ロシアの北都 サンクトペテルブルク紀行

2005年秋から留学する、ロシアのサンクトペテルブルク(旧レニングラード)での毎日を記します。

ロシア人達

2005-10-30 18:13:07 | Weblog
2005年10月30日
風邪はほぼ治りつつあります。またインターネットカフェからの更新のため、すぐにコメントできないことをご了承下さい。これから慣れない料理に挑戦してきます。

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2005年10月27日
ロシア滞在57日目
【今日の写真:スーパーマーケットの入口にあった気温表示。なぜか0度に「マイナス」がついている。その気持ちは分かるのだが。】

今日の主な動き
08:42 出かける
08:49 マヤコフスカヤ駅
09:01 バシレオストラフスカヤ駅
09:13 学校
12:25 事務室のある建物
13:07 コピー屋
13:15 バシレオストラフスカヤ駅
13:23 ガスティニードヴォル着
13:33 日本センター
16:49頃 ネフスキー通り駅
16:58 マヤコフスカヤ駅
17:14 ボスタニヤ通りの郵便局
18:14頃 ボスタニヤ通りのスーパー
18:22 帰宅

 朝の通学途中、バシレオストラフスカヤ駅でいつもの激しい押し合いに参戦。今日もかなりひどく、小さな子どもなら窒息してしまうのでないかと本気で心配するくらいの圧力だった。ようやく乗るエスカレーターを見定めた頃、下りのエスカレーターから降りてきた列の中を逆流して、先回りしようとしていた女性がいた。その女性がちょうど私の隣を追い抜こうとしていた時、下ってきた男が「どこへ行くのだ」といいうようにその女性の行く手を遮った。上りの列に戻るように促しているようだった。
 しかしそこで引き下がるくらいなら、最初から下りの列を逆流したりしないわけで、その女性も強引に抵抗する。すると周りにいた1人か2人も参戦してちょっとした小競り合いが始まった。誰がどちらの味方をしているのかよく分からなかったが、怒声が飛び交い、女性を制止した男に殴りかかろうとした者もいて辺りは騒然となった。私も含めて、周囲の人はみなその様子を注目していた。
 結局、その女性は今にも泣きそうな顔をしながらなおも逆流を続け、私の少し前に割り込んだのであった。こういうせこい輩を制止しようとした男性は立派だと思うが、女性の方も、簡単に引き下がらず、喧嘩に巻き込まれてまで下りの列を逆流し続けたその鉄の精神は賞賛に値する。しかも何だかんだで、普通に列に並ぶより少しだけ早くエスカレーターに乗れたのだから。それにしても、なぜ制止した男性が殴られそうになったのだろうか。この辺りは大いに謎である。

 昼、バシレオストラフスカヤ駅からメトロに乗る。今日は地図売りのおばちゃんが乗ってきて「すみませんが、静かなところお邪魔します。」と前置きして宣伝を始めた。一方的にべらべら喋ってくれるから、リスニングの訓練だと思って耳を傾ける。彼女の宣伝によると「新しい地図は40ルーブル」だそうで、意外と安い。やはりみんな安いと思ったのか、今日は1駅の間に3人ほどの乗客が地図を買っていた。そういえば私が持っている地図もそろそろ折り目が破れそうだったので、この機会に買おうと考えた。
 ガスティニードヴォル駅に着く直前、既に宣伝を終えてドアの側に佇立していたおばちゃんに声をかける。すると途端におばちゃんの表情が笑顔に変わった。私が地図を買うことをとても喜んでいるようだった。50ルーブル札を渡して10ルーブルのおつりをもらう。「これは新しい地図なのか?」と聞くと、”2005”と書いてあるところを指さして、「そうそう、新しい地図だ。」と言って私に地図をくれた。そしておばちゃんはその地図を広げ、「この地図はすごいんだ。ほら、全ての通りが載ってるんだよ。」と一生懸命説明する。私が「素敵な地図だ。」とこれに応えるとおばちゃんはご機嫌の様子。
 まもなく列車はガスティニードヴォルに到着。おばちゃんも私もそこで降りる。隣の車両に行くのかなと思っておばちゃんを見ていると、私と同じ方向の出口へ向かい始めた。一駅わずか4分の間に、私も含めて4人もの人に地図が売れたから今日は満足なのだろうか。こうして商売が成立するのは、乗客との間に暗黙の信頼関係があるからのように思える。いつもは無視されることのほうが圧倒的に多いように見えるが、それでも宣伝しながらいくつも車両を回るうちに買ってくれる人がいる。乗客の方も、彼らの商品を信頼し、どこで誰から買っても同じ、かえって店に行く手間が省けて便利だと考えて買っていくのであろう。だとすればこの車内の物売りも、ペテルブルクの素敵な文化の一つだと私は思う。

 家に帰る前、ちょっと遠回りをして郵便局に寄る。昨日は一つしか買わなかったが、日本に手紙を送るための封筒をもっと買おうと思ったのだ。
 昨日同様中にはかなり人がいて、郵便の窓口にも列が出来ていた。私もそこに並ぶ。郵便に並んでいた人数は5、6人程度だったが、かなり動きが遅く、一人の対応に10分も20分もかかっているようだった。40分くらい並んだ頃、私の前にいたおばちゃんに「封筒を買うだけなのにこんなに待つのか?」と聞いてみた。すると順番を譲ってくれると言うので最初は断ったが、「私はとても長く時間がかかるから。」と言われ、それならばと前に行かせてもらう。
 こんな親切な人もいた一方で、その後ろでは、並んでいた一人の女性と、男女2人連れの間で、どっちが先に来たかという言い争いが勃発。そのうち、そこの若い人がどうのこうのと、私の話をし始めた。どうやらどちらかが、「私の前にこの若い人がいたのだ。」と主張しているようで、そのうち2人連れの若い男が、私に、「どっちが先に来たか覚えてる?」と聞いてきた。最初は質問が理解できず、もう一度繰り返してもらう。「覚える」という単語を忘れていた私は慌てて所携の単語帳を引いて調べ、「いや、覚えてない。」と答える。実際本当に覚えていなかったのだ。私が「覚えてなくてごめんなさい。」というとそこにいた人みんな笑っていたようで、さっき順番を譲ってくれた老女は「いやいや、覚えてなくて良いのよ。」と笑いながら言ってくれた。その言い争いというのも、今朝のメトロのような本気の争いではなかったようで、その後彼らは和解したみたいだった。

 私の隣にいた老女は、私の持っていた日本語単語帳に興味津々。「日本語か?」と聞かれたので「そうだ。」と答えると、いろいろ話しかけてきた。残念ながら聞き取れない箇所多数だったが、かろうじて理解できたところによると、彼女には「カズコさん」という日本人の知り合いがいて、その人はロシア好きでよくロシアにやってくるのだそうだ。

 ようやく私の番になったが、私が「3つ」と言っているのに係の女性は1つしか箱から出してこなかった。すると後に並んでいた人達が口々に「3つだ」と係に教えてくれたので、私は無事封筒を3つ買うことが出来た。

 主張したいことは主張して言い争いもするけど、困ったときには助けてくれたり、順番を譲ってくれたり、フレンドリーに話しかけてきたり、私が外国人だからなのか、それともロシア人にも同じことをやるのか分からないが、郵便局で出会った人々は皆親切だった。   
 【今日の写真】に掲載した温度計は「マイナス0度」を現示していたが、部屋の窓の温度計は2度弱だった。どっちが正しいのか知らないけれど、夕方はこれくらいの気温だった。朝の喧嘩騒動はいただけなかったが、それだけに郵便局での出来事にはほっとした気分にさせられた。外は寒くなっても、人々の心までは寒くならないようだ。  
  


冬到来

2005-10-30 18:11:07 | Weblog
2005年10月26日
ロシア滞在56日目
【今日の写真:初雪の日のカザン聖堂。今日はベンチに憩う人々の姿は見あたらない。】

今日の主な動き
08:40 出かける
08:44 薬局
08:45 薬局を出て初めて、初雪に気づく
08:52頃 マヤコフスカヤ駅
09:04 バシレオストラフスカヤ駅
09:16 学校
12:29 大学の事務室のある建物
13:18 バシレオストラフスカヤ駅
13:29 ガスティニードヴォル駅
13:40頃 日本センター
14:50 ネフスキー通り駅
14:58頃 マヤコフスカヤ駅
15:14 旅行代理店「ゲルマン」
16:45 インターネットカフェ
17:35 郵便局
18:00頃 薬局
18:08 帰宅

 私の風邪は中期から末期にかけて鼻水が出るという特徴があるため、朝駅へ行く途中、いつもの薬局に寄ってティッシュを買う。薬局を出てびっくり。はらはらと雪が舞っている。まだ10月なのに、もう初雪だ。
 北の町とはいえ、こんなに早い時期に雪が降ることは全く予想外。それでもなぜか嬉しい気持ちになるのは、生まれてから18年間豪雪の町で暮らし、スキー、雪合戦、かまく
らづくりなど、幼い頃から私にとって雪が最上の楽しみの象徴であったからなのかもしれない。
 マヤコフスキー通り、ネフスキー大通りを通る頃にはまだわずかしか降っていなかったが、メトロを降りて、バシレオストラフスカヤ駅の外へ出る頃にはだいぶ激しくなっており、地面にうっすらと積もり始めた。

 授業の休憩時間、韓国人のスヒョンが、雪で遊ぼうと誘ってくれた。風邪を引いていることなど忘れて中庭に出る。台湾人は初めて雪を見るのだそうで、喜んで遊んでいた。降り始めの雪は、さらさらしていて固めにくい。かまくらづくりに使えないため、私や弟がよく「質の悪い雪」と呼んでいた雪質である。スヒョンらがその雪を丸めて小さな小さな雪だるまを作った。冬の到来をしみじみと感じた。

 朝降り始めたばかりなのに、昼前後には吹雪になっていた。初雪の日は何となく降ったか降らなかったのか分からない程度で終わる、というのが私のこれまでの常識。いくらロシアでも、初日からいきなり吹雪になるのはあまりに品がなくていただけないと思った。そんな中昨日支払えなかった残りの費用を支払いに、コワレンコ先生の部屋がある建物に行く。しかし先生は外出中で、2時間後にならないと戻って来ないと言われたため、今日は諦めて同じ建物内にある学食へ。
 昼時だけ会って、小さな学食は人でにぎわう。私が食べていると、同じテーブルに座った青年と後から来た青年が、何やら話を始めた。日常の初歩的な会話ならだいぶ聞き取れるようになったので、リスニングのつもりで彼らの会話を聞く。「雪がきれいだ」「今日は雪のせいで遅刻した」「先生も30分遅刻した」。そんなことを話していた。なるほど、雪が降ったことを早くも遅刻の言い訳に利用しているわけだ。もっとも、マルシュルートカやバスで通学している人には多少雪の影響もあったかもしれない。

 バシレオストラフスカヤ駅まで歩く途中、「バチバチ」という音がしたので上を見ると、強風にあおられてほどけた広告のひもが電線に接触し、火花をあげていた。大変危険だが、人々は一瞥するだけで、皆お構いなく通り過ぎていく。
バシレオストラフスカヤ駅に入って改札を通り、下りエスカレーターに乗る際、プチ押し合い状態が発生していた。下りも押し合いなんて勘弁してくれと思ったが、その原因はなんとエスカレーターが停止していたこと。停止していても、階段みたいなものだと思って多くの人は歩いて行くが、それが面倒な人はエスカレーターの右側に並んでつっ立っている。それが老人だけならまだ分かるが、若い人まで立っているから、改札付近は混雑がますます激しくなるわけだ。私もやむを得ず歩いて下るが、下に行くにつれて皆疲れてきて、人々の歩く速度が遅くなっていく。エスカレーターを降りるのに要した時間は3分以上。とてつもなく長いことをあらためて実感した。
メトロの車内に、今日はライト売りが乗ってきた。その青年は、今まで見た中で一番元気がいい売り子だった。列車が動き出すとその音に負けじと声を張り上げる。それだけでなく、実際にライトをつけてあちこち照らして実演して見せた。元気のないライト売りが車内でこんなことをしていたら皆怪しく思うだろうが、彼はとてもハイテンションだったので、その様子が大変滑稽で面白かった。残念ながらこの車両では売れなかったが、ガスティニードヴォル駅に到着すると、彼はすかさず隣の車両に移っていった。

 日本センターでのインターネットをいつもより早めに切り上げ、ゲルマンへ行く。ゲロニカに会うのは久しぶり。最初はいくつかロシア語で話したが、本題の旅行の件まで相談できるほどのロシア語力はまだないので、会話は主として英語になる。インターネットより安い交通手段やホテルをここで見つけられれば良かったのだが、彼女によるとインターネットの方が安いそうだ。それでも「3時間ならボンの空港で乗り換え出来る」「まだモスクワに行ってないなら、せっかくだからモスクワでも一泊した方が良い」「ヘルシンキには特に見るものがない」など、経験にもとづいて丁寧にアドバイスしてくれた。さらに嬉しいことに、ロシアに家族や友人を呼ぶときには、この旅行代理店から招待状を発行してくれると言ってくれた。
 ロシアは出入国が厳しいことで有名。1日だけでも入国する際はビザが必要だが、ビザを取る際、普通の旅行者は事前にホテルや交通機関などを全て予約し、その証明を領事館に提示しなければならない。要するに手続きが面倒なのである。しかしロシアに居住権のある個人や団体(会社、大学など)が発行する招待状があればそれらの予約は不要。この招待状は35USドルで発行してもらえる。招待状だけ売りつける会社は少なくないらしいが、ゲルマンでは600ルーブルで外国人登録の手続きもしてくれるという。したがって日本での手続きが簡単になるだけでなく、こちらで安いホテルを見つけたり、短期滞在用のアパートを借りるなど、より自由度が高い旅行が出来るというわけである。家族や友人だけでなく、これからロシアに来るときに私自身も利用できる。しかも短期の観光用のものから1年有効のマルチビザ(期間内何度でも出入国可能。私のビザも今はこれ。)用のものまで、用途に応じた招待状を出してくれるそうで、ありがたいことである。
 
 帰り道、いつものインターネットカフェと郵便局に寄る。スイスに帰国したスティーブンとクリスチャンに、初雪のことを知らせるメールを送り、郵便局では日本への手紙を送る封筒を買う。歩道に積もった雪は踏み固められ、中にはそこでそりを引いて遊ぶ兄弟もいた。

 夜、宿題をやっていると、私の鼻を心配してナジェージュダが鼻の上に貼る小さなテープをくれた。これで鼻水の症状が緩和されるらしいというので、ありがたく頂戴する。「(風邪を引いているのに)まだ寝ないのか?」と聞かれたが、こんな時に限って、提示された条件を含む手紙を書くという、一見簡単そうで結構大変な宿題が出ており、「今日は早く寝たいところだが、宿題をやらなければならない。」と話した。

 窓の外には風が吹いていて、だいぶ弱まったもののまだ雪がちらついていた。鉛色の空には雪が無尽蔵にあるようで、結局、一日中降り続いたのだった。
 人々の服装の変化、朝晩の冷え込みなどの様々な事象に秋から冬へという、季節の推移を見ることが出来る。これまで何日もそれを目で見て、肌で感じてきたが、不思議なことに、これまでも、これからも、なお秋から冬への「推移」という言葉を用いることが不適切でない程度にこの言葉の射程は広い。それゆえ季節の推移という言葉に一回性、具体性、記念性を求めることは出来ない。
 蓋し雪国には、秋と冬を明確に分かつ境界線があると私は考える。「昨日までは秋、今日からは冬」というように。言うまでもなく、その基準は初雪。この町が雪国なら、この基準が妥当する。私は日本をはじめ、世界各地からこのブログを見て下さる皆さんに大きな喜びを込めて報告したい。10月26日、ペテルブルクの冬が始まったことを。
 






 


2回目の風邪

2005-10-30 18:09:11 | Weblog
2005年10月25日
ロシア滞在55日目
【今日の写真:モスクワ駅前の広場。今日は青空がきれいな一日だった。】

今日の主な動き
08:42 出かける
08:51 マヤコフスカヤ駅
09:01 バシレオストラフスカヤ駅
09:13 学校
12:15 コワレンコ先生の部屋
12:40 大学を出る
12:51 バシレオストラフスカヤ駅
13:01 ガスティニードヴォル駅
13:10頃 日本センター
14:01 ネフスキー通り駅
14:08 マヤコフスカヤ駅
14:48 旅行代理店「ゲルマン」
16:02 レストラン”Самобранка”
16:37 帰宅

 出かける前、窓の温度計を見ると、赤色の液体の最上部が0度近くにあった。メトロの駅まで行く途中、足がヌルッと滑った感じがした。道路にヌルッとするものなんてあったかなと疑問に思いながら歩いていると、まもなくその答えが分かった。水たまりに氷がはっていたのである。これがよく天気予報で言われる「初氷」というやつなのか。気温0度ということが、はっきりと視認できた。

 そして良くないことに、授業を受けているあたりからのどの違和感が始まった。どうやらまた風邪のようである。前回風邪を引き始めたのが9月16日だから、ロシアに来て2回目の風邪。私のこの手の風邪は通常、半年に1回くらいだから、今回はやたら感覚が短い。一体何事かと思ったが、きっと1年分を1ヶ月のうちに前もって精算してくれるのだとありがたく考えることにする。

 今日日中の天気はとても良く、真っ青な空が広がった。午後はコワレンコ先生の所へホームステイ費用11月分を支払いに行った。いつも4週間毎に払っているのだが、今日は5週間分支払うことに。ところが5週間分だと請求額が用意してきた金額を上回り、仕方ないので16,000ルーブルだけ払って残りは明日ということになった。

 日本センターに寄った次は旅行代理店へ。先月スティーブンと出かけたとき、旅行会社で働いているロシア人と知り合いになり、名刺をもらっていた。12月のヨーロッパ旅行、アメリカのK太、フランスのI、チェコのMと一緒に行動するパリからヴェネチアまでの分は全てK太がまとめて手配してくれたのだが、行きのペテルブルクからパリ、帰りのヴェネチアからペテルブルクまでの航空券、ホテルなどは自分で手配することになったため、その予約をしなければならない。日本国内の鉄道旅行の手配なら慣れているが、航空機を利用した、しかも海外旅行となるとまだまだ分からないことが多いので、旅行代理店に相談しようと思ったわけである。

 その旅行代理店はリゴフスキー通りという、モスクワ駅近くの通りにある。ホームステイ先からもそう遠くない。メトロをマヤコフスカヤ駅で降りた後、いつもの出口から出ずにボスタニヤ広場駅に乗り換えるエスカレーターを下り、ボスタニヤ広場駅の出口から外へ出る。
 前も述べたがペテルブルクの地下鉄は相当深い所を走っているため、エスカレーターが長い。それゆえ同じ構内にある駅であっても、乗るエスカレーターによって地上の出口間相互の距離がかなり離れるのである。したがって複数の出入り口があるメトロの駅を利用する際は、どの入口から入り、どの出口から地上に出たら目的地に近いのか考えることが、非常に重要な一個の問題となる。

 リゴフスキー通りを歩いていると、太陽の日差しが暖かく感じられた。太陽からの電磁波が雲に遮られることなく、ダイレクトに地上に届く今日のような日は、気温が低くても心理的につらくならない。
建物の番号を見ながら足を進め、ようやくその近くまで来たが、旅行代理店らしきものは見あたらない。仕方なく電話してみる。14時以降ならゲロニカ(知り合いの名)はいると言っていたので、電話にはゲロニカが出たものだと思いこんでしまったが、違う人が出た。「ゲロニカはいるか?」と聞くと「彼女は電話をとりに家に帰ったが、また戻ってくる」という。ゲロニカは大変上手に英語を話すのだが、電話の相手は少ししか英語が通じないようだ。私がまだ上手にロシア語を話せないことを知ると、何とか英語を使ってコミュニケーションをとろうと努力してくれた。私の方も出来る限りロシア語もまじえてながら話してみる。念のため代理店の所在地を再確認しようと思い、「場所はこの数字の建物で良いのか?」と聞くと、「住所は分からない。5分後にもう一度電話して。」と言われた。5分後に電話してみると、やはり先日電話でゲロニカに教えてもらっていた場所と同じアドレスだということがわかった。しかし数字の末尾に”б”(英語で言うところの”B”)がつくのだそうで、通りに面した建物ではないらしい。
 電話だけでは正確な場所が分からなかったので、近くにいた、駐車場の警備員らしき男性に「бという建物はどこか?」と聞いてみると、「ここだ。」という答え。「ゲルマンという旅行の店を知っているか?」とたずねると、彼は所携の、無線機並みの大きさの電話でどこかに電話をかけた。そして「この建物の三階だ。」と教えてくれた。
 
 ようやくゲルマンに着いた。小さなオフィスに椅子がいくつかあり、そのうちの一つをすすめられて、中でゲロニカを待たせてもらう。女性が一人仕事をしていたが、特にこれといって話すこともなく、私は沈黙のままひたすら待つ。電話を取りに行ったくらいならすぐ戻ってくるだろうと思っていたが、約1時間待っても現れない。そこでその女性に「いつ帰ってくるか分かるか?」と聞く。「帰ってくるとは言ってたけど、いつ来るのか分からない。」という答えだったので、「明日3時に来るとゲロニカに伝えてくれ。」と頼んで今日は帰ることにした。

 帰り道、一昨日昼食を食べたマヤコフスキー通りのレストランで休憩する。通りの風景を見ながらお茶とデザートをいただく。寒い日にはこんな小さなことが、とても大きな贅沢のように思える。