ロシアの北都 サンクトペテルブルク紀行

2005年秋から留学する、ロシアのサンクトペテルブルク(旧レニングラード)での毎日を記します。

minorityの気持ち

2005-10-19 18:19:13 | Weblog
2005年10月17日
ロシア滞在47日目
【今日の写真:洗濯屋カフェのテーブルに灯されたロウソクの明かり】

今日の主な動き(今日からジョギングのタイムとコースは「今日の主な動き」に掲載)
08:54 出かける
09:01 マヤコフスカヤ駅
09:12 バシレオストラフスカヤ駅
09:22 学校
12:18頃 事務室で新しいビザをもらう
12:55 バシレオストラフスカヤ駅
13:04 ガスティニードヴォル駅
13:19 洗濯屋カフェ
13:43 日本センター
16:30頃 洗濯屋カフェ
18:04 ネフスキー通り駅
18:15 マヤコフスカヤ駅
18:26 帰宅
18:34~18:54 ジョギング 約3km
 マヤコフスキー周回コース約2.8周(左から周回、LAP、SPLIT)
 1   7分13秒17 
 2   7分26秒30 14分39秒47
 2.8 6分06秒45 20分45秒92

19:02 帰宅
19:05 出かける
19:08頃 薬局で水を買う
19:15 帰宅

 3日連続の良くない天気。午後、グレーの寒空の下、カザンスカヤ通りを歩く。

 洗濯屋カフェで洗濯物の乾燥を待つ間、ソファーに腰を下ろす。顔見知りの店員が太い、短いロウソクをテーブルの上に置いて、明かりを灯してくれた。どうしたことかと思い、天井を見るとランプが取り払われていることに気づいた。
 カウンターでスプライトとドライフルーツを注文。メニューにある50ルーブルのドライフルーツを気に入っているのだが、量が多いので、今日は頼んで半分の量で25ルーブルにしてもらう。 
 
ロウソクの明かりで、メモノートに書いたこれまでの記録をパラパラと読み返しながら考える。

 ロシアで生活し始めて早1ヶ月半。ここでの暮らしにも慣れた。多くの人々の温かい心遣いに接してきたこの町、ペテルブルクを私は大変気に入っているが、いつも感じていることがある。一言で言うならば、タイトルにした「minorityの気持ち」。ここで私が用いる"minority"、すなわち少数派とは、ロシア人、広くはヨーロッパ人に対して私達日本人、アジア人のことを指す。
 通りを歩く、地下鉄に乗る、レストランで注文する、店で買い物をする。日常生活のあらゆる場面で日本人である私は少数派であり、顔や髪を見れば、大多数であるロシア人(に加えて、区別がつかないヨーロッパ人)との違いは一目瞭然である。ペテルブルクはロシア第二の都会だし、外国人も多いから町の人々も見慣れているだろうが、彼らロシア人にとって、私達はどういう存在なのかと気になることがたまにある。
 例えば、先日H谷さんと行った、大学近くのイタリアンレストランでの出来事。私とH谷さんが先に注文しているのに、後から来たロシア人の方が早く料理をもらってレジへ行った。違うメニューだし、こんなことは日本でもよくあることだ。しかしその時H谷さんが「イナストランティ(外国人)だからかなぁ...」とぼそっと一言呟いた。まさかそんなことはと思ったが、「もしかして」と考えてしまう。日本にいたならば全く考え得ないことである。

 海外(特に欧米)に留学中の人や、生活経験のある人は、良くも悪くも私達が「外国人」として見られる感覚を、身を以て感じていることと思う。その点ではロシアに留学している私も全く同じなのだが、ペテルブルクに限って言えばこれにさらにオプションがつく。 それはヨーロッパ人以外の人種を排斥しようとする「スキンヘッド集団」の中心が、まさにこのペテルブルクにあること。アジア人やアフリカ人が襲われたという例はあちこちからよく耳にするし、外務省も注意を呼びかけている。ホストファミリーも、私はヨーロッパ人じゃないから特に夜は十分気をつけるようにと注意してくれる。不思議と、ここで日本人が被害にあった話は聞かないが、もし容貌だけを見て襲ってくるならば日本人とて対象外ではないのではないか。そのため通りを歩いているときなど、変な者につけられていないか、時々振り返って確認することが必要である。
 もっとも、過剰に萎縮するのは良くないことは先日書いたとおりだし、私も活発に動くつもりである。ただ記録しておきたいことは、明らかに日本では感じたことのない、minorityの気持ちを、日常生活で大なり小なり感じずにいられないということ。多数派とは人種の異なる者として受ける周囲からの目と、良くも悪くもそれに対する複雑な感覚。さらには、被害に遭う蓋然性は低いのだろうが、いつ襲われるかもしれないという不安感を、100パーセント払拭することはできない。

 もっとも、私がminorityでいるのはペテルブルクにいる間だけ、いわば期間限定minorityというわけで、日本に帰ればmajorityとしての生活が再開される。しかし、minorityというのは、何も外国人に限ったことではない。日本にいる日本人であっても、少数派として、同じように周囲からの目を気にしたり、時に不安を感じたりしている人が多数いるはずだ。例えば障害を持つ人、劣悪な家庭環境などが原因で、十分な教育が受けられなかった人、いろいろな意味で「弱者」と呼ばれる人々などなど。そういう人々が感じる気持ちは、私がここで感じるminorityの気持ちよりもずっと大きく、恒久的なものなのかもしれない。
 私達は幼い頃から、家庭で、学校で、「人の立場に立つ」ことの重要性を教えられてきたが、口で言うのは簡単。正直ここで実際にminorityになるまで、私が少数派の気持ちを分かったことはなかったと思う。

 今日偶然日本センターで読んだ『週刊朝日』10月7日号に「日本の刑事裁判は死んだ」というタイトルのインタビュー記事が載っていた。多くの死刑事件の弁護を担当し、オウム真理教松本被告の元主任弁護人でもある安田好弘氏が、『「生きる」という権利』(講談社)という手記を出版したそうで、それに関連してのインタビューである。その中で安田氏は、「被害者、加害者になるのはたいていが「弱い人」たちなのである」「いまや裁判所は検察側の代理人」など、刑事事件・裁判の悲しい現実を語っていた。
 狭い世界しか知らず、弱い人、少数派の気持ちを微塵も理解し得ぬ司法官僚が、権力に迎合してうわべだけの正義を振りかざす裁判がろくなものにならないことは、私も多くの実例を通して知っている。私が常々持っている問題意識とまさにぴったり一致するテーマの本が出版されることを知り、大変嬉しくなったが、それ以上に、私のような一学生がここで感じていることと、今の日本の司法に携わる人々にとって必要なことが共通しているのだなと思うと、深い感慨を覚えずにいられなかった。

 私の好きな言葉に、「無理・無駄・無茶なこと」というのがある。一年の頃から体育やつくばマラソンの授業でお世話になり、私が尊敬するN倉先生がよく使う言葉。先生の話を聞いているうち、この言葉はいつの間にか、私の座右の銘にもなった。 
 率直に言って、私が将来成さんとしていることにとって、このロシア留学は「無駄」のように見えなくもない。ロシア語を使う仕事に就くわけでもなく、ロシア語が将来、直接役に立たなくても、それはそれで良いと思っている(もちろん、何らかの形で私のロシア語が必要になるならば、望外の喜びであるが)。それならばわざわざ卒業を1年遅らせ、親に負担をかけてまで留学なんてしてないで、さっさと公務員試験なり、司法試験なりの勉強をした方が一見合理的である。
 しかし貴重な大学時代を試験勉強のみに費やすつもりは私にはない。今までそうやって合格してきた人間のうち、少なからぬ人々が視野の狭い、悲しい法律家になっていることを知っているから。
だからこそ私の目標からすれば一見無駄とも見える留学を経験することで、視野を広げ、言葉を学びながら教養を深めたいと思っている。その過程で意外にも体験することになったminorityの気持ち。この貴重な経験は、この留学で得た財産として、一生忘れずにいよう。
 
 寒空の日、洗濯屋カフェのロウソクの明かりは、私がこんなことを考えるのに十分な明るさと暗さを提供してくれた。25ルーブルのドライフルーツ、最後のひとかけらを口に入れる。
 帰り道、カザン聖堂の前で鐘の音を聞いた。その音の源がどこだか分かるほど、私はまだこの町を知らない。