第四章 第五節 修辞的辞様
修飾的辞様は、語句が由をもって美文の域に入るべき所以の措辞法なり。これが無きがために文はその内容の価値を減ずることなし。されど、これが有るがために文はますます明晰を添え、雄健を増し、優麗を加う。
修飾的辞様に属するもの種々あり。
(以下比喩法、擬人法などの説明が続く。以下略)
第四章 第六節 辞様の配置
文の全体を通じて、辞様の塩梅配置には注意すべきは、措辞の意匠上最も緊要なる事とす。しかれども、吾人は、これに多くの法則を設けて旺盛なる思想を拘束するの愚を為すを好まず、唯二個の要件を挙示するに止めんことを欲す。二個の要件とは何ぞ。いわく調和、いわく変化、これなり。調和は無条理を避くる所以、変化は単調没趣味を防ぐ所以。措辞の全体にわたれる塩梅配置の意匠の原理は、けだしこの二要件を出でざるべきか。さらに思えば、これに煩瑣なる法則なく、規約なく、言わんと欲する思想を言わんと欲する辞様に表出することは、即ち束縛を解き、自由を与うる所以にして、奇文字・怪文字はこの自由の中に産み出さるべきものなり。
それ調和と変化とは審美の二大要件にして、また実に文の二要件たり。二者各々分離すべからず。調和のうちに変化あり、変化のうちに調和あらんことを要す。
文に調和あらしめんには、まず語脈に注意する所なかるべからず。されど、変化あらしめんが為めに故らにその脈を破り、普通の順序を倒装することあり。その倒装や、なお調和倒装なるべからず。
文に調和あらしめんには、語句の長短と断続とに注意する所なかるべからず。およそ文は短語句にのみにても成立し得べく、或は長語句たらしむることを得べく、長きの極は数行ないし十数行にわたりて連続せしむることを得べし。長語句は複雑なる思想、複雑なる事理をその関係のまにまに説述するに好し。されど、複雑なる事理を複雑なる長語句によりて説かんわ、ますます複雑の感あらしめ、読者の脳裏を複雑ならしむるところあるが故に、特にこれを数短語句に分かちて文意の明瞭なるを図ることあり。単語句の積集は幼稚なる思想、単純なる思想を述ぶるには好し、そわそわしきさま、ちょこちょこしたる挙動を見するに好し、喜・怒・哀・楽等の急激なる発作を表すに好し。故に特にこれを用いて写実の功を奏することあり。長句は概して婉曲なり、流麗なり。されどもその短所は雄健と明晰に欠くる所なきにしもあらず。短句は概して雄健なり、明晰なり。されどその端緒は婉曲流麗に欠くる所なきにしもあらず。吾人はこれらの理由を根拠として語句の長短断続の上に適当なる工夫を用うべし。作家の嗜好によりて好んで短句を多く用うるあり、好んで長句を多く用うるあり。また、思想の種類によりて特に短句を多く用うべきあり、特に長句を多く用うべきあり。さは言え、長短錯綜し、断続多様なるは、調和の中の変化として最も尚ぶべき措辞の意匠たり。句調の佳しというも、半ばは這裏の消息をいうに過ぎず。
文に調和あらしめんには、叙事と叙言との配置に注意するを要す。叙事と評語との配置に注意するを要す。乃至、叙言と評語との配置、理と例の配合等に注意するを要す。叙事に簡なるべきあり、詳なるべきあり。叙言もまた簡なるべきあり、明細なるべきあり。叙言には純然たる叙言の形をもってすべきあり、或は地の言葉に準ずべきあり。この二様の何れを採用すべきかは、辞様の前後の関係によりて定まるべし。或は、言の重からざるもの、その要を撮むべきもの、類は叙事の形に叙し、その重きもの、全部を筆すべきもの、類は純然たる叙言の形に従うを可とすることあり。
問答会話の文にありては、要なき一方の言を省略することもあり。叙事と評語、その間に繁簡精粗よろしきを得べきことは、また略ぼ叙事と叙言との関係のごとし。概して、事実の叙述を本体とする文(例えば記事・叙事)には評論の語句を簡約にすべく、事理の論説を本体とする文(例えば議論解釈)には事実の叙述を簡約にすべし。ここに変化と調和とふたつながら並び行われん。その他の場合、皆これに準じて推知すべし。
文は変化を尚ぶ。文に変化あらしめんには、また辞様の配置に注意する所なかるべからず。まず基本的辞様の上に。次いで修飾的辞様の上に。
それ変化は平板を破る所以なり。同じ辞様の重複し、同じ句形の累出するは変化あるものにあらず。故に辞様のあらん限りを錯置配合すべく、句形の有らん限りを交互運用すべし。されどその間に調和なかるべからざるは論なし。
反語は強し。されど頻りに反語を用いば、読者厭嫌を来さん。二重否定は強し。されど、頻りにこれを用いば強なる能わず。喩えば唱歌の譜のごとし。一高一低一強一弱縦横錯落せば、強きものますます強く、高きものますます高く、弱きものますます弱く、低きものますます低く、もって克く壮大・哀婉・雅亮の調を発揮すべし。修飾的辞様の運用におけるも、またこの理法に足る能わず。比喩と対語とは文を優麗ならしむれども、多用の弊は浮華厭うべかきを見る。層語と漸進とは文勢を旺すれども、濫用の弊はかえって勢を殺ぐ。擬人は奇抜なれども、妄用しては奇抜を失い、引用は自家の主張を援助なれども、冗用すればかえって主張を失う。某作家は好んで警句を用い、某作家は好んで誇張を用い、某作家は好んで対比を用い、某は妄りに添語の修飾を悦び、某は妄りに削語の簡潔を旨とし、某は嗟嘆に、某は反語に、某は二重打消におのおの好んで偏用の傾向を示し、知らず識らず自家の特色と文癖とを為す。甚だしきは、特殊の副詞・接続詞・助動詞の類にさえ癖を為りて得々たる者あり。講演談話の上にもこの特色習癖を発見すること少なからず。かくてその人その人の談話に、文章に独特の「スタイル」をさえ生ずるなり。自由なるがゆえに癖を為し易し。されど、自由なるが故に技巧を施し得べし。この理由に基きて、思想は主なり、言辞は従なり。言辞をもって思想を動かすべからざるは勿論なれども、辞様に調和と変化をあらしめんが為に、機に臨んで多少配列の順序を変更し、表出の形状を左右するを許す。これ決して言辞の為に思想を動かすものにあらずして、むしろ思想の表現の顕著ならしむる応変の策なり。
修飾的辞様は、語句が由をもって美文の域に入るべき所以の措辞法なり。これが無きがために文はその内容の価値を減ずることなし。されど、これが有るがために文はますます明晰を添え、雄健を増し、優麗を加う。
修飾的辞様に属するもの種々あり。
(以下比喩法、擬人法などの説明が続く。以下略)
第四章 第六節 辞様の配置
文の全体を通じて、辞様の塩梅配置には注意すべきは、措辞の意匠上最も緊要なる事とす。しかれども、吾人は、これに多くの法則を設けて旺盛なる思想を拘束するの愚を為すを好まず、唯二個の要件を挙示するに止めんことを欲す。二個の要件とは何ぞ。いわく調和、いわく変化、これなり。調和は無条理を避くる所以、変化は単調没趣味を防ぐ所以。措辞の全体にわたれる塩梅配置の意匠の原理は、けだしこの二要件を出でざるべきか。さらに思えば、これに煩瑣なる法則なく、規約なく、言わんと欲する思想を言わんと欲する辞様に表出することは、即ち束縛を解き、自由を与うる所以にして、奇文字・怪文字はこの自由の中に産み出さるべきものなり。
それ調和と変化とは審美の二大要件にして、また実に文の二要件たり。二者各々分離すべからず。調和のうちに変化あり、変化のうちに調和あらんことを要す。
文に調和あらしめんには、まず語脈に注意する所なかるべからず。されど、変化あらしめんが為めに故らにその脈を破り、普通の順序を倒装することあり。その倒装や、なお調和倒装なるべからず。
文に調和あらしめんには、語句の長短と断続とに注意する所なかるべからず。およそ文は短語句にのみにても成立し得べく、或は長語句たらしむることを得べく、長きの極は数行ないし十数行にわたりて連続せしむることを得べし。長語句は複雑なる思想、複雑なる事理をその関係のまにまに説述するに好し。されど、複雑なる事理を複雑なる長語句によりて説かんわ、ますます複雑の感あらしめ、読者の脳裏を複雑ならしむるところあるが故に、特にこれを数短語句に分かちて文意の明瞭なるを図ることあり。単語句の積集は幼稚なる思想、単純なる思想を述ぶるには好し、そわそわしきさま、ちょこちょこしたる挙動を見するに好し、喜・怒・哀・楽等の急激なる発作を表すに好し。故に特にこれを用いて写実の功を奏することあり。長句は概して婉曲なり、流麗なり。されどもその短所は雄健と明晰に欠くる所なきにしもあらず。短句は概して雄健なり、明晰なり。されどその端緒は婉曲流麗に欠くる所なきにしもあらず。吾人はこれらの理由を根拠として語句の長短断続の上に適当なる工夫を用うべし。作家の嗜好によりて好んで短句を多く用うるあり、好んで長句を多く用うるあり。また、思想の種類によりて特に短句を多く用うべきあり、特に長句を多く用うべきあり。さは言え、長短錯綜し、断続多様なるは、調和の中の変化として最も尚ぶべき措辞の意匠たり。句調の佳しというも、半ばは這裏の消息をいうに過ぎず。
文に調和あらしめんには、叙事と叙言との配置に注意するを要す。叙事と評語との配置に注意するを要す。乃至、叙言と評語との配置、理と例の配合等に注意するを要す。叙事に簡なるべきあり、詳なるべきあり。叙言もまた簡なるべきあり、明細なるべきあり。叙言には純然たる叙言の形をもってすべきあり、或は地の言葉に準ずべきあり。この二様の何れを採用すべきかは、辞様の前後の関係によりて定まるべし。或は、言の重からざるもの、その要を撮むべきもの、類は叙事の形に叙し、その重きもの、全部を筆すべきもの、類は純然たる叙言の形に従うを可とすることあり。
問答会話の文にありては、要なき一方の言を省略することもあり。叙事と評語、その間に繁簡精粗よろしきを得べきことは、また略ぼ叙事と叙言との関係のごとし。概して、事実の叙述を本体とする文(例えば記事・叙事)には評論の語句を簡約にすべく、事理の論説を本体とする文(例えば議論解釈)には事実の叙述を簡約にすべし。ここに変化と調和とふたつながら並び行われん。その他の場合、皆これに準じて推知すべし。
文は変化を尚ぶ。文に変化あらしめんには、また辞様の配置に注意する所なかるべからず。まず基本的辞様の上に。次いで修飾的辞様の上に。
それ変化は平板を破る所以なり。同じ辞様の重複し、同じ句形の累出するは変化あるものにあらず。故に辞様のあらん限りを錯置配合すべく、句形の有らん限りを交互運用すべし。されどその間に調和なかるべからざるは論なし。
反語は強し。されど頻りに反語を用いば、読者厭嫌を来さん。二重否定は強し。されど、頻りにこれを用いば強なる能わず。喩えば唱歌の譜のごとし。一高一低一強一弱縦横錯落せば、強きものますます強く、高きものますます高く、弱きものますます弱く、低きものますます低く、もって克く壮大・哀婉・雅亮の調を発揮すべし。修飾的辞様の運用におけるも、またこの理法に足る能わず。比喩と対語とは文を優麗ならしむれども、多用の弊は浮華厭うべかきを見る。層語と漸進とは文勢を旺すれども、濫用の弊はかえって勢を殺ぐ。擬人は奇抜なれども、妄用しては奇抜を失い、引用は自家の主張を援助なれども、冗用すればかえって主張を失う。某作家は好んで警句を用い、某作家は好んで誇張を用い、某作家は好んで対比を用い、某は妄りに添語の修飾を悦び、某は妄りに削語の簡潔を旨とし、某は嗟嘆に、某は反語に、某は二重打消におのおの好んで偏用の傾向を示し、知らず識らず自家の特色と文癖とを為す。甚だしきは、特殊の副詞・接続詞・助動詞の類にさえ癖を為りて得々たる者あり。講演談話の上にもこの特色習癖を発見すること少なからず。かくてその人その人の談話に、文章に独特の「スタイル」をさえ生ずるなり。自由なるがゆえに癖を為し易し。されど、自由なるが故に技巧を施し得べし。この理由に基きて、思想は主なり、言辞は従なり。言辞をもって思想を動かすべからざるは勿論なれども、辞様に調和と変化をあらしめんが為に、機に臨んで多少配列の順序を変更し、表出の形状を左右するを許す。これ決して言辞の為に思想を動かすものにあらずして、むしろ思想の表現の顕著ならしむる応変の策なり。
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