ロシアの北都 サンクトペテルブルク紀行

2005年秋から留学する、ロシアのサンクトペテルブルク(旧レニングラード)での毎日を記します。

масленица

2006-02-27 21:51:26 | Weblog
 今日からの一週間は、ロシアではмасленицаという、冬を送るロシアの伝統行事の週にあたります。ブリーニーを食べ、歌ったり踊ったりするそうです。масленицаについては後日詳しく紹介します。
 今日夜からホストファミリーとチェレポビェッツに出かけ、土曜の朝にペテルブルクに戻ります。そのためその間はブログの更新が出来ません。コメントをお寄せくださった方、ありがとうございます。申し訳ありませんが私からのコメントはしばらくお待ちください。

「どうしてモスクワなんかへ行く?」

2006-02-25 00:15:41 | Weblog
2006年02月23日
ロシア滞在通算165日目
【今日の写真:ボーバの部屋。壁にはたくさんの漢字カードが貼ってあり、それぞれにロシア語で意味、日本語で漢字の読みが書いてあった。】

今日の主な動き
13:46 出かける
13:54 インターネットカフェ
15:23 列車予約センター
15:59 日本センターの入っている建物 ボーバらと待ち合わせ
16:30頃 近くのカフェ
18:22 「505」(CD、DVDの店)
19:00 ボーバの家
21:51 いつもの薬局
21:55 帰宅

 今日2月23日は一般に「男性の日」と呼ばれているが、この日はもともと赤軍の創立記念日(1918年)で、その記念日を祝うために1996年に新設された新しい祝日。ロシア語では”день защитника отечества(祖国防衛軍の日)”というのだそうだ。

 昨夜ホストファミリーに、来週チェレポビェッツへ行くが一緒にどうかと誘われ、今朝その話の続きをした。3月1日はチェレポビェッツに住むセルゲイの母の誕生日で、ナジェージュダとセルゲイはそのお祝いに行くのだそうだ。チェレポビェッツはペテルブルクに近い東の町。鉄道の距離にして468kmほど離れているこの町には、夜行列車で10時間ほどで行ける。
 チェレポビェッツのあるヴォログダ州(ペテルブルクのあるレニングラード州の隣、州都ヴォログダ(Вологда)、人口約130万)はナジェージュダ、セルゲイの出身地で、ヴォログダをはじめ各地にホストファミリーの親戚がいるそうだ。セルゲイはベロゼルスクやキリロフなど周辺の町の写真を見せながら、チェレポビェッツに行くついでにこれらの町も見に行くよう勧めてきた。私にとってはいささか急な話だったが、もともといずれヴォログダには行く予定でいたし、ペテルブルクやモスクワ以外のロシアの都市も見ておかなければいけないと思うので、行くことにした。

 午後、ボーバと、テコンドー教室のユリカ先生と待ち合わせてカフェで話をする。
 4月に友達がロシアに来るので、モスクワとペテルブルクを案内する旨ボーバに言うと、「どうしてモスクワなんかへ行くのか?」と聞かれた。ボーバによるとモスクワは頭が悪い連中、雑多な人間がたくさんいて言葉の発音もおかしいから、ペテルブルクの人の中にはモスクワを嫌う人が多いのだという。ユリカ先生も同意見。
 そういえば、去年私達のクラスに教育実習に来た先生も同様のことを言っていた。12月に私がモスクワに行った際、彼は「モスクワなんかにいないで早くペテルブルクに帰ってこい」と私に伝えてきた。ペテルブルクの人はこの街が一番だと思っているようだ。何だかんだで私もペテルブルクはヨーロッパ一の街だと思っている。ペテルブルクに住んでいるからということもあろうが、昨年訪れたパリ、ナポリ、ローマ、フィレンツェ、ヘルシンキなどの都市に比べて上品さと落ち着きがあり、雑多な観光客が極めて少ないというのも大変良い。いくら歴史ある街でも、うるさい観光客がうようよ跋扈しているようでは興ざめ。イタリア諸都市は特にそれがひどく、どこに行っても日本人はいたし、外国人観光客でごった返していた。
 ロシアはビザの手続きが大変面倒で、街で英語がほとんど通じないが、雑多な外国人観光客を遠ざけるという意味ではそれも悪くないなと思えてくる。特にペテルブルクは、本当にこの街を好きな人がゆっくりと時間をかけて静かに観光する場所だと私は思う。

私は日本にいた頃、指導教官のN先生とこんな話をしたことがある。
私:「ロシアといったらペテルブルクが一番ですよね。」
N先生:「いやいや、なにを言ってるんだ。やっぱりモスクワだよ!」
 N先生は大学院でロシア留学の経験があるが、ペテルブルクではなくモスクワで勉強していた。私がペテルブルクを一番だと思うのと同様に、N先生にとっては自分の住んでいたモスクワが一番らしい。その先生に何も知らずに「ペテルブルクが一番」と言ってしまったのはあまりに迂闊だった。N先生以外にモスクワ経験者やモスクワの人とあまり話したことはないが、モスクワの人はきっと「モスクワが一番」と言ってペテルブルクの悪口を言うのかもしれない。 
 そもそもどっちが一番だなんてそれぞれの人の好みの問題だが、私は断固ペテルブルク一番説を支持する。帰国したらこんな話題でN先生と論争するのも面白い。ボーバとユリカ先生にこの話を紹介すると、彼らも笑っていた。

 ともあれ、4月に友達が来た際には、やはりモスクワへの案内は外せない。良くも悪くも首都だし、一瞥をする価値はある。もちろん、私が「ヨーロッパで一番」だと思うペテルブルクにはモスクワよりも長く滞在してもらってこの街を案内するつもりである。 
   
 カフェで話をしている間、私が最近ラジオで聴いて気に入った曲の曲名や歌手をボーバらに教えてもらった。ラジオで聞き取れたさびの部分を実際に歌ってみたり、イヤホンからデジカメに録音した音を再生してみたりすると、彼らは曲名や歌手を教えてくれて、CDを買いに案内してくれた。
 CDの店では商品を開けて実際に試聴できた。今日は”Алла Пугачёва”という歌手のCDを買ってみた。彼女の”Стариные часы”という曲はとても良い。実はこの歌手、日本語でも有名な”Миллион алых роз”(日本語での曲名は正確に知らない。百万本のバラ(?)みたいな名前だったと思う。)という曲も歌っていて、今日買ったCDにはその曲も入っていた。
 
 その後ボーバの家に行き、ここでも2時間以上3人で話した。その時聞いた興味深い話。ロシアで最も給料が安い仕事は医者と先生だという。医者と先生の給料が安いことは知っていたが、「最も」というところがミソ。
 いくらなんでもまさか医者の給料が「最も」安いなんてことはないだろうと思いこんでいたが、どうやら本当に「最も」安いらしい。医者よりも、例えば工場労働者の方が給料は高く、医者の倍くらいなのだそうだ。日本の感覚ではおよそ考えられないが、所変わればなんとやらというわけか。
 もう一つ驚いたことは、ロシアには学費無料の大学があるらしい。先生達への給与はどうなっているのかと尋ねたところ、全部国が負担するとのこと。ボーバの学費もかなり安いと聞いた。それに比べて日本の大学はといえば、一番安いはずの国立大学でさえ年間50万円以上なわけで、私立大学だとこの2倍、3倍はざらである。そのことをボーバに話すと目が飛び出るくらいびっくりしていた。
 以前も紹介したが、ペテルブルクの平均月給は350ドル前後。物価が安い分給料も安いわけだが、日本は物価が高い分給料も高い。そう考えれば大差はないのではないかと思っていたところ、ユリカ先生が「(ロシアと諸外国では)大きな違いがある。」と言う。彼女は「日本では1年働けば海外旅行に行けるでしょう?私達にはそれは無理だ。」と語った。

ユリカ先生は、「ロシアにはまだまだ社会主義の、ソ連時代の名残が根強く残っている。」と言う。その言葉の含意を全て理解するにはもう少し時間が必要だが、ロシアの現実は、私達外国人の想像を上回るものがある。良くも悪くも、人々の生活、価値観の中には随所に「ソ連の軛」が亡霊のように残存しているように見える。

 私達が歴史を理解する際は、まず始めに時代の変化のメルクマールとなる出来事に目向ける。710年平城京遷都、794年平安京遷都など、小学校以来おなじみの、年代の語呂合わせとともに覚えてきた出来事がそれである。しかしそれらの出来事を境に何が変わったのか、変わらなかったのかというより本質的なことを往々にして見落としがちである。私が大学で受けた古代日本史の授業の先生は、国立大学法人化という極めて身近な例でそのことを説明した。法人化によって、私達学生や教官にとって何が変わったか。あれだけ大きなニュースになったにも関わらず、授業料が安くなるわけでも、事務の官僚的で無愛想な対応が改善されるわけでもなく、結局のところ学生にとっても教官にとっても、何ら大きく変わったことはない。歴史とはそういうものだと教えられた。

 1991年12月25日は全世界的に衝撃を与えたソ連邦終焉の日として永遠に記憶されるに違いないが、ロシアの人々にとって、それがどれだけの意義をもっていたことか。ロシアの現代をさす言葉として時に「ソ連崩壊後…。」という言葉が用いられ、私自身も深く考えずに用いたことがある。しかしこれはロシアに暮らす人々から見てほとんど無意味でナンセンスな時代区分なのではないか。そればかりか、時にこの言葉は、人々の生活、価値観の連続性という重要な部分を見落とす原因になりうる危険な言葉である。
 今のロシアは人々にとって、決して「ソ連崩壊後」、あるいは「ポストソ連」ではない。ロシアの人々の暮らしぶりを見たり、話を聞いたりしていると、そのことを痛感させられる。

ラジオのすすめ

2006-02-23 20:04:10 | Weblog
02月23日最新の出来事…今日は「男性の日」で休日。青空が広がる良い天気です。
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2006年02月22日
ロシア滞在通算164日目
【今日の写真:洗濯屋のゲストブックに貼ってあった衝撃的な広告。動物の写真の上には「彼の命はシューバ(毛皮外套)よりも大事!」とある。写真の下に、オットセイ6~10頭、クロテン60~70匹など、1つのシューバをつくるために殺される動物の数が列挙してあり、彼らの命を守るためにも毛皮製品を買わないよう訴えていた。】

今日の主な動き
7時過ぎ頃 起床
08:58 出かける
09:06頃 マヤコフスカヤ駅
  メトロ マヤコフスカヤ(09:10)→バシレオストラフスカヤ(09:17)
13:25 洗濯屋
13:40 カザンスカヤ通りのレストラン"sukawati"
14:30過ぎ 日本センター
16:17 列車予約センター
16:44 洗濯屋
17:55 カザン聖堂前のCity Bank
  22番のバス カザン聖堂前(18:01)→ジュコフスキー通り(18:20)
18:25 帰宅

 最近、ラジオにはまっている。携帯電話でFMラジオが受信できるため、家で一人でいるときや通学途中によく聴いている。私が聴くのは専ら87.5MHZの”Дорожное радио”。このチャンネル、ひたすら音楽ばかり流れているチャンネルかと思っていたら、朝は30分おきくらいに、日中もほぼ毎正時に交通情報や天気予報、ニュースなどが流れることに気づいた。
 今朝もラジオを聴きながら出かける。ちょうど9時のニュースが始まったところだった。授業開始まで30分。ちょうど良い時間だなと思って通りへ向かう。が、通りへ出た瞬間、思いっきりこけた。歩道に氷がはっていて、見事に滑ってしまったのだ。転んだのは今年4回目。朝のジュコフスキー通りは人通りが多く、すれ違う人に合わせる顔がない。すぐに立ち上がって歩き出すが、膝は痛いしズボンは汚れるし、朝から散々だ。
 その直後にラジオで流れた「お気をつけて。」の一言。いつもニュースや天気予報の後に流れる決まり文句なのだが、今日はまさに自分のことを言われているように感じた。
ラジオによると9時現在の気温は-6℃。寒波に比べればはるかに暖かいとはいえ、氷はまだまだ健在出来る気温である。

 さて、3月、4月、5月に相次いで友人や家族などがペテルブルクにやって来る。そのためそれぞれのビザや交通手段などの準備や下調べをしているのだが、その過程でいろいろな発見がある。
 今日は列車予約センターでヘルシンキまでの料金を聞いたところ、1850ルーブルとの答えだったが、その直後に窓口氏が発した言葉が興味深かった。ヘルシンキまでの列車料金は、ルーブル-ユーロ相場に合わせて変動するというのである。切符を購入する時点でのレートが適用されるそうで、今日は1ユーロ33.60ルーブルで計算しているということまで窓口氏は教えてくれた。列車料金が毎日変動するなど日本では考えられないが、国際列車ならではの事情。ルーブル-ユーロ相場がどの程度変動するのかよく分からないが、ユーロに対してルーブルが値上がりしたときに切符を購入した方がお得というわけだ。

 ラジオを聴くため、ここのところ街の移動はバスを利用するか、徒歩のことが多い。メトロは速くて快適だからとても気に入っているがラジオが聴けなくなるので、急いでいるとき、バスを待つのが面倒なときなどに利用する。
 夕方カザン聖堂前から22番のバスに乗っていると、18時のニュースで交通情報が流れ、明日の鉄道の運休や時刻変更などについても伝えていた。明日はロシアでは「男性の日」で祝日のため、鉄道のダイヤに多少イレギュラーが生じるらしい。他にはトリノオリンピック、世界のニュース、ロシアのニュース、ペテルブルクの順にニュースが流れたが、とても早口のため内容はまだよく聞き取れない。まともに聞き取れるようになるには、とにかくたくさん聞いて訓練することが必要だが、音楽やニュースなどを通していつでもロシア語を聞いていられるラジオは、耳の訓練には最適。ラジオはとてもおすすめだ。

 夕食の際、ナジェージュダが私とセルゲイに「男性の日」のプレゼントをくれた。私は本2冊、それぞれ歴史の本と物語の本をもらった。本の空白のところに、「男性の日おめでとう。ロシア語が上達することを祈っています。」などと書かれていた。これを読んでロシア語を勉強するようにとのことで、大変ありがたかった。
    

骨董品は持ち出し不可

2006-02-22 21:00:50 | Weblog
2006年02月21日
ロシア滞在通算163日目
【今日の写真:ペテルブルク的ゴミ収集術。解説は本文参照。】

今日の主な動き
09:05 出かける
09:13 マヤコフスカヤ駅
  メトロ マヤコフスカヤ(09:18)→バシレオストラフスカヤ(09:25)
09:45頃 学校
13:20 オリヤ先生の家
  187番のバス バシレオストラフスカヤ駅(15:02)→カザン聖堂前(15:19)
15:21頃 日本センター
17:41頃 カザン聖堂側の列車予約センター
18:44 帰宅

 通学途中、バシレフスキー島の8番通りで操業中のゴミ収集車に出くわした(【今日の写真】)。作業員が、街でよく見かける大きなゴミ箱を道路まで運んできて、トラック横についているアームに取り付ける。何をするのかと思って観察していると、そのアームが荷台の上まで上がってきてゴミ箱を真っ逆さまにしたではないか。何とも豪快かつ効率的な回収方法。
 実は私のホームステイ先の集合住宅の中庭にも同様のゴミ箱が置いてあるが、結構大きいので、どうやって回収するのか気になっていたところ。これで疑問が一つ解決。

 今日の学校の授業は文法。生格を形容詞のように用いる用法の練習で、ひたすら生格の復習をしているような感覚。とても簡単だった。
 授業後、オリヤ先生の家で個人レッスン。最近は、レッスンの最初に何かニュースを説明することになっている。今日は日本で起こった滋賀の幼稚園児殺害事件について話し、最近日本では幼い子どもが殺害されることが多いことを説明した。

 ところで、この「最近日本では…」というフレーズをロシア語にすると、”Много детей было убито за последнее время в Японии.”というふうに、無人称文になるのだそうだ。(много、несколько、2,3,4…などの数詞)+(数量生格)が主体の時は、過去の事実を述べる場合に限りこのように無人称文を使うことが普通らしく、新聞やテレビのニュースなどで良く用いられるという。
 この後先生は、「そういえば前に言っていた、幼児を殺した男はどうなったか?」と聞いてきた。先日、連続幼女殺害事件の宮崎勤被告(当時)に最高裁で死刑判決が出たことを話していたので、先生はその続きが気になったようだ。今日は、既に判決訂正の申し立てが却下されて死刑が確定したことを説明。すると、「もう執行されたのか?」と聞かれたので、まだだいぶ先のことになると話した。「日本では(確定から執行まで)数年から10年以上かかることがある。被執行者は年1,2人だがそれを上回る死刑判決が出ている。」などと説明しながら、何ともおかしな制度だなということに改めて気づいた。
 私はもとより死刑廃止を支持するわけだが、現状では確定判決の執行まであまりに時間がかかり過ぎる。もし司法の判断通りに、確定順に刑を執行しようとすれば場合によっては年に2桁台の被執行者が出ることも考えられる。が、国民の批判を恐れる法務省がそんな大量執行をすることはまずあり得ない。内閣改造の直前や国会の閉会中にこっそり1,2名の死刑を執行するというのが現在の制度運用の実態で、対象者の選択基準が不明だという批判があるほか、確定判決の効力が甚だしく軽視されている感がある。司法にだけ死刑の選択という重い責任を負わせておきながら行政が堂々と執行指揮が出来ないというのは非常に問題で、このこと自体死刑制度の抱える矛盾を露呈している。
 最近インターネットで、自民党の大物国会議員が講演で死刑廃止を訴えたというニュースを見たが、掛け声だけに終わらせてはならない。説明に窮する野蛮なシステムを持っていることは、日本国民にとって大いに恥ずべきことだ。私は日本を嫌いではないし、外国人と話していて誇れるところもたくさんあるが、やはりこんな国を100パーセント誇りに思うことは、私には出来ない。少なくともこの点ではロシアやEU諸国の方がはるかに進んでいる。
 とまあ、今述べたようなことをロシア語ででも説明できれば一番良いのだが、先生に教えてもらいながらようやく「近い将来このような刑罰がなくなることを望む。」という程度しか言えないことが極めて遺憾。言語を学ぶ上で、自分の意見を満足に話せるということは一つの大きな目標だが、一歩一歩近づいてはいるものの、道のりはなかなか長い。初めて訪れる観光地で、自分が目指す楼閣の姿は見えるのに、回り道ばかりでなかなかたどり着けないというのと同じ。
 
 さて、レッスンの終わりに、オリヤ先生は面白い物を見せてくれた。窓辺に敷いた新聞紙の上にそれはあった。ダイヤル式の計算機のようだったが、相当古いため錆び付いていて使えそうには見えない。それでも彼女はダイヤルの部分を回して見せながら、「ここのところに油をさせば動くと思う。」などと大まじめに話す。
 実は彼女は骨董品の収集が趣味らしい。この計算機の他に、部屋の中にはかなり古いとみられるレコードの再生機らしきものもあった。なんでも、市内には骨董品の市場があるらしく、時々そこに行って買い物をするのだそうだ。オリヤ先生の意外な一面を見た。
 骨董品の収集なんて、日本では年中着物を着ているような、いかにも気むずかしい老人がやるものだというイメージがあったから、若い女性がこんな趣味を持っていることにとても驚いた。ロシアではこれも普通なのだろうか。

 ちなみに私は着物を着ているわけでもないし、気むずかしくもないが、こうした骨董品にも多少の興味はある。ロシアの骨董品なんて何か記念に持っていてもいいなあと思っていたところ、意外な話を聞かされた。なんと骨董品は国外に持ち出せないというのだ。先生によると、1940年代かその前後よりも前に製造された物は国外持ち出しが禁止されているそうで、持ち出すことが出来る物もあるが、そういう物はかなり高額らしい。聖像画などの持ち出しが禁止されていることは有名な話だが、聖像画に限らず古い品々も持ち出せないということは初めて知った。
 おみやげや記念品などの買い物をする際は、十分気をつけなければならない。
 
 

シベリア鉄道の旅-ウラジヴォストークまで1万円-

2006-02-21 22:48:55 | Weblog
2006年02月20日
ロシア滞在通算162日目
【今日の写真:露店で品定めをする人々。バシレオストラフスカヤ駅前にて。】

今日の主な動き
09:25 出かける
09:32 マヤコフスカヤ駅
  メトロ マヤコフスカヤ(09:40)→バシレオストラフスカヤ(09:47)
10:06 学校
13:00 6番通りの文房具屋
13:15 バシレオストラフスカヤ駅前のマック
  187番のバス バシレオストラフスカヤ駅(13:43)→カザン聖堂前(14:04)
14:07頃 日本センター
16:30頃 カザン聖堂側の列車予約センター
17:43 ネフスキー大通りの本屋 ”Дом Книги”
18:15頃 帰宅

 新しいクラスに入って約1週間近く。
 今日私が後ろの席に座っていると、トルコ人の男子学生が休憩時間の後、「どうしてそんなところにいる?ここに来い。」と、空いていた一番前の、自分の隣の席をすすめてくれた。初めて話す人だったが、とてもフレンドリーな学生だった。
 クラスの他の人々も、各々の発言に笑いあり、突っ込みありでとても面白い。今まで韓国、台湾人しかいないクラスにいたが、今のクラスはトルコ、フランス、イタリア(?)など学生の国籍も様々。前のクラスに比べて活発で、その場にいるだけで楽しいが、私も負けないようにいろいろ発言しなければならないなと思うところだ。

 今日は夕方に予約センターへ行き、先週土曜に端末の不具合で未遂に終わった、モスクワまでの全列車料金調査を実行する。今回は端末のご機嫌が非常に良く、快適。次々に列車を検索しては、その画面表示を、解像度を約100万画素まで下げたデジカメで接写。これでデータが入手できると満足していたところ、日によって臨時列車があったり、空席がない列車の料金は表示されなかったりと、ところどころに穴があることが判明。臨時も含めてあくまで「全列車」の調査をしたかった私は、だんだん飽きてきた。

 退屈になってきたので、ふらっと2階の国際列車予約コーナーへ行って掲示板を眺めていると、一枚の貼り紙が目にとまった。その紙には端末では検索できない(検索しても0.0ルーブルとなる)、国際列車の料金が一覧になっていた。
 それを見ていて、あることに気づいた。ベルリンやワルシャワなど、西へ向かう列車はペテルブルクからも出ているが、ウラジヴォストークやハバロフスク、ウランバートルや北京など、シベリア鉄道経由で東へ向かう列車は全てモスクワから出ているのだ。かねてからシベリア鉄道の時刻を知りたかったのだが、いくら検索をかけても出てこなかったため、特別な列車だから端末では表示できないのかなと諦めていた。が、端末で検索する際は始発駅をモスクワに設定してから目的地を入力しなければならなかったのだ。今までなぜこんなことに気づかなかったのか分からないが、そうと分かれば嬉しくなって、早速端末で東へ向かう列車を調べてみた。
 この端末、当然のことながら一文字でもスペルミスをすると受け付けてくれないという、ロシア語にとても忠実なマシン。地名を入力する際はスペルに気をつかうが、日本語読みで記憶している地名だと、「あれ、どう綴るんだっけ?」と迷うこともしばしば。ともあれ、モスクワ始発で適当にウファ、ノボシビルスク、ハバロフスク、ビシュケクなど、ロシアや中央アジアの地名を入力していくと、ぞろぞろと列車が表示されてきた。所要時間や距離も表示されるので面白くてたまらなくなり、ついつい遊んでしまう。

 気になるシベリア鉄道、ウラジヴォストークまでの列車を検索すると、3本の列車が出てきた。うち1本は所要時間が他の2本に比べてやたら長い(約220時間)うえ、座席表示が出なかったので、どうやら旅客用ではなさそう。
 他の2本は、44列車(モスクワ発00:35 所要167時間23分 ウラジヴォストーク着23:58 奇数日運転)と2列車(モスクワ発21:20 所要148時間47分 ウラジヴォストーク着02:07 奇数日運転)。所要167時間とか148時間というのに最初は驚いたが、24で除して日数に換算すれば6,7日。約1週間だと思えばやたら長いわけでもない。
 ちなみに距離は44列車が9300km、2列車が9259kmとの表示が出ていた。経路によって若干異なるのだろうが、シベリア鉄道はこれくらいの距離があるらしい。これをもとに表定速度を算出してみると、44列車、2列車それぞれ55.6km/h、62.2km/h。

 気になる料金だが、2列車のほうから調べてみた。デラックス車両もあるらしく、モスクワからウラジヴォストークまでデラックスだと19017.90ルーブル。クッペ(4人用個室寝台)は8829.40ルーブルと10239.40ルーブルの2種類の料金設定があった。約4万円から8万円といったところで、やや安いか、妥当といったところ。
 ところが、次に44列車を調べて唖然とした。こちらは個室ではない寝台だったが、表示された金額は2526.00ルーブル。日本円にして1万円ちょっと。あまりに安すぎる。間違いないかどうか区間を再度確認したが、モスクワからウラジヴォストークまで、確かに2526.00ルーブルと表示されていた。さすが鉄道王国ロシア。

 端末から44列車の詳しい時刻表を接写し、帰宅後、その時刻表をもとに地図でシベリア鉄道をたどってみた。

 モスクワ、ヤロスラブリ駅を深夜0時35分に発車する列車は進路を北東にとり、モスクワとヴォログダのおよそ中間に位置する町ヤロスラブリ(1日目04:42着)へ向かう。ヤロスラブリまで北上した後進路は東へ変わり、キーロフ(1日目22:16着)、ペルミ(2日目02:50着)、ロマノフ朝最後の地エカテリンブルク(2日目09:35)などの都市を経由してウラル山脈を越える。エカテリンブルクがヨーロッパとロシアの境界になっていると聞いたことがある。
 ウラル山脈を越えてからはカザフスタンと接するオムスク州の州都オムスク(2日目22:24着)、ノボシビルスク(3日目07:14着)をなど経て4日目の15:21にバイカル湖近くの都市イルクーツクに到着。バイカル湖の南岸を迂回し、チタ州に入る。列車は5日目丸一日をかけてこのチタ州を通過する。チタ州で、接する国境はモンゴルから中国になる。デカブリストの流刑地で、東シベリアの中心地とされる州都チタには5日目の08:58に着く。
 その後列車はスヴォボドヌィ(6日目14:28着)、ハバロフスク地方南端のビロビジャン(7日目00:50着)を通ってハバロフスクへ進むが、どういうわけか詳細な時刻表はビロビジャンから約1時間ほど先のインという駅で終わっていた。理由は不明だが、もしかすると44列車としての運行はここで終わり、客車だけ別の列車に連結されるのかもしれない。7日目の23:58に終点ウラジヴォストークに到着する。

 ウラジヴォストークといえば、日本と目と鼻の先。新潟から飛行機で約1時間という近さである。ペテルブルクからはるか離れたモスクワから約1万円で行けるとなると、これまで想像もつかなかったシベリア鉄道の旅が身近に感じられるようになった。途中いくつかの町で観光しても良いだろう。時間の都合もあってこの留学中の全線踏破は難しく、来年の春休み以降になりそうだが、モスクワから比較的近いエカテリンブルクなどへは今年の夏休み辺りにでも行ってみたいものだ。

 ロシアの偉大な大地を横断するシベリア鉄道。世界の長距離鉄道の象徴的存在であるこの鉄路は、鉄道好きでなくても、誰もが憧れる旅路である。
 


美しいもの

2006-02-20 20:33:13 | Weblog
2006年02月19日
ロシア滞在通算161日目
【今日の写真:テコンドー教室に集まったメンバー。この写真は昨年秋のデジカメ盗難事件後に買ったデジカメで撮影した画像、映像を合わせてちょうど3000点目の画像となった。盗難前のデジカメの画像も含めると、ロシアに来て以来3275枚目の写真。】

今日の主な動き
7時前 起床
08:45 朝食
10:36 出かける
10:45 インターネットカフェ
11:32 ネフスキー大通り、エカチェリーナ2世の銅像近くにある航空券売場
12:20頃 オストロフスキー広場にある博物館 コンサート鑑賞
13:40頃 広場前のバス停
  22番のバス オストロフスキー広場近く(13:45)→ジュコフスキー通り(13:51)
13:52 ブリーンドナルド
15:09 マヤコフスカヤ駅
  メトロ マヤコフスカヤ(15:13)→バシレオストラフスカヤ(15:20)
15:45頃 テコンドー教室
19:42 バシレフスキー島の喫茶店”Чайная Ложка”
22:04 バシレオストラフスカヤ駅
  メトロ バシレオストラフスカヤ(22:09)→マヤコフスカヤ(22:16)
22:29 帰宅

 声楽を学んでいる知り合いの日本人Kさんの通う音楽学校のコンサートがあるというので、今日はそれを聞きに行くために午前中から出かける。インターネットカフェに寄った後時間があったので、会場へ向かう途中、ネフスキー大通りにいくつかある航空券売場の一つに寄ってみる。アエロフロートが格安航空券を発売しているとの情報を入手したため、4月にちょっとヨーロッパ留学中の友達に会いに行く際に使えるかと思ったから。
 窓口氏の対応は丁寧だった。アエロフロートの格安航空券があると聞いた旨伝えると先方もそのことを分かってくれて、料金等を調べてくれた。が、4月のある日のスイス便やベルリン便などは、既に格安航空券の分は満席。しかも飛行機にはよくある話だが、往復の発着地が同一でなければならず、アエロフロートはモスクワからしか出ていないとのこと。これでは別の格安航空会社を利用した方が良さそうだ。
 次にパリからやって来る大学の同期がペテルブルクから帰る際の航空運賃を見てもらったところ、最も安くてCDGまで片道6175ルーブルと言われた。はじめ「6175」と聞いたときは「あ、安いかも」と思ったが、頭の中で4倍してびっくり。結局ここで安い航空券は見つからなかったが、普通の窓口で買う航空券がいかに高いかが分かっただけでも無駄足ではなかったことにしよう。

 Kさんらのコンサートは博物館の建物の一室で催されるそうで、事前に建物の番号などを聞いていたのだが、いざ行ってみるとその建物がどこなのか分からない。後から合流したTさん(日本人)としばらく周辺をさまよった末、ようやく見つけた。この建物、先ほどまで入り口付近で雪下ろしをしており、頭上から氷塊を含む雪が落下してきて危険なため近づけず、ためにその建物だけ名称を確認できなかったのだのだが、不運なことにまさにその建物が正解だったというわけ。
 12時の開始に余裕で間に合うように来たはずなのに、結局20分ほど遅刻してコンサート会場に入る。教室1つ分くらいの広さの会場で、こじんまりとしたコンサートだったが、出演者は皆それはそれは見事な歌声を披露してくれた。客席からは時々「ブラボー!!」の声が飛んだ。一体どうやったらあんな声が出るのか、私のような声楽の素人には分からないが、音楽の一分野である声楽の世界もそれだけで相当奥が深いに違いない。今日のコンサートを聴いてそんなことを思った。
 Kさんの出番は2番目だったらしく、残念ながら聞き逃してしまった。発表順序はなんと今日直前に決まったということで、事前に私達に通知することもできなかったらしい。実はこのコンサート、Kさんが出演を求められたのがわずか数日前の話で、何とも急な話だと嘆いていた。出演者にとっては酷な話だが、このあたり、いかにもロシアのコンサートらしい。

 その後、ちょうどコンサートの終わりに到着したOさん(日本人)とTさん、Kさんとともに4人で昼食をということになり、私がジュコフスキー通りのロシア版マック「ブリーンドナルド」に案内することになった。
 ネフスキー大通りからバスで行くか、徒歩で行くかということが一個の問題となったところ、私がバスを強く勧めたため皆でバスに乗ってブリーンドナルドへ向かう。22番のバスはブリーンドナルドのちょうど目の前に着くから、これを利用しない手はない。
ジュコフスキー通りのブリーンドナルドは、最近昼食代節約キャンペーン中の私の台所となっている。私以外の3人は初めてのブリーンドナルドだったが、評価は上々。全員がそれぞれ100ルーブル以内で収まったから、その安さも十分に実感してもらえたと思う。

 午後、ボーバとともにテコンドー教室へ行く。練習の後は皆でお茶を飲みながら世間話をするのが慣習化しており、私にとっては良いロシア語の勉強にもなる。ロシア人どうしの早口ロシア語にはまだ慣れが必要だが、ところどころ分かるところに嘴を入れて話に参加してみたりする。
 先日も紹介したとおり、テコンドーのユリカ先生やボーバは日本語を勉強しているから、毎回日本語とロシア語のことも話題になる。私が「ロシア語は日本語よりも音がきれいだ。世界一美しい言語だと思う。」と言うと、ボーバが「日本語もきれいじゃないか。母国語は愛するべきだ。」と発言。ボーバはロシア語を愛しているそうだが、誰しも母国語を選ぶことは出来ないわけで、私はたまたま母国語だった日本語を嫌っているわけでもないが特別愛するわけでもない。

 テコンドー教室を出て喫茶店に向かう途中、車道を渡りきれずに道路のど真ん中で立ち往生している人を見かけた。ここではごく普通の光景で、私もたまにそんなことがあるが、将来は日本で働きたいというボーバに、「日本では道路の真ん中で立ち止まっちゃだめだよ。」と言うと、ボーバは、「分かってる。ここはロシアだから何でもありなんだ。」と話す。「ロシアだから何でもあり。」その言葉に二人で笑っていた矢先、後ろから歩道を車が走ってきた。路上駐車していた車が、バックするのが面倒だったのでそのまま歩道に乗り上げてきたようだ。歩道といえども油断は出来ない。

 ところで、私に配慮してか、いつもロシア語で話をするボーバだが、今日は珍しく私に「お願い」があるという。何かと思ったら、「履歴書のようなもの」に書く自己紹介文の添削をして欲しいとのこと。そんなことはお安いご用と言わんばかりに赤ペンで直していく。
 一応私は日本語のネイティブである以上、明らかな文法、語法の間違いは一発で気づくわけだが、彼の言いたいことを忠実に、そのまま日本語に変換していくと、どう表現したものか困る箇所がいくつかあった。特に、一番最後の、「生活を日本とつなぎたい」という一文をどう上手く言い換えるべきか、なかなか思いつかなかった。この部分、ボーバはロシア語をそのまま日本語に訳したらしい。言いたいことは良く分かるが、いかにも外国語から訳したという感じの、不自然感のある表現。私が考えていると、彼は「どうしてロシア語や英語にある表現が日本語にないのだ?」と聞いてきた。確かに、ロシア語や英語ではこれで良いのだが、日本語にそのまま訳せば不自然なこと明らか。彼と議論しながらいくつか案を出しておいた。
 そんなわけで、添削には思いのほか頭を使ったが、将来日本で働きたいという彼の、日本や日本語、日本文化への思いが大変良く伝わってくる文章だった。
 
 帰り道、メトロのバシレオストラフスカヤ駅で、彼とまた言葉の話をした。ボーバが、またしても日本語もきれいだというので、「別にそんなこと言わなくていい。ロシア語の方がきれいだ。もっとも、あくまで音の話で、日本語が嫌いというわけではない。」と言うと、「音以外であと何があるのだ?」とボーバに聞かれた。答えに困った私は、自分でもおかしいことは十分承知していながら「文法とか...。」と言ってみたが、「文法が美しいからといってあんたは何か言葉を勉強するのか?」旨の突っ込みを入れられた。なるほど、極めて妥当な指摘である。言葉は「言の葉」と書くわけで、一にも二にも音が命。その音を否定したらその言語自体を否定することにもなりうる。ボーバはそんなことを言おうとしたのかもしれない。
  
 ともあれボーバは日本語、私はロシア語をそれぞれ美しいと思っているわけだが、思うに言語というもののは、美しいと思うからこそ勉強する気になり、興味をもって勉強するからこそもっともっと美しいと思えるようになる。この循環が成立して初めて上達への道が開けるものだと私は考える。
 このことは、言語以外にも妥当するのではなかろうか。今日聴いたコンサートにしてもそうだ。Kさんの音楽学校は休みが少なく、練習も大変だと聞いた、それでも続けられるのは声楽を本当に美しいと思うからに他ならないのではないか。物理や数学など他の学問分野にしても同じである。私の経験を紹介すれば、高校の時あれほど苦労した数学が美しいと思えた瞬間があった。大学の授業「オイラーの式」と名付けられたたった一本の短い数式に出会ったことが、その後大学で複素関数や電気回路を学ぼうと思うきっかけになった。結局電気を専門にすることはなさそうだが、その時学んだことは今でも心に残っている。

 人は美しいもの、より正確には自分が美しいと思うものに魅了され、それを追及していくのだと思う。どれだけの物事を美しいと思えるか。このことを仮に「美しさへの感度」と表現するならば、美しさへの感度こそが、人間の教養の深浅を左右する一つの指標たりうるのではないか。コンサートやボーバらとの話を通じて、そんなことを考えた一日だった。
 
  

高速郵便はフィンランド経由

2006-02-19 16:54:25 | Weblog
インターネットカフェからの更新です。コメントをいただいた方、ありがとうございます。もうしばらくお待ち下さい。

2006年02月18日
ロシア滞在通算160日目
【今日の写真:フィンランド経由で郵便物が出せる”WESTPOST”。ロシア語が英語の下に書いてあるという非常にふざけた看板が堂々と出ていて甚だしい違和感を覚えるが、ロシア国内の郵便とは無縁の取り扱いがなされる以上、これもやむを得ないと言うべきか...。】

今日の主な動き
6時前頃 起床
10:30頃 朝食
16:04 出かける
16:08頃 ブリーンドナルド
16:42 インターネットカフェ
17:20過ぎ WESTPOST
17:55 カザン聖堂の隣にある列車予約センター
18:40頃 カザン聖堂前のバス停
  22番のバス カザン聖堂前(18:43)→ジュコフスキー通り(18:55)
18:58頃 いつもの薬局
19:02頃 帰宅

 午前中から昼間にかけて、読書をしたりブログを書いたり、写真の整理をしたりして過ごす。デジカメで写真を撮るのは良いのだが、その後のパソコンでの処理が一作業。
 というのも、データをパソコンにコピーしてメモリースティックを消去すれば終わりというわけにはいかないから。パソコンにコピーしたデータはデータベースソフトで一括して管理するので、ファイル番号の重複があってはまずい。デジカメ本体で自動的に与えられる連番のファイル番号は9999までいくと再び0にリセットされるため、番号の重複を避けるために全てのファイル番号を1つ1つ手作業で3万番台に変更し、データが正しくコピーされたことを確認するために全ての画像をデジカメとパソコンで1枚ずつ表示して一致を確認し、時刻や撮影条件などの画像本体以外の情報も正しくコピーされたかどうかチェックする。その後データをCDにもコピーし、新たな写真をデータベースに登録し、全て問題ないことを確認して初めてメモリースティックを消去する。貴重なデータを損失しないために自分で定めた手続きとはいえ、これがなかなか面倒だ。
 ロシアに来てから撮影した写真は今のところまだ3000枚程度だが、1枚1枚が比較的高画質(自分で決めた定めにより、原則としてあらゆる写真を300万画素以上(最高700万画素)で撮影する。)でファイルサイズが大きいため、コピー先のハードディスクの残り容量が心配な今日この頃。そこで、既にDVDにコピーしてある昨年夏以前のデータをハードディスクから消去するなどして対策しなければならないと考えている。が、これでも空くのは高々7.5GBに過ぎず、計算したところ日本に帰国する前にこの程度は使い切ってしまいそう。外付けDVDドライブを日本から持ってくるべきだったかなと反省。

 夕方、日本への手紙を出しに行く。といっても、今日出かけた先は郵便局ではなく、ネフスキー大通りにある”WESTPOST”という店。旅行代理店の友人の紹介で、先日日本の知人へ招待状をFEDEXで発送した際に初めて利用したのだが、その際普通郵便も取り扱っていると聞いたので今日は初めてWESTPOSTから普通郵便を送ってみることにした。
 係の女性に何も書いていない封筒を差し出し、「これを日本へ送りたい」と言うと、封筒の左上にスタンプが押された。あれ、ロシア語じゃない。よく見ると、フィンランド語と英語でフィンランドの住所が書いてあった。その上にキリル文字で”ф.и.о”(名前)と”тел”(電話番号)と書いてあり、そこに名前と電話番号を書くよう言われた。言われた通り名前と電話番号を記入し、宛先は日本語とキリル文字で、最後にロシア語で”Япония(日本)”と書いた。ロシアの(ホームステイ先の)住所を書いても良いかと尋ねると、宛先に届かなかった際はフィンランド経由で戻すため、ロシアの住所は書かないよう言われた。
 宛名を書き終えて係に見せると、彼女は、「フィンランドの取扱者がキリル文字を判読できない可能性があるので、宛名を英語のアルファベットでも書いて欲しい。」と言う。既に日本語とキリル文字で書いた下にさらにローマ字を追加するとややこしくなりそう。そのことを彼女に伝えると、キリル文字で書いた部分の上に白いシールを貼ってくれて、その上に書くようにと指示された。ロシアの住所も書けない、せっかくキリル文字でも宛先の住所と”Япония”と書いても意味がないのではつまらない。せめてロシアからの手紙であることが分かるようなスタンプか何かはないものかと思い、彼女に聞くと残念ながらそれはないとのこと。彼女が貼っていた”Priority”のシールも、昨年末にフィンランドの郵便局で見たのと同じものだった。

 係の説明によると、ここから出す郵便はフィンランドの業者によって回収され、フィンランド経由で世界各地に発送されるのだそうで、日本へは7~10営業日で届くという。「ロシアの郵便とは一切関係ないため早いのよ。」と係は自慢げだった。「そんな、あなたロシア人なのに呑気にそんなこと言っていいのかよ」と思ったが、私が「かつてロシアから出した郵便が日本まで2ヶ月かかった。」と話すと、近くにいたもう一人の女性とともに笑っていた。
 ロシアの郵便局から出した郵便は最短8日で日本に着いたこともあるが、2ヶ月以上かかった例もあることを考えれば、少々高くても(800円程度)WESTPOSTからフィンランド経由で出せば早くて確実。でもロシアの象徴であるキリル文字もない、ロシアの切手やスタンプもない手紙では、送った私としてはかなり残念(もっとも、封筒の内容物にはちゃんとロシア語もあるのだが。)。ロシアらしさが失われるくらいなら、よほど急ぎの用事でない限りは多少時間がかかってもやはりロシアの郵便局から出したいところだと思った。
 ロシアの郵便事情があまりに悪いためにWESTPOSTのような商売が成り立つわけで、ロシアからの郵便物なのに利益をフィンランドに持っていかれてしまうのはナンセンス。ロシア人からも笑われるような郵便制度は是非とも是正してほしいものだ。その方がロシアの利益にもつながると思うのだが。

 WESTPOSTの次は列車予約センターへ。先日ブログに紹介したとおり、客が自由に使える端末で列車の料金を検索できることが分かったので、ペテルブルク-モスクワ間のおよそ全ての列車の料金調べを敢行しようという意気込み。土曜日だからということもあってか人が非常に少なく、端末を1台占有しても迷惑はかからないため好都合。
 早速行き先モスクワ、日付3月1日と入力して列車一覧を表示させる。23本の列車が出てきたので、一つずつ料金調べを始めようと料金、空席検索のボタンを押す。が、何度やってももう一度繰り返すよう指示が出るだけで料金が表示されない。他の列車、他の日付や別の区間の列車でも試してみたが、なぜか料金表示だけが正常に機能していない。いくつか別の端末でも試してみたが結果は同じ。かつて私のロシア語力不足で窓口のおばちゃんに怒鳴られたことはあったが、機械にまでそっぽを向かれるのは初めてのことだ。せっかく予約センターまで歩いて来た意味は無に帰した。
 しばらく端末と格闘していると、窓口の係の女性が声をかけてきた。端末で料金表示が出ないことを訴えたが、「うちら(発券する窓口)はちょっと違うシステムを使っているから(その端末のことは)分からない。」と言われた。そのかわり窓口の端末で料金を調べてくれるというので、試しにリガ(ラトビアの首都)までの料金を聞いておいた。安いきっぷだと400ルーブル台からあるらしい。

端末のご機嫌が悪いのでは仕方ない。早々に予約センターを後にして、帰りはバスに乗ることに。
 22番のバスは運良く3分ほどでやって来た。バスに揺られながら、携帯電話で、私がよく聴く87.5MHZのラジオ、その名も”Дорожное радио(дорожныйとは「道路の」とか「旅行の」という意)”をつける。名前の通り車を運転しながら聴く人が多いためか、普段はずっと音楽が流れているチャンネルなのだが、この時は珍しくレニングラード州とその周辺の天気予報が流れていた。それによると、明日のペテルブルクは小雪が舞う天気、気温は-6℃。
 天気予報の最後に、こんなことを言っていた。”Желаю вам доброго пути и хорошей погоды!(道中のご無事と良い天気をお祈りしています!)”それを聞いていかにも”Дорожное радио”らしいなあと思ったが、この時期、いったいどんな天気が人々にとって「良い天気」なのかな。-6℃はいかにも中途半端な感じ。晴れなのかくもりなのか分からない空模様の下で中途半端に暖かいより、私にとっては-20℃以下でもからっと晴れた天気の方がよっぽど良い天気に思える。なんだか、寒波が懐かしい。      

生きている言葉

2006-02-18 23:02:19 | Weblog
2006年02月17日
ロシア滞在通算159日目
【今日の写真:5000ルーブル札発行を報じる記事。17日付の"metro"より。(本文最後の【ペテルブルク時事単語ノート 3】を参照。)】

今日の主な動き
09:15 出かける
09:20 マヤコフスカヤ駅
  メトロ マヤコフスカヤ(09:27)→バシレオストラフスカヤ(09:35)
09:49 学校
13:15頃 オリヤ先生の家
15:04 1番通りのバス停
  147番のバス 1番通り(15:04)→カザン聖堂前(15:22)
15:25頃 日本センター
18:10 ネフスキー通り駅
  メトロ ガスティニードヴォル(18:17)→マヤコフスカヤ(18:20)
18:20 帰宅

 オリヤ先生との個人レッスン、今日はいろいろな数字、単位の言い方などを教えてもらった。面積や人口などの数字は新聞や図表などによく出てくるが、これまではなんとなく適当に読んでいた。例えば32,444㎡という数字が新聞に出てきた場合、読み方が分からなくても意味は分かる。しかし読み方が分からないと会話で話すことができないうえ、テレビやラジオで聞き取れない。
 英語のように単位の表現を1つ覚えればあとは単数形か複数形の2通りしか変化がない言語と違い、ロシア語は数字によって形容詞、名詞の数、格が変化するから、覚える際にはその辺りのことにも十分気をつけなければならない。今回大きな数字や、面積、体積などの単位をまとめて教えてもらえたことは、かなり役に立ちそうだ。ちなみに、例に挙げた32,444㎡は、”тридцать две тысячи четыреста сорок четыре квадрадных метра”と読む。

 面積や体積は分かったが、コンピューター関係の用語、例えばMBやピクセルはどのように表現するのだろうか。そのことを質問してみると、B(バイト)という単位は1の後はбайт、2、3、4の後はбайтаになるとのこと。ここまでは原則通りだが、5以上の個数詞と結びつく場合は複数生格のбайтовではなくなぜか単数主格のбайтになるのだという。
 さらに、画素数の単位であるピクセルは、1メガピクセルならば”1 мегапиксель”、2,3,4メガピクセルならば”2,3,4 мегапиксели”、5以上ならば”5 мегапикселей”と変化し、本来単数生格になるはずの2,3,4の後ろに続くのが複数主格なのだそうだ。先生によると、コンピューター関連の単語は外来語で、まだロシア語になって日が浅いため、名詞の変化が正確に定められていない。そのため、今日先生が紹介してくれた「バイト」や「メガピクセル」といった名詞の変化は、あくまで通常使われている形なのだという。1と単数主格、2,3,4と単数生格、5以上と複数生格が結合するという原則は、特に新しい単語に関しては必ずしも貫徹されていないようで、学習者にとっては大変頭が痛いことである。

 実際に使われているロシア語が文法の原則に反する例は他にもあるそうで、そのうちいくつかを先生は紹介してくれた。例えばコーヒー”кофе”という単語はかつて男性名詞だったが、口語で中性名詞として使われることが多くなり、2,3年前に中性名詞としての使用が公式に認められるようになったのだそうだ。「公式に」ということは、学校のテストで中性名詞として用いても可ということ。ロシア語の文法を定める機関があり、その機関が各地で使われているロシア語の実態を調査し、10年ごとに文法を見直すのだという。この機関が認めたことが「公式な」文法となる。
 他に文法上誤って使われているロシア語としては、男性名詞であるカーテン用の網布(チュール)”тюль”が多くの人に女性名詞と思われている例があるらしい。先生に、ホストファミリーに聞いてみたら良いと言われた。 

 帰り際、今行われているトリノオリンピックの話になった。中国のフィギュアスケートやカナダのホッケーが強い理由について、オリヤ先生は、「ロシア人のコーチを高い金で雇って指導を受けているからだ」と指摘。中国のフィギュアスケートがあれだけ上位に入賞できた理由はロシアの真似をしたからで、彼らは人の真似をする能力しか持っていないと嘆いていた。そのことを私は知らなかったが、先生の話が間違っていなければフィギュアスケートの上位5位はロシアが独占したも同然というわけだ。
 賃金が安いためロシアから優秀な人材が流出するのは残念だが、それをいいことに高い金で釣り上げるというのも、悪とまでは言わないが何ともえげつないやり方だ。それでもロシアは16日現在で金4つ、銀3つ、銅2つの計9個のメダルを獲得している。メダルの数だけでは全体の活躍を評価できないことは十分承知しているが、一つの判断材料とするならば、やはりロシアの活躍には目を見張るものがある。金で人を釣るようなせこい国は、真の実力を持つ国にはかなわないはず。ロシアには、是非そのことを見せつけて欲しいものだと大いに期待している。

 夕食の際、早速ナジェージュダに、今日先生から聞いたことを話してみた。するとやはりコーヒー”кофе”は”оно”すなわち中性名詞、チュール”тюль”は”она”すなわち女性名詞だという。「多くの人が使っている」と先生が指摘したとおりの答えが返ってきた。
 文法上”тюль”は男性名詞だということを話したが、彼女は「いや、”тюль”は”она”だ」と言って頑として譲らない。ロシア人に「辞書には男性名詞と書いてあるから、それは間違いだ」などと説教するつもりは毛頭なかったが、ここまで”тюль”を女性名詞だと信じていることに、正直驚いた。
 彼女はこう続けた。「何が男性名詞、中性名詞、女性名詞かなんていちいち気にしていないが、話す時苦労することはない。でも間違ったロシア語を使われればそれが間違いだと言うことは分かる。例えば(”и”にアクセントがある)звонитьという動詞を”о”にアクセントをつけて発音する人がいるが、そんな言葉はないわけで、これは間違いだ。」
 ネイティブスピーカーが文法を気にしないで話せるというのはもっともなことだ。時々文法上おかしな言葉を使う人がいれば、それを不自然に思うという気持ちも大変良く分かる。日本語で言えばいわゆる「ら抜き言葉」なんかがこれに該当する。ら抜き言葉を使う人はかなりいるが、これを不自然に思う人とそうでない人の両方いることを思えば理解に難くない。
 
 文法はあくまで文法。今日先生やナジェージュダの話を聞いて、使われているうちに、かえって文法の原則のほうが不自然にみえるという言葉や語法があるということを知った。言葉は生き物で、常に変化しているのだということを感じた。そういった変化は、今日オリヤ先生が話していた、文法を定める機関によってやがては公式に認められていくものなのだろう。
 思えば、あらゆる場面で矛盾や、およそ理解不能なことが発生するこのロシアにあって、言葉だけが文法通りきっちり使われているなどと考える方がおかしい。私達外国人は、文法はもちろんのこと、実際に話されている言葉も念頭に置いてロシア語を学ばなければならない。文法的に誤っている言葉に出くわせば非常に困惑するに違いないが、それもロシア語の面白いところだと思えば良い。

 ナジェージュダから、コーヒーは中性名詞として使っていると聞いたことは既に述べたが、実はこの話には続きがある。「ブラックコーヒー」と言う際は形容詞を中性形の”чёрное”にせず男性形の”чёрный”を使うというのだ。そのことを大まじめに説明するので、その矛盾に思わず笑ってしまった。ロシア語は実に楽しい言語だ。 
 
【ペテルブルク時事単語ノート 3】
今日は17日付の新聞"metro"から。

”На купюре в 5000 будет Хабаровск”
「5000ルーブル紙幣にハバロフスク」

◎単語
9 купюра〔ж〕紙幣の表記価格

 ロシアの紙幣はこれまで1000ルーブル札が最高額だったが、今年中に、新たに5000ルーブル札が発行されるそうで、その紙幣にはハバロフスクが登場する。日本の紙幣に人物が載るのと同じように、ロシアの紙幣には両面に主な都市の図柄が掲載される。10ルーブル札にはクラスノヤルスク、50ルーブル札にはペテルブルク、100ルーブル札にはモスクワ、500ルーブル札にはアルハンゲリスクのデザインがあるが、極東の都市が紙幣に載るのはハバロフスクが初めて。これを機にペテルブルクからはるか遠い極東への関心が高まるか。それにしても、5000ルーブルとなるとかなりの高額。庶民がそう頻繁にやりとりする紙幣にはならないことであろう。

クラスを決める

2006-02-18 23:00:19 | Weblog
2006年02月16日
ロシア滞在通算158日目
【今日の写真:ネヴァ川で見つけた鳥達。】

今日の主な動き
08:55 出かける
09:04 マヤコフスカヤ駅
  メトロ マヤコフスカヤ(09:07)→バシレオストラフスカヤ(09:14)
09:30 学校
14:43 日本センター
18:11 インスティトゥット オットー
18:46 コピー屋
19:02 バシレオストラフスカヤ駅
  メトロ バシレオストラフスカヤ(19:09)→マヤコフスカヤ(19:16)
19:26 いつもの薬局
19:30 帰宅

 2月1日のクラス消滅以来、いくつかのクラスを転々としてきたが、その「難民」状態がついに終わった。今週見学した7番のクラスに決めることにして、オリガ先生に報告に行った。このクラスはフランス人などヨーロッパの学生もいて、学生が活発に質問するなど雰囲気も良い。文法の授業で扱う内容がやや高度だったりするが、いつまでも同じことをやっていては進歩がないから、ちょうど良かったのかもしれない。文法の先生は、「ちょっと難しいと感じるくらいのクラスがいい。」と言っていたが、私もそう思う。
オリガ先生に報告に行った際、念のためアレクサンドル先生のクラスがあるかどうか聞いたところ、「彼は簡単なクラスしか担当していないから、つまらないと思う。」と言われた。本当はアレクサンドル先生の授業があれば一番良かったのだが、適当なレベルのクラスがない以上仕方ない。今までとは全く違う先生、全く違うメンバーのクラスだが、このクラスでやってみよう。
 
 今日は大学から歩いて日本センターへ行き、エイズ検査の結果を受け取りにまた歩いてバシレフスキー島に戻る。
 日本センターでは、図書室で顔なじみの日本人達に会った。皆ロシア留学組なのだが、一言でロシア留学と言っても、ロシア語専攻の大学生もいれば、声楽とロシア語を並行して学んでいる人、商社の研修でロシア語を学びに来ている人、ペテルブルクの大学院で言語学を専攻している人もいて顔ぶれは多彩。どこかの国の内閣総理大臣の言葉ではないが、まさに「人生いろいろ」だ。偶然ここで出くわした人達は、10年後、20年後どこで何をしているのだろうか。是非将来また会ってみたいものである。 

 そんなことを考えながら再びネヴァ川を渡る頃には、川のはるか下流の空がうっすらと赤紫色になっていた。川沿いの建物が水面に映るのを見て、いつの間にか氷がだいぶ岸の方まで後退したことに気づく。ここ数日の暖かい気温で、だいぶ融解してしまったようだ。時が止まったような静かな夕暮れ。遠くの煙突からもくもくと立ちのぼり、風に棚引く煙だけがその静寂を破る。時刻は18時過ぎ。この時間帯にまだ辺りが明るいことに衝撃を覚える。いつの間にか、日没の時刻がだいぶ遅くなっていたのだ。

妹と長電話

2006-02-18 22:58:12 | Weblog
2006年02月15日
ロシア滞在通算157日目
【今日の写真:列車時刻料金検索端末の画面。写真はモスクワからペテルブルクへ向かうある列車の料金を表示したところ。(左の列から順に号車番号、種別、料金(単位:ルーブル)、席数)】

今日の主な動き
06:30頃 起床
08:54 出かける
09:05 マヤコフスカヤ駅
  メトロ マヤコフスカヤ(09:08)→バシレオストラフスカヤ(09:15)
09:31 学校
13:25 インスティトゥット オットー
13:46頃 ネヴァ川沿いのバス停
  147番のバス ネヴァ川沿いのバス停(13:52)→カザン聖堂前(13:59)
14:02 日本センター
17:39 ネフスキー通り駅
  メトロ ガスティニードヴォル(17:47)→マヤコフスカヤ(17:49)
17:55頃 モスクワ駅
18:37 帰宅
18:55 夕食

 午前中読解の授業を受けた後、午後からエイズ検査に行く。1年間有効のマルチビザを取得するには、HIVに感染していないことの証明書を大使館または領事館に提出しなければならないから。
 大学からそう遠くない診療所「インスティトゥット オットー」へ行くのは昨年の9月以来。診療所に入ると、入り口に靴を覆うビニールが用意してあり、これを靴に必ずつけてから中に入るようにという掲示があった。通りが泥雪で汚く、通常はその汚れが着いた靴で中に入るために、街中の建物の床が汚れいているのだが、さすがに診療所が同様の状態では衛生上良くない。ビニール作戦は、衛生を保つためにも大変結構な配慮だと思う。しかも、中国人が多いためか、わざわざ中国語でも指示が書かれていた。メトロの駅にある案内板ですら中国語はおろか英語もなくロシア語オンリーのこの街で、よりによってこんな所で中国語の掲示を見るのは意外だったが、ロシア語が読めないからといって中国人に床を汚染されてはたまらない。面倒でも中国語まで用意した診療所側の気持ちは、大変良く理解できる。

 日本センターでいつものようにインターネットを利用した後、日本の妹に電話して進路について助言をする。相手が家族だろうと友人だろうと、私は常々意見を求められたら、自分の考えを率直に述べることにしている。
 今日の私の意見は、妹が周囲からもらっていたものと全く反対の意見だったらしく、助言のつもりがかえって本人を困らせてしまったようだ。が、私はいつも、「人の意見は半分半分に聞くように。」と言っている。どんな人の言うことにも偏りや誇張、根拠不明な情報や時には嘘が混在している。だから私は、尊敬する先生だろうと、親だろうと、友達だろうと、人の意見は絶対視することなく、あくまで半分半分に聞くようにしているし、私が人に意見するときもそう言っている。最後に判断するのは自分自身。
 日本センターを出たところにあるエスカレーターの前で、1時間半から2時間ほどの長電話になった。格安のテレホンカードを利用しているという安心感もあり、自分の経験も含めてついついいろいろ話してしまう。私の説教を延々聞かされた妹の方はさぞかし大変だったことだろうが、何だかんだで自分が言っていることは、自分自身へのアドヴァイスにもなっているような気がしてきた。

 進路のこと、人生のことなど考えたらきりがない。きっかけが何かなど知る由もないが、ちょっとしたことで将来の設計図ががらっと変わることもあろう。今自分がやるべきだと思うことを、そう信じることを一生懸命やれば良いのだし、そうする以外に道はない。妹と話しながら、私自身、ロシアに来て今やっていることは間違っていないという自信を持てた気がする。