トンネルの向こうには・・・

2005-10-26 22:30:48 | 思索徒然
ここ2年で得た欲しくてしょうがなかった「安定」という言葉。けれども
満腹になったらなったでそれでも飽き足らずに次を求めてしまう。

何だかまずいことに、良いことと悪いことの境界線というものが
すっかり見えなくなってきている気がするのだ。
運動場に引かれる白いラインのように割とはっきりと物事判断できる方だ
という自負があったのに、それが歪んで歪んでどうしようもない。

何をもって判断すればいいのか?法律の範囲内?世間体?自分の経験値?
結局は自分の視点ではなく誰かから与えられた視点でしか物事を
見ていないのかもしれない。そして自分が正しいと断固として言える
ほどの蓄積なんぞ今更ないことに気づく。
そんなことを考えていると自分の「輪郭」というべきものがぼおっと透明人間の
様に薄れてきて、これはいけない。。。。と思いながら。
でも何回か意識が遠のく感覚が。
私はここにいてもいいのだろうか?という何度となく問いかけてしまう
疑問。
私はここにいて何か得るものがあるのだろうか?

自分の中の奥のほうで何かが磨り減っている。
「私なら大丈夫」と言い聞かせながらやり過ごしてみる。
確かに、エゴは暴走しがちだけど、いきなりぽっきりと
折れない自信はあったりする。

しかしながら、こんなことを考えずにただひた走っていた時の自分の方が
楽だったと同時に生きている実感があったかもしれない。
「もう限界だ」と言えるくらいまでもうちょっと頑張ってみようかな・・・。

こういう時だったら母はなんと答えるだろうか?
歳がいけばいくほど親に考え方が似るというけど。
この頃それを感じる。きっと母の20代と似たような境遇だから。
私はほんの前まで、いとも容易く全く違う回答をしていたけど。
悲しいかな今なら気持ちが分かったりする。
真逆の人生を歩もうと思ったこともあったけど、
やはり既成概念というのは大きいものだ。
先が見えないからこそ踏襲してしまう。

だかたこそ、耳を傾けてみたった。
トンネルの向こうの光はどうやったら見えるか?


お、
ひさしぶりにどっぷりとした事を書いたね・・・・。



お掃除魔人

2005-10-16 22:42:35 | 日記徒然
なんともご無沙汰です。
もはやこちらのページは開いていないことが多く。
それでもアクセスカウントが0ということがないから驚き
何かしら検索で引っかかっているようですね。

さてはてたいして変化した日常は送っておりません。
本日は部屋の掃除で埃を吸い込みすぎた為か
くしゃみが止まらない。。。。
父娘ふたりで住んでいる割りに物が多い。
というか私の物が多い
ここで暮らして20年くらい経つ。
すると掘ると出るわ出るわ昔のどうでもいいものが。
自分の部屋のみならず居間や洗面所、風呂場、台所・・・・
触手をめいっぱい伸ばして引っ掻き回す。と、
サンタクロースのプレゼント袋のような巨大ゴミ袋が
あっという間に並べられ。
これをまた下のゴミ置き場まで運ぶのがとっても大変。
今とっても台車がほしい。

父とふたりになってしまってからというもの
あんまり徹底的に片付けようとしたためしが無く。
まあ社会人になってから土日くらいダラダラしたいというのも
あったりして。

というか基本的に我が家の人は物を捨てたがらない。
特に母親が「物を大切に」派だったので、それが受け継がれたのか
私もだいぶ抵抗があったのだけど。
たとえ間違って捨てても、前よりも良くて安いものがすぐに
手に入る時代となったので。
ただいま容赦ないです。
大量生産、大量消費、大量廃棄。
まあ、それも何かがおかしいとは思うけど。
ここまで物に愛着が湧かないというのも悲しいもので。

それでも「思い出の品々」はやっぱりダメだ。
もう読むことも無いかもしれない本、聴くことも無いだろうCD。
日記帳、美術作品、尊敬していた先生の学級通信、大学の教科書も
ごっそり残っている。いっそのこと大学近くの古本屋に
売ればよかったのだけど。
ただただ場所をとるだけだと思えど、捨てたらもう二度と
会えなくなると思うとね。。。
本も紙ではなく、データとして買う時代になったらいいかもね。


というわけで雑誌に出てくるような部屋とは程遠く。
生活感ありありと。
まだまだお掃除隊の旅はつづく。