2005年10月11日
ロシア滞在41日目
【今日の写真:モクモクと煙を出すゴミ箱(セイナヤプロシャチ駅前で)】
今日の主な動き
08:47頃 出かける
08:53 マヤコフスカヤ駅
09:04 バシレオストラフスカヤ駅
09:15 学校
12:25 クリーニング屋
12:28 バシレオストラフスカヤ駅
12:40 ガスティニードヴォル駅
12:56頃 洗濯屋
12:58 洗濯屋の向かいのカフェで昼食 その後再び洗濯屋へ
14:55頃 日本センター
17:45頃 洗濯屋
17:56 セイナヤプロシャチ駅前のスーパー
18:17頃 セイナヤプロシャチ駅
18:23 ネフスキー通り駅 乗り換え→ガスティニードヴォル駅
18:29 マヤコフスカヤ駅
18:41 帰宅
21:55頃から イーゴルの誕生日祝い
ペテルブルクのレストランでは、ファーストフードを除いて、料理に食べる順序があるのが一般的なようである。
今日も洗濯屋カフェの向かいにあったレストランでランチを注文すると、サラダ、パン、ボルシチ、メインディッシュのチキンとポテトの順に出てきた。そしてそれらを全部そろえて同時に食べるのではなく、出てきた順に食べないとさっさと片づけられてしまう。フルコースみたいなものである。
たまたま向かいの席に座った男性がメインディッシュを食べていると、まだ半分くらいボルシチが残っているのに店員はそれを持っていってしまった。慣れないうちはちょっとびっくりする習慣である。
洗濯屋へ行くと、どうやら機械の故障で水が出てこないらしく、アントンがそのことを説明してくれた。今日の夜か明日なら大丈夫だというので、洗濯物を預けることに。会話をしていると、彼は「最初に会ったときよりロシア語が上手になっている」とほめてくれた。自分では上手くなったのかどうか分からないが、こう言ってもらえるからには少しずつ進歩しているのだろう。そう思うと嬉しくなった。
洗濯屋を出て歩いていると、路上で靴下を売っているところを発見。しかもかなり安い。40ルーブルで5つセットになっているやつを買う。そこのおばちゃん、私に「日本人か?」と聞いてきた。一発で日本人と分かるとは、なかなか鋭い目をしている。
今日はホームスティ先のナジェージュダ、セルゲイの孫イーゴル(Егор)2歳の誕生日。ちょっとしたプレゼントを買っていこうと思い、セイナヤプロシャチ駅前のスーパーに寄った帰り、駅前の広場を歩いているとなんだか煙たい。まさかこんなところで焚き火をしているわけでもあるまいと不思議だったが、数秒後、その煙のもとが判明。なんとゴミ箱の中身が盛んに燃えており、そこから煙がもくもく出ていたのである(【今日の写真】参照)。
ここではゴミの分別がなされているわけもなく、人々は新聞紙、包装紙、ペットボトルなどあらゆる物を一つのゴミ箱につっこむ。そこに火のついたままのタバコの吸い殻まで入れるからたちが悪い。ゴミ箱が火災を起こすのも当然である。しかも駅前だけあって人通りが多く、周りに出店もあるのだが、火を消そうとする人は誰もいない。火災どころか、天然の焼却炉とでも思っているのだろうか。
いかにもロシアらしい光景を見たものだと思いながら、ふと、日本でゴミ箱から火が出たらどんな騒ぎになるだろうと考えてみた。こんな事で大騒ぎしていてはかえってそっちの方が滑稽だと思えてくるのは、私だけだろうか。
ロシアに来て以来、日本人の感覚とはかけ離れた「蛮行」の数々を目にする度に「さすがロシア」と時にはばかにし、時にはあきれてきた。が、最近かえって日本の方がおかしいのではと思うことも少なくない。アメリカでホームステイした時もそう感じたことがある。一言で言うなら、日本人は型にはまりすぎ、神経質になりすぎ、人の目を気にしすぎ。日本人の私でさえそう思う。それを今まで美しいと思ってきたこともないわけではない。しかし外から見れば、やっぱり変。それが「文化」だと言うなら、日本は相当居心地の悪いところである。狭い島国で心まで窮屈になっては他にとりえがないではないか。他国に留学している人々はどう考えているのだろう。あるいは、ロシアだけがあまりに変わってるのかな?
そんなことを考えながら乗った地下鉄、ネフスキー通り駅に着く際、いつものお決まりの車内放送がなかった。運転手が放送を入れ忘れたのだろう。地上の風景が見えない地下鉄では車内放送での案内が重要。ドアが開いた直後、”Невский проспект, следующая станця…”と録音の放送と全く同じことを、同じ口調で運転手が言っていたのがやけに面白かった。
夜、ナジェージュダ、セルゲイとともにイーゴルの誕生日祝いをした。が、両親とともに別の所に住んでいる本人は来ず、主役なしのささやかなもの。いつもの「健康のために」に今日は「イーゴルの」がついて”За здорвье Егора!”とウォッカで乾杯した。
たまにやってきてはその辺で悪さをしてよく怒られているイーゴルだが、彼のおかげで「触るな!」とか、「何やってんの!?」みたいな言葉を知ることが出来た。まだ言葉が話せる年齢ではないが、あと10年後、20年後にまたロシアに来て会ってみたいものである。
ロシア滞在41日目
【今日の写真:モクモクと煙を出すゴミ箱(セイナヤプロシャチ駅前で)】
今日の主な動き
08:47頃 出かける
08:53 マヤコフスカヤ駅
09:04 バシレオストラフスカヤ駅
09:15 学校
12:25 クリーニング屋
12:28 バシレオストラフスカヤ駅
12:40 ガスティニードヴォル駅
12:56頃 洗濯屋
12:58 洗濯屋の向かいのカフェで昼食 その後再び洗濯屋へ
14:55頃 日本センター
17:45頃 洗濯屋
17:56 セイナヤプロシャチ駅前のスーパー
18:17頃 セイナヤプロシャチ駅
18:23 ネフスキー通り駅 乗り換え→ガスティニードヴォル駅
18:29 マヤコフスカヤ駅
18:41 帰宅
21:55頃から イーゴルの誕生日祝い
ペテルブルクのレストランでは、ファーストフードを除いて、料理に食べる順序があるのが一般的なようである。
今日も洗濯屋カフェの向かいにあったレストランでランチを注文すると、サラダ、パン、ボルシチ、メインディッシュのチキンとポテトの順に出てきた。そしてそれらを全部そろえて同時に食べるのではなく、出てきた順に食べないとさっさと片づけられてしまう。フルコースみたいなものである。
たまたま向かいの席に座った男性がメインディッシュを食べていると、まだ半分くらいボルシチが残っているのに店員はそれを持っていってしまった。慣れないうちはちょっとびっくりする習慣である。
洗濯屋へ行くと、どうやら機械の故障で水が出てこないらしく、アントンがそのことを説明してくれた。今日の夜か明日なら大丈夫だというので、洗濯物を預けることに。会話をしていると、彼は「最初に会ったときよりロシア語が上手になっている」とほめてくれた。自分では上手くなったのかどうか分からないが、こう言ってもらえるからには少しずつ進歩しているのだろう。そう思うと嬉しくなった。
洗濯屋を出て歩いていると、路上で靴下を売っているところを発見。しかもかなり安い。40ルーブルで5つセットになっているやつを買う。そこのおばちゃん、私に「日本人か?」と聞いてきた。一発で日本人と分かるとは、なかなか鋭い目をしている。
今日はホームスティ先のナジェージュダ、セルゲイの孫イーゴル(Егор)2歳の誕生日。ちょっとしたプレゼントを買っていこうと思い、セイナヤプロシャチ駅前のスーパーに寄った帰り、駅前の広場を歩いているとなんだか煙たい。まさかこんなところで焚き火をしているわけでもあるまいと不思議だったが、数秒後、その煙のもとが判明。なんとゴミ箱の中身が盛んに燃えており、そこから煙がもくもく出ていたのである(【今日の写真】参照)。
ここではゴミの分別がなされているわけもなく、人々は新聞紙、包装紙、ペットボトルなどあらゆる物を一つのゴミ箱につっこむ。そこに火のついたままのタバコの吸い殻まで入れるからたちが悪い。ゴミ箱が火災を起こすのも当然である。しかも駅前だけあって人通りが多く、周りに出店もあるのだが、火を消そうとする人は誰もいない。火災どころか、天然の焼却炉とでも思っているのだろうか。
いかにもロシアらしい光景を見たものだと思いながら、ふと、日本でゴミ箱から火が出たらどんな騒ぎになるだろうと考えてみた。こんな事で大騒ぎしていてはかえってそっちの方が滑稽だと思えてくるのは、私だけだろうか。
ロシアに来て以来、日本人の感覚とはかけ離れた「蛮行」の数々を目にする度に「さすがロシア」と時にはばかにし、時にはあきれてきた。が、最近かえって日本の方がおかしいのではと思うことも少なくない。アメリカでホームステイした時もそう感じたことがある。一言で言うなら、日本人は型にはまりすぎ、神経質になりすぎ、人の目を気にしすぎ。日本人の私でさえそう思う。それを今まで美しいと思ってきたこともないわけではない。しかし外から見れば、やっぱり変。それが「文化」だと言うなら、日本は相当居心地の悪いところである。狭い島国で心まで窮屈になっては他にとりえがないではないか。他国に留学している人々はどう考えているのだろう。あるいは、ロシアだけがあまりに変わってるのかな?
そんなことを考えながら乗った地下鉄、ネフスキー通り駅に着く際、いつものお決まりの車内放送がなかった。運転手が放送を入れ忘れたのだろう。地上の風景が見えない地下鉄では車内放送での案内が重要。ドアが開いた直後、”Невский проспект, следующая станця…”と録音の放送と全く同じことを、同じ口調で運転手が言っていたのがやけに面白かった。
夜、ナジェージュダ、セルゲイとともにイーゴルの誕生日祝いをした。が、両親とともに別の所に住んでいる本人は来ず、主役なしのささやかなもの。いつもの「健康のために」に今日は「イーゴルの」がついて”За здорвье Егора!”とウォッカで乾杯した。
たまにやってきてはその辺で悪さをしてよく怒られているイーゴルだが、彼のおかげで「触るな!」とか、「何やってんの!?」みたいな言葉を知ることが出来た。まだ言葉が話せる年齢ではないが、あと10年後、20年後にまたロシアに来て会ってみたいものである。