実演販売のスコッチアンドソーダ Tenyo magic【テンヨー】
●若き友人いっぺい氏の動画である。高評価、ご登録、拡散、コメントなどよろしくお願いいたします。
●で、だ。
●上の動画を見てお分かりの通り、非常に素敵なマジックである。次回の解説編が楽しみである。
なぜ、そうしたかについてはいくつか推測はできるけれども、それだけに答え合わせが非常に楽しみである。
●で、だ。
このスコッチアンドソーダには非常に思い入れが強いのである。以下にそれを記しちゃう。
<スコッチアンドソーダと私>
●手品にはじめてはまったのきっかけはスベンガリデックであった。
テンヨー ミステリーカード/Tenyo MYSTERY CARDS
ね、最高でしょ。これは易しいので演出重視でよく演じていたわけだ。
今なお演じているがスベンガリデックは外したことはない。
●で、だ(今回は多いな)。
●あれ以上のインパクトのあるマジックにないかなあと思い、たまたまテンヨーのディーラーブースを複数のお客さんと見ていたら、なぜかしら私を選んでスコッチ&ソーダの実演が行われたのである。
●なんとまあ、手の中で銅貨が500円硬貨に変わってしまうのである。
即、購入。
この奇跡のタネが入手できる、況や実演できるとなれば買ってしまうのも致し方ないと思うのである。
これでマジックに対する経済感覚が狂った(?)。
少なくとも、マニアへの一歩だった。
●Rちゃんと初めて会ったときにも、このマジックを見せた。
Rちゃんは基本的にはいい子(もうおばちゃんだそうな)なので、500円硬貨に変化したことに驚きつつも「ごめん、銅貨なくしゃった」と言いながら、周囲を探したものである。
いい人だなあ。
●マジックを趣味とする友人にもほぼ初対面の頃に見せたような気がする。ギミックによるマジックの中では一番インパクトがあったのではないかな。
●何人かの人とのつながりを作ってくれたのが、スコッチ&ソーダなのである。
●いっぺい氏の動画を見て、スコッチ&ソーダを楽しむ人が増えると良いなあと思ふのであった。
●久しぶりの「マジックのリハビリと日記」更新。備忘録として。
●以下、順不同。
●ワクチンが効いていると信じる。
●俳句プチブーム。つか、コンスタントに俳句を作らないとね。
●マジックを趣味とする友人と会う。いつも決まった人に見せるマジックの演目についての苦労を話し合う。
一度見せたマジックを二回見せることは少ないよねえとか、久しぶりにあった人に同じマジックをリクエストされると困るよねえ、準備していなかったり、バレないかしらんと思ったりとか。毎月新ネタを一つ以上加えつつ、基礎を押さえていくしかないかねという趣旨の結論。
●友人からのプレゼントに喜ぶ。
●下のマジックにはまる↓↓
上のマジックが一技法だけでできるなんて。
●そうそう動画と言えば↓下↓の動画。
『ゆうきともオンライン』にて毎月配信している『ゆうきともレクチャーLIVE』の一部を期間限定で公開します。コルクやマッチ、乾電池やリップクリームなどを2つ用意してお楽しみください。
期間限定の動画ですので、早めに視聴なさるのをお勧め。
●今月も『ゆうきともオンライン』は楽しかった。
●テンヨーの新製品の季節。
『ワイルドショック』に期待。テンヨーがワイルドカードをどう料理したかが楽しみである。
新宿に行ける方はビリーさんのマジックショップがあるんでぜひ実演を見てくだされ。
●ミラクルスルーコイン(テンヨー)ブーム。自分なりの演出を考えるが、欠点が。
まあ、問題提起として近く後悔公開するやも。
『或阿呆の一生』 芥川龍之介
それは或本屋の二階だつた。二十歳の彼は書棚にかけた西洋風の梯子(はしご)に登り、新らしい本を探してゐた。モオパスサン、ボオドレエル、ストリントベリイ、イブセン、シヨウ、トルストイ、……
そのうちに日の暮は迫り出した。しかし彼は熱心に本の背文字を読みつづけた。そこに並んでゐるのは本といふよりも寧(むし)ろ世紀末それ自身だつた。ニイチエ、ヴエルレエン、ゴンクウル兄弟、ダスタエフスキイ、ハウプトマン、フロオベエル、……
彼は薄暗がりと戦ひながら、彼等の名前を数へて行つた。が、本はおのづからもの憂い影の中に沈みはじめた。彼はとうとう根気も尽き、西洋風の梯子を下りようとした。すると傘のない電燈が一つ、丁度彼の頭の上に突然ぽかりと火をともした。彼は梯子の上に佇(たたず)んだまま、本の間に動いてゐる店員や客を見下(みおろ)した。彼等は妙に小さかつた。のみならず如何にも見すぼらしかつた。
「人生は一行(いちぎやう)のボオドレエルにも若(し)かない。」
彼は暫しばらく梯子の上からかう云ふ彼等を見渡してゐた。……
隅田川はどんより曇つてゐた。彼は走つてゐる小蒸汽の窓から向う島の桜を眺めてゐた。花を盛つた桜は彼の目には一列の襤褸(ぼろ)のやうに憂欝だつた。が、彼はその桜に、――江戸以来の向う島の桜にいつか彼自身を見出してゐた。
●『或阿呆の一生』の一と四を合わせた全文である。
●これをつなげて問題を作ったのはお茶の水大学(高校?)だったと思う。ただ手元に問題がないので、一、四という数字が付いていたかは忘れた。おぼろげな記憶では数字はついていなかったような気がするが。
●知らないでいると一篇の掌編小説として読める。
●西洋風のはしご→新しい文学→世紀末それ自身→江戸以来の~桜~彼自身
以上の流れ(掌編だから全文に直接矢印で説明したいくらい)から新しい文学を受け入れずに江戸以来のなにかを背負った絶望(自殺後に見つかった文章である)の小説家の気持ちが読み取れる。
●内田樹氏は誤読の自由をうったえていたがいくらでも誤読するに堪える文章だと思う。先の私の解釈も誤読であろう。「二十歳の彼」という部分が私には落ち着かないからである。
●「見下した。彼等は妙に小さかつた。のみならず如何にも見すぼらしかつた。」
●「人生は一行のボオドレエルにも若かない」
●「隅田川はどんより曇つてゐた」
●「走つてゐる小蒸汽の窓」
●上記のように、どんどん誤読する自由を与えてくれる文章である。どういう意味なのか。何を象徴しているのか。
●さて、誤読の練習をしてみるか。
ゆうきとも(@tomoyukimagic)さんがツイートしました: 20代後半のマジシャンでしたが、マジックの締めの部分(クライマックス)において 「…信じれますか?」 「…もし信じれるとすれば…」 「…信じれたのならステキです!」などと 最も重要なシーンにおいて、連続で使われたときはさすがに引きました。(^^;) 観客の年齢層が上の場合は考慮するべきかと。 https://twitter.com/tomoyukimagic/status/1428597499963400193?s=20
<解説編>実演販売のミラクルスルーコイン Tenyo magic【テンヨー】
●若き友人いっぺい氏による動画。実演編とリンクはここ。
●ちょっと衝撃を覚えた動画。現場の裏話にびっくり(゚д゚)!
●現在だと、SNSで30秒~1分、You Tubeで3分程度の短さが求められているんだもんなあ(オウンドメディア=「自社で所有するメディア」だと小一時間いけるらしいが)(参照『動画の効果的な長さは?WEBマーケティングの観点から考えてみた』)。
●手品もそうなっているのかもしれんね。オウンドメディア状態以外は短めに。
●左から順に本家「ミラクルスルーコイン」、デアゴスティーニのザ・マジックの「ミラクルスルーコイン」、「奇跡のミッキーコイン」。
●非常に昔、作った小論文問題。まあ、小論文? 関係ないし、と思われた方も以下の文章を読んでもらえるとありがたい。面白いと思う。できれば、リンク先の文章を読んでくださいませ。解説は採点官用である。講義のメモでもある。
次の文章を読んで後の問一と問二に答えなさい。なお、文章は一部、改変、省略がなされている。
私のヒーローたち
Paul Graham / 青木靖 訳(全文はこちら→『私のヒーローたち』)
書くのがすごく楽しそうなので取っておいているトピックがいくつかある。今回のはその一つで、私のヒーローたちについての話だ。
ここに挙げたのがもっとも尊敬すべきn人であると主張するつもりはない。そういうリストを作るつもりになったところで、いったい誰にそんなもの作れるだろう?
たとえばここにアインシュタインは出てこない。彼は尊敬すべき人々を並べたどんな短いリストにもおそらく顔を出すことだろう。私は以前物理学者をしている友人に尋ねたことがある。アインシュタインって、本当にあの名声に見合うほど頭のいい人間だったの? 彼女はそうだと答えた。ではなぜアインシュタインはこのリストに出てこないのか? それは、ここに挙げているのは私が影響を受けた人たちであって、私にその業績を本当に理解できたなら影響を受けるだろう人たちではないからだ。
私が使っている基準は、誰かについて「この人は私のヒーローだろうか?」と問うというものだ。答えはしばしば自分でも驚くものになる。たとえばモンテーニュはノーだった。彼はエッセイという形式を確立した人だとされているというのに。それならなぜ? どういう人を自分がヒーローと呼んでいるか考えてみると、それは決断するときにその人ならどうしただろうかと想像するような人だ。これは通常の尊敬よりも範囲の狭い基準になる。
リストを作ってみた後、そこに何かパターンがあるだろうかと考えてみた。そしてとてもはっきりとしたパターンを見つけた。このリストに現れる人はみんなある2つの資質を持っているのだ。自分の仕事に対してほとんど過剰なまでに神経を使っていたということ、そして絶対的に誠実であったいうことだ。誠実と言ったのは、信頼できるという以上に、決して迎合しないということだ。彼らは周りから要求されたために何かを言ったりしたりするということがない。彼らはみな、この理由により反乱分子の要素があり、ただ多かれ少なかれそのことを隠しているのだ。
レオナルド
何かを作るということについて私が学んだことで、子供の頃にはわかっていなかったことの一つは、最高の作品というのは聴衆のためではなく、自分自身のために作られるということだ。美術館で絵画や素描を見ると、それが自分たちに見てもらうため描かれたように感じる。しかし実際には、最高の作品の多くは他の人を喜ばせるためではなく、世界を探求する手段として作られたのだ。そのような最高の探求の結果というのは、人を喜ばせることを明示的に意図して作られたものよりも、さらに喜ばしいものになる。
レオナルドは多くのことをした。彼のもっとも尊敬すべき資質は、非常に多くの異なった尊敬すべきことを成したということだ。今日彼が世に知られているのは、絵画作品や、飛行機械のような華々しい発明によってだ。彼は芸術家の構想する宇宙船を描いた夢想家のように見える。しかし実際には、彼はずっと実用的な技術的発見を非常にたくさんしている。彼は画家であるとともに、優れたエンジニアでもあったのだ。
私から見て彼のもっとも印象の強い業績は素描だ。それは何か美しい作品を作るというより、世界を探求する手段として作成されている。それでいて、かつて作られたどんな美術作品よりも美しい作品になっている。人に見せない作品をあれほど見事に作った人というのは、前にも後にも他にいない。
ラリー・ミハルコ
子供時代のある時点ですばらしい先生に出会ったという人は多い。私にとってはラリー・ミハルコがそうだ。思い返してみると、3年生と4年生の間には明確な境界があるかのようだ。ミハルコ先生と出会った後、すべてが変わった。
なぜだろう? 第一に、彼は強い知的好奇心を持っていた。頭のいい先生なら他にも何人かいたが、彼らは知的好奇心が強いとは言えなかった。今から思うと、彼には小学校の先生というのは場違いであり、彼自身そのことがわかっていたと思う。それは彼にとってはつらいことだったに違いないが、私たち生徒にとっては得難いことだった。彼の授業はいつも冒険のようだった。毎日学校に行くのが楽しかった。
彼を違ったものにしていたもう一つの点は、彼が私たちのことを好きだったということだ。そういうことに関しては子供は敏感なものだ。ほかの先生たちは好意的に無関心というのがせいぜいだ。しかしミハルコ先生は、本当に私たちと友達になりたいと思っているようだった。4年生の最後の日、彼は学校の重たいレコードプレーヤーを教室に持ってきて、ジェームス・テイラーの「君の友だち」をかけた。ただ僕の名を呼んでくれれば、たとえどこにいようと、君の元に駆けつけるよ。彼は59歳のときに肺がんで亡くなった。私は後にも先にも彼のお葬式のときのように泣いたことはない。
スピットファイア
このリストを作りながら、ダグラス・バーダー、R・J・ミッチェル、ジェフリー・クウィルのような人たちのことを考えていて、それぞれの生涯において多くのことをなした彼らを強く結びつけている一つのものに目をとめた。スピットファイアだ。
これはヒーローのリストなのに、どうして機械が出てくるのか? それはスピットファイアがただの機械ではなかったからだ。それはヒーローのレンズだった。途方もない愛情がそこに注がれ、途方もない勇気がそこからあふれ出てきた。
第二次世界大戦はよく善と悪の競い合いのように見られるが、しかし実際には戦闘機デザインの競い合いだったのだ。スピットファイアの敵はME 109で、それはきわめて実用的な飛行機であり、殺人マシンだった。スピットファイアは楽観主義を体現していた。あの美しい輪郭を持つだけでなく、それは工業的に作りうる最先端のものだった。そして本道を行くことは実りをもたらした。空においては、美がまさに力となったのだ。
(スピットファイア)
アイザック・ニュートン
ニュートンは私のヒーローたちの殿堂の中にあって変わった役割を果たしている。私は彼によって自分を叱咤しているのだ。彼は彼の人生の少なくともある部分では、大きな問題に取り組んだ。人は小さな問題で気を紛らわせやすいものだ。快適に答えることのできる馴染み深い問題だ。すぐに結果が出せる。実際一時的な問題に対処するというのは割がいいものだ。しかし自分ではそれが無名への道であることに気付いていて居心地悪く思っている。
本当に大きなことをしようと思うなら、他の人がそれを問題だと気付きすらしないような問題を求める必要がある。そういうことをした人はおそらくニュートン以外にもいたのだろうけど、私にとってニュートンはこの種の思考のモデル的な存在なのだ。彼がどんな風に感じていたのかを、私はようやく理解し始めている。
あなたの人生は一つしかない。そうであれば何か大きなことをしようとは思わないか? 「パラダイムシフト」という言葉は今では使い古されているが、トーマス・クーンは何かを掘り当てたのだと思う。そしてそこにはもっと大きなものがあって、後になって驚くほど薄かったことがわかる怠惰と愚かさの壁によって我々と隔てられている。ただ我々がニュートンのように働きさえすれば――
※パラダイムシフト
その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化することをいう。科学史家トーマス・クーンによって提唱された。
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<設問>
問一
あなたにとってのヒーロー・偉人とはどのような人物ですか。九〇字~三〇〇字程度の一段落で定義、説明をしてください。なお、問二を意識すること。さらに進学先で学ぶことを関連させると良い。
問二
あなたにとってのヒーロー・偉人とは誰(あるいは何)ですか。問一を踏まえて、一五〇字~三〇〇字程度の一段落で書きなさい。
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<解説>
今回のポイントは課題文を参考にする力、段落を作る力、そして抽象的な主張をする力(問一)とそれに対応した具体例を作る力(問二)をそれぞれ試しています。解答時間が60分であること、文系と理系がわかれていないことなどを考えると、このような出題になりました。しかし、先にあげた「課題文を参考にする力、段落を作る力、抽象的な主張をする力とそれに対応した具体例を作る力」は、いかなる小論文でも重要な点ですので、採点、よろしくお願いします。
課題文では以下のようにヒーローについて述べています。
- ここに挙げているのは私が影響を受けた人たち
- どういう人を自分がヒーローと呼んでいるか考えてみると、それは決断するときにその人ならどうしただろうかと想像するような人だ
- リストを作ってみた後、そこに何かパターンがあるだろうかと考えてみた。そしてとてもはっきりとしたパターンを見つけた。このリストに現れる人はみんなある2つの資質を持っているのだ。自分の仕事に対してほとんど過剰なまでに神経を使っていたということ、そして絶対的に誠実であったいうことだ。誠実と言ったのは、信頼できるという以上に、決して迎合しないということだ。彼らは周りから要求されたために何かを言ったりしたりするということがない。彼らはみな、この理由により反乱分子の要素があり、ただ多かれ少なかれそのことを隠しているのだ。
抽象的なヒーローのパターンの各々を読み取っていると、問一が解答しやすいことでしょう。
さて、以上のことにその後の記述にある各例が対応しています。原文(リンク先参照)ではもっと多くの例があったのですが、ここでは次の視点から、四つに絞りました。まず、メジャーなものとしてレオナルドを、次に個人の人生におけるヒーローとしてラリー・ミハルコを、機械としてスピットファイアを、そして未来を中心とした記述の例としてニュートンをとりあげました。例を減らして文章を短くすることは可能かもしれませんが、課題文を読める生徒はこれらが展開のヒントたりえることを理解できているはずであり、その意味で有用な課題文です。課題文から学び取る姿勢が、善し悪しを分けるポイントであることでしょう。人物だけでなく、機械(個人的にはiPhoneなんてあげる人がいたら、魅力的な答えの可能性があると思っています)でも良いのですし、極端な話、架空の人物を設定することも可能です。小学校の先生を出されたら、こちらとしても調べようがないのです。あるいは架空の物語の人物をヒーローにしても、いいですよね。「次の文章を読んで後の問いに答えなさい」の意味がわかる生徒であり、徹底的に考える生徒であることを祈ります。
※ 「徹底的に考える」ことなんて無駄だから「てにをは」「漢字」のミスが大事だと教えた先生もいたようだ。確かに生徒の受験する大学のレベルによって異なるだろうが、私は徹底的に考える生徒の育成をはかっている。
段落を作る力を設問でダイレクトに聞いています。一段落の構成には若干、教え方に若干差があると思うので、各先生方の教えてきた一段落の構成に基づいて採点してください。
以下に解答例を書きました。問二は二十歳のころの私の文章を改案したものです。
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<解答例>
問一
私にとってヒーローとは、人間が一種類の要素だけで出来上がっていないことを実感させる上に、人生とは素晴らしいものだと教えてくれる人だ。多くのいいとされる絵画が、色は豊かで、赤ですら、多くの色調を持っているのだが、そのようなものが人間だと私は考えている。私自身、他人から明るい人物だの一言で処理されるのを望まない。愚かであり、前向きであり、後悔をし、泣き虫であり、攻撃的であり、妥協を知らず、残酷で、しかも慈悲を持っている人物と見なす人を私は私の理解者だとしたいのである。そして、全ての人間に現実として暗黒面があり、完璧な人間などいないとしても、私の今後の人生のために、人間はそれでもなお素晴らしいのだと思わせてくれなくてはいけない。そうでなくてはヒーローだと見なしたくなるようなプラスの感情は持てないのである。
※翻訳体的な文体あるいは独特な文体に驚いた先生がいた解答例でした。普段と違う文体になってしまった。
問二
私にとって土方歳三はヒーローである。農民のような地位の出身にもかかわらず、新撰組の副長として、負ける幕府のために戦い続け、最後は北海道で戦死したのだが、これは「士道に背くまじきこと」を体現しているまさに武士であると思う。しかし、彼の「士道に背くまじきこと」は過激であり、味方を殺す理由としても用いられた。これは人として好ましいとは言えないし、少なくとも私は彼とともにいたくない。また、個人としての武勇はともかく指揮官としての技量は低いとみなす説もある。それでも、なお、私が彼をヒーローとするのは、彼が俳人でもあったことである。彼は「梅の花一輪咲いても梅は梅」という句を残している。それは幕府に最後まで付き合うという一貫性と重なっていると私は思う。彼にとって「葵の花一輪咲いても葵は葵」だったのだ。過ちを犯し、欠点は持ちつつも、趣味においても、武士の生き様においても、敗北や死を恐れぬ一貫性を人は持つことができる例として、土方歳三は私のヒーローなのである。
<参考>
マニアのなりかた(趣味の説明などで重要)
・偏見を持つ(主観・個性・癖)
・事実を調べる(客観・他者を認める)
・諸説を受け止め内部で、総合化する(客観+主観)