ロシアの北都 サンクトペテルブルク紀行

2005年秋から留学する、ロシアのサンクトペテルブルク(旧レニングラード)での毎日を記します。

まだ、秋なんだ

2005-10-20 12:47:20 | Weblog
2005年10月19日
ロシア滞在49日目
【今日の写真:ネフスキー大通り沿いの公園にて。弱い太陽の下、作業をする人々、散歩する人々、ベンチに座って話をする人々をエカチェリーナ2世の像が見守る。】

今日の主な動き
04:15過ぎ頃 起きる
6時過ぎ頃から8:11まで再び寝る
08:51頃 出かける
08:58 マヤコフスカヤ駅
09:09 バシレオストラフスカヤ駅
09:20 学校
12:23 バシレオストラフスカヤ駅
12:32 ガスティニードヴォル駅
12:43 日本センター
14:33 ネフスキー大通りの露店でパンとファンタを買う
15:01 マヤコフスカヤ駅前のケンタッキーで英字新聞 The St.Petersburg Timesをもらう
15:09 帰宅 その後お昼寝

 昨日に続いて早く目が覚めたのは良いが、最近は朝8時過ぎまで暗いため、せっかく早起きしてもずっと起きていることが出来ない。あーあ、もったいないなあと思いながらも、睡魔に勝てず二度寝してしまう。日本にいた頃は朝早起きしても滅多に二度寝なんてしなかったのに。
再び起きたのは8時11分。ナジェージュダが朝食の案内に来てくれるまで寝ていたわけで、こうなると完全に寝坊である。1ヶ月半前、私がここに来た頃は夜遅くまで明るく、朝もこんなんじゃなかったのに、今朝は朝食を食べている間もまだ真っ暗。「何てことだ、ここは本当に地球なのか??」と疑ってしまいたくなる。
 通学途中、ネフスキー大通りの上に満月より少しだけ欠けた月が浮かんでいるのを見る。やっぱりここは地球なんだな。

 水曜と木曜は同じ先生による文法の授業。大変丁寧で分かりやすいので、私は特に気に入っている。初級の復習もしてくれるので、ありがたいことだ。ここのところ数回は「与格」という格を用いた様々な表現を学んでいる。
 これまであまりロシア語そのものの話をしてこなかったが、私が面白いと思ったロシア語について、今日は少しだけ紹介してみる。ロシア語でよく使われる「~が好き、気に入っている」という表現は2通りある。
 ”любить”(「(~を)愛する、好く」)という動詞は英語の"love"と同じように、対格(英語で言えば目的格)の直接目的語をとることができる。だから、「AはBを好き」と言いたいときは「A(主格)+любить(主語に応じて語尾変化)+B(対格)」という文を作る(語順は自由。)
 これに対して”нравиться”(「(~の)気に入る、(~が)好きだ」)という動詞は日本語の意味を見ても分かるとおり、любитьとは使い方が違う。нравитьсяのほうは気に入る対象を主格で主語に持ってきて、気に入る主体が与格で表される。だから、「AはBを好き」と言うには「B(主格)+нравиться(主語に応じて語尾変化)+A(与格)」という文を作らなければならない(こちらも語順は自由)。強引に訳すならば、「BはAを好かせる」となるのだが、あくまで「~が好き」という意味で日常良く使われる。
 要するに、動詞と格の使い方を誤ると、例えば「私があなたを好き」なのか「あなたが私を好き」なのか、全く逆の意味の文が出来てしまうというわけである。語学を学ぶとき、間違いを恐れてはいけないが、こればかりは間違えると大変滑稽である。私も最近、動詞と格にはだいぶ気を使って会話できるようになってきた。

 日本センターに行ってインターネットをする。知り合いから、12月のダイヤ改正についての情報があった。改正される東日本の新幹線ダイヤのうち、山形新幹線の分をわざわざ時刻表から拾って送ってくれたのである。それを見てあまりの変わり様に愕然とした。きっと帰省や旅行等で新幹線を利用している人も、同じようにびっくりするのだろう。一種の革命みたいなものだ。革命前の世界しか知らない者が、ある日突然革命後に帰国するとは、いったいどんな感じなんだろう。

 午後、天気も良いことだし、久々にネフスキー大通りを歩いて帰ることにする。歩道にはたくさんの露店があり、アイスやジュース、パンなどを売っている。外は寒いので、マックででも昼食を食べようと思って足を進める。

 ガスティニードヴォルを過ぎ、ちょっとした広場になっている公園の横を通りかかった時、ふと思った。こんなに天気が良い日は今年あと何日あるのだろう。
 まだらな紅葉と銅像が見下ろす公園には、ベンチに腰掛けてくつろぐ人々の姿、中央の小さな畑で作業している人々の姿、散歩している人々の姿があった。まだ、秋なんだ。大通りを急ぐ人々の流れからそれ、公園前の露店へ近寄る。露店のおばちゃんはかなりの厚着をして、編み物をやっていた。
 ソーセージパンとりんごのパンを注文。ジュースがあれば良かったのだが、ファンタしかないので、メニューに載っていたレモンファンタを希望する。するとレモンはないと言われたので、かわりにおばちゃんが手に取ったパイナップルファンタを買うことにした。合計55ルーブルの昼食。ファンタが30ルーブルだから、パン2つで25ルーブル。これで生活していけるのかな。そう思うと、寒い中店番をしているおばちゃんに申し訳ない気分になったが、お礼を言った時、「ザズダローヴィエ」と元気に返してくれたその声に、たくましさと頼もしさ、強さを感じた。
 公園の白いベンチには空きがあった。その中の一つに腰を下ろす。温められていなかったパンは冷たかった。その分、天然の冷蔵庫で冷やされたファンタがおいしく感じられた。
公園の小さな畑では、数人が何やら作業をしていた。何かの種でもまいているのだろうか。これから冬だというのに。隣のベンチには老婆が座り、その側で彼女の孫だろうか、小さな子どもがハトにえさをあげていた。弱い太陽がかすかに与えてくれる温もりを分かち合いながら、人々はそれぞれの時間を過ごしていた。
 食べ終わった後、公園の中央にある銅像を見に行く。台座に記された文字を見て、これがエカチェリーナ2世の像であることを知った。
 
 歩いて帰って良かったな。露店でのやりとり、公園での風景は私をそんな気分にさせてくれた。今日は家までの道のりが、いつもより短く感じられた。

何でも直す修理屋

2005-10-20 12:43:36 | Weblog
2005年10月18日
ロシア滞在48日目
【今日の写真:朝焼け。撮影時刻は8時53分。この時期は8時30分前後からようやく明るくなり始める。ネフスキー大通りにて。】

今日の主な動き
05:40頃 起床 その後また寝る
08:46 出かける
08:55 マヤコフスカヤ駅
09:06 バシレオストラフスカヤ駅
09:16 学校
12:19 大学近くのイタリアンレストラン
13:09 バシレオストラフスカヤ駅
13:20 ガスティニードヴォル駅
13:29 日本センター
15:09 ネフスキー通り駅
15:19 マヤコフスカヤ駅
15:37 帰宅
16:16 出かける
16:30頃 修理屋
16:51 帰宅
17:09~18:12 ジョギング 約10.4km
 マヤコフスキー周回コース8周(左から周回、LAP、SPLIT)
 1 5分03秒63 
 2 9分20秒70    14分24秒33
 3 9分02秒41    23分26秒74
 4 8分35秒18    32分01秒92
 5 8分21秒66    40分23秒58
 6 7分50秒59    48分14秒17
 7 7分37秒50    55分51秒67
 8 7分11秒04 1時間03分02秒71

18:15 帰宅

 あれは昨晩の出来事だった。ベッドに上がると「バリッ」という音がした。「あれ、ベッドに「バリッ」なんて音を立てる代物はあったかな?」と不思議に思いながら掛け布団をどかしてみると、なんとそこに眼鏡があるではないか。左のレンズが外れ、レンズを固定しているフレームのネジが外れて曲がるという、無様なありさまになっていた。昨日はデジカメを盗まれてからちょうど1ヶ月後の月曜に当たる日。何も盗まれなくて良かったが、よりによって寝る直前、最後の最後に眼鏡を、しかも自分で破壊するとは何とも悲しい。
 幸いネジが外れただけで、レンズやフレームが割れたり、折れたりということはなかったので、最初は自分で修理を試みる。しかしそんなことが出来るわけもなく、昨日は諦めて寝たのだった。

 今朝、朝食の際にナジェージュダに眼鏡を見せ、眼鏡屋はどこかとたずねると、家近くのボスタニヤ通りにある店を教えてくれた。ついでに私の目の悪い話になり、度数を聞かれたので0.08くらいと答えると、クプチノ(ペテルブルク市内の地名)辺りに大変評判の良い医者達がいるから、手術したらどうか、日本でやるより安いんじゃないかと本気で勧められてびっくりした。

 こんなこともあろうかと、日本から前に使っていた眼鏡を持ってきていたので、今日はそれをかけて学校へ行く。学校へ向かう途中、マヤコフスカヤ駅前、ネフスキー大通りを横断する交差点で、モスクワ駅方面にきれいな朝焼けを見つけた。思えば土・日・月の3日間暗い天気が続いたので、4日ぶりの良い天気。天気は良くても相変わらず気温は低い。今は秋なのか冬なのか、いまいちよく分からないが、昨日から家のスチームヒーターが入り(ナジェージュダによると来年の5月まで続くのだそうだ)、冬の備えも万全である。
 前の眼鏡できれいに見えたのは朝焼けくらいなもので、看板や、学校のホワイトボードの文字などが良く見えなかったのはショックだった。

 帰宅後、眼鏡屋へ行こうとしているとナジェージュダがお茶を勧めてくれたので、しばし休憩してから出かける。

 歩いて10分くらい、教えてもらった店に着いたが、そこは眼鏡屋というより修理屋。それも何でも屋みたいな所である。男の店員に「眼鏡か?」と聞かれ、「そうだ」と答えながら眼鏡と、外れた小さな小さなネジを渡す。さすが修理屋だけあって、作業台の上には様々な工具があった。彼はその作業台の上で私の眼鏡を修理しながら、「レンズはプラスチックか?」とたずねてきた。何でそんなことを聞いたのかは分からない。
 修理屋の中の様子を見渡すと、靴や服などもたくさんあった。私の隣にいた人は上着のチャックを修理しに来ていたようである。なるほど、ここは何でも直す修理屋なんだなと理解した。眼鏡の修理は2分ほどで終了。あれだけ曲がっていたから直るかどうか心配だったが、さすがプロの仕事だけあって見事に直っていた。料金は30ルーブル。かなり安い。あまりの嬉しさに私がやたら元気良くお礼を言ったため、おかしかったのだろう。店員はちょっと笑いを含みながら「どういたしまして」と言ってくれた。

 帰りは早速その眼鏡をかけて歩く。出かける前、眼鏡屋だったらいくらかかるか分からないと思って、念のため500ルーブル札を2枚ポケットに入れてきたのだが、その心配はいらなかった。あんなに安く修理屋の商売が成り立つということは、それだけ多くの人が利用しているということなのだろう。
 ここに来て以来、古い物の多さを感じる。例えば街中を、日本ではまず見られないような古い車、バス、路面電車が走っている。さらに、家の中に手作りの家具が多いことは、先日セルゲイが説明してくれた通りである。古い物を繰り返し修理しながら大事にする習慣は、セルゲイが言ってた「ロシア人は物を自分で作るんだ」ということと密接に関連しているように思える。自分で作った物、修理を重ねた物には愛着が生まれるのだろう。素敵な文化をまた一つ見つけた。 

 17時前に帰宅したときの気温は約9.5度。今日はジョギングの日。Tシャツの上に長袖のジャージを着て階段を下り始める。すると久々に3階に住むおばちゃん(英語の先生)に会った。今度は英語を使わずに話をする。「元気か?」「ロシア語は上手くなったか?」などと聞かれた。これからジョギングに行くというと、「素晴らしい」と言ってくれた。おばちゃんと話しながら、ジョギング用じゃない、普通の靴をはいてきたことに気づく。急いでジョギングシューズにはきかえ、外へ出る。

 いつものマヤコフスキー周回コース、これまで1周約1.2kmと考えてきたのだが、最近それより長い気がしてきた。そこで今日はおおよその距離を測定しようと考えた。測定といっても、1周を最高速度に近いペースで走って、その所要時間から距離を計算するというもの。メートル単位で正確にというわけにはいかないが、最高速度に近いペースだと1kmあたりにどれくらいかかるか、日本の陸上競技場で何度も計測してきたから、それをもとにおおよその距離を算出できるのである。
 通りは陸上競技場とは違って人通りが多く、その行動も不規則だから、人を飛ばさぬよう安全な速度(進路の約5m前方に人が突如現れたとき、安全に回避できる程度の速度が良いと思っている)で走らなければならない。また、ポケットに財布とパスポートを入れていたため、あまりに速く走るとポケットが激しく揺れて走りづらい。そんな事情もあって、1周目の平均速度は1km3分30~40秒程度だったと思う。それでも5分かかっているから、少なく見積もっても1300mはあるとみて間違いない。よって、今日からマヤコフスキー周回コースは1周1.3kmとして距離を数えることにした。
 1周目試運転モードで飛ばしたため、2週目以降は疲れてゆっくり走る。昨日の記事でminorityの気持ちについて書いたが、この町でランナーは一番のminorityである。何しろ先日ネフスキー大通りでマラソン大会を見た以外は、町でジョギングをしている人を一人も見たことがない。

 今日から、走後の筋トレに新アイテムを導入した。ジョギングをした後に筋トレをするようにと、セルゲイが昨日、筋トレ用の鉄の塊を出してきてくれたのだ。今日は初回なので気合いを入れて体の前で20回、後ろで20回の1セットを2回繰り返す。計80回。とてもハードだが、筋トレが苦手な私には良い練習になった。 
  
 夕食後にテレビを見ながらお茶を飲んでいると、一匹のハエが誤って(かどうかは私の知るところではないが)私のお茶の中に転落し、その生命を終えた。こんなノロマなハエがいるものかと思って驚いたが、寒くなってきて動きが鈍くなっていたのかもしれない。動物達にとっても、寒さを乗り切るのは楽ではないようだ。 

minorityの気持ち

2005-10-19 18:19:13 | Weblog
2005年10月17日
ロシア滞在47日目
【今日の写真:洗濯屋カフェのテーブルに灯されたロウソクの明かり】

今日の主な動き(今日からジョギングのタイムとコースは「今日の主な動き」に掲載)
08:54 出かける
09:01 マヤコフスカヤ駅
09:12 バシレオストラフスカヤ駅
09:22 学校
12:18頃 事務室で新しいビザをもらう
12:55 バシレオストラフスカヤ駅
13:04 ガスティニードヴォル駅
13:19 洗濯屋カフェ
13:43 日本センター
16:30頃 洗濯屋カフェ
18:04 ネフスキー通り駅
18:15 マヤコフスカヤ駅
18:26 帰宅
18:34~18:54 ジョギング 約3km
 マヤコフスキー周回コース約2.8周(左から周回、LAP、SPLIT)
 1   7分13秒17 
 2   7分26秒30 14分39秒47
 2.8 6分06秒45 20分45秒92

19:02 帰宅
19:05 出かける
19:08頃 薬局で水を買う
19:15 帰宅

 3日連続の良くない天気。午後、グレーの寒空の下、カザンスカヤ通りを歩く。

 洗濯屋カフェで洗濯物の乾燥を待つ間、ソファーに腰を下ろす。顔見知りの店員が太い、短いロウソクをテーブルの上に置いて、明かりを灯してくれた。どうしたことかと思い、天井を見るとランプが取り払われていることに気づいた。
 カウンターでスプライトとドライフルーツを注文。メニューにある50ルーブルのドライフルーツを気に入っているのだが、量が多いので、今日は頼んで半分の量で25ルーブルにしてもらう。 
 
ロウソクの明かりで、メモノートに書いたこれまでの記録をパラパラと読み返しながら考える。

 ロシアで生活し始めて早1ヶ月半。ここでの暮らしにも慣れた。多くの人々の温かい心遣いに接してきたこの町、ペテルブルクを私は大変気に入っているが、いつも感じていることがある。一言で言うならば、タイトルにした「minorityの気持ち」。ここで私が用いる"minority"、すなわち少数派とは、ロシア人、広くはヨーロッパ人に対して私達日本人、アジア人のことを指す。
 通りを歩く、地下鉄に乗る、レストランで注文する、店で買い物をする。日常生活のあらゆる場面で日本人である私は少数派であり、顔や髪を見れば、大多数であるロシア人(に加えて、区別がつかないヨーロッパ人)との違いは一目瞭然である。ペテルブルクはロシア第二の都会だし、外国人も多いから町の人々も見慣れているだろうが、彼らロシア人にとって、私達はどういう存在なのかと気になることがたまにある。
 例えば、先日H谷さんと行った、大学近くのイタリアンレストランでの出来事。私とH谷さんが先に注文しているのに、後から来たロシア人の方が早く料理をもらってレジへ行った。違うメニューだし、こんなことは日本でもよくあることだ。しかしその時H谷さんが「イナストランティ(外国人)だからかなぁ...」とぼそっと一言呟いた。まさかそんなことはと思ったが、「もしかして」と考えてしまう。日本にいたならば全く考え得ないことである。

 海外(特に欧米)に留学中の人や、生活経験のある人は、良くも悪くも私達が「外国人」として見られる感覚を、身を以て感じていることと思う。その点ではロシアに留学している私も全く同じなのだが、ペテルブルクに限って言えばこれにさらにオプションがつく。 それはヨーロッパ人以外の人種を排斥しようとする「スキンヘッド集団」の中心が、まさにこのペテルブルクにあること。アジア人やアフリカ人が襲われたという例はあちこちからよく耳にするし、外務省も注意を呼びかけている。ホストファミリーも、私はヨーロッパ人じゃないから特に夜は十分気をつけるようにと注意してくれる。不思議と、ここで日本人が被害にあった話は聞かないが、もし容貌だけを見て襲ってくるならば日本人とて対象外ではないのではないか。そのため通りを歩いているときなど、変な者につけられていないか、時々振り返って確認することが必要である。
 もっとも、過剰に萎縮するのは良くないことは先日書いたとおりだし、私も活発に動くつもりである。ただ記録しておきたいことは、明らかに日本では感じたことのない、minorityの気持ちを、日常生活で大なり小なり感じずにいられないということ。多数派とは人種の異なる者として受ける周囲からの目と、良くも悪くもそれに対する複雑な感覚。さらには、被害に遭う蓋然性は低いのだろうが、いつ襲われるかもしれないという不安感を、100パーセント払拭することはできない。

 もっとも、私がminorityでいるのはペテルブルクにいる間だけ、いわば期間限定minorityというわけで、日本に帰ればmajorityとしての生活が再開される。しかし、minorityというのは、何も外国人に限ったことではない。日本にいる日本人であっても、少数派として、同じように周囲からの目を気にしたり、時に不安を感じたりしている人が多数いるはずだ。例えば障害を持つ人、劣悪な家庭環境などが原因で、十分な教育が受けられなかった人、いろいろな意味で「弱者」と呼ばれる人々などなど。そういう人々が感じる気持ちは、私がここで感じるminorityの気持ちよりもずっと大きく、恒久的なものなのかもしれない。
 私達は幼い頃から、家庭で、学校で、「人の立場に立つ」ことの重要性を教えられてきたが、口で言うのは簡単。正直ここで実際にminorityになるまで、私が少数派の気持ちを分かったことはなかったと思う。

 今日偶然日本センターで読んだ『週刊朝日』10月7日号に「日本の刑事裁判は死んだ」というタイトルのインタビュー記事が載っていた。多くの死刑事件の弁護を担当し、オウム真理教松本被告の元主任弁護人でもある安田好弘氏が、『「生きる」という権利』(講談社)という手記を出版したそうで、それに関連してのインタビューである。その中で安田氏は、「被害者、加害者になるのはたいていが「弱い人」たちなのである」「いまや裁判所は検察側の代理人」など、刑事事件・裁判の悲しい現実を語っていた。
 狭い世界しか知らず、弱い人、少数派の気持ちを微塵も理解し得ぬ司法官僚が、権力に迎合してうわべだけの正義を振りかざす裁判がろくなものにならないことは、私も多くの実例を通して知っている。私が常々持っている問題意識とまさにぴったり一致するテーマの本が出版されることを知り、大変嬉しくなったが、それ以上に、私のような一学生がここで感じていることと、今の日本の司法に携わる人々にとって必要なことが共通しているのだなと思うと、深い感慨を覚えずにいられなかった。

 私の好きな言葉に、「無理・無駄・無茶なこと」というのがある。一年の頃から体育やつくばマラソンの授業でお世話になり、私が尊敬するN倉先生がよく使う言葉。先生の話を聞いているうち、この言葉はいつの間にか、私の座右の銘にもなった。 
 率直に言って、私が将来成さんとしていることにとって、このロシア留学は「無駄」のように見えなくもない。ロシア語を使う仕事に就くわけでもなく、ロシア語が将来、直接役に立たなくても、それはそれで良いと思っている(もちろん、何らかの形で私のロシア語が必要になるならば、望外の喜びであるが)。それならばわざわざ卒業を1年遅らせ、親に負担をかけてまで留学なんてしてないで、さっさと公務員試験なり、司法試験なりの勉強をした方が一見合理的である。
 しかし貴重な大学時代を試験勉強のみに費やすつもりは私にはない。今までそうやって合格してきた人間のうち、少なからぬ人々が視野の狭い、悲しい法律家になっていることを知っているから。
だからこそ私の目標からすれば一見無駄とも見える留学を経験することで、視野を広げ、言葉を学びながら教養を深めたいと思っている。その過程で意外にも体験することになったminorityの気持ち。この貴重な経験は、この留学で得た財産として、一生忘れずにいよう。
 
 寒空の日、洗濯屋カフェのロウソクの明かりは、私がこんなことを考えるのに十分な明るさと暗さを提供してくれた。25ルーブルのドライフルーツ、最後のひとかけらを口に入れる。
 帰り道、カザン聖堂の前で鐘の音を聞いた。その音の源がどこだか分かるほど、私はまだこの町を知らない。
 

一日中雨

2005-10-17 19:25:53 | Weblog
2005年10月16日
ロシア滞在46日目
【今日の写真:ネフスキー大通りとマヤコフスキー通りの交差点】

今日の主な動き
08:23頃 起床
12:58 出かける
13:05 ケンタッキーのATM
13:13 インターネットカフェ
14:20 モスクワ駅前の「505」(CD・DVDの店)
14:50 マヤコフスカヤ駅
14:59 ガスティニードヴォル駅
15:05 日本センターの建物の前 H谷さんと待ち合わせ
15:20 洗濯屋カフェ向かいのレストラン
17:57 サドーヴァヤ通りのイタリアンレストラン
20:31頃 ガスティニードヴォル駅
20:39 マヤコフスカヤ駅
20:51 帰宅

 昨日に続いて今日も良くない天気。9時40分頃窓の温度計を見ると、気温はわずか6度。

 午前中H谷さんから電話が来た。彼は昨日・今日と、クラスの人々とノブゴロドへ行っているはずだったが、トラブル続きで昨日帰ってきたそうである。私も特に予定がなかったので、昼食を一緒に食べることに。

 昼過ぎに出かけると、外はほんの少し雨が降っていて寒い。インターネットカフェでブログを更新し、モスクワ駅近くのCD屋をちらっと見た後、地下鉄でガスティニードヴォルへ。
 日本センターの建物前で待ち合わせて、私が最近よく行く、洗濯屋カフェ向かいのレストランを紹介した。そこで最近のペテルブルクでの生活の話をしたり、彼の昨日のトラブルや高校時代の話などを聞いたり、約2時間半居座る。

 帰り道トイレを借りるため寄ったイタリアンレストラン、「トイレだけでは悪いから」ということになりアイスを食べる。今日の発見は、ラムレーズンしかないと思っていたアイスの種類が、バニラ、ラムレーズン、ベリーベリー、チョコレートの4種類に増えていたこと。H谷さんはバニラ、私は相変わらずラムレーズンをいただく。今度は大学時代に視野を広げるとはどういうことか、H谷さんは企業への就職活動をする立場から、私は大学院進学を目指す立場からそれぞれ具体的に議論した。私が気づいていなかったこともあり、彼の話は大変興味深かった。トイレへ寄るだけだったのが、結局また2時間半ほど長居してしまった。

 帰り道、外は既に真っ暗だったが、まだ弱い雨が完全に上がらず、すっきりとしない天気。思えば、ペテルブルクが一日中雨なんて珍しい。今までの雨は、ものすごい勢いで降った後、晴れ間が出てきたものである。小雨がぐずぐず続くのは、本当にいただけない。
「激しい雨はすぐに止むが、穏やかな雨は長く続く」とかつてスティーブンが教えてくれたことを思い出す。気温も低めで、先週までの晴天はどこへいったのだろうかと残念に思ってしまう。今日はジョギングの日だったが、明日晴れることを祈ってお休み。もっとも、これから天気が悪くなる一方だとすれば、そんなのんきなことも言っていられないのだが。

 

のんびり休日

2005-10-16 18:34:14 | Weblog
OCT 16, 2005
To readers; Thank you for many comments, but sorry I can't write my comments in Japanese as I am accessing the Internet from an Internet cafe.

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2005年10月15日
ロシア滞在45日目
【今日の写真:雨上がり、寒空のジュコフスキー通り】

今日の主な動き
11:00近く 朝食
 読書をしたり、昼寝をしたりして過ごす。
15:00過ぎ 昼食
17:53 出かける
17:56 薬局
17:59 帰宅
19:30頃 夕食

 休日はみんなゆっくりで、朝食も昼近く。朝がだいぶ暗くなってきたためか、私も自然に目を覚ます時刻が遅くなってきている。

 どこへも出かけず、読書をしたり、昼寝をしたり。こんなのんびりした休日があってもいい。

 今日唯一出かけたのは、500mlで9.4ルーブルの、いつもの水を買いに行ったいつもの薬局。雨上がりのようで、外へ出るとかなり寒かった。ここ数日続いた穏やかな天気も昨日までだったようである。今日がジョギングの日じゃなくて良かった。
 帰宅後、外が寒かったことをホストファミリーに報告すると、セルゲイが部屋の二重窓を閉めに来てくれた。植木鉢をどかして、金槌でたたきながら窓枠に金具をはめる。二重窓を閉めるのも一仕事のようであった。外側の窓についている温度計の表示は10度弱、まだまだこんなので寒いとは言っていられない。

 部屋でパソコンをやっていると、セルゲイがりんごを持ってきてくれた。こっちのりんごは日本のより小さく、すももみたいな大きさ。台所のテーブルでは、そのりんごを細かく切って、ナジェージュダが何か作っていた。ブリーニー(クレープみたいな食べ物で私の好物。りんごや蜂蜜、チーズなど、いろんな種類がある。)でも作っているのかと思ってたずねると、ブリーニーではなく、ピロシキを作っているのだそうである。
 夕食には焼きたてのピロシキが登場。初めて食べたりんご入りピロシキ、果物好きの私にとっては大変おいしかった。

 夕食後、セルゲイらとともに1時間ほどテレビを見るのが最近の私の日課。ニュース、ドラマ、歌番組など、プログラムはいろいろ。テレビのロシア語はとにかく速いので、まだ数字を聞き取って頭の中でその音を繰り返し、ようやく理解するくらいしか出来ない。が、幸い映像もあるので、何となくどんなことを言っているのか何となく想像はつく。映像と合わせながら、とにかく音声を聞き続けてみようと思っている。
 明日は日曜日、もう一日休みがあるのが嬉しい。

信号機は止まっても

2005-10-16 18:33:13 | Weblog
2005年10月14日
ロシア滞在44日目
【今日の写真:止まった信号機(マヤコフスカヤ駅前にて)】

今日の主な動き
07:00過ぎ頃 起床
08:32 出かける
08:38 マヤコフスカヤ駅
08:47 バシレオストラフスカヤ駅
08:59 学校
12:13 事務室のある建物
13:18 日本センター
14:58 ネフスキー通り駅
15:07 マヤコフスカヤ駅
15:20 帰宅
15:43~16:10 ジョギング 約5km
16:16 帰宅
16:45 出かける
16:50 マヤコフスカヤ駅
17:01 バシレオストラフスカヤ駅
17:32 アブシジーチェ(大学の寮)

 今日の授業では映画の話題になった。映画にはどんな種類があるか、それらをロシア語で何と表現するか、先生がホワイトボードいっぱいに書いて紹介してくれた。別の先生も先日、これと同じようなことをやっていたから、ロシア人はかなり映画好きなのかもしれない。 
 映画というものは通常、新作が映画館で上映されて、その後DVDやビデオが出るというのが私の理解である。ところがロシア人はDVDで映画を見た後、気に入ったら映画館へ行って大画面で楽しむのだそうだ。しかも面白いことに先生は、友達に誘われたら気に入らない映画でも見に行くと言っていた。「何だそれ?」と思ったが、所変われば楽しみ方も変わるらしいということを知った。

 帰り道、ネフスキー通り駅前の交差点での出来事。歩行者用信号が青になり、人々が一斉に渡り始めると、ネフスキー大通りを渡りきれずに残っていた車が横断歩道を通過しようとしていた。
 すると歩行者のおっちゃん、その車に蹴りを入れたか叩いたかして「ボコッ」という音がした。そして信号を指さしながら車内の人に向かって何やら怒鳴っていた。きっと「信号を見ろ!」みたいなことを言っていたのだろう。これに対して運転手も黙っていない。ドアを開けて外に出ようとしたが、今度は歩行者のおばちゃんと口論になっていたようで、しばらくして結局歩行者の間を強引に通過していった。
 ロシアの車事情については先日も記したが、車は歩行者がいても道を譲ることなく通って行くし、歩行者も車の間を縫ってガンガン道を渡っていく。それでいて事故が起きないあたりがさすがロシア、大いなる称賛に値すると私は思う。

 ネフスキー通り駅の入り口からガスティニードヴォル駅に入って地下鉄に乗り、いつものようにマヤコフスカヤ駅で地下鉄を降りる。日本センターに寄って帰る時には定番のコースである。地上へ出て交差点を渡ろうとすると、何だか人の動きがおかしい。
 どうしたことかと思って信号を見ると、なんと歩行者用、車用ともに止まっているではないか。(【今日の写真】参照)。「何で信号機が動いてないの!?」とびっくりしたが、それ以上に驚いたのは、警察が交通整理をしているわけでもないのに人も車もほとんど滞りなく動いているということ。なるほど、いつも信号を無視している人達にとっては、信号があってもなくても同じというわけか。信号機の方も、普段少なからぬ人々に無視されるから、たまにはすねて止まってみたのかもしれない。おもしろいなあと思いながら、人々に続いて私も横断歩道を渡り終えた。

 帰宅後、ジョギングへ出かける。月曜日に走らなかった分を昨日に回したため、ここ3日間連続でのジョギングとなった。
 マヤコフスキー周回コースを4.2周。今日は夕方から韓国人の友達と飲む予定があったためいつもより短い時間(約27分)になったが、それでもぎりぎり5kmは走った。今日の記録は以下の通り。(左から周回、LAP、SPLIT)
1   6分06秒55
2   6分36秒70 12分43秒25
3   5分33秒54 18分16秒79
4   7分27秒31 25分44秒10
4.2 1分37秒01 27分21秒11(マヤコフスキーの石像まで)
 1日1回は5分台を出そうと思い、3周目に速度を上げたら思いの外速くなってしまい、4周目で疲れて7分半という情けないありさまである。 

 夕方、アブシジーチェ(大学の寮)でクラスの韓国人の友達と語る。手作りの料理や韓国の酒も登場し、和やかな雰囲気。私が持っていった日本酒もなかなか好評だったようである。彼らはどうしは韓国語で通じるが、韓国語が通じない私のために、頑張ってロシア語で会話をしようと努力してくれた。が、ロシア語はお互いまだまだ不十分なため、難しいところはどうしても英語になる。中には「英語が苦手だ」という人もいた。韓国では大学も含めて10年くらい英語を勉強するが、文法に偏った教育のために、コミュニケーション能力や表現能力がなかなか身に付かないそうである。何だか日本と似ているなあと感じた。
 いろいろ話しているうち、「竹島問題をどう思うか?日本の領土か韓国の領土か?」と聞かれた。私は歴史的にみて日本の領土だと考えるから、そのことを率直に述べると、「もともと韓国の領土だ。」「既に韓国人が住んでいる。」など、彼らはそろって猛反発。「日本海」の呼称についても私の認識と彼らの認識とは異なり、韓国の人々は「東の海」と呼ぶのだそうである。彼らに言わせれば、「日本人が「日本海」と呼ぶのは、そのように教育されているからで、その呼称は正しくない」とのこと。常識だと思っていた「日本海」の呼称にこれまで疑問を感じたことはなかったが、なるほどよく考えればなぜ「日本」の海なのであろうか。その由来を調べてみたいものである。それにしても「日本と韓国の間にある海」は日本から見れば「西の海」なわけで、韓国人が「東の海」だと言うのなら今度は日本人が黙っていないだろう。そのこともちらっと話してみた。
 彼らはもちろん日本人と喧嘩しようとしているわけではない。彼らも「もちろんここで結論が出るわけじゃない」と言っていた。「お互いこの問題をよく理解して、議論を深めることが大事だ」ということがこの議論の結論である。私が感心させられたことは、私と同じくらいの年代の彼らがこうした問題について高い関心を持ち、彼らなりにしっかりとした意見を持っているということ。お互いどちらかに同調するのではなく、自分の意見を率直に語って議論できたという点で、有意義な時間を過ごすことが出来た。

突然のテスト

2005-10-14 19:32:31 | Weblog
2005年10月14日 最新の出来事
・いつのもように、刑事裁判には黙っていられないもので...
 日本ではどれだけ大きく報道されていることか分からないが、愛知県の連続リンチ殺人事件(94年)で名古屋高裁は14日、1人を死刑、2人を無期懲役とした1審判決を破棄し、当時いずれも少年だった3被告全員に死刑判決を言い渡した。
 最高裁は同じく少年時の犯行だった永山事件(90年確定、97年執行)上告審の判決において、死刑適用の基準を示したが、その基準は相対的なものである(もっとも、裁判に絶対的な基準を設けることは無意味だが)。弁護側が上告するであろう今回の判決は、1審の事実認定を「誤り」として判断しなおした事実関係が「破棄しなければ著しく正義に反する重大な事実の誤認」(刑事訴訟法第411条3号)を含むと最高裁が認めない限り、死刑選択基準を満たすとしてそのまま確定する可能性が高い。先日述べた通り、私の死刑廃止論は誤審の可能性を前提としているが、例えば今回の事件において、現行の制度、判例がある限り司法の結論がこれ以外にありえないということについても、私は疑問を感じる。
 少年に対する死刑適用の是非をめぐって議論がなされることだろうが、これを機に死刑制度そのものの是非についても国民レベルで議論が高まることを大いに期待したい。
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2005年10月13日
ロシア滞在43日目
【今日の写真:ガスティニードヴォル。市の中心部にある巨大ショッピングモール。地下鉄の駅(その名も「ガスティニードヴォル」。私もほぼ毎日利用)もこの建物の中にある。観光客を狙ってか、何もかもが高いことで有名で、ホストファミリーはじめ地元の人々はあまり利用しないようだ。ちなみにガスティニー”гостиный”は「客の」という形容詞、ドヴォル”двор”(「ドゥヴォル」と表記した方がより発音に近い)は「土地、中庭」という意味の名詞で、”гостиный двор”で昔のマーケット、交易所という意味になる。)】

今日の主な動き
03:40 起床 しばらく起きてまた寝る
07:58 再び起きる
08:47 出かける
08:55 マヤコフスカヤ駅
09:06 バシレオストラフスカヤ駅
09:17 学校
12:26 バシレオストラフスカヤ駅
12:41 ガスティニードヴォル駅
12:52 ネフスキー大通りのイタリアンレストラン
13:36 日本センター
15:23 ネフスキー通り駅
15:35 アレクサンドルネフスキー広場駅
15:40頃 駅のホームで学生証とパスポートのカバーを買う
15:51 アレクサンドルネフスキー広場駅発
15:54 マヤコフスカヤ駅
16:07 帰宅
16:30~17:15 ジョギング 約8.4km
17:20 帰宅

 昨日早く寝たためか今朝は4時前に目が覚め、また眠くなるまでブログを書いたり、教科書を読んだりして過ごす。6時45分頃から眠くなったのでまた眠ると、電車に乗りながら飛行機の墜落を目撃し、デジカメでその様子を撮影したという変な夢を見た。そんな夢のせいなのか目覚ましを無視してしまい、起きたのは8時少し前。外はまだ薄暗く、体内時計がおかしくなりそうである。

 学校では最初1時間ほど普通の授業をやった後、突然テストがあった。突然と言っても昨日テストがあること自体は予告されていたが、先生も内容を知らないテストだそうで、どういうものか分からないまま受けることに。昨日の説明だと統計をとるためのテストで、順位をつけるわけではないということだったが、テストとなるとやはり良い点をとりたくなる。
 選択式の文法問題なんかだと、今ならだいぶ答えられそうだったが、そうは問屋は下ろさない。問題は2問で、いずれも自分で文章を書く問題。時間は約1時間。
 1つ目は40行くらいの長文を読んでラスカス(お話)を書くというもの。その長文は先生曰わく「簡単だ」そうだが、私の知らない単語が15個くらい登場。幸い辞書を使っても良く、読みやすい話だったため内容は理解できた。なかなか素敵な物語だったのであらすじを記しておく。

《モスクワに住むビクトルという少年は作家になりたくて、学校を卒業した後、文学の大学入学しようと思った。しかしその大学は、既に優れた小説や詩を書いた人だけしか入学できないということが分かった。そこで、彼は昔の先生に相談しに行く。すると先生は、何か仕事を始めて、1年後再度その大学を受けてみるようアドバイスした。たまたま地質学者と知り合ったビクトルは、彼らの研究に付き合って北極へ行く。そこでの経験をもとに面白い小説を書こうと思ったからである。しかし彼は仕事のおもしろさ、学者達の研究への熱意に惹かれる。そしてモスクワに帰る頃には、作家ではなく地質学者になることを決めたのだった。》

 そして問題は、「あなたの友達が職業選択について考えている。その友達に、この物語の主人公ビクトルがどうやって職業を決めたか教える文章を書け」というもの。
 なるほどこうすれば読解力、文法力、表現力を一度に問うことができるというわけだ。出題者の意図が分かったところで早速解答にとりかかる。このタイプの問題は本文の表現を結構そのまま使える。主語や話法をちょっと変えればそれで文ができてしまうが、それだけでは芸がないので、自分でもいくつか文を考える。今まで習った単語、文法事項を頭の中から引っぱり出し、時には辞書で確認しながら作文していく。
 1問目を終えた時には残り約5分強だったが、幸い2問目は「ロシア人の友達に自己紹介の手紙を書け」というような問題で、要するに自己紹介を書けばよいのである。1問目とのギャップが大きいのには驚いたが、10個以上の文という条件付き。
 時計を見ながらひたすら手を動かし、書き終えて文の数を数えると8個。文の数というのは自分が思っているより意外と少ないものである。残り2分くらいなので、仕方なく「モスクワ駅で電車を見る」という文を追加し、関係代名詞を使って書いた1文を、関係代名詞を消して2つに分割してぎりぎり10個の文を作った。
 今日のテストで思ったことは、読もうと思えば何とか文章を読めるし、書こうと思えば書けないでもないということ。正しく、早く読解、表現するにはまだまだ訓練が必要だが、どうにもならない状態ではないということが分かり、ちょっと自信が持てた。

 学校帰り、ちょうど買い置きしていたコインが切れたことなので、地下鉄のカードを買うことにした。今までどういうものか知らなかったため買わずにいたのだが、台湾人の女の子がカードの値段や使える回数を教えてくれて、買うのまで手伝ってくれた。50回使えて1ヶ月間有効のカードが410ルーブル。普通に乗ったら500ルーブルだから、90ルーブルお得というかなり高い割引率である。こんなに安く乗ってしまうとかえって申し訳ない気持ちになるが、なにしろ地下鉄は私の毎日の足。平日は一日3回以上乗るし、休日どこへ行くにも地下鉄なしでは不便である。安く乗れるにこしたことはない。
 そのカードはSuica(首都圏および仙台圏で使えるJR東日本のSuper Urban Intelligent CArdの略)と同じIC式のようで、改札機にタッチするだけで通れるという優れもの。私はとても気に入ったので、窓口の人に記念に領収書を書いてもらった。

 日本センターからの帰り、マヤコフスカヤを通り越してアレクサンドルネフスキー駅へ。先日ラドガ駅からの帰りに、パスポートや学生証のカバーを売っている店を見つけたので記念に買おうと思った次第。パスポートのカバーといっても、ただのカバーではない。ちゃんと”РОССИЯ ПАСПОРТ(ロシア パスポート)”という金ピカの文字が入り、真ん中に大きくマークが入っている高級感溢れるカバー。しかも1つ25ルーブルでお買い得。実は駅でロシア人がパスポートを出しているのを見て、ロシアのパスポートは随分高級だなと思っていたのだが、その正体はカバーだったのである。これをかければいかにもロシアのパスポートという外観を呈しながら、中身は日本のものという面白いパスポートになるだろうなあと思い、勢い余って2つ買う。RUSSIAと英語で書いてあるものもあったが、やっぱキリル文字じゃなきゃね!ついでに(どっちがついでだか分からないが)学生証のカバーも買って大満足。

 帰宅後、早速カバーをつけかえてロシア風にしたパスポートと、同じくカバーをかけた学生証をウエストポーチに入れてジョギングへ出かける。本当はジョギングお休みの日なのだが、月曜走れなかった分を走ったのである。
 マヤコフスキー周回コースを今日は7周してみた。詩人の名前が付いていないリテイニー通りは人通りが多く、人を避けるために減速せざるを得ない。今回は周回する毎に速度を上げたり下げたりしてみたが、いずれの場合もリテイニー通りでのロスを考えて、マヤコフスキー通りやネクラソーフ通りでは速めに走った。今日の記録は以下の通り(左から周回、LAP、SPLIT)。
1 6分07秒59 
2 6分31秒41 12分39秒00
3 6分01秒30 18分40秒30
4 7分09秒71 25分50秒01
5 5分51秒59 31分41秒60
6 7分35秒99 39分17秒59
7 5分44秒21 45分01秒80
 5周目と7周目、5分台で走ったが、それ以上の速度を維持しようとするとまた足を痛めそうなので、そのあたりをよく考えて走ろうと思う。
 なお、先日つくばマラソンのS石TAから「腹筋もちゃんとやるように」とのお言葉を頂戴したため、今日もシャワーの後腹筋を30回。まだまだ甘いと言われそうだが、明日は筋肉痛になりそうである。

クリスマスは年2回

2005-10-14 18:50:20 | Weblog
2005年10月12日
ロシア滞在42日目
【今日の写真:水上バス乗り場(ネフスキー大通り、カザン聖堂前の橋から撮影)。ペテルブルクは「水の都」とも呼ばれ、ボートや遊覧船による観光が盛んである。普段生活している分にはあまり水の都ということを感じないが、休日には水路から町並みを眺めるのも一つの楽しみ方。】

今日の主な動き
07:00 起床
08:40 出かける
08:48 マヤコフスカヤ駅
08:58 バシレオストラフスカヤ駅
09:10 学校
12:26 日本料理のレストラン”две палочки”
13:58 バシレオストラフスカヤ駅
14:07 ガスティニードヴォル駅
14:15頃 日本センター
16:07頃 洗濯屋
16:19 セイナヤプロシャチ駅
16:26 ネフスキー通り駅 乗り換え→ガスティニードヴォル駅
16:32 マヤコフスカヤ駅
16:48 帰宅
17:09~17:51 ジョギング 約7.2km
17:54 帰宅

 朝食の時間、ナジェージュダと話をする。冬休みのことも話題になり、年末にヨーロッパへ行くが、新年はロシアに帰ってくることも話した。ヨーロッパ旅行と重なり、残念ながらロシアのクリスマスは見られないと思っていたが、彼女の話によるとクリスマスは1月7日。12月24日はヨーロッパのクリスマスで、ロシアのクリスマスは1月7日なのだという。
「じゃあ12月はクリスマスないんだね?」とたずねると、「いや、ある。」という予想外の答えが返ってきた。何でも、ヨーロッパのクリスマスの日もクリスマスを祝って、ロシアのクリスマスも祝うのだそうである。これを要するにロシア人はお祝い好き。おめでたい人々である。ちなみに、どっちがのお祝いが大きいか聞いてみると、もちろん「1月7日の方が大きい」とのこと。カレンダーを見ると、確かに1月7日が赤文字になっていた。

 結構話をしているうちに時間がたち、また出かけるのがちょっと遅くなってしまった。朝はだいぶ寒く、道行く人々も急ぎ足のように見える。地下鉄の駅の中は大変暖かいのでほっとする。

 学校ではいろいろな提案・勧誘の表現について学んだ。すると授業後、クラスの韓国人がさっそくその表現を使って「日本料理のレストランへ行こう」と誘ってくれた。ちょうどその辺で昼食をと思っていたところだったので、彼らとともに近くの日本料理レストラン”две палочки(「二本の箸」という意味)”へ。
 私が知らないところだったので、こんなに近くに日本料理の店があることに感動した。早速メニューを開いてみる。寿司などもあったがやたらと高いので、そんなところには目もくれず別の料理のページへ。日本でいうところの牛丼や親子丼に似たようなものがあって、さすが日本料理の店だと思った。チキンのソースがけとライス、コーラを注文。これなら日本のレストランにもよくあるメニュー。ところで、このレストラン、две палочкиという名前だけあってメニューの後ろに2本の箸がくっついていた。そうとは知らず、メニューが下げられる際にその箸を慌てて取り除こうとしてしまうという滑稽な出来事もあった。
 料理を待つ間、韓国人の友達に面白いことを頼まれた。彼はカシオの電子辞書を韓国で買ってきたが、英語のものはあっても露韓辞典の電子辞書がないのだそうだ。(そういえば、露和の電子辞書も見たことがない)。そこで、「カシオは日本のメーカーだから、帰国したら露韓辞典をつくるよう言ってくれ」と言われた。ロシア語人口はまだ少ないが、これからロシア語の需要は増えるのではないか(と私は勝手に思っている)。ロシア語の電子辞書も是非作ってほしいものである。
 さて、出てきた料理の外観は思っていたより日本風。茶碗に盛られたご飯には白ごまがかかっていた。チキンの味付けもロシアのものとは一風変わっている感じがした。完璧にとまではいかないが、日本的な味の日本的な昼食を食べたのはおそらくここに来て初めて。また来ようと思った。

 洗濯屋に昨日預けた洗濯物をとりに行き、帰り道ガスティニードヴォル駅、セイナヤプロシャチ駅のどちらから地下鉄に乗るか考えていると、無意識のうちに昨日ゴミ箱火災を見たセイナヤプロシャチの方に足が進んだ気がする。
 すると今日もまた驚くべき光景を目にしてしまった。洗濯屋を出て約2分後、信号待ちの車の列を黄色い車が猛スピードで抜かしていった。ただ抜かすだけなら日本でも良くある話。ところが、よくよく考えるとその車が走っていったのは対向車線。万一前から車が来ていたらと思うとぞっとする。

セイナヤプロシャチ駅前の建物には、デジタル表示板がついており、時刻と気温が交互に表示される。16時19分現在の気温は+16度。ここ2,3日は天気が良く、日差しが暖かい。
 寒くならないうちにジョギングをと思い、帰宅後ジョギングに出かける。今日も信号の影響を受けない周回コース。家の前のジュコフスキー通りとマヤコフスキー通りの交差点の角にあるバーを起点に、左回りで走る。今日は去年のつくばマラソン授業のTシャツで気合いを入れる。マヤコフスキー通りとネクラソーフ通りの交差点にある公園にはマヤコフスキーの石像があるから、私はこの周回コースを「マヤコフスキー周回コース」と呼ぶことにした。ジュコフスキー、マヤコフスキー、ネクラソーフはいずれも詩人。それらを通りの名前にするとは、ロシア人は文学好きのようである。ちなみにこのマヤコフスキー周回コースに含まれるもう一つの通りの名前、リテイニーは人の名前ではない。辞書で調べると「鋳造の」という意味の形容詞だと分かった。
 走っているとオレンジ色の小さな紙を配っているおばちゃんに出くわした。しかもそのおばちゃん、かなりゆっくり歩きながら配っているようで、私が周回するたびに前の場所とちょっと離れたところで出会う。少なくとも私が走っている40分以上の間、ずっと道で紙を配っていたようなので、最後の6周目、そのおばちゃんの持っている紙をもらうことにした。するとおばちゃんは私にいろいろ話しかけてくれた。「スポーツ選手なのか?」と聞かれたようなので「ペテルブルク大学でロシア語を勉強してる。」と一通り自己紹介は出来たが、例によっておばちゃんの話が部分的にしか聞き取れず、申し訳ない気分。それでも「とても素晴らしい。」と誉めてくれたことだけは分かったので、とてもhappyな気分でジョギングを終えた。ちなみに、そのオレンジ色の紙はマヤコフスキー通りにある靴屋の広告だった。
 今日のジョギングは42分00秒。マヤコフスキー周回コースを6周したから7.2kmくらい。1周毎の記録は以下の通り(左から周回、LAP、SPLITの順)。
1 6分12秒76 
2 6分52秒89 13分05秒65
3 7分01秒74 20分07秒39
4 7分24秒62 27分32秒01
5 7分07秒76 34分39秒77
6 7分20秒53 42分00秒30
 適度な気温、良い天気でジョギングには最適だった。

 

ゴミ箱火災

2005-10-13 18:58:03 | Weblog
2005年10月11日
ロシア滞在41日目
【今日の写真:モクモクと煙を出すゴミ箱(セイナヤプロシャチ駅前で)】

今日の主な動き
08:47頃 出かける
08:53 マヤコフスカヤ駅
09:04 バシレオストラフスカヤ駅
09:15 学校
12:25 クリーニング屋
12:28 バシレオストラフスカヤ駅
12:40 ガスティニードヴォル駅
12:56頃 洗濯屋
12:58 洗濯屋の向かいのカフェで昼食 その後再び洗濯屋へ
14:55頃 日本センター
17:45頃 洗濯屋
17:56 セイナヤプロシャチ駅前のスーパー
18:17頃 セイナヤプロシャチ駅
18:23 ネフスキー通り駅 乗り換え→ガスティニードヴォル駅
18:29 マヤコフスカヤ駅
18:41 帰宅
21:55頃から イーゴルの誕生日祝い

 ペテルブルクのレストランでは、ファーストフードを除いて、料理に食べる順序があるのが一般的なようである。
 今日も洗濯屋カフェの向かいにあったレストランでランチを注文すると、サラダ、パン、ボルシチ、メインディッシュのチキンとポテトの順に出てきた。そしてそれらを全部そろえて同時に食べるのではなく、出てきた順に食べないとさっさと片づけられてしまう。フルコースみたいなものである。
 たまたま向かいの席に座った男性がメインディッシュを食べていると、まだ半分くらいボルシチが残っているのに店員はそれを持っていってしまった。慣れないうちはちょっとびっくりする習慣である。

 洗濯屋へ行くと、どうやら機械の故障で水が出てこないらしく、アントンがそのことを説明してくれた。今日の夜か明日なら大丈夫だというので、洗濯物を預けることに。会話をしていると、彼は「最初に会ったときよりロシア語が上手になっている」とほめてくれた。自分では上手くなったのかどうか分からないが、こう言ってもらえるからには少しずつ進歩しているのだろう。そう思うと嬉しくなった。

 洗濯屋を出て歩いていると、路上で靴下を売っているところを発見。しかもかなり安い。40ルーブルで5つセットになっているやつを買う。そこのおばちゃん、私に「日本人か?」と聞いてきた。一発で日本人と分かるとは、なかなか鋭い目をしている。

 今日はホームスティ先のナジェージュダ、セルゲイの孫イーゴル(Егор)2歳の誕生日。ちょっとしたプレゼントを買っていこうと思い、セイナヤプロシャチ駅前のスーパーに寄った帰り、駅前の広場を歩いているとなんだか煙たい。まさかこんなところで焚き火をしているわけでもあるまいと不思議だったが、数秒後、その煙のもとが判明。なんとゴミ箱の中身が盛んに燃えており、そこから煙がもくもく出ていたのである(【今日の写真】参照)。
 ここではゴミの分別がなされているわけもなく、人々は新聞紙、包装紙、ペットボトルなどあらゆる物を一つのゴミ箱につっこむ。そこに火のついたままのタバコの吸い殻まで入れるからたちが悪い。ゴミ箱が火災を起こすのも当然である。しかも駅前だけあって人通りが多く、周りに出店もあるのだが、火を消そうとする人は誰もいない。火災どころか、天然の焼却炉とでも思っているのだろうか。
 いかにもロシアらしい光景を見たものだと思いながら、ふと、日本でゴミ箱から火が出たらどんな騒ぎになるだろうと考えてみた。こんな事で大騒ぎしていてはかえってそっちの方が滑稽だと思えてくるのは、私だけだろうか。
 ロシアに来て以来、日本人の感覚とはかけ離れた「蛮行」の数々を目にする度に「さすがロシア」と時にはばかにし、時にはあきれてきた。が、最近かえって日本の方がおかしいのではと思うことも少なくない。アメリカでホームステイした時もそう感じたことがある。一言で言うなら、日本人は型にはまりすぎ、神経質になりすぎ、人の目を気にしすぎ。日本人の私でさえそう思う。それを今まで美しいと思ってきたこともないわけではない。しかし外から見れば、やっぱり変。それが「文化」だと言うなら、日本は相当居心地の悪いところである。狭い島国で心まで窮屈になっては他にとりえがないではないか。他国に留学している人々はどう考えているのだろう。あるいは、ロシアだけがあまりに変わってるのかな?

 そんなことを考えながら乗った地下鉄、ネフスキー通り駅に着く際、いつものお決まりの車内放送がなかった。運転手が放送を入れ忘れたのだろう。地上の風景が見えない地下鉄では車内放送での案内が重要。ドアが開いた直後、”Невский проспект, следующая станця…”と録音の放送と全く同じことを、同じ口調で運転手が言っていたのがやけに面白かった。

 夜、ナジェージュダ、セルゲイとともにイーゴルの誕生日祝いをした。が、両親とともに別の所に住んでいる本人は来ず、主役なしのささやかなもの。いつもの「健康のために」に今日は「イーゴルの」がついて”За здорвье Егора!”とウォッカで乾杯した。
 たまにやってきてはその辺で悪さをしてよく怒られているイーゴルだが、彼のおかげで「触るな!」とか、「何やってんの!?」みたいな言葉を知ることが出来た。まだ言葉が話せる年齢ではないが、あと10年後、20年後にまたロシアに来て会ってみたいものである。 

出前床屋

2005-10-12 20:02:28 | Weblog
2005年10月10日
ロシア滞在40日目
【今日の写真:床屋のレーナに髪を切ってもらう私】

今日の主な動き
06:50頃 起床
08:37 出かける
08:44 マヤコフスカヤ駅
08:56 バシレオストラフスカヤ駅
09:10 学校
12:25 中華料理レストラン「唐人」
14:52 バシレオストラフスカヤ駅
15:56頃 ガスティニードヴォル駅
15:10 本屋”Дом Книги”
15:53頃 ガスティニードヴォル駅
16:01 マヤコフスカヤ駅
16:10頃 インターネットカフェ
17:00 帰宅
19:19 出前床屋

 昼、先週からのH谷さんの提案で、H谷さんのクラスと私のクラス合同で昼食会を開いた。H谷さんのクラスにいる数少ない欧米人は、なぜか遠慮して参加しなかったため、結局日本、韓国、台湾の極東3カ国メンバーのみになった。彼らとの話は大変面白かったが、韓国、台湾人はたくさんいるため、それぞれの母国語で会話をされるとさっぱり分からない。
 昼食後、外で記念撮影をした。その写真を見ると、一見しただけでは日本人なのか台湾人なのか韓国人なのか区別がつかない。アジア人は皆似たような顔つきである。私達日本人もアジアの一員なのだということを感じる。

 今日は2日に一度のジョギングの日なのだが、昼食会が結構盛り上がったことに加え、H谷さんの誘いで本屋へ行ったこともあって時間がなくなってしまった。普通ならそれでも走る時間はあるが、今日は夕方床屋が来るのである。先週「そろそろ床屋へ行く」ということをホストファミリーに話すと、ナジェージュダが知り合いの床屋に電話して呼んでくれた。普通の床屋へ行くと高いのだそうだ。
 19時前頃に床屋のレーナがやって来た。髪型を説明するのは初めてなのでなかなか大変。とにかく短くしてもらえればそれでいい。ロシア風の髪型なんてあるのかなと思って聞いてみたが、そんなものは特にないとナジェージュダに笑われた。セルゲイの髪型がちょうど良い長さで、これから彼も散髪するらしいので、「セルゲイと同じくらいに」と言うと、「じゃあセルゲイの髪型を見て、気に入ったら同じようにしたらいい。」と言われ、セルゲイの散髪の様子を眺める。
 床屋が家にやってくるなんて前代未聞だから、どんな仕事をするのか興味深く観察した。すると床に何か敷くでもなく、ただ椅子を置いてそこにセルゲイを座らせ、首から下をシートで覆って髪を切り始めた。至って簡単な準備だ。切り終えると顔剃りやシャンプーはなく、本当に「カットだけ」の床屋だが、思えばそれで不十分なことはない。
 私の番になり、同じように椅子に座ってカットしてもらう。レーナは慣れた手つきでどんどん切っていき、かなり短くなっている感じがする。時々ナジェージュダが見ていろいろ話していたが、困ったことに何を言っているのかよく分からない。「この辺がいまいちだ」などと注文をつけていたようだ。本当は自分でいろいろ言えればいいが、まだそこまで説明できる力はない。
 40分ほどで一通りカットが終わり、鏡を見る。だいぶ短くなって大変結構なことだと思ったが、前髪だけ長いままだったので最後にそれを短くしてもらって終了。料金は200ルーブル。日本円で約800円。出前の方が高そうなものだが、ナジェージュダの知り合いということもあって安くしてくれたのだろう。ありがたいことである。

 ナジェージュダは、「とてもよい髪型になった」と言ってくれた。セルゲイ曰わく、「明日学校に行ったら、別のサーシャが来たと思われるんじゃないか。」だそうだ。それくらい短い髪になったわけである。これから寒い季節になるが、「すぐに長くなるから。」というナジェージュダのフォローがやけに面白く感じられた。