会話

2005-05-09 21:21:03 | 思索徒然
歩いているとよく人に道を訊かれる。
「あ、あの人困っていそう」と遠目で見かけても
人並みをすり抜けなぜか私のもとにくる、ということが間々ある。
訊かれるということは傍目から見て
私が「人畜無害そう」に見えるということになるだろうか。
しかしながら私は意外にも?方向音痴。
なので内心ちょっと動揺する。

でもこの「話しかけられやすい」というの結構良い特質だと思う。
初対面の人に自分から話しかけるのがとっても苦手・・・
なので。
何かの集まりの時、たいてい両隣に座った人に話しかけたくて
様子をそれとなく伺い、うずうずはするけど・・・それでも
「きっかけ」が無いとてんでしゃべれないのだ。
会話ってとっかかりが大変だと思いません?
だから引き出しを沢山持っている人はすごいなあと思う。

話しかけるっていう行動自体、「相手に心を開く」と同義だと思う。
嫌な奴だなあ・・・と思ったらまず話しかけられないでしょう?
だから逆手にとって
「話しかけられる」=「自分に心を開いてくれている」=「仲良しになれそう」
と思って、安心して話すことが出来るんだよね。
その一歩がねなかなか大変なんだ・・・。

ふと家族や友人との会話を反芻してみる。
相手に言いたいことを洗い浚い言ってもらってから、
やっとこそさ自分が「それはね・・・こうだと思うよ」
言い始めるというパターンが多い・・・。
まあ、人の話をじっくり聞いて
「この人が本当に言いたいことは何だろう?」
とつくづく考えてみたり、ちょっと混線気味なのを整理するというのは
好きかもしれない。
思いっきり受動的かもしれない・・・。
まあ、それが良いのか悪いのか。
でも「話す」と「聞く」のバランスがとれてこそ会話のキャッチボールが
とれるものなので。
あるところでは+と-でうまく均衡するんじゃないでしょうか、ということで。