ロシアの北都 サンクトペテルブルク紀行

2005年秋から留学する、ロシアのサンクトペテルブルク(旧レニングラード)での毎日を記します。

久々にジョギング

2005-10-08 19:53:40 | Weblog
2005年10月04日
ロシア滞在34日目
【今日の写真:カザン聖堂の右側。バックの紅葉も撮ったつもり】

今日の主な動き
05:43頃 起床
08:33 出かける
08:40 マヤコフスカヤ駅
08:50 バシレオストラフスカヤ駅
09:04 学校
12:34 大学近くのコピー屋
12:58 バシレオストラフスカヤ駅
13:07 ガスティニードヴォル駅
13:19 日本センター
15:01 ネフスキー通り駅
15:10 マヤコフスカヤ駅
15:24 帰宅
15:56~16:32 ジョギング
16:37 家近くのロシア版マック
16:51頃 帰宅

 今朝はいつもより早く、7時過ぎに朝食。7時過ぎなのに外はまだ真っ暗。一緒に食べていたセルゲイに、「暗くて普通なのか?」と尋ねる。するとこの季節はこれで普通なのだと答えてくれた。

 普段は朝食後すぐに学校へ行くのだが、今日はゆっくりする余裕があったので、日本センターでUSBメモリに保存してきたJR東日本のダイヤ改正の概要のPDFファイルを開いて見る。12月に行われるダイヤ改正は、新幹線に関していえばかなり大々的なものになるようだ。こまち、つばさの定期列車が増発される。古川以北でデジタルATCが本格稼働することにより、東京~盛岡間の所要時間が短縮される。東京駅の東北・上越新幹線ホームの区別がなくなることにより、上野発着の臨時列車が東京発着になる。東京駅の電光掲示板も一新される。私の留学中にはこんな大規模な改正はないはずだと勝手に思っていたから、ショックは大きい。
 時刻、番線、列車番号...今まで覚えてきたことが古い情報になる。山形新幹線用のL53など、新しく加わる車両がある一方で、古川以北でDS-ATC導入となるとDS-ATC非対応の編成の運命が危なくなる。私が日本に帰る頃には浦島太郎状態なんだろうなあ。

 日本の新幹線は常に乗客のニーズに応えてサービスを改善しているが、ロシアの地下鉄は一体どうなっていることやら。
 毎度毎度のことで慣れているが、バシレオストラフスカヤ駅のエスカレーター争奪押し合い合戦、今日は一段とひどかった。「争奪」といっても最終的にはみんなエスカレーターを「獲得」できるのだが、ホームいっぱいにあふれた人が、エスカレーターに乗る4列に収束する数メートル手前がものすごい押し合いになる。しかも良くないことにその付近には右と左のエスカレーターを分ける鉄製の柵が胸くらいの高さまである。そこに押しつけられた日には肋骨の一本や二本折れそうなくらいの圧力で押される。こればかりは本当にいただけない。ホームに降りてからエスカレーターに乗るまで最短でも5分はかかる。そこに次から次へ列車が到着して人が供給されるからたまらない。エスカレーターを一つ増やすとか、列車の間隔を見直すとか、ホームに人を整理する柵を作るとか、何とかしないとスリや窃盗のみならず、けが人がでるのではないかと、いつも心配である。ロシアの地下鉄もサービスを改善した方が良さそうだ。
 苦労して押し合い合戦に参戦している最中、先にエスカレーターに乗った連中がこっちを見下ろしてくるのには腹が立つが、いざエスカレーターに乗ってしまうと自分も同じことをやる。人間万事こんなもんなのかな。

 今日は久々にジョギングへ出かけた。9月15日以来2回目。本当は2日おきに走るつもりだったのだが、風邪をひいたりオペラ鑑賞があったりでぐずぐずしているうちに10月になってしまった。今度こそは2日に1度走ろう、そう心に決めて通りへ出る。
 まずジュコフスキー通り経由でモスクワ駅へ出て、ネフスキー大通りを大学と反対方向に走る。ネフスキー大通りのつきあたりにはホテル「モスクワ」があった。信号がやたら多いので、信号が赤の時には思い切って青の方向へ渡って裏道に入る。走り始めたときは少し寒く感じたが、走っているうちにすっかり暖かくなってきた。
 帰り道、「ダッタン人の踊り」を大音量でかけている車に遭遇。やたらうるさい音楽を爆音でかけている車なら日本でもよく見かけるが、「ダッタン人の踊り」を大音量でかけるなんて、なんて粋な奴なんだろうと感心した。
走行時間は36分02秒。前回よりやや速めに走ったけど、信号で減速したこともあったからだいたい5kmくらい。

 走り終えた後、自分へのご褒美として近くの「ロシア版マクドナルド」(スティーブンの命名。本名は不明)で21ルーブルのアイスを食べる。

 夕食の際、ナジェージュダの友人が来ていた。今日はみんなでコニャックを飲んだ。スティーブンと私が「名前の日」にプレゼントしたやつだそうで、結構おいしかった。後でスティーブンに報告しようと思った。
 今日は主に日本とロシアの賃金についての話になった。ナジェージュダは医者だが、月給はわずか7000ルーブル(日本円にして約3万円)なのだそうだ。日本の賃金はどうかと聞かれ、大卒の初任給を想定。約20万円として、「50000ルーブルくらい」と言ったらびっくりされた。「でも日本の物価は高いから、この額でも高いということはない。例えば電車は最低でも40ルーブルくらいかかる」と言うと「それは高すぎる」と驚いていた。ロシアの地下鉄やバスは安すぎると思っていたが、人々にとって決して安すぎるということはないようだ。ロシアの人々が日本に来たら大変だろうなあと思った。
 

パスポートを忘れる

2005-10-08 19:52:20 | Weblog
2005年10月03日
ロシア滞在33日目
【今日の写真:部屋から見えるジュコフスキー通り】

今日の主な動き
06:30 起床
08:52 出かける
09:01 マヤコフスカヤ駅
09:13 バシレオストラフスカヤ駅
09:24 学校
12:19 バシレオストラフスカヤ駅
12:26 ガスティニードヴォル駅
12:40 洗濯屋
14:19 日本センター
15:30 洗濯屋
15:59 ネフスキー通り駅
16:05 マヤコフスカヤ駅
16:13 駅前のケンタッキー
16:40頃 帰宅

 今日から学校は30分遅く始まるはず。確か先生がそう言っていたので、いつもより遅く、かつ9時30分までにはだいぶ余裕を持って着くように家を出た。
 地下鉄の車内で、デジカメを家に忘れてきたことに気づく。あーあ、ついてないなあと思ったが、数秒後にもっと大事な忘れ物に気づいた。パスポート。もし警官に提示を求められたら大変だ。取りに帰ろうか一瞬迷った。路上を歩いていたらとりに行っていただろう。しかしガスティニードヴォルで乗り換えて引き返す方がかえって危険かも。こんな時に限ってまた盗難にでもあって警察のお世話になったら大変。そういえばこの前カメラを盗まれたのもガスティニードヴォルから乗った時だった。そう思ってそのまま学校へ。
授業には余裕で間に合うはずだったが、30分遅く始まる説は先生の勘違いで、いつも通り9時から授業だったようだ。今日は朝からとことんついてない日だ。
 
 学校からの帰り、バシレオストラフスカヤから乗った地下鉄の車内には今日はライト売りがいて、盛んに宣伝していた。この時間帯はよく物売りに出くわす。

 ガスティニードヴォルで地下鉄を降りた後、洗濯屋へ行く。洗濯の間にパスポートをとりに一度帰る予定だったが、洗濯屋にニコラスも来ていて、世間話で盛り上がってしまう。彼は風邪を引いて、学校を早退してきたそうだ。パスポートの話をすると、普通に町を歩いていて提示を求められたことは一度もないから大丈夫じゃないかとのこと。確かに私も普通に歩いているときは、空港以外で提示を求められたことはない。彼も私と一緒で来年までペテルブルクにいるが、スウェーデンまではここから飛行機で約1時間だと言っていた。

 洗濯を終えて地下鉄へ向かう途中、ネフスキー通り駅前の交差点にさしかかる。人々の流れにのってネフスキー大通りを渡ろうとすると、歩行者に向かって車がクラクションを鳴らしてきた。うるさいなあ、信号も待てないのか。短気な連中だなと思っていたが、それは大きな間違いだと気づいた。なんと歩行者用信号の方が赤ではないか。私は渡る直前に気づいたものの、平気で渡っていた人は一人や二人ではない。結局渡りきれなかった人達は車道のど真ん中で待つハメに。デジカメを持ってきていたら間違いなく【今日の写真】にしていただろう。
 車がビュンビュン往来する中、島のように人が群れている光景は大変滑稽だったが、こんなスリリングなことをしていては寿命が縮むことだろう。実際ロシアの平均寿命は日本よりかなり短い。
ロシアでは人の流れにのってはいけない。必ず自分の目で信号を見ないと、命の保障はない。事故に遭わなくて良かった良かった。パスポートを忘れてきたに日はそのことが身にしみて感じられた。

地上の鉄道に初乗り!

2005-10-08 19:51:26 | Weblog
2005年10月02日
ロシア滞在32日目
【今日の写真:パブロフスクの公園】

今日の主な動き
08:45 出かける
08:52 マヤコフスカヤ駅
08:57 ガスティニードヴォル駅 アリョーナ、A子と待ち合わせ
09:15 ネフスキー通り駅
09:30 マスコフスカヤ駅
09:47 マルシュルートカでマスコフスカヤ駅を出発
10:19 パブロフスクに到着 パブロフスクの公園内を散策
12:23 H谷さん合流
17:02 列車でパブロフスク発
17:23 クプチノ駅 地下鉄に乗り換え
17:28 クプチノ発
17:51 ネフスキー通り駅 乗り換え
17:55 ガスティニードヴォル駅
17:58 マヤコフスカヤ駅
18:27 ジュコフスキー通りのロシア版マクドナルド H谷さんと語る
21:24 薬局
21:28 帰宅

 日曜日の今日はアリョーナの案内で郊外のパブロフスクという町へ。24日に出かけたプーシキンのすぐ隣。アリョーナ、A子と三人で9時にガスティニードヴォルで待ち合わせて出かける。
 例によって地下鉄の駅から、25ルーブルという激安マルシュルートカに乗る。30分ほどでパブロフスクに到着。
 公園は広大で、自然の森林を柵で囲って遊歩道をつくったようだ。木々は一度には紅葉しないようで、緑、黄緑、黄色、オレンジ色が点在する。小さな川が流れて古めかしい橋が架かり、まるで絵本に出てきそうな風景。こんな場所をのんびり散歩するのも素敵な休日の過ごし方だ。
 アリョーナが大きなかえで(?またはもみじ)の落ち葉をつないで冠を作った。彼女は器用であっというまに冠を仕上げてみせた。
 再び歩いているとH谷さんから電話が来た。待ち合わせの時間を10時だと思っていたらしく、これからパブロフスクへ向かうとのこと。ロシア語の9と10はとても似ているので聞き間違えたようだ。
 そういうわけでお昼からはH谷さんも合流。落ち葉の冠をみんなで交互にかぶって写真を撮ったり歌を歌ったり。地図がないのでどこをどう歩いているかは分からない。アリョーナが子どもの頃によく来た場所だということで、彼女だけが道を知っている。
 しばらく歩くとちょっとした広場に出た。真ん中に1つ銅像があり、周囲にも銅像がいくつか円形に並んでいた。そのうちの一つに落ち葉の冠をかぶせようという話になり、一番背の高い私が最も背の低い銅像に頑張って冠を与えた。ついでに落ち葉数枚を銅像の手に持たせた。すると面白いことが起こった。今までバラバラだった人々がその銅像の前に列をつくって記念撮影を始めたのである。たくさんの中の一つに過ぎなかった一銅像が一気に人気急上昇。おかしくておかしくてみんなでゲラゲラ笑った。

 帰りは電車に乗ることに。マルシュルートカよりさらに安い14ルーブル。きっぷは駅の建物の中にある窓口で買う。地下鉄には毎日たくさん乗っているが、地上の鉄道はこれが初めて。パブロフスクからクプチノまで乗る。どんなきっぷなのかな?記念すべき最初のきっぷだからもらいたいな。ロシアには無効印なんてあるのかな?などと楽しみにしていたが、窓口で渡されたのは薄い感熱紙にプリントされた白黒の小さなきっぷ。レシートみたいで、もう少し立派なきっぷを期待していた私はちょっとがっかり。
 驚くべきことにロシアの鉄道に改札口はない。人々が自由にホームに出入りしている。日本の新幹線ホームも入場フリーだったらいいのになあと羨ましく思った。

 ホームの入り口には時刻表が掲示されており、しばらく眺める。
 時刻表には列車番号、始発駅、発時刻、番線、通過駅(停車駅じゃなくなぜか通過駅)が書いてあった。時間帯によって頻度がだいぶ異なるが、おおむね10分から20分に1本の割合で運転されている。ペテルブルク方面への時刻表しか見なかったが、列車番号は6000番台、4桁の偶数で統一されていた。ということは、日本と同じように上り(ペテルブルク方面)は偶数、下りは奇数で統一されているとみて間違いない。末尾にM、B、Cのようなアルファベットがつくのかどうかは不明。業務用の時刻表を見ないと何とも言えない。
 それにしても6520列車の次に6318列車,6758列車,6330列車...なんて、随分適当な列車番号だなと最初は思っていたが、さらに詳しく観察すると、いい加減な番号でないことに気づいた。始発駅によってちゃんと番号が分けられているのである。その体系はおおむね次のようである。
 パセロック(ポセラック?アクセントの位置が分からないので読み方不明。以下同様)始発の列車は6300番台、オレデシュ(またはアレデシュ?)始発の列車は6400番台、ここパブロフスク始発の列車は6500番台、ナヴァリシナ(?)始発の列車は6700番台となっている。よく分からないのが6600番台。これは2本しかなくて、6674列車がグドフ(?)始発、6686列車はどうやらノブゴロド始発らしい。6600番台はイレギュラーなのかな。
 このように上りの列車番号で始発駅が分かるということは、逆に下りでは列車番号から行き先が分かるということを意味する。大変便利な体系であると感心した。ちなみに、4桁の列車番号を持ち、百の位で行き先を区別するのは東日本の新幹線と同じ。新幹線とロシアの鉄道は意外なところで共通点があることに嬉しくなった。
 列車番号の上2桁まで分かったところでさらに下2桁の解読を試みるが、これがまた意味不明。パセロック始発の列車、6348,6350が続いたら次は6352のはずなのに、なぜか6354へ番号が飛んでいる。同様のことは他の番台にもいえる。新幹線と同じなら下2桁は停車駅パターン(例えば長野新幹線「あさま」は500~540番台が速達、550番台以降が各駅停車)の可能性が高いと期待したが、そうでもないようだ。
これを読み解くにはパブロフスク以前の停車駅や運行体系などを調べなければならないのかもしれない。そうすると掲示されている時刻表だけでは分からない。
 発車時刻に関しても規則性は見いだせなかった。始発駅や特定の駅など、何らかの形で規則性を持たせている可能性はあるが、やはりパブロフスクの時刻表一枚からは分からず。
 
 ホームから線路を見てみる。レールの幅は日本の在来線より明らかに広い。またいでみないと分からないが、おそらく新幹線と同じ標準軌(1435mm)だと思う。
 私達4人は所定17時1分発の6768列車に乗った。列車は17時2分に到着し、17時3分に発車したから2分の遅れ。この程度の遅れは許容範囲なのか、それとも何かトラブルがあったのかは分からない。車内放送でも何も案内はないようだった。
 地下鉄同様、残念ながら加減速音から制御方式をつかむことは出来なかった。音を聞いた限り、少なくとも三相交流モーターをインバーター制御するようなハイカラな方式でないことは明らか。直流電流を位相制御するとか、もしくはロシア独自の技術を使っているのかもしれない。交流、直流の区別と電圧が分かれば少しはヒントになるのだが、残念ながらそれはアリョーナも知らなかった。

 標準軌だけあって車内は広々としており、3列席のボックスが通路を挟んで両側に配置されていた。(Maxやまびこの自由席みたいな感じ。)椅子は木で出来ており、背もたれは低くベンチのようだ。停車駅の間隔が短いため、列車はそんなに速度を上げない。停車駅の中には「21KM」という面白い駅名の駅もあった。距離をそのまま駅名にするなんて、芸がないなあとがっかりしたが、鉄道ファンにとっては分かりやすくてありがたい駅名なのかもしれない。

 隣で本を読んでいた少女、大きな黄色の葉っぱをしおりにしていた。パブロフスクの紅葉の風景と重なり、秋の深まりを感じた。のんびり走る列車はロシアの大地のパノラマを車窓に見せる美術館。ゆっくりと流れる車窓に車窓に季節の推移を見ながら本を読んだり、おしゃべりをしたり。なんとも贅沢な旅である。ロシアの時間はゆったりと過ぎていくようだ。
 ロシアに高速鉄道はないが、15秒単位で時刻を気にしながら高速運行する新幹線のようなシステムは、この人達には似合わないのかもしれないと思った。日本は小さな国だから、急ごうと思えばいくらでも早く行ける。それに対して広大なロシアでは急いだところで先は長い。だったらはじめからゆっくり行けばいい。鉄道のありようはその土地その土地の人々の生活のありかた、考え方を反映すると言っては大げさだろうか。