ここ数日ブログの更新場所が日本センターでなく、インターネットカフェになっており、日本語でコメントの入力が出来ない状態になっています。コメントを下さった方、ありがとうございます。しばらくお待ち下さい。
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2005年10月21日
イーゴルと遊ぶ
ロシア滞在51日目
【今日の写真:イーゴルの蒸気機関車。こどものおもちゃはどこでも同じようだ。】
今日の主な動き
5時過ぎ頃 起床
08:32 出かける
08:39 マヤコフスカヤ駅
08:50 バシレオストラフスカヤ駅
09:01 学校
12:49 韓国料理のレストラン
15:44 日本センター
16:14 ガスティニードヴォル駅
16:23 マヤコフスカヤ駅
16:36 帰宅
今朝は8時半頃に家を出る。天気が良くないこともあってか、まだ薄暗かった。バシレオストラフスカヤ駅に到着し、エスカレーターに並ぶと、驚くことにいつもの押し合いがない。しかも私の数メートル後で人の列が切れ、隣のエスカレーターはガラガラになった。あれだけ大量の人は一体どこへ行ったのか。かえって気味が悪かった。
学校では、「AとBは~の点で異なる」という形を8つ勉強し、ひたすらその形を使う練習をした。隣の人に2つ比べる物を挙げ、その相違点を答えるというパターン。私の隣の台湾人は、「ロシア料理と日本料理は何が違うか?」なんて問題を出してきたから、私は答えに困った。
すると料理の話が始まり、みんなで知っているロシア料理を挙げようということになった。ブリーニー、ピロシキ、スメタナ、カーシャなどはロシア料理なのだが、ボルシチがウクライナ料理、ペリメニ(小型肉入り餃子)が中国料理、シャウルマがコーカサスの料理だということは意外だった。
そして私の答えは、「日本人は魚を大量に食べるが、ロシア人は魚より肉を好む」。実はこの答え、先生に誘導されて出したものだから、100パーセント私の考えではない。「日本人は魚好き」というのはロシアでも有名なようである。
昼、クラスの人に誘われて韓国料理のレストランへ行くことに。近くへ行くマルシュルートカがあったのだが、人数が多かったためみんな乗ることが出来ず、私と韓国人2人は車をつかまえ、レストランに向かった。車といってもタクシーではなく、個人の車。ここでは道路で手を横に出して合図していると、止まってくれる車がある。値段は交渉次第。今回は3人で100ルーブル。マルシュルートカより高いが、日本のタクシーの相場から考えると激安だ。
運転手はさすがこの町で車を運転しているだけあって、かなりあらい運転だった。右折して比較的小さな通りに入ったとき、道路の両端に路駐車がたくさんあったため道幅が狭くなり、実質的に対向車の一方通行状態になっていた。どうするんだろうと思って見ていると、後退するでもなく対向車に向かっていく。路駐車の間の空きスペースを上手く活用しながら、ハンドルをぐるぐる回して切り抜けた。実に見事な運転に感心したが、こうやっていかなければここの車社会では生きていけないのかもしれない。
韓国料理のレストラン、ハングルのメニューが出てきたときには全く読めず参ってしまったが、ついでなので、韓国人にハングルは何文字あるのか聞く。メニューを一見したところかなりの種類がありそうだったが、意外にも基本形は28文字しかないのだそうだ。その28文字を2つか3つ組み合わせて1つの文字を表すのだという。何でも最初はそうだが、さっぱり読めない文字というのは自分にとって暗号みたいで、恐ろしささえ感じてしまう。それだけに、ロシア語のメニューが出てきたときには少し安心した。ロシア語のメニューのほうが、少しでも分かるだけまだましである。
それにしても韓国料理は辛いうえ、肉なども独特の味付けで、まずいということはなかったが、普段なじみのない私は違和感を覚えた。金属製の箸を使ったのも初めてだった。
夜、家にイーゴルが来ていて、夕食後、彼と蒸気機関車のおもちゃで遊んだ。機関車につまづいて脱線させたり、円形状のレールを持ち上げて折り曲げようとしてみたりといったしょうもない仕事もしてくれたが、機関車と客車、貨車をつないで走るのを喜んで見ている様子は私の幼い頃と全く同じだ。そんなことを思いながら、何だかんだで私も彼との機関車遊びを楽しんだ。そんな私の様子を見て、ナジェージュダが「部屋に持っていって遊んでもいいよ。」と言ってくれたが、さすがに一人で電車遊びをする年齢ではなく、「イーゴルが来たときだけ、彼と遊ぶ。」と笑いながら言った。
その後、最近さぼりがちだった日記に、機関車遊びのことを書いた。機関車で遊びながら、セルゲイが「石炭」「蒸気機関車」などといった新しい単語を教えてくれたので、そのことについても日記に記す。ナジェージュダは、添削後、「昔はロシアでも蒸気機関車が走っていた」と教えてくれたので、「いつ頃まで走っていたのか?」と私がたずねた。 するとセルゲイとナジェージュダで蒸気機関車がいつまで走っていたかについて論争になり、どっちの話を信用して良いことか分からなかった。セルゲイがいなくなった後、ナジェージュダは「彼の話は聞くな。」と言って「ペテルブルクではないが、1980年から1990年くらいまでロシアでは蒸気機関車が走っていた。」と教えてくれた。もしこっちが本当なら、かなり最近まで蒸気機関車が活躍していたことになる。
ロシアの広大な大地に重厚な蒸気機関車、あまりに似合いすぎるその光景が、私の脳裏に浮かんだ。
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2005年10月21日
イーゴルと遊ぶ
ロシア滞在51日目
【今日の写真:イーゴルの蒸気機関車。こどものおもちゃはどこでも同じようだ。】
今日の主な動き
5時過ぎ頃 起床
08:32 出かける
08:39 マヤコフスカヤ駅
08:50 バシレオストラフスカヤ駅
09:01 学校
12:49 韓国料理のレストラン
15:44 日本センター
16:14 ガスティニードヴォル駅
16:23 マヤコフスカヤ駅
16:36 帰宅
今朝は8時半頃に家を出る。天気が良くないこともあってか、まだ薄暗かった。バシレオストラフスカヤ駅に到着し、エスカレーターに並ぶと、驚くことにいつもの押し合いがない。しかも私の数メートル後で人の列が切れ、隣のエスカレーターはガラガラになった。あれだけ大量の人は一体どこへ行ったのか。かえって気味が悪かった。
学校では、「AとBは~の点で異なる」という形を8つ勉強し、ひたすらその形を使う練習をした。隣の人に2つ比べる物を挙げ、その相違点を答えるというパターン。私の隣の台湾人は、「ロシア料理と日本料理は何が違うか?」なんて問題を出してきたから、私は答えに困った。
すると料理の話が始まり、みんなで知っているロシア料理を挙げようということになった。ブリーニー、ピロシキ、スメタナ、カーシャなどはロシア料理なのだが、ボルシチがウクライナ料理、ペリメニ(小型肉入り餃子)が中国料理、シャウルマがコーカサスの料理だということは意外だった。
そして私の答えは、「日本人は魚を大量に食べるが、ロシア人は魚より肉を好む」。実はこの答え、先生に誘導されて出したものだから、100パーセント私の考えではない。「日本人は魚好き」というのはロシアでも有名なようである。
昼、クラスの人に誘われて韓国料理のレストランへ行くことに。近くへ行くマルシュルートカがあったのだが、人数が多かったためみんな乗ることが出来ず、私と韓国人2人は車をつかまえ、レストランに向かった。車といってもタクシーではなく、個人の車。ここでは道路で手を横に出して合図していると、止まってくれる車がある。値段は交渉次第。今回は3人で100ルーブル。マルシュルートカより高いが、日本のタクシーの相場から考えると激安だ。
運転手はさすがこの町で車を運転しているだけあって、かなりあらい運転だった。右折して比較的小さな通りに入ったとき、道路の両端に路駐車がたくさんあったため道幅が狭くなり、実質的に対向車の一方通行状態になっていた。どうするんだろうと思って見ていると、後退するでもなく対向車に向かっていく。路駐車の間の空きスペースを上手く活用しながら、ハンドルをぐるぐる回して切り抜けた。実に見事な運転に感心したが、こうやっていかなければここの車社会では生きていけないのかもしれない。
韓国料理のレストラン、ハングルのメニューが出てきたときには全く読めず参ってしまったが、ついでなので、韓国人にハングルは何文字あるのか聞く。メニューを一見したところかなりの種類がありそうだったが、意外にも基本形は28文字しかないのだそうだ。その28文字を2つか3つ組み合わせて1つの文字を表すのだという。何でも最初はそうだが、さっぱり読めない文字というのは自分にとって暗号みたいで、恐ろしささえ感じてしまう。それだけに、ロシア語のメニューが出てきたときには少し安心した。ロシア語のメニューのほうが、少しでも分かるだけまだましである。
それにしても韓国料理は辛いうえ、肉なども独特の味付けで、まずいということはなかったが、普段なじみのない私は違和感を覚えた。金属製の箸を使ったのも初めてだった。
夜、家にイーゴルが来ていて、夕食後、彼と蒸気機関車のおもちゃで遊んだ。機関車につまづいて脱線させたり、円形状のレールを持ち上げて折り曲げようとしてみたりといったしょうもない仕事もしてくれたが、機関車と客車、貨車をつないで走るのを喜んで見ている様子は私の幼い頃と全く同じだ。そんなことを思いながら、何だかんだで私も彼との機関車遊びを楽しんだ。そんな私の様子を見て、ナジェージュダが「部屋に持っていって遊んでもいいよ。」と言ってくれたが、さすがに一人で電車遊びをする年齢ではなく、「イーゴルが来たときだけ、彼と遊ぶ。」と笑いながら言った。
その後、最近さぼりがちだった日記に、機関車遊びのことを書いた。機関車で遊びながら、セルゲイが「石炭」「蒸気機関車」などといった新しい単語を教えてくれたので、そのことについても日記に記す。ナジェージュダは、添削後、「昔はロシアでも蒸気機関車が走っていた」と教えてくれたので、「いつ頃まで走っていたのか?」と私がたずねた。 するとセルゲイとナジェージュダで蒸気機関車がいつまで走っていたかについて論争になり、どっちの話を信用して良いことか分からなかった。セルゲイがいなくなった後、ナジェージュダは「彼の話は聞くな。」と言って「ペテルブルクではないが、1980年から1990年くらいまでロシアでは蒸気機関車が走っていた。」と教えてくれた。もしこっちが本当なら、かなり最近まで蒸気機関車が活躍していたことになる。
ロシアの広大な大地に重厚な蒸気機関車、あまりに似合いすぎるその光景が、私の脳裏に浮かんだ。
意外でした。
新しい言語、特に固有の文字を使用する言語を学ぶのは最初が一苦労だよね。
実は未だに慣れないけど(笑)あの文字。
機関車遊びか~昔よくやってたような。
…ってか最近、韓国に関する部分に関してだけコメントしてる気がする(苦笑)
日本も次第に寒くなり、冬が間近に迫っているのを感じるよ。ロシアに比べたら、まだまだ序の口なんだろうけどね。風邪を引かないようにね。それが一番の願いだよ。では、また。
そうなんですよ。かなり頻繁に食べてるだけに、私もとても驚きました。
>sakusaku
固有の文字はマジで大変そうだね。韓国語とかアラビア語みたいなのは暗号にしか見えません。慣れてしまえば楽なんだろうけど。君は今も韓国語やってるのかな?
>tama
tamaは韓国人よりも韓国語のこと知ってたりして(笑)。語学って、意外と外国人のほうがちゃんと知ってたりするからね。
確かに中華料理や韓国料理は多いけど、意外にペテルブルクには日本料理(というより「スシ」)の店がたくさんあります。
韓国についてだけコメントするとは、tamaらしくて面白い。韓国についてはたぶんこれからも度々書くと思うから、そしたらまたコメントしてくれ!
>miiko
誰かと思ったら、miikoね。ぬいぐるみの。
どんな気分といわれても、答えに困るなあ。まあ23日の記事でも見てもらえれば少しはその答えが分かるかも。誕生日といえど物理的に身長が伸びるでもなく、夢で天使が降臨してお告げを言うでもなく、いろんな人が祝ってくれたこととを除いてはきわめて凡な日常の1つにカテゴライズされる素敵な1日でした。