ロシアの北都 サンクトペテルブルク紀行

2005年秋から留学する、ロシアのサンクトペテルブルク(旧レニングラード)での毎日を記します。

4台目のデジカメ

2005-10-04 18:56:39 | Weblog
2005年09月27日
ロシア滞在27日目
【今日の写真:ライトアップされたスパス ナ クラーヴィー聖堂(今日の写真から3万番台のファイル名)】

今日の主な動き
07:31頃 起床
08:43 出かける
08:50 昨日と同じ路上ATM
08:53 マヤコフスカヤ駅
09:05 バシレオストラフスカヤ駅
09:17 学校
12:22 バシレオストラフスカヤ駅
12:29 ガスティニードヴォル駅
12:40 日本センター
13:30頃 サドーヴァヤ通り、ガスディニードヴォル向かいのカメラ屋
     デジカメを購入
13:55 ガスティニードヴォル駅
14:03 マヤコフスカヤ駅
14:15 帰宅
14:39 出かける
14:47 マヤコフスカヤ駅
14:58 バシレオストラフスカヤ駅
15:39 スティーブン、A子とともに駅近くのカフェ
16:59頃 バシレオストラフスカヤ駅
17:10 ガスティニードヴォル駅
17:56 カザン聖堂向かいのインターネットカフェ
18:30頃 カザン聖堂前の噴水のベンチで軽食
18:55頃 ムッソルグスキー劇場 T口さんとともにバレエ『ロミオとジュリエット』を    鑑賞
22:23 ガスティニードヴォル駅
22:31 マヤコフスカヤ駅
23:08 モスクワ駅近くのバー"Fish Fabrique"
   スティーブン、クリスチャン、エイブリらと語る

 デジカメ盗難から一週間が経過。カメラ無し生活もそろそろ限界が近づいてきた。保険の手続きとともに、新しいデジカメを日本で買って送ってもらうか、ロシアで購入するか検討してきたが、日本から送ってもらうのでは危険なうえ、数千円程度の値段の差ならば保険をかけるとかえって高くなる可能性があり、日数もかかるのでこちらで買うことに。同じ機種のカメラが日本で5月に買ったときより3000円程度高いのだが、私にとってデジカメが使えないことによる逸失利益は日を重ねる毎に大きく、早々に購入すべきと判断。日本の両親とも連絡をとり、今日購入することに決定。
 朝、昨日と同じATMで現金を引き出し、学校が終わってから、先日値下げ交渉に失敗したサドーヴァヤ通り沿い、ガスティニードヴォル向かいのカメラ屋へ行く。SONY、Canonなど、日本製品がずらりと並んでおり、日本の技術がこうして世界で通用していることに誇りを感じた。他のメーカー、機種のカメラを買うつもりはなく、はじめから盗まれたのと同じDSC-W7を買うことに決めていた。
 セルゲイという店員は大変丁寧に説明してくれて、時計や、一緒に買ったメモリースティックのセットもしてくれた。
 ところで、今日購入するデジカメ、私にとっては中1の秋から使い始めたフロッピーに記録するタイプのカメラ、高3の夏に買ってもらったサイバーショットDSC-P9、今年5月購入のDSC-W7に続いて4台目になる。これまでの3台は、いずれも1枚目(ファイル番号00001番)は私自身が被写体になるという慣例があり、今回も慣例にしたがって最初の写真には私がうつるはずだったのだが、店員が「こうやって撮れる」とシャッターを押して隣の店員の写真を撮ってしまった。8年来の慣例があっさり破られてしまい、何ってこったと思ったが、親切にやってくれたこと。これも良い記念だと思い、「その写真を残しておきたい」旨伝える。
 このカメラ、日本で買ったものと唯一違うのは、言語が多数選べること。スウェーデン語、ロシア語、ポルトガル語、オランダ語、イタリア語、フランス語、スペイン語、オランダ語、英語の9カ国語が入っているという優れもので、完全にヨーロッパ向け輸出用であることがわかる。「どの言語にする?」と聞かれ、最初は英語にしておこうかと思ったが、ロシア語が出来るんだぞと店員にアピールするため(?)「ロシア語」にセットしてもらう。説明書もロシア語、英語を含むいくつかの言語で書かれており、貴重な物を手に入れたものだと思った。カメラ本体とメモリースティック(256MB)、盗難防止に首にかけるケースを買って合計13040ルーブル。メモリースティックがやや高めだった。
 その後先日カメラを盗まれたのと全く同じ駅、同じ入り口から同じ区間地下鉄に乗る。
また盗まれたら今度こそ地下鉄トラウマになってしまう。盗めるものなら盗んでみろといわんばかりに厳重に警戒してカメラを運んだ。

 帰宅してまた出かけるとき、セルゲイが靴の修理をしていた。おもしろいなあと思って見ていると、「私達ロシア人は何でも自分たちで作るのだ」と言って作った物を見せてくれた。驚くことに居間の棚やドア、椅子から部屋の2階に至るまで全部手作りなのだそうだ。どれくらい時間がかかったかたずねると、「とても長い時間かかったよ」と笑っていた。いずれも日本でならば簡単に買って済ませてしまいそうなものばかりだったが、手作りの分愛着もあるのだろうと思った。

 午後、スティーブンに日本人を紹介することになっていた。はじめはT口さん、I本さんも来る予定だったが、2人ともパスポート騒動で大学との交渉があり、A子と私と3人でバシレオストラフスカヤ駅近く、スティーブンおすすめのカフェへ行く。

 それからまた地下鉄に乗ってカザン聖堂向かいのインターネットカフェへ。日本語が入力できることで有名だが、私が行くのはこれが初めて。入り口を入ると左がカフェ、右が電話の店になっていた。最初間違えて右に入り、店員にテレフォンカードみたいなものをすすめられる。店員は英語も上手に話せた。それによると公衆電話から国際電話もかけられるそうで、とても安いから買うようにとのこと。結構大きな店だし、怪しい感じはしなかったが、側で別の店員と相談していたアメリカ、ロサンゼルス出身だというおばちゃん、「私も先日それ買ったんだけど動かなかったからやめた方がいい」と教えてくれた。国際電話が本当に安くかけられるカードならば欲しかったが、やっぱりそんなことかと思い店を出る。     
 
 今夜はT口さんとバレエを見に行くことになっており、19時ちょっと前にムッソルグスキー劇場へ行く。金曜から立て続けにオペラ、バレエ三昧だが、T口さんが30日に帰国するため日程をつめたのである。
 チケットの指定席より真ん中の方が空いていたのでそちらへ移動して見る。休憩時間、売店に売っていたデザートを買ってみる。生クリームが柔らかくなく、納豆みたいな不思議な風味がした。

 バレエの後、スティーブンの誘いでモスクワ駅近くのバーに行く。先日会ったスイスのクリスチャンが明日帰国するため、そのお別れパーティーも兼ねてみんなで飲む。スティーブン、クリスチャン、アメリカからのエイブリに加え、イギリスからのゼインと、もう一人これからシベリア鉄道で旅行に行くというイギリス人らが参加。彼はロシア語はおろか、キリル文字すら読めずに一人でシベリア鉄道に乗るという勇者で、ロシア語を4年間やっていたゼインが重要な言葉をノートに書いて教えていた。
 今日は年金問題や日本の技術の進んでいることなどをテーマに、主にゼインとよく話をした。彼らはあらゆることを知っていて、話を聞いていておもしろい。
 さらに、ここでは国籍問わず母国語と英語は当然で、ほとんどの人がフランス語やロシア語などいろいろな言語を使えるということを知った。スティーブンとゼインの会話が、突然英語からフランス語になったときは驚いた。ヨーロッパでは、外国語は教養として、特に知識人には必須条件なのかもしれない。英語が母国語のエイブリが「1.5カ国語(英語とロシア語)しか話せない」と恥ずかしそうに話していたのが印象的だった。

バス VS 俺

2005-10-04 18:47:54 | Weblog
2005年09月26日
ロシア滞在26日

今日の主な動き
06:44 起床
08:36 出かける
08:41 ケンタッキーのATM
08:59 マヤコフスカヤ通りのATM
09:02 マヤコフスカヤ駅
09:13 バシレオストラフスカヤ駅
09:24 学校
12:27 事務へ行く。ホームステイ費用支払い
12:58 学食で昼食
13:32 バスでカザン聖堂前へ
13:34 日本センター
15:46 ネフスキー通り駅
15:52 マヤコフスカヤ駅
16:01 帰宅
16:08頃 出かける
16:32 日本センターでT口さんと待ち合わせ
17:01 ネフスキー大通り沿いのレストラン T口さん、H谷さんとともに夕食
19:03 マリンスキー劇場 オペラ『トゥーランドット』を鑑賞
22:40 ネフスキー通り駅
22:50 マヤコフスカヤ駅
23:03 帰宅

 9月分のホームステイ費用が28日で切れるので、今日10月分を支払おうと思い、学校へ行く途中、ATMに寄る。いつも使うケンタッキーのATM、店の中だから人通りも多くなく、安全なので気に入っている。例によってカードを挿入し、暗証番号と金額を入力する。ところが、「しばらくお待ち下さい」の画面がやたらに長い。朝だから機械もまだ休んでるのかなと一瞬思ったが、だったら電源からして入っていないはず。もしやこのATM、実は噂に聞いていた「カードを吸い取るマシン」なのかと心配したが、しばらくすると時間切れになり、カードだけが戻ってきた。ロシアだからこんなこともあろうと、もう一度同じことを繰り返すがカードが戻ってくるだけ。仕方なく携帯からATMに書いてある番号に電話をしてみるが話し中。私の携帯電話は国際電話の発信が出来ないのだが、国内へはつながるのかどうか不明。何度電話しても話し中で、本当に話し中なのか、私の携帯の不調なのか分からず。
 ATMの操作を3回やってだめだったので諦めて外へ。仕方なくマヤコフスカヤ通りのATMを使う。マシン自体が外にあるので、周囲に不審者はいないか、周辺に暗証番号等の撮影装置はついていないか一応確認してから使う。するとあっさりと10000ルーブル引き出せた。こんなことなら、はじめからここを使えば良かった。ATMとのにらめっこで朝の貴重な20分を費やしてしまった。

 授業後、別の建物にある事務室へ行く。コワレンコ先生は不在だったため、事務の人に「費用を支払いたい」と言うと「今日は月曜日で人がたくさんいるので明日ではだめか?」と聞かれた。他の用事ならそれでも良いのだが、約20000ルーブルの大金を持って満員の地下鉄をもう一往復するのは危険。ちょうど一週間前にデジカメを盗まれたばかりでもあり、それだけは避けたかった。今日払いたい旨伝えると、まもなく別の部屋に通され、だいぶ年老いた感じの男の人が応対してくれた。実はその男性、うちの大学で教えていたことがあるというユルコフ先生という人で、日本語も話せた。私がお世話になっているU先生のことも知っており、意外な人と会ったものだと思った。
  
 今日はT口さん、H谷さんとともにオペラを見に行く予定になっており、日本センターで待ち合わせ。その前に荷物を置きに帰宅する途中、地下鉄のネフスキー通り駅の改札隣の柵を飛び越えて入場する輩を発見。人混みの中での一瞬の出来事で、警察や係員を含め、気づいた人はほとんどいないようだった。たった10ルーブルの料金さえ払わないなんて、なんて奴だと呆れた。

 ネフスキー大通りにある、初めて入るレストランで少し早めの夕食をとりながら、H谷さん、T口さんと話す。私は先週デジカメ盗難騒動で大変だったが、2人もそれぞれ問題に直面しているようだ。H谷さんはインターネットで購入した1年オープンのはずの航空券が2ヶ月オープンになっていたため、航空会社や代理店との連絡に忙しく、T口さんは大学に提出したパスポートが本来返されるはずの日に返ってこず、今月30日に帰国するのに、「10月14日まで待て。もし早く欲しければ金を出せ」旨の要求をされたという。H谷さんの航空券問題は日本での問題だが、いずれにせよ3人ともそれぞれ何らかのトラブルに巻き込まれるハメに。「まあそれもロシアですから」とT口さんとともに笑えるようになった自分はもうすっかりロシアモードになっているなと感じた。

 先週の金曜に続いてオペラ鑑賞。今日はちょっと離れたマリンスキー劇場で『トゥーランドット』を見た。オペラで使っている言語がロシア語ではないらしく、ステージの上の電光掲示板にセリフがロシア語で表示されていた。いくらか分かる文章があった時には嬉しいもの。終了後、舞台の役者に向かって「ブラボー、ブラボー!」と盛んに叫んでいる人々がいたため、私とH谷さんも負けずに「ブラボー!!」と数回叫ぶ。こんな大声を出したのは久しぶり。マリンスキーで叫ぶなんて、良い記念になったと満足して劇場を後にする。

 マリンスキー劇場からネフスキー大通りに出るまでの間、3人で歩道を歩いていると後ろからバスに追い抜かされた。そのバスはまもなく右折のため減速したので、私だけ猛ダッシュでバスを追う。どうせここのバスはどこでも停留所みたいなもんだから、追いかけて捕まえれば乗せてくれるだろうと考えたのだ。しかし意外に追いつくのに時間がかかり、かつバスは再び加速し始めた。「俺のダッシュより早いなんて生意気な!」と思いながら数百メートル追いかけたが結局逃げられてしまった。車体がやたらでかいから大した速度ではないだろうと侮っていたが、結構速いということを知った。
 T口さん、H谷さんにはさんざん笑われたが、しばらく歩くとトランバーイ(路面電車)がやはり後ろから現れた。私の頭の中では〔電車>バス(一般化すれば 鉄道>車)〕なので、バスに負けた私がトランバーイに勝てようはずもないと思っていたが、H谷さんにすすめられて勝負を挑むことに。
 するとあろうことかトランバーイ、やたらと遅くて勝負にならない。車体もかなり古いようで、これ以上彼と勝負しては申し訳ないと思ったため早々にやめる。走るより遅い路面電車なんて、もっと速いバスがあるのにその存在意義がどこにあるのだろうかと本気で考えてしまった。
ネフスキー大通りに出て、一番近いガスティニードヴォルから地下鉄に乗る。夜は運転間隔が長いようで、先行列車が発車してから4分6秒後に次の列車が来た。
 マヤコフスカヤ駅に到着すると、ホームで笛を吹いている人がいて、きれいな音色が構内に響いていた。

 帰宅後、スティーブンと言語についての話になる。彼は今勉強しているロシア語の他に英語、フランス語がいずれも第一言語として使えるのほか、実はラテン語、ギリシア語もやっていたのだそうだ。彼によるとラテン語やギリシア語がもとになっている言語が多いため、ラテン語、ギリシア語を学ぶことによって言語を覚えることが容易になるのだという。
 彼はanthropology(人類学)という英単語を例に説明してくれた。それによると、ギリシア語で「アンソロポス」はhuman being、「ロゴス」(発音は不明。確かこんな感じ)はword, argumentという意味があり、それらが連結されてanthropologyという英単語が出来ている。なるほど面白いなあと思いながらさらに話を深めていくと、ギリシア神話や哲学の話になった。例えば、フロイトはギリシア神話の中に「人間の意識の発達する段階が現れている」ことを指摘したのだそうで、彼はその神話のあらすじも説明してくれた。よくこんなことを知っているなあと感心させられた。ちなみに、彼の専攻(予定)は言語学でも哲学でもなく、物理だそうである。
 そのうち日本語の話になり、日本語の動詞には活用形が6つあることを教えた。「6つということはロシア語と同じか?」と彼は興味を持ったようなので、「走る」という動詞を例に説明。日本語の動詞はフランス語やロシア語と違い、主語の人称と単複による変化ではないため「後ろに続く単語によって形が変わる」と説明するしかなかったが、彼にはなかなか理解しがたいらしい。例えば連用形について「後ろに動詞、形容詞が続く形だ」と教えると「動詞が2つ続くとはどういうことか?動詞をいくつまでつなげるのか?」と聞かれたし、連体形について「「走る」の後ろに名詞がくるとどういう意味になるのか?」とたずねられた。彼は英語で言うところのrun a house(家を持つ)を例に出し、これと「家へ走る」は区別出来るのかという質問をしてきた。「走る」を例にしたのもまずかったが、英語の他動詞に含まれる「~を」という意味は日本語では動詞それ自体にはないわけで、スティーブンが不思議がるのももっともだ。その他、格や語順についても簡単に解説した。 スティーブンの質問に答えながら、私達が無意識に使っていた言語はこんなにも面倒なものだったのかと気づいた。これでは外国人から見て、日本語が難しい言語と思われるのも当然であると思った。
 結局夜1時過ぎまで彼と話しこんだ。