ロシアの北都 サンクトペテルブルク紀行

2005年秋から留学する、ロシアのサンクトペテルブルク(旧レニングラード)での毎日を記します。

少年老い易く…

2005-10-24 18:01:36 | Weblog
2005年10月23日
ロシア滞在53日目
【今日の写真:モスクワ駅】

今日の主な動き
07:00頃 起床 
11:20頃 朝食
15:21 出かける
15:24 マヤコフスキー通りの服屋
15:26 いつもの薬局の隣のレストラン
16:14 レストラン近くの服屋
16:22 インターネットカフェ
17:18 モスクワ駅
17:59 マヤコフスカヤ駅
18:23 帰宅

 実は先生の都合により明日は授業がお休みのため、今日は「三連休」の真ん中にあたる。誕生日だから、記念にエルミタージュ美術館にでも行こうかとちょっとだけ思ったが、天気もあまり良くないことだし、新しい年齢での「初勉強」をすることに。
 午前中は、日本にいたとき大学の授業で使っていたロシア語の教科書を読み返したり、刑法の教科書や判例百選を読んだりして過ごす。法律の教科書は5回読めば分かると言った民法の先生がいたが、今日何気なく刑法の教科書を読んでいて、今までいくら読んでも理解できなかった「かすがい理論」というやつが不思議とすんなり理解できた。例えば外で3人を殺害するよりも、住居に侵入の上3人を殺害する方が刑が軽くなるという、一見常識はずれな法理論である。そのうち法律問題について記す私のブログで紹介したいと思う。

 午後は比較的遅い時間から出かけ、近くのレストランでいつもよりやや豪華なランチを食べる。レストランの前後、Tシャツを買おうと思って何軒か服屋に寄ったが、どの店も冬物がメインで、Tシャツを売っている店はなかった。そのかわり、マヤコフスキー通りの、いつもの通学路には服屋が多く、しかも値段もそんなに高くないことを知った。冬物は家の近くで調達できそうだ。
 
 ランチの後、誕生日の「初詣」にモスクワ駅へ行く。お参りする所なら、この町には聖堂や教会などがたくさんあるのだが、観光客がたくさんいて、ガイドブックに載るようなハイカラな場所より、私にはモスクワ駅が一番だと思ったから。私にとってモスクワ駅は神社みたいなものである。
 モスクワ駅の堂々とした外観(【今日の写真】参照)が、私はとても気に入っている。まさに旅の出発点にふさわしい駅だと思う。
 ホームに入ると、5番線にムルマンスクから約46時間をかけて到着したばかりの郵便小包列車がいた。旅客列車ではない列車の到着時刻、始発駅まで掲示板に表示されるから親切である。
 ムルマンスクからの列車を横に見ながら、長いホームの端まで歩いてみる。旅客がいないため静かで、頻繁に流れる放送の音声がクリアに聞こえる。駅の放送などは、数字と決まった言葉さえ聞き取れれば良いわけで、どこ行きのどの列車が何時に何番線から発車するということは、ロシア語でもちゃんと理解できた。が、発車案内以外の放送がなかなか聞き取れないのは問題である。まだまだリスニング力をアップさせる必要があるなと感じた。今日はなぜか英語の放送が全くなかった。前回来たときは英語の放送もあったのに。きっと気まぐれなんだろうな。
 ホームの端まで行くと、信号機やポイントの様子が見える。ちょうど17時32分発、イヴァノヴォ行き45列車が隣の6番線から発車する時刻。緑色のランプが点灯した信号機の横を、大きな電気機関車が牽引する列車がゆっくりゆっくり通過していく。先頭の電気機関車が通過した直後、その信号の色は赤に変わった。レールのつなぎ目で、「ガタン、ガタン」と車輪が大きな音を立てる。つなぎ目がちょっとだけきしんでいるようにみえた。

 モスクワ駅にお参りした後、外では雨が降り始めた。帰り道、いつも利用しているマヤコフスカヤ駅にもお参りに行った。ついでにまた駅構内でドライフルーツを買う。「100グラムか?」と聞かれ、「そうだ。」と私が答えると、店員は棚に置いてある大きな袋の中から、小さなスコップでドライフルーツを取りだし、デジタル重量計の上に置いたビニール袋に少しずつ入れていく。その重量計は反応がワンテンポ遅く、物をのせてから0.5秒後くらいにようやく正しい重さを表示するようであった。4グラムのおまけがついて20ルーブル。

 帰宅後、夕食の際にナジェージュダやセルゲイらが誕生日祝いをしてくれた。ワインで乾杯し、プレゼントに象のマスコットと小さな写真立てをもらった。いつもながら、ホストファミリーの心遣いは大変ありがたい。

 夜はロシア語、英語と、西洋の歴史の勉強をした。

「少年老い易く、学成り難し」とは有名な漢詩の一節。長年朱子の作とされてきたが、実は、後世日本で作られたものらしい。いずれにせよ長い時を隔てた現代にも妥当する真実が、この短い詩の中によく凝縮されていると私は思う。小学5年の頃、まだ意味も十分に分からぬまま暗唱したこの漢詩が、今では私の境遇と重なって心に響く。何一つとして学を成さぬまま、また一つ年老いてしまった。そう思うと、幼少の頃のように、誕生日を手放しで喜んでもいられない。
 さらに学問に励まなければ。ロシアの北都で迎えた21回目の誕生日は、そんな決意を新たにした一日であった。そういえば、この漢詩は「已に秋声」という言葉で終わる。幸い、ペテルブルクの秋は長い。