昨晩、『えんの会』の5回目の会合があった。
『えんの会』とは、このブログのタイトルである『お助け長屋』を目指す中年男たちの集まりのことである。
今までは、その名を秘していた。
理由は、これが私個人のブログだからだ。
しかし、今日は、ある覚悟のもとに、名前をあからさまにしている。
さて、四人の中でいちばん若いH君から、「ちょっと遅れますので、先に始めてて下さい」というメールが入った。
H君は、ずっと出版関係の会社に勤めていたが、昨年の春から雪国に単身赴任となった。
えんの会でいちばん若いと言っても、H君も40代半ばになる。
その年で、全く初めての土地へ単身赴任とは…。
大変だろうなア…と、私たちは芯から気の毒に思っていた。
でも、H君は持ち前の明るさとマラソンで鍛えた体力とで、新しい土地でも頑張っていた。
なにしろ彼は、仕事がある日でも毎日20キロを走る。
フルマラソンのベストは3時間9分で、フルマラソン、ハーフマラソンの走破は数知れず…というツワモノなのだ。
しかも酒が大好きで、私たちの会にも、しばしばすでにイッパイ入れてから、赤い顔して参加する。
でも、それが憎めない、何とも愉快なキャラクターの持ち主である。
さて、定例会が30分以上たってから、我がH君が入場してきた。
でも、彼は、意外なことを言う。
「ボクは今、お酒が飲めないんです。食べられるものもごく限られていて…」
エッ?なんで?と訝る私たちに、H君はいつものように明るく語った…。
仔細は控えるが、彼は、消化器系の難病に罹っているのである。
今は強いクスリを飲みながら、事態の改善を待っている。
しかし、メドは立っていない。
とにかく、食べるものも飲むものも大きな制限を受けているようであった。
無論、H君が何より愛ていした酒は、「NO」である。
そして、30分おきにはトイレに行かなければならない。それは、1日24時間、夜中も通してだ…。
私たちは、唖然たる思いで聴いていた。
でも、私などはすでにかなり酔っていたので、ことの重要性をハッキリ認識しないで、2次会のカラオケに行き、グッスリ寝込んでしまった…。
今朝、起きてから、私の頭に、明るくふるまっていたH君の表情が蘇ってきた。
今、彼の立場に自分が置かれたとしたら…。
夜中でも三十分間隔で起き、お客さんと話している最中でもトイレに行かなければならない生活とは…。
私はこの三年以上ずっと酒を飲み続けてきた。
酒の功徳も大きいが、過ぎれば毒も当然出てくる。私は、その「副作用」に悩み、怯えていたが、同じ酒飲みのH君がひとつの支えになっていた。
彼の疾患と飲酒との関連は、分らない。
だが私は、H君が自分の身代わりになった…という想念に憑かれた。
そして、枕を抱きかかえながら、身悶えした…。
今日、ミサに与れたことは、私にとって、まさに神の計らいであった。
司祭の朗読は、ヨハネの8章が読まれた。
律法学者やファリサイ派たちが、姦通の現場で捉えられた女性をイエスの前に連れてくる。
そして、「モーゼも姦通した女は死刑にせよと言っている。あなたはどう考えるのか?」と、問う。
イエスは「あなた方の中で罪を犯したことのないものが、まずこの女に石を投げなさい」と、言った。
すると、ひとりまた一人、人々は去り、最後にイエスと女性が残った。
「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」
この章は、大変なスキャンダルだったらしい。
キリスト教が成立した初代教会の時代でも、姦通は最も重い罪だったからだ。
そんなキケンなエピソードをあえて入れてまで、あらゆる者は赦される」というイエスの破格の教えを伝えようとした。
そして、イエスを信じる共同体に属する者の生き方を。
今日の、第一共同祈願。
「主が示された、神のゆるしに信頼し、私たちがそれぞれの弱さや不足を受け入れ、補い合っていくことができますように」…。
お助け長屋の店子のひとりとして、今日こそ、目覚めなければいけない…と思った。
私たちは皆、弱く、小さく、不足だらけの「おさなご」である。
どうか、助け合うことができまうように…。
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『えんの会』とは、このブログのタイトルである『お助け長屋』を目指す中年男たちの集まりのことである。
今までは、その名を秘していた。
理由は、これが私個人のブログだからだ。
しかし、今日は、ある覚悟のもとに、名前をあからさまにしている。
さて、四人の中でいちばん若いH君から、「ちょっと遅れますので、先に始めてて下さい」というメールが入った。
H君は、ずっと出版関係の会社に勤めていたが、昨年の春から雪国に単身赴任となった。
えんの会でいちばん若いと言っても、H君も40代半ばになる。
その年で、全く初めての土地へ単身赴任とは…。
大変だろうなア…と、私たちは芯から気の毒に思っていた。
でも、H君は持ち前の明るさとマラソンで鍛えた体力とで、新しい土地でも頑張っていた。
なにしろ彼は、仕事がある日でも毎日20キロを走る。
フルマラソンのベストは3時間9分で、フルマラソン、ハーフマラソンの走破は数知れず…というツワモノなのだ。
しかも酒が大好きで、私たちの会にも、しばしばすでにイッパイ入れてから、赤い顔して参加する。
でも、それが憎めない、何とも愉快なキャラクターの持ち主である。
さて、定例会が30分以上たってから、我がH君が入場してきた。
でも、彼は、意外なことを言う。
「ボクは今、お酒が飲めないんです。食べられるものもごく限られていて…」
エッ?なんで?と訝る私たちに、H君はいつものように明るく語った…。
仔細は控えるが、彼は、消化器系の難病に罹っているのである。
今は強いクスリを飲みながら、事態の改善を待っている。
しかし、メドは立っていない。
とにかく、食べるものも飲むものも大きな制限を受けているようであった。
無論、H君が何より愛ていした酒は、「NO」である。
そして、30分おきにはトイレに行かなければならない。それは、1日24時間、夜中も通してだ…。
私たちは、唖然たる思いで聴いていた。
でも、私などはすでにかなり酔っていたので、ことの重要性をハッキリ認識しないで、2次会のカラオケに行き、グッスリ寝込んでしまった…。
今朝、起きてから、私の頭に、明るくふるまっていたH君の表情が蘇ってきた。
今、彼の立場に自分が置かれたとしたら…。
夜中でも三十分間隔で起き、お客さんと話している最中でもトイレに行かなければならない生活とは…。
私はこの三年以上ずっと酒を飲み続けてきた。
酒の功徳も大きいが、過ぎれば毒も当然出てくる。私は、その「副作用」に悩み、怯えていたが、同じ酒飲みのH君がひとつの支えになっていた。
彼の疾患と飲酒との関連は、分らない。
だが私は、H君が自分の身代わりになった…という想念に憑かれた。
そして、枕を抱きかかえながら、身悶えした…。
今日、ミサに与れたことは、私にとって、まさに神の計らいであった。
司祭の朗読は、ヨハネの8章が読まれた。
律法学者やファリサイ派たちが、姦通の現場で捉えられた女性をイエスの前に連れてくる。
そして、「モーゼも姦通した女は死刑にせよと言っている。あなたはどう考えるのか?」と、問う。
イエスは「あなた方の中で罪を犯したことのないものが、まずこの女に石を投げなさい」と、言った。
すると、ひとりまた一人、人々は去り、最後にイエスと女性が残った。
「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」
この章は、大変なスキャンダルだったらしい。
キリスト教が成立した初代教会の時代でも、姦通は最も重い罪だったからだ。
そんなキケンなエピソードをあえて入れてまで、あらゆる者は赦される」というイエスの破格の教えを伝えようとした。
そして、イエスを信じる共同体に属する者の生き方を。
今日の、第一共同祈願。
「主が示された、神のゆるしに信頼し、私たちがそれぞれの弱さや不足を受け入れ、補い合っていくことができますように」…。
お助け長屋の店子のひとりとして、今日こそ、目覚めなければいけない…と思った。
私たちは皆、弱く、小さく、不足だらけの「おさなご」である。
どうか、助け合うことができまうように…。
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