ロシアの北都 サンクトペテルブルク紀行

2005年秋から留学する、ロシアのサンクトペテルブルク(旧レニングラード)での毎日を記します。

冬到来

2005-10-30 18:11:07 | Weblog
2005年10月26日
ロシア滞在56日目
【今日の写真:初雪の日のカザン聖堂。今日はベンチに憩う人々の姿は見あたらない。】

今日の主な動き
08:40 出かける
08:44 薬局
08:45 薬局を出て初めて、初雪に気づく
08:52頃 マヤコフスカヤ駅
09:04 バシレオストラフスカヤ駅
09:16 学校
12:29 大学の事務室のある建物
13:18 バシレオストラフスカヤ駅
13:29 ガスティニードヴォル駅
13:40頃 日本センター
14:50 ネフスキー通り駅
14:58頃 マヤコフスカヤ駅
15:14 旅行代理店「ゲルマン」
16:45 インターネットカフェ
17:35 郵便局
18:00頃 薬局
18:08 帰宅

 私の風邪は中期から末期にかけて鼻水が出るという特徴があるため、朝駅へ行く途中、いつもの薬局に寄ってティッシュを買う。薬局を出てびっくり。はらはらと雪が舞っている。まだ10月なのに、もう初雪だ。
 北の町とはいえ、こんなに早い時期に雪が降ることは全く予想外。それでもなぜか嬉しい気持ちになるのは、生まれてから18年間豪雪の町で暮らし、スキー、雪合戦、かまく
らづくりなど、幼い頃から私にとって雪が最上の楽しみの象徴であったからなのかもしれない。
 マヤコフスキー通り、ネフスキー大通りを通る頃にはまだわずかしか降っていなかったが、メトロを降りて、バシレオストラフスカヤ駅の外へ出る頃にはだいぶ激しくなっており、地面にうっすらと積もり始めた。

 授業の休憩時間、韓国人のスヒョンが、雪で遊ぼうと誘ってくれた。風邪を引いていることなど忘れて中庭に出る。台湾人は初めて雪を見るのだそうで、喜んで遊んでいた。降り始めの雪は、さらさらしていて固めにくい。かまくらづくりに使えないため、私や弟がよく「質の悪い雪」と呼んでいた雪質である。スヒョンらがその雪を丸めて小さな小さな雪だるまを作った。冬の到来をしみじみと感じた。

 朝降り始めたばかりなのに、昼前後には吹雪になっていた。初雪の日は何となく降ったか降らなかったのか分からない程度で終わる、というのが私のこれまでの常識。いくらロシアでも、初日からいきなり吹雪になるのはあまりに品がなくていただけないと思った。そんな中昨日支払えなかった残りの費用を支払いに、コワレンコ先生の部屋がある建物に行く。しかし先生は外出中で、2時間後にならないと戻って来ないと言われたため、今日は諦めて同じ建物内にある学食へ。
 昼時だけ会って、小さな学食は人でにぎわう。私が食べていると、同じテーブルに座った青年と後から来た青年が、何やら話を始めた。日常の初歩的な会話ならだいぶ聞き取れるようになったので、リスニングのつもりで彼らの会話を聞く。「雪がきれいだ」「今日は雪のせいで遅刻した」「先生も30分遅刻した」。そんなことを話していた。なるほど、雪が降ったことを早くも遅刻の言い訳に利用しているわけだ。もっとも、マルシュルートカやバスで通学している人には多少雪の影響もあったかもしれない。

 バシレオストラフスカヤ駅まで歩く途中、「バチバチ」という音がしたので上を見ると、強風にあおられてほどけた広告のひもが電線に接触し、火花をあげていた。大変危険だが、人々は一瞥するだけで、皆お構いなく通り過ぎていく。
バシレオストラフスカヤ駅に入って改札を通り、下りエスカレーターに乗る際、プチ押し合い状態が発生していた。下りも押し合いなんて勘弁してくれと思ったが、その原因はなんとエスカレーターが停止していたこと。停止していても、階段みたいなものだと思って多くの人は歩いて行くが、それが面倒な人はエスカレーターの右側に並んでつっ立っている。それが老人だけならまだ分かるが、若い人まで立っているから、改札付近は混雑がますます激しくなるわけだ。私もやむを得ず歩いて下るが、下に行くにつれて皆疲れてきて、人々の歩く速度が遅くなっていく。エスカレーターを降りるのに要した時間は3分以上。とてつもなく長いことをあらためて実感した。
メトロの車内に、今日はライト売りが乗ってきた。その青年は、今まで見た中で一番元気がいい売り子だった。列車が動き出すとその音に負けじと声を張り上げる。それだけでなく、実際にライトをつけてあちこち照らして実演して見せた。元気のないライト売りが車内でこんなことをしていたら皆怪しく思うだろうが、彼はとてもハイテンションだったので、その様子が大変滑稽で面白かった。残念ながらこの車両では売れなかったが、ガスティニードヴォル駅に到着すると、彼はすかさず隣の車両に移っていった。

 日本センターでのインターネットをいつもより早めに切り上げ、ゲルマンへ行く。ゲロニカに会うのは久しぶり。最初はいくつかロシア語で話したが、本題の旅行の件まで相談できるほどのロシア語力はまだないので、会話は主として英語になる。インターネットより安い交通手段やホテルをここで見つけられれば良かったのだが、彼女によるとインターネットの方が安いそうだ。それでも「3時間ならボンの空港で乗り換え出来る」「まだモスクワに行ってないなら、せっかくだからモスクワでも一泊した方が良い」「ヘルシンキには特に見るものがない」など、経験にもとづいて丁寧にアドバイスしてくれた。さらに嬉しいことに、ロシアに家族や友人を呼ぶときには、この旅行代理店から招待状を発行してくれると言ってくれた。
 ロシアは出入国が厳しいことで有名。1日だけでも入国する際はビザが必要だが、ビザを取る際、普通の旅行者は事前にホテルや交通機関などを全て予約し、その証明を領事館に提示しなければならない。要するに手続きが面倒なのである。しかしロシアに居住権のある個人や団体(会社、大学など)が発行する招待状があればそれらの予約は不要。この招待状は35USドルで発行してもらえる。招待状だけ売りつける会社は少なくないらしいが、ゲルマンでは600ルーブルで外国人登録の手続きもしてくれるという。したがって日本での手続きが簡単になるだけでなく、こちらで安いホテルを見つけたり、短期滞在用のアパートを借りるなど、より自由度が高い旅行が出来るというわけである。家族や友人だけでなく、これからロシアに来るときに私自身も利用できる。しかも短期の観光用のものから1年有効のマルチビザ(期間内何度でも出入国可能。私のビザも今はこれ。)用のものまで、用途に応じた招待状を出してくれるそうで、ありがたいことである。
 
 帰り道、いつものインターネットカフェと郵便局に寄る。スイスに帰国したスティーブンとクリスチャンに、初雪のことを知らせるメールを送り、郵便局では日本への手紙を送る封筒を買う。歩道に積もった雪は踏み固められ、中にはそこでそりを引いて遊ぶ兄弟もいた。

 夜、宿題をやっていると、私の鼻を心配してナジェージュダが鼻の上に貼る小さなテープをくれた。これで鼻水の症状が緩和されるらしいというので、ありがたく頂戴する。「(風邪を引いているのに)まだ寝ないのか?」と聞かれたが、こんな時に限って、提示された条件を含む手紙を書くという、一見簡単そうで結構大変な宿題が出ており、「今日は早く寝たいところだが、宿題をやらなければならない。」と話した。

 窓の外には風が吹いていて、だいぶ弱まったもののまだ雪がちらついていた。鉛色の空には雪が無尽蔵にあるようで、結局、一日中降り続いたのだった。
 人々の服装の変化、朝晩の冷え込みなどの様々な事象に秋から冬へという、季節の推移を見ることが出来る。これまで何日もそれを目で見て、肌で感じてきたが、不思議なことに、これまでも、これからも、なお秋から冬への「推移」という言葉を用いることが不適切でない程度にこの言葉の射程は広い。それゆえ季節の推移という言葉に一回性、具体性、記念性を求めることは出来ない。
 蓋し雪国には、秋と冬を明確に分かつ境界線があると私は考える。「昨日までは秋、今日からは冬」というように。言うまでもなく、その基準は初雪。この町が雪国なら、この基準が妥当する。私は日本をはじめ、世界各地からこのブログを見て下さる皆さんに大きな喜びを込めて報告したい。10月26日、ペテルブルクの冬が始まったことを。
 






 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿