今日はお休みでした。
今日で松の内も終わり。そろそろ世間も「仕事」の本気モードに入っていく気配があります。
ところで、先ほどYouTubeで、「ランディ・バウシュ教授の最後の授業」というのを見ました。
これは、すい臓ガンに侵されて余命六ヶ月と宣告されたアメリカの大学教授が2007年9月に行った「最後の講義」の記録です。
バウシュ教授はまだ40代半ばと若く、講義もユーモアに溢れ、とてもエネルギッシュです。
IT分野の権威だった人らしいけれど、「最後の講義」はITとは関係なく、どうすれば夢を実現できるか…という内容でした。
そして最後にバウシュ教授は、
「皆さんに秘密にしておいたことがあります。今日の講義は、実は皆さんに話していたのではありません。私の三人の子供へのメッセージだったのです」
という種明かしをします。
この辺りで、このところすっかり「泣き虫オジサン」と化している私は、焼酎オヤジと二人で泣いてしまいました。
余命半年でもあくまで明るく前向きに…というスタイルで貫かれた講義はとてもアメリカ的な印象があり、仮に同じ境遇の日本の大学教授があんなトーンで授業をしたら、
「そんなに無理しなくても…」と、感じたに違いありません。
アメリカという国は問題も多く総体には良い印象を抱けませんが、チャレンジする者に対する開放性と、あくまで陽気に笑顔で…という指向性に対しては、敬意を抱きます。
バウシュ教授は「自分の三人の子供へのメッセージ」と言いました。
まだ幼子を残して冥界に旅立たなければならないのですから、その言葉は魂の叫びでしょう。
でも同時に、今生きている私たちに対するメッセージのようにも、どうしても感じてしまうのでした。
現存する人の言動は、それがどんなに立派な人であっても裏目読みをしてしまう習性が、悲しいかな私たちにはあります。
その点、すでに亡くなっている人の言葉は、ずっと素直に聞くことができます。
バウシュ教授が最後の授業で伝えたかったのは、
「自分のやりたいことがあったら、それに向って行動しよう。子供が夢を抱いていたら、大人はそれを止めないで」
ということだったように思います。
バウシュ教授の講義を見てから、焼酎オヤジと仲良くなりすぎたこともあり、私は2時間ほど眠ってしまいました。
起きてから、私はいくつかのホームページを見て回りました。
それはこの二十年くらい関わってきた、森田療法の学習会や障害者支援組織、そしてカトリック教会のホームページでした。
そして改めて、私はずっと同じことを求めてきたんだなア…と確認しました。
それは「もっと、皆で絆をつくろうよ。繋がりあおうよ」ということです。
私は数年間教会で小さな同人誌のようなものを編集していましたが、そこでも繰り返し「絆をつくろう」ということを言ってきたものでした。
その根っこにあるのは、決して「より良い社会にしよう」というような立派な心がけではなく、自分が生きていて感じる切実な不安と孤独感だったように思います。
どんな共同体を作ったところで、生きる不安と孤独がなくなるわけではない…ということは、さすがの私も気づいて来ました。
でも、特にピンチに陥ったとき、ひとりだけで考えていると、おうおうにして極端な感情に傾いてしまうものです。
そういうとき、話を聞いてくれたり小さなアドバイスをしてくれる身近な仲間がいれば、どんなに心強く、違う道が開かれるか…ということにも気づいてきました。
バウシュ教授から「夢があったら、それを実現するようチャレンジしよう」というメッセージを受け取った今は、改めて自分のやりたいことを確認することができました。
私の小さな夢。
それは、「繋がろうよ」と語り続け、それをすこしづつ実現していくことです。
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今日で松の内も終わり。そろそろ世間も「仕事」の本気モードに入っていく気配があります。
ところで、先ほどYouTubeで、「ランディ・バウシュ教授の最後の授業」というのを見ました。
これは、すい臓ガンに侵されて余命六ヶ月と宣告されたアメリカの大学教授が2007年9月に行った「最後の講義」の記録です。
バウシュ教授はまだ40代半ばと若く、講義もユーモアに溢れ、とてもエネルギッシュです。
IT分野の権威だった人らしいけれど、「最後の講義」はITとは関係なく、どうすれば夢を実現できるか…という内容でした。
そして最後にバウシュ教授は、
「皆さんに秘密にしておいたことがあります。今日の講義は、実は皆さんに話していたのではありません。私の三人の子供へのメッセージだったのです」
という種明かしをします。
この辺りで、このところすっかり「泣き虫オジサン」と化している私は、焼酎オヤジと二人で泣いてしまいました。
余命半年でもあくまで明るく前向きに…というスタイルで貫かれた講義はとてもアメリカ的な印象があり、仮に同じ境遇の日本の大学教授があんなトーンで授業をしたら、
「そんなに無理しなくても…」と、感じたに違いありません。
アメリカという国は問題も多く総体には良い印象を抱けませんが、チャレンジする者に対する開放性と、あくまで陽気に笑顔で…という指向性に対しては、敬意を抱きます。
バウシュ教授は「自分の三人の子供へのメッセージ」と言いました。
まだ幼子を残して冥界に旅立たなければならないのですから、その言葉は魂の叫びでしょう。
でも同時に、今生きている私たちに対するメッセージのようにも、どうしても感じてしまうのでした。
現存する人の言動は、それがどんなに立派な人であっても裏目読みをしてしまう習性が、悲しいかな私たちにはあります。
その点、すでに亡くなっている人の言葉は、ずっと素直に聞くことができます。
バウシュ教授が最後の授業で伝えたかったのは、
「自分のやりたいことがあったら、それに向って行動しよう。子供が夢を抱いていたら、大人はそれを止めないで」
ということだったように思います。
バウシュ教授の講義を見てから、焼酎オヤジと仲良くなりすぎたこともあり、私は2時間ほど眠ってしまいました。
起きてから、私はいくつかのホームページを見て回りました。
それはこの二十年くらい関わってきた、森田療法の学習会や障害者支援組織、そしてカトリック教会のホームページでした。
そして改めて、私はずっと同じことを求めてきたんだなア…と確認しました。
それは「もっと、皆で絆をつくろうよ。繋がりあおうよ」ということです。
私は数年間教会で小さな同人誌のようなものを編集していましたが、そこでも繰り返し「絆をつくろう」ということを言ってきたものでした。
その根っこにあるのは、決して「より良い社会にしよう」というような立派な心がけではなく、自分が生きていて感じる切実な不安と孤独感だったように思います。
どんな共同体を作ったところで、生きる不安と孤独がなくなるわけではない…ということは、さすがの私も気づいて来ました。
でも、特にピンチに陥ったとき、ひとりだけで考えていると、おうおうにして極端な感情に傾いてしまうものです。
そういうとき、話を聞いてくれたり小さなアドバイスをしてくれる身近な仲間がいれば、どんなに心強く、違う道が開かれるか…ということにも気づいてきました。
バウシュ教授から「夢があったら、それを実現するようチャレンジしよう」というメッセージを受け取った今は、改めて自分のやりたいことを確認することができました。
私の小さな夢。
それは、「繋がろうよ」と語り続け、それをすこしづつ実現していくことです。
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