ、蜂蜜、チーズなどを入れて食べる。今日はりんごのブリーニーを注文。35ルーブルと安い上、結構大きい。出来立てのブリーニーはとても熱くて、こんな寒い日には最高の食べ物だと思った。

 ところで、今日は日本センターで、在ペテルブルク総領事館主催による安全情報に関する集会があったので、私も行ってみた。
「サンクトペテルブルク市 治安情勢概況」というタイトルで、領事館の警備担当者が説明をしてくれた。
 それによると市内で発生した2004年の一般犯罪は71,140件。今年の1月から8月までの犯罪件数は62,462件(解決率は30.3%)で、そのうち殺人が585件(同74.1%)、路上・街頭における窃盗・強盗は25,686件(同19.4%)。一番犯罪指数の高い地区は中央地区で、この地区における外国人被害も最も多い。

 特筆すべき犯罪として3つが挙げられていた。
 1つ目は住居侵入による窃盗・強盗。犯人は手当たり次第にドアや窓などを破壊して住居に侵入し、金品を窃取していくのだという。
 2つ目は公道上での「当たり屋」による窃盗で、1日平均10件発生しているらしい。当たり屋といっても日本のように保険金目的の犯罪ではない。車をぶつけて、当事者が車外で話し合っている間に犯人の仲間が車内からなんらかの財物を窃取していくという方法。実に単純なやり方で、さすがロシアだと思った。ダッシュボードから盗んでいくことが多いため、犯人は「ダッシュボード盗人」とよばれるらしい。
 最後はやはり外国人を狙った犯罪。今年は既に703件発生しており、前年同期の350件と比べて2倍以上に増えているという。警察に申告しない人もいるため、実際には少なくともこの数字より3割は多いそうだ。中でも市内の地下鉄構内での襲撃が65回と多い。 
 外国人目当ての犯罪は、捕まった犯人の92%が所持金品目当てだったというが、担当者は残りの8%に注意する必要があると話していた。言うまでもなくこの数値は人種的・民族的理由の犯罪があるということを示唆しているわけで、具体例として話に出てきたのは、9月にコンゴからの留学生が殺害された事件(このブログでは9月17日付けの記事でこの事件について触れた)。日本人が殺人事件に巻き込まれたり、人種的・民族的理由で狙われた犯罪は現時点では報告されていないが、いつ起きてもおかしくないと注意を促していた。
 担当者いわく、ペテルブルクでの犯罪は「なんでもあり(この言葉は新聞の日本語訳なのだそうだ)」でロシア人、外国人問わず犯罪被害に遭うことは少なくないという。

 これだけなら特に驚くことはなかったが、最後に「注意すべき地区」として挙げられた場所を見てショックを受けた。
 地図を表示しながら担当者が挙げたメトロの駅名はネフスキー通り駅、ガスティニードヴォル駅、マヤコフスカヤ駅。「今日の主な動き」に掲載しているとおり、いずれも私がほぼ毎日利用している駅である。確かにこれらの駅には、いずれも出入り口が複数あって中も入り組んでいるため、犯罪者にとっては好都合なのかも知れない。
 私が利用している路線は、ネフスキー大通りの真下を通る路線(「リニヤ3」と呼ばれる)で、ガスティニードヴォル、マヤコフスカヤ、アレクサンドルネフスキー広場の3駅が連続してそれぞれ他の路線との乗換駅になっていることもあって、多くの人が利用している。いわば「地下のネフスキー大通り」である。ラッシュ時の混雑は激しいし、私自身や先生もメトロの中でそれぞれデジカメ、携帯電話を盗まれているから、犯罪が多発しているということは容易に想像がつく。
 メトロを利用する際の注意事項として、「混雑した車両は避ける」「乗降時に自分の荷物を確認する」などが挙げられていたが、毎朝のラッシュを考えれば、混雑していない車両などない。せいぜい荷物やポケットに十分注意して犯罪被害の防止に努めるのが限度である。しかしだからといってメトロを利用せずに生活することは、私には無理。
 147番のバスで通学することも不可能ではないが、バスで通学することになったら、寒いバス停でいつ来るか分からないバスを待たなければならなくなるうえ、所要時間が長いので大遅刻の常習犯になってしまう。バスには地上の風景を楽しめるという、メトロにはないメリットがあるが、それでも暖かく、2分おきに次々にやって来て、所要時間が決まっているメトロは通学には最適である。もうラッシュや押し合い合戦にも慣れたし、自分自身が必要な注意を怠らなければ、被害に遭う可能性はかなり減少すると考えている。

 他に注意すべきとして挙げられた場所はモスクワ駅周辺、セイナヤ広場、カザン寺院、イサク寺院周辺、エルミタージュ美術館の館内やその周辺など。要するに人が集まるところ犯罪ありというわけである。これは日本でも、おそらく世界どこへ行っても同じであろう。

 ちなみに領事館の人の説明によると、ペテルブルクにおける10月現在の日本人(長期)在留者は165名で、このうち90名が学生だという。学生のネットワークも活用して情報交換し、自分独りでも事態に最低限対応できる心構えを持って学生生活を楽しんで下さいと言われた。
 
 説明会は45分くらいで終わった。今日の説明を聞いていて意外だったのは、ちゃんと内務局による犯罪の統計があるということ。よく考えれば当然なのだが、あれだけ犯罪が発生していてもきちんと把握出来ていることに不思議と安堵感を覚えた。ということは、私のデジカメ事件も未解決事件として今年の犯罪件数にカウントされるわけだ。しかも地下鉄車内での外国人の被害という、典型的な犯罪として。

 そんな説明会の後だったが、ガスティニードヴォルに寄った後の帰り道は今日も、注意すべきとしてご指名を受けたガスティニードヴォル駅からメトロに乗る。
 相変わらず人は多かったが、それもいつものこと。犯罪も多いかもしれないが、これだけ人が密集すれば無理もなかろう。これから寒くなる時期、車内はもちろん、駅構内も暖かく、速いメトロはやはりありがたい交通手段、私の足でもある。   
   

風邪

2005-10-27 19:27:03 | Weblog
2005年10月27日
ブログの更新を停滞させる良くない風邪。今の具合は中期症状。もうすぐ治ると思います。明日にも24日の記事から再開できるかと。
今日は雪も弱まり、たまに晴れ間ものぞきます。朝の気温は約0℃。相変わらずの寒さです。

初雪

2005-10-26 19:35:59 | Weblog
2005年10月26日
ついに今日、初雪が降りました。しかもあろうことか初日から吹雪いています。
そんな中、私は昨日から風邪を引いてしまったようです。私の風邪はいつものどから始まり、今日は中期症状です。ロシアに来てから風邪を引くのは9月16日以来約1ヶ月ぶり。放っておけば自然治癒するので大丈夫。
そんなわけで、少しの間ブログの更新が停滞します。更新再開後、今日の初雪の様子を、写真も含めて詳細に記述します。

少年老い易く…

2005-10-24 18:01:36 | Weblog
2005年10月23日
ロシア滞在53日目
【今日の写真:モスクワ駅】

今日の主な動き
07:00頃 起床 
11:20頃 朝食
15:21 出かける
15:24 マヤコフスキー通りの服屋
15:26 いつもの薬局の隣のレストラン
16:14 レストラン近くの服屋
16:22 インターネットカフェ
17:18 モスクワ駅
17:59 マヤコフスカヤ駅
18:23 帰宅

 実は先生の都合により明日は授業がお休みのため、今日は「三連休」の真ん中にあたる。誕生日だから、記念にエルミタージュ美術館にでも行こうかとちょっとだけ思ったが、天気もあまり良くないことだし、新しい年齢での「初勉強」をすることに。
 午前中は、日本にいたとき大学の授業で使っていたロシア語の教科書を読み返したり、刑法の教科書や判例百選を読んだりして過ごす。法律の教科書は5回読めば分かると言った民法の先生がいたが、今日何気なく刑法の教科書を読んでいて、今までいくら読んでも理解できなかった「かすがい理論」というやつが不思議とすんなり理解できた。例えば外で3人を殺害するよりも、住居に侵入の上3人を殺害する方が刑が軽くなるという、一見常識はずれな法理論である。そのうち法律問題について記す私のブログで紹介したいと思う。

 午後は比較的遅い時間から出かけ、近くのレストランでいつもよりやや豪華なランチを食べる。レストランの前後、Tシャツを買おうと思って何軒か服屋に寄ったが、どの店も冬物がメインで、Tシャツを売っている店はなかった。そのかわり、マヤコフスキー通りの、いつもの通学路には服屋が多く、しかも値段もそんなに高くないことを知った。冬物は家の近くで調達できそうだ。
 
 ランチの後、誕生日の「初詣」にモスクワ駅へ行く。お参りする所なら、この町には聖堂や教会などがたくさんあるのだが、観光客がたくさんいて、ガイドブックに載るようなハイカラな場所より、私にはモスクワ駅が一番だと思ったから。私にとってモスクワ駅は神社みたいなものである。
 モスクワ駅の堂々とした外観(【今日の写真】参照)が、私はとても気に入っている。まさに旅の出発点にふさわしい駅だと思う。
 ホームに入ると、5番線にムルマンスクから約46時間をかけて到着したばかりの郵便小包列車がいた。旅客列車ではない列車の到着時刻、始発駅まで掲示板に表示されるから親切である。
 ムルマンスクからの列車を横に見ながら、長いホームの端まで歩いてみる。旅客がいないため静かで、頻繁に流れる放送の音声がクリアに聞こえる。駅の放送などは、数字と決まった言葉さえ聞き取れれば良いわけで、どこ行きのどの列車が何時に何番線から発車するということは、ロシア語でもちゃんと理解できた。が、発車案内以外の放送がなかなか聞き取れないのは問題である。まだまだリスニング力をアップさせる必要があるなと感じた。今日はなぜか英語の放送が全くなかった。前回来たときは英語の放送もあったのに。きっと気まぐれなんだろうな。
 ホームの端まで行くと、信号機やポイントの様子が見える。ちょうど17時32分発、イヴァノヴォ行き45列車が隣の6番線から発車する時刻。緑色のランプが点灯した信号機の横を、大きな電気機関車が牽引する列車がゆっくりゆっくり通過していく。先頭の電気機関車が通過した直後、その信号の色は赤に変わった。レールのつなぎ目で、「ガタン、ガタン」と車輪が大きな音を立てる。つなぎ目がちょっとだけきしんでいるようにみえた。

 モスクワ駅にお参りした後、外では雨が降り始めた。帰り道、いつも利用しているマヤコフスカヤ駅にもお参りに行った。ついでにまた駅構内でドライフルーツを買う。「100グラムか?」と聞かれ、「そうだ。」と私が答えると、店員は棚に置いてある大きな袋の中から、小さなスコップでドライフルーツを取りだし、デジタル重量計の上に置いたビニール袋に少しずつ入れていく。その重量計は反応がワンテンポ遅く、物をのせてから0.5秒後くらいにようやく正しい重さを表示するようであった。4グラムのおまけがついて20ルーブル。

 帰宅後、夕食の際にナジェージュダやセルゲイらが誕生日祝いをしてくれた。ワインで乾杯し、プレゼントに象のマスコットと小さな写真立てをもらった。いつもながら、ホストファミリーの心遣いは大変ありがたい。

 夜はロシア語、英語と、西洋の歴史の勉強をした。

「少年老い易く、学成り難し」とは有名な漢詩の一節。長年朱子の作とされてきたが、実は、後世日本で作られたものらしい。いずれにせよ長い時を隔てた現代にも妥当する真実が、この短い詩の中によく凝縮されていると私は思う。小学5年の頃、まだ意味も十分に分からぬまま暗唱したこの漢詩が、今では私の境遇と重なって心に響く。何一つとして学を成さぬまま、また一つ年老いてしまった。そう思うと、幼少の頃のように、誕生日を手放しで喜んでもいられない。
 さらに学問に励まなければ。ロシアの北都で迎えた21回目の誕生日は、そんな決意を新たにした一日であった。そういえば、この漢詩は「已に秋声」という言葉で終わる。幸い、ペテルブルクの秋は長い。

  

一日早いサプライズ

2005-10-23 21:49:00 | Weblog
2005年10月22日
ロシア滞在52日目
【今日の写真:一緒に出かけた台湾人らと。クレストフスキー島の遊園地にて。】

今日の主な動き
09:50 出かける
09:54 インターネットカフェ
10:56 帰宅
11:04 朝食
11:37 出かける
11:43 マヤコフスカヤ駅
11:57 プリモルスカヤ駅 待ち合わせ後、折り返しマヤコフスカヤ方面へ
12:17 ガスティニードヴォル駅 乗り換え→ネフスキー通り駅
12:23 セイナヤプロシャチ駅 乗り換え→サドーヴァヤ駅
12:39 クレストフスキー島駅
   遊園地内を散策。
15:47 クレストフスキー島駅
16:09 サドーヴァヤ駅 乗り換え→セイナヤプロシャチ駅
16:18 ネフスキー通り駅 乗り換え→ガスティニードヴォル駅
16:25 バシレオストラフスカヤ駅
16:39 中華料理レストラン「唐人」
18:26 バシレオストラフスカヤ駅 間違えて反対方向の列車に乗り、プリモルスカヤで折り返す 
18:46 マヤコフスカヤ駅
18:58 帰宅

 昨日クラスの台湾人に誘われ、今日は午後から市内の島にある遊園地に出かけた。メンバーは台湾人8人と日本人2人。もう一人の日本人は同じく来年まで滞在予定のOさん。彼は私と同じ学年の人である。プリモルスカヤ駅で他のメンバーと待ち合わせた後、2回乗り換えてクレストフスキー島に到着。

 その遊園地、ディズニーランドとキャラクターや文字が似ているのだが、明らかに偽物。でもそれ以外は本格的な遊園地で、ジェットコースターや巨大ブランコ、空中でぐるぐる回転するマシンなど各種のいわゆる絶叫マシーンがそろっている。
 フリーパスを買おうかという話になったが、今日はやや寒いうえ、来週ハロウィーンでイベントがあるらしいので、今度来たときに買うことにした。今日はくもりで時折小雨がぱらつく天気のためか、人が少ない。中にはいくつも席があるのに一人しか乗っていない遊具もあり、「一人しか乗らなくても動かすんだな」と感心していたが、驚くのはまだ早かった。なんと誰も乗っていないのに盛んに動いているマシンを発見。「一体何のために?」と疑問に思っていると、Oさん、「練習してるんじゃない?」という説を提唱。なるほどあり得なくもないが、営業時間中に練習なんてするのだろうか。本当のところを知りたいものだ。
 アトラクションの料金は日本より安く、日本の半額以下くらいの料金で楽しめる。Oさん曰わく、「(ロシアのアトラクションは)別の意味で怖い」。すなわち、いつ分解したり、事故を起こしたりするか分からないということを彼は懸念していたが、私は逆にロシアの技術は高いと信頼している。なにせ世界に先駆けて有人宇宙飛行を成し遂げた国である。
遊園地のアトラクションごときで事故を起こすわけがない。
 120ルーブルでジェットコースターに乗ってみる。台湾人達はジェットコースターが下り始める前、ノロノロ上っているときから絶叫していた。日本でもそうだが、ジェットコースターの頂上というのは大変眺めが良く、公園内のまだらな紅葉が一望できた。その風景を楽しめるのがほんのわずかな時間しかないことが残念であった。次の瞬間ものすごいスピードで下り始める。前に乗っていた人の白い帽子が飛んだ。この辺りの迫力は日本のものと変わりない。
 次に巨大ブランコの前に行ってみたが、皆立ち止まってチケットを買いに行こうとしない。とりあえず様子を見ようという話になり、おばちゃんと子ども2人がブランコに揺られる様子を全員で眺める。180度よりも大きい揺れ方で相当怖そう。彼らの番が終わった後、行く人はいるのかと私がたずねたところ、皆躊躇して行こうとせず。結局私ともう2人だけトライすることにして、あとの7人はカメラを構えて見物モード。実際乗ってみると、やはり見て思ったとおり、非常に怖かった。

 雨も降り始めたことだし、園内のレストランで休憩することに。寒かったので、私はスープを注文し、テーブルで待つ。するとみんなが突然誕生日の歌を歌い始めたので何事かと思っていたら、私の誕生日祝いのサプライズだった。上手な日本語で「お誕生日おめでとうございます」と言ってくれた人もいた。これにはとてもびっくり。実は先日、台湾人の一人と話していて年齢を聞かれた際、それぞれの誕生日の話もしていたため、私の誕生日が明日であることを覚えていてくれたようだ。
 プレゼントはビールと、なぜかほぼ100パーセントクリームというデザート。ロウソクがないので、そのデザートの上にさしてあった細長いクッキーをロウソクに見立た。3つ願い事を思い浮かべ、そのうち2つを発表するよう言われた。突然のことで、どんな願い事をしたらいいか迷ったが、1つ目はロシア語が上手になること、2つ目はここにいる皆の幸せを願い、それを発表した。3つ目は慣習により発表しないので、ここにも記さず。
 帰りのメトロの中で、1人が、明日の誕生日には何をする予定かと聞いてきた。特に予定がない私は、「ロシア語の勉強をする。」と答えると、「(誕生日に勉強したら)願いが叶うだろう。」と言ってくれた。今日の皆の心遣いに、頭の下がる思いだった。

 その後みんなで遅い昼食なのか、早い夕食なのかわからないがレストランで食事。行き先は何かとよく利用する大学近くの中華料理店「唐人」。安くておいしく、ボリュームがある。
 初めて会った人も多かったので、名前を聞いたり、いつまでいるのかたずねたり、話題には事欠かなかった。今日初対面の台湾人はいずれもロシア語専攻だが、日本語の学習歴もあるようで、意外に日本語の単語を知っていた。

 18時過ぎにレストランを出る頃には、辺りは既に薄暗くなっていた。
 バシレオストラフスカヤからメトロに乗ると、なぜか反対方向に動きだした。何事かと思って驚いたが、この期に及んで反対方向の列車に乗ってしまったようだ。乗る直前のホームの様子を思い出す。あれは確かに反対方向のホームだった。
 間違えた理由は簡単。エスカレーターを降りた直後、「唐人」から一緒に歩いてきた、プリモルスカヤ(私の行くマヤコフスカヤと逆方向)に帰るという台湾人が「この列車だ。」と言ってホームに入っていた列車に乗った。だから私の列車は反対ホームだと思いこんでしまった。いつも利用する駅なのに、思いこみでこんな間違いをしてしまうこともある。同じく列車を間違えた彼女はどう思ったのだろうか。次の授業で会ったら、この話になるに違いない。

 一つ年をとる前の、最後の日はこんな一日だった。   


イーゴルと遊ぶ

2005-10-22 15:26:27 | Weblog
ここ数日ブログの更新場所が日本センターでなく、インターネットカフェになっており、日本語でコメントの入力が出来ない状態になっています。コメントを下さった方、ありがとうございます。しばらくお待ち下さい。
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2005年10月21日
イーゴルと遊ぶ
ロシア滞在51日目
【今日の写真:イーゴルの蒸気機関車。こどものおもちゃはどこでも同じようだ。】

今日の主な動き
5時過ぎ頃 起床
08:32 出かける
08:39 マヤコフスカヤ駅
08:50 バシレオストラフスカヤ駅
09:01 学校
12:49 韓国料理のレストラン
15:44 日本センター
16:14 ガスティニードヴォル駅
16:23 マヤコフスカヤ駅
16:36 帰宅

 今朝は8時半頃に家を出る。天気が良くないこともあってか、まだ薄暗かった。バシレオストラフスカヤ駅に到着し、エスカレーターに並ぶと、驚くことにいつもの押し合いがない。しかも私の数メートル後で人の列が切れ、隣のエスカレーターはガラガラになった。あれだけ大量の人は一体どこへ行ったのか。かえって気味が悪かった。

 学校では、「AとBは~の点で異なる」という形を8つ勉強し、ひたすらその形を使う練習をした。隣の人に2つ比べる物を挙げ、その相違点を答えるというパターン。私の隣の台湾人は、「ロシア料理と日本料理は何が違うか?」なんて問題を出してきたから、私は答えに困った。
 すると料理の話が始まり、みんなで知っているロシア料理を挙げようということになった。ブリーニー、ピロシキ、スメタナ、カーシャなどはロシア料理なのだが、ボルシチがウクライナ料理、ペリメニ(小型肉入り餃子)が中国料理、シャウルマがコーカサスの料理だということは意外だった。
 そして私の答えは、「日本人は魚を大量に食べるが、ロシア人は魚より肉を好む」。実はこの答え、先生に誘導されて出したものだから、100パーセント私の考えではない。「日本人は魚好き」というのはロシアでも有名なようである。

 昼、クラスの人に誘われて韓国料理のレストランへ行くことに。近くへ行くマルシュルートカがあったのだが、人数が多かったためみんな乗ることが出来ず、私と韓国人2人は車をつかまえ、レストランに向かった。車といってもタクシーではなく、個人の車。ここでは道路で手を横に出して合図していると、止まってくれる車がある。値段は交渉次第。今回は3人で100ルーブル。マルシュルートカより高いが、日本のタクシーの相場から考えると激安だ。
 運転手はさすがこの町で車を運転しているだけあって、かなりあらい運転だった。右折して比較的小さな通りに入ったとき、道路の両端に路駐車がたくさんあったため道幅が狭くなり、実質的に対向車の一方通行状態になっていた。どうするんだろうと思って見ていると、後退するでもなく対向車に向かっていく。路駐車の間の空きスペースを上手く活用しながら、ハンドルをぐるぐる回して切り抜けた。実に見事な運転に感心したが、こうやっていかなければここの車社会では生きていけないのかもしれない。

 韓国料理のレストラン、ハングルのメニューが出てきたときには全く読めず参ってしまったが、ついでなので、韓国人にハングルは何文字あるのか聞く。メニューを一見したところかなりの種類がありそうだったが、意外にも基本形は28文字しかないのだそうだ。その28文字を2つか3つ組み合わせて1つの文字を表すのだという。何でも最初はそうだが、さっぱり読めない文字というのは自分にとって暗号みたいで、恐ろしささえ感じてしまう。それだけに、ロシア語のメニューが出てきたときには少し安心した。ロシア語のメニューのほうが、少しでも分かるだけまだましである。
それにしても韓国料理は辛いうえ、肉なども独特の味付けで、まずいということはなかったが、普段なじみのない私は違和感を覚えた。金属製の箸を使ったのも初めてだった。

 夜、家にイーゴルが来ていて、夕食後、彼と蒸気機関車のおもちゃで遊んだ。機関車につまづいて脱線させたり、円形状のレールを持ち上げて折り曲げようとしてみたりといったしょうもない仕事もしてくれたが、機関車と客車、貨車をつないで走るのを喜んで見ている様子は私の幼い頃と全く同じだ。そんなことを思いながら、何だかんだで私も彼との機関車遊びを楽しんだ。そんな私の様子を見て、ナジェージュダが「部屋に持っていって遊んでもいいよ。」と言ってくれたが、さすがに一人で電車遊びをする年齢ではなく、「イーゴルが来たときだけ、彼と遊ぶ。」と笑いながら言った。
その後、最近さぼりがちだった日記に、機関車遊びのことを書いた。機関車で遊びながら、セルゲイが「石炭」「蒸気機関車」などといった新しい単語を教えてくれたので、そのことについても日記に記す。ナジェージュダは、添削後、「昔はロシアでも蒸気機関車が走っていた」と教えてくれたので、「いつ頃まで走っていたのか?」と私がたずねた。 するとセルゲイとナジェージュダで蒸気機関車がいつまで走っていたかについて論争になり、どっちの話を信用して良いことか分からなかった。セルゲイがいなくなった後、ナジェージュダは「彼の話は聞くな。」と言って「ペテルブルクではないが、1980年から1990年くらいまでロシアでは蒸気機関車が走っていた。」と教えてくれた。もしこっちが本当なら、かなり最近まで蒸気機関車が活躍していたことになる。
 ロシアの広大な大地に重厚な蒸気機関車、あまりに似合いすぎるその光景が、私の脳裏に浮かんだ。
 


ロシア語を学ぶ=新幹線の旅

2005-10-22 15:22:10 | Weblog
2005年10月20日
ロシア滞在50日目
【今日の写真:通りの真ん中に取り残された人。ネフスキー大通り、マヤコフスカヤ駅前で】

今日の主な動き
07:25 出かける
07:31 インターネットカフェ
07:59 帰宅 朝食
08:30 出かける
08:37 マヤコフスカヤ駅
08:48 バシレオストラフスカヤ駅
09:00 学校
12:39 大学の通りの店
12:48 レストラン"Be Happy"
13:19 コピー屋
13:31 バシレオストラフスカヤ駅
13:39 ガスティニードヴォル駅
13:51 日本センター
15:48 ネフスキー通り駅
15:56 マヤコフスカヤ駅
16:09 帰宅
16:23~17:16 ジョギング 約10.4km
 マヤコフスキー周回コース8周(左から周回、LAP、SPLIT)
 1 6分28秒12 
 2 7分03秒52 13分31秒64
 3 6分52秒51 20分24秒15
 4 5分51秒45 26分15秒60
 5 6分58秒90 33分14秒50
 6 7分27秒68 40分42秒18
 7 6分54秒25 47分36秒43
 8 5分48秒31 53分24秒74
 
17:19 ロシア版マック
17:32頃 帰宅

 今日はロシア滞在50日目。その記念すべき日を、今までで一番激しいバシレオストラフスカヤ駅の押し合い合戦がお祝いしてくれた。朝いつものようにメトロを降りると、どういうわけかいつもより倍近い(ように感じた)人がいて、エスカレーターのはるか手前からものすごい圧力で押される。次々に列車が到着し、混雑は激しさを増すばかり。
 少しずつエスカレーターに近づきながら、まずいことに気づいた。このまま前へ進むと、左右のエスカレーターを分ける鉄棒へ一直線。そこに押しつけられた日には大変なことになる。今日も若い女性が引っかかって悲しそうな表情だった。私は頑張って隣の人を押して鉄棒を回避したつもりだったが、抱えていたリュックのひもが引っかかってしまった。「しまった」と思ったが、後ろからの容赦ない圧力のためなかなか取れず。このままだとリュックがちぎれてしまうと焦り、必死に流れに逆らっていると、後ろの男性が手伝ってくれたのか、邪魔だからどかそうと思ったのか知らないが、引っかかった部分を取ってくれた。
 そんなこともあったため、到着から地上に出るまでの所要時間は9分。メトロに乗っている時間よりも長い。余裕を持って家を出たつもりだったのに、学校へ着いたのは9時ちょうど。朝から冷や汗だった。

 学校で、先生が新聞を見せながら、有名な歌手がロシアにやって来るという記事を紹介した。私は知らない人だったが、台湾人は知っていた。かなり有名らしい。トラックに160トンの荷物を積んでくるらしく、中身は何だろうか、思いつく物を挙げてみよという話になった。
 私がとっさに思い浮かべたのは楽器。でも楽器なんて単語は、英語しか知らない。ロシア語で何て言うんだろうと思いながら、とりあえず英語をロシア語っぽく「インストゥルメント」と発音してみた。すると先生が分かってくれて、ロシア語でもインストゥルメントなのだということを教えてくれた。
 実はロシア語と英語の単語が似ている、あるいはほとんど同じという例は数え切れないほどたくさんある。最近使った単語を例に挙げると、

 銀行:банк(バンク) 〔英語(以下同)bank〕 
 学校:школа(シュコーラ)〔school〕
 駅:станция(スタンツィヤ)〔station〕
 組織:организация(アルガニザツィヤ)〔organization〕
 統計学:статистика(スタティスティカ)〔statistics〕
 移民:иммиграция(イミグラツィヤ)〔immigration〕
 不安定な:нестабильный(ニスタビリニー)〔unstable〕 など。

 これらはほんの一例。「銀行」なんて単語はそのまま同じだし、「学校」も似ている。また、ロシア語の”-ция”が英語の"-tion"に相当することを知っていれば「駅」「組織」「移民」などもほぼ同じことに気づく。
 さらに、「不安定な」は一見あまり似てなさそうだが、”не”が否定を表し、”-ный”が形容詞の語尾だと分かれば、真ん中が英語の"stability"と似ているから、これらのことから意味を推測するのは容易である。この単語は実際にこうして意味を推測した単語だ。

ヨーロッパの言葉はどこかでつながってるんだなということを実感する今日この頃。単語もさることながら、文法の仕組みが似てるなあと思うこともある。例えばロシア語の動詞の完了体・不完了体は英語の完了形に、主格・対格・生格はそれぞれ英語の主格・目的格・所有格によく似ている。もちろんロシア語独特の単語、文法もたくさんあるが、こうやって共通点を見つけながら勉強するのは楽しいし、理解もはやい。

「第2、第3外国語を勉強するときはゼロからのスタートじゃない」と言われるが、全くもってその通りだと思う。中学1年で英語を勉強し始めてから8年半、この道のりはやたら長かった気がするが、思うにそれは日本語とまるっきり異なる言葉だから。中学、高校時代に手取り足取り教えてもらった英語の勉強は、例えれば青春18切符で各駅停車を乗り継ぐ旅だった。それに対してロシア語の勉強は新幹線の旅に似ている。乗車券はやる気、特急券は英語を勉強したときに得た文法力、語彙力、学習法。大学でロシア語への情熱に溢れた優秀な先生方に会えたことも大きい。
 本格的にロシア語を勉強し始めてからまだ約1年半だが、気がつくともう既に、英語でいえば高校レベルの長文を読み始めている。
 そして滞在50日目の今日も、レストランの店員やホストファミリーにロシア語を誉められたことが嬉しくて、またやる気がUP=乗車券の距離がのびた。

 話は変わって【今日の写真】について一言。交差点を渡り、途中で赤信号になって(あるいは赤で渡ってみたが車が動き始め)足止めを食らうと、写真のような状態になる。ようやく写真を紹介することが出来た。もっとたくさん人がいると島みたいなのができるのだが、今日は4人だけだった。

 帰宅後、ジョギングへ。2日に一度のジョギングも、習慣として定着してきた。4周目と8周目はやや速めに走って5分台。同じ距離なのに、所要時間は一昨日のジョギングより約10分短縮。一昨日が遅すぎたということもあるのだが。
 走後、アイスを食べて帰る途中、12日に会った靴屋のチラシまきのおばちゃんに再び出会う。今度は反対側の通りでチラシを配っていた。向こうも覚えていてくれて、今日も走ったことなどを報告した。
 ジョギングも10kmをこえると良い運動になる。朝早くから活動していたので、夜20時過ぎには寝てしまった。