第28話. 守られるべき正義

2017-01-09 01:08:13 | ★カジュアルスピリチャリズム(カジスピ),多分あっていると思われる事,人生観
湖畔人です。

昨年、私の尊崇する宗教指導者が“正義”に関する著作を出されていました。その方のほとんどの著作は、全く抵抗なくスイスイ腑に落ちてゆくものなのですが、この正義に関する本だけは、中々ストンと腑に落ちず、実は未だに腑に落ちていないポイントが幾つもありまして、私にとっては苦手な類の分野なのかもしれないと、少し落ち込んでいます。特にこの政治的判断と言う、絶対的な正解がない世界、パワーバランスや自国にとってのプライオリティの中で正解が変わっていく世界がとても苦手なんだなーと思っていまして、大人でない自分に軽く失望する事が多い今日この頃です。政治的判断、国にとっての正義を見出す、と言うのは簡単な事ではなく、本来であれば神近きハイレベルな方々しか手を出せない、相当高度な判断を要求する役割、職種なんだろうなと、改めて考えさせられました。その点から考えると、日本の政治家の中で一体どれだけの方々が、その任に堪えうるだけの認識力をお持ちなんだろうか?と考えますと、かなり心もとない状況なのではないかと、そう推察した次第です。

その本に関し未だ理解が不十分な自分ではありますが、この御本の中には幾つも気になるポイントが書かれていまして、その一つが、国際政治において、国の主張を展開する際の、基本的な考え方について触れられているページがありまして、そこで、筆者は、“まずはその国にとって『守られるべき正義』をハッキリさせよ、後はそれを受け入れる国やそうでない国のレスポンスを見て、その上で対応を検討云々・・・と述べられていました。この偉大な宗教指導者は政治にも深く精通されている方なのです。この文面から感じたことは、『自国にとって何が大事なのか、何が正義なのか、まずハッキリさせなさい、後はその考えに基づいて主張、行動をするのが、欧米の主要国が皆普通にやっている事でもあり、有事の際は、その考え方に基づいて各国はそれぞれの国が取るべき行動や態度を決めているのですよ。それこそが、これまで日本がしてこなかった、日本に欠けていた重要なポイントなんですよ。その点が、日本の外交の行動と発言の裏に、筋というか哲学が見えてこない最大の理由なんですよ。日本の言動に過去何らかのポリシーがあったとすれば、それは人命第一主義(一人を救いたい一心で短絡的判断をし、結果、より多くの命を危険に晒してしまう可能性を残してしまうような、そうした智慧の欠如した類の)、事なかれ主義位で、思い付き、場当たり的なその場凌ぎの判断だけで、哲学と言える物が無く、結局日本は、日本として何が大事なのか、何が正義なのか、何が譲れない点なのか、そこをまずハッキリさせる事から始めるべきなんですよ。その考え方は、何となく皆で共有出来ているべきであって、政権が変わっても国民のコンセンサスとして引き継がれていくべき考え方なんですよ、それが出来ていない国は、一流の国とは言えないですよ。主権国家として半人前ですよ。』と筆者は言いたいのではないかな、と感じた次第です。

自国にとっての正義とは何か、譲れない点とは何か、最も大事な事柄とは何なのか、それをまずハッキリさせるのが最初に来るべき決定で、そこさえ決まれば、後は、その原則をベースに、国際社会における主張と行動が自ずと決まって来る。アプローチの仕方は、剛、柔、直接的、間接的、短期、長期と、やり方は色々あるにしろ、その背景には、一本の柱がある、哲学がある、そう言う状況を作りなさい、と言う事なのだと思うのです。

では、日本国にとっての“守られるべき正義”、最も大事な事とは何なのか、苦手ですが、自分なりに考えてみますと、正しいかどうかは別として、個人的には、守られるべき正義とは、それは“国の存続”と“誇り”が最も大事なのではないかなと思った次第です。

まず一番大事な事は、国としての“存続”が最初に来ると思います。国が滅びない事、神道の神々より預かりしこの国を存続させる事、安全保障、それがまず何より最重要だと思います。
その点から行くと、まず大事なのは、
① 日米安保です。
米国との安保同盟は国の礎であるべきだし、少なくとも、日本が自国だけで周辺国と対峙できるだけの国力、防衛力が作れるまでは、日米安保は外せない必須要件、死活問題だと思います。ですので、日米同盟は最重要で、沖縄の米軍も最重要となり、その状態を揺るがさんとする勢力が、日本の敵なのだと思います。中国や、中国の意思を受けて動くプロ市民運動家、基地反対勢力、離島防衛に欠かせないオスプレイ配備に反対する勢力、それを煽るNHK他左翼系メディアの多くも、立派な日本国の敵になってしまっているなと、そう思います。
次に、大事なのは、
② ロシアとの関係強化です。
中露の軍事同盟が実現してしまうと、日米同盟がどんなに強固だったとしても、米国にとってのリスクが大きく成りすぎる為、米国は積極的に動けなくなり、日本は孤軍奮闘をせざるを得なくなるのですが、日本には単独で中露と戦える戦力があるはずも無く、亡国に至る厳しい状況が生まれて来ます。よって中露のこれ以上の接近には楔を打っておく必要があり、その為には北方4島問題を棚上げにしてでも友好的な関係構築を急ぐべきで、まずはシベリアの開発事業、経済協力から始め、次に日露平和条約の締結を目指すべきです。それが国家存続の重要なポイントだと思います。ですからロシア系住民の保護としてクリミアに侵攻した行為には一定の理解を示しておくべきだったのです。経済制裁には加わるべきでは無かったと思います。
次に、大事なのは、
③ 憲法九条の改正です。
この9条では、“武力の行使は、国際紛争を解決する手段としは永久にこれを放棄する。 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。 国の交戦権は、これを認めない。”とあり、今のままでは、建前上、日本は他国に攻められても戦えない国なのです。要は、この憲法の前提が、日本の周辺は皆親日的で、侵略の意図が無く、誰も日本には攻めて来る何て事はありえない、だから無防備でいなさい、と、そういう仮定を前提にした条項なのですから、大変おめでたく、思慮に欠いた、自国民を守れない、愚か過ぎる深刻な欠陥を持った憲法条項なのです。よって、一刻も早く改訂が要ります。こんな愚かな憲法を数十年も保持して平気でいられるその国民性と、その知性とその神経の図太さには、他国民もきっと感嘆する事でしょう。異常な世界です。これまで平気でいられたのは、日米安保と在日米軍がいるから大丈夫と思っていたのかもしれませんが、核保有国が日本の周辺にこれだけいる今の時代、財政的に厳しくなっている米国の現状から見ても、米軍に日本の安全保障を全託できる状況ではもはや無くなりました。日本は戦わずに高みの見物で、代わりに米軍に戦い死んで頂くなんていう幻想はもう持つべきではないですね。だから9条は直ぐに改正頂きたいです。現憲法では、国民主権を唱えてながら、主権者である国民の生命と財産は憲法によって全く守られない、防衛する権利すら与えられていない、そんな欠陥憲法なのです。よって、9条は改正され、自衛隊を自衛軍に昇格され、軍備増強をし、自国民を外からの攻撃からしっかり守れる状況を急ぎ作る必要がありますね。
次に大事なのは、
④ 核攻撃への抑止力保持です。
日本に悪意を持つ隣国で核兵器を保持する国と言えば、中国と北朝鮮がおりますが、仮に、彼らが日本への核攻撃の示唆をし、その際の日本が取れる選択として、属国化か被弾の選択を迫ってきた場合、日本がいくら米国の支援を要請したとしても、自国への核攻撃を嫌がる米国は多分手が出せず、結局、日本が矢面に立たざるを得ない状況に置かれるようになる、と思います。その場合、唯一の核攻撃への抑止効果が期待出来る対応策と言えば、カウンターとして、“日本だっていつでも潜ませた潜水艦からの核ミサイルを発射できるし、貴国の首都と軍事基地全てを一瞬で壊滅できるが、それでも良いのか?”と脅し返しが出来る状況を作る事しか抑止の選択が無いのです。よって、核シェアでも期限付きレンタルでも良いので、核兵器とそれを搭載した潜水艦を多数保有できる状況を急ぎ作る必要がありますね。
上記四点が、私が思う日本の存続に最低限かつ早急に必要な必須な項目です。

次に重要な点、守られるべき正義とは何か、私は、それは、『日本人としての“誇り”を保つ事』になるのかなと思っています。天照を祖とする神武天皇が始めた、世界と日本の平安を祈る“天皇”を中心にして、皆で守り育んできた日本国という存在、他に類を見ない2600年以上の歴史を持つ稀有なる国、その日本の歴史と伝統と文化に“誇り”を持ち、同時に、その日本の存続の為に命を投げ打って戦い守って来た先祖達、英霊達への尊崇の念を抱き、その護国の意思を引き継いで行く事、それが二番目に大事な事かなと、個人的には思っています。

この自国へ“誇り”さえあれば、何度倒れても、何度だってやり直す事が出来ます。勿論、国として誤りがあれば、反省すべきは反省、改善すべきですが、ただ、どうも、これまで我々が教育によって教えられて来た、近代史、先の大戦への認識、開戦の流れやその動機、慰安婦問題や南京事件等の情報は、どうも事実とは異なり、悪意を持った反日勢力によるプロパガンダ、洗脳による誤情報であったと言う事が段々と判って来ています。

よって、この守るべき正義の観点からも、今我々がすべきは、こうした悪しきプロパガンダにより戦争犯罪人という不名誉なレッテルを着せられた英霊達の名誉回復をする事、誤った情報を指摘し糾弾し、払いのけ、真実を明らかにし、誇れる部分を逆に強く押し、拡散して行く事、そうした地道な啓蒙活動が今求められている正義なのではないかと思います。

よって、その観点から見ますと、日韓合意は問題です。お金を渡すと言う事は、まるで、慰安婦問題 (国による慰安婦の強制連行と強制的労働及び性的虐待があったと言う主張) が事実であったと日本政府が承認したかのように受け取れます。第三国が見たら皆そう思うでしょう。国際社会への誤ったシグナルです。これはまるで、しつこく慰安婦問題を取り上げて来る韓国を黙らせるために、“悪いけど英霊達には、悪者になってもらうしかないねー、本当は強制連行何てやってない事は重々知ってるけど、韓国の口封じには致し方ないんだよ、悪いけど嘘の濡れ衣を着てもらうよー、悪者にしてごめんねー、恨まないでねー、後、未来の日本国民も、その犯罪人の子孫達として未来永劫非難される事になるけど、悪いけど甘受してねー、ゴメーン“、と、軽く小馬鹿にされ、安く売られたのと同じ状況です。所謂、売国行為ですね。こんな事、許されるんでしょうか?そして、韓国サイドは、“君達はどうせ金が欲しいだけなんだろうから、金をあげるから黙ってなさい”、とそうした買収行為でケリを付けんとしていた、そうした卑しいその場を凌ぎの対応をしたと言う事ですね。これは韓国にも失礼です。

これは、守るべき正義の観点から見れば、やはり、やってはならない国民と英霊への背信行為でした。このような対応をした日本政府と外務省は、国民と英霊に顔向けできるのでしょうか?もし出来ると言うなら、それは国民と英霊と国への誠意と責任感の欠如でしょう。自らその任に堪えないと白状しているようなものです。従って、日韓合意は本来破棄すべき内容で、支払った10億円も、国民の血税から出したものなのでしょうから、即刻返金を依頼し、韓国政府が応じない場合は、合意の当事者である首相と外務大臣が個人的に負担をすべきでしょう。その上で、正式に日本国民に対し、“あの合意は日本国民への背信行為、裏切行為であった。誤りであった、大変申し訳なかった、心からお詫びしたい。”と深く謝罪して頂き、そして靖国神社に行って英霊に対しても深く謝罪をし、本来なら総理と外務大臣は武士道に習って靖国で切腹すべき所ですが、現代では出来ませんので、最低でも議員辞職が相応しい責任の取り方なんだと思いますね。その位、正義の観点から見て、してはならない失策であったと思いますね。

また南京大虐殺が国連機関のユネスコにより記憶遺産と認定され、今後、人類が連綿と“事実”として語り継いでゆく対象に成ってしまいましたが、冷静に見れば中国や戦勝国側の主張には、かなりの偏りと、誇張、精度を欠いた情報の混在が見受けられ、事実として扱うには問題がある内容となっておりますので、その情報が嘗て日本軍の成した蛮行として世界で未来永劫語り継がれ、その不名誉が永遠に未来の日本人に降りかかってくるとしたならば、それは、大変恐ろしくもあり、濡れ衣を着せられた英霊達にも大変申し訳なく、そして未来の日本人に対して大変申し訳ない気持ちで一杯です。その不確かな情報である南京大虐殺が記憶遺産として登録されてしまった事は、大変残念ですし、ユネスコの調査能力、その審査の雑さと精度の低さに不信感を抱かざるを得ないし、もっと問題だと思うのは、日本の外務省が、中国が南京大虐殺を記憶遺産として登録せんと動いている事を重々承知していたにも拘らず、大した反論活動もせず、傍観し、放置したその無策、無関心ぶりに心から憤りを覚える次第です。反論をしていたのは私が知る限り、国を憂う一部の教育関係者達と心ある政治関係者達のみです。しかも彼らの複数回にわたる抗議活動はニュースなどで全く取り上げられなかったのも問題です。マスコミにも問題ありです。

このネットの時代、多くの情報が簡単に手に入ります。南京大虐殺の真実の姿も、南京大虐殺の責任を問われ、戦犯として処刑された松井石根大将の実像も、多くの情報から段々とその実像が浮き彫りになって来ましたね。そこから見えて来るのは、南京大虐殺と呼ばれている内容に疑問点が多い事と、次に、松井大将が大変な人格者であったと言う点です。

まず、南京大虐殺への疑問点ですが、素人の私が調べた範囲でも、疑問点が3点あります。
疑問点① まず、日本軍は南京周辺でゲリラ兵を掃討したのであって、一般人の虐殺をした訳では無い、ゲリラは一般人に紛れ卑怯であるが、日本軍は丁寧にゲリラ兵のみ掃討したのであって別に一般人が攻撃された訳ではない。そこを混同すべきではない、それが一点、
疑問点② 次の疑問点ですが、南京市の当時の人口は約20万人、中国が主張する虐殺による死者は30万人、話が合いませんね。また、日本軍の駐留により治安が回復し、事変後1カ月で人口が5万人増えたと言う報告もあり、中国側の死者数の主張に疑問ありです。
疑問点③「虐殺」を伝える記事や報告は伝聞ばかりで証言者の誰も直接確認ができていない、しかも証言した欧米人は、中国の顧問をしていた中国側の人間で、そもそも公平な証言が期待できる筈もなく論外の証言だったという点。等々です。

また、松井大将の人格者ぶりですが、その人柄を偲ぶエピソードとして、
エピソード① 第一線を退き帰国した松井大将は、上海戦など失った2万人以上の部下の戦死と、日中両軍の戦死者と弔う為、わざわざ上海から土を取り寄せ、自宅近くに観音を建立し毎日慰霊をしていた事。
エピソード② 植民地ばかりのアジアにおいて、アジア諸国の独立とアジア人による諸国の共栄、繁栄を目指していた松井大将は、第一線を退いた後も、大アジア主義の実現を目指す「大亜細亜協会」の会長に就任し、精力的に海外に足を運んではアジアの未来のリーダー達(汪兆銘やインド独立の父チャンドラ・ボースなど)と会っては彼らを支援していた事。彼はアジアの同胞の独立、繁栄、アジアの共栄を心から望んでおり、そして何より中国を愛していた、そんな博愛主義者だった事が判ってきました。

こうして見ると、私のような素人でも、上記程度の情報は直ぐに手に入る訳ですから、日本政府はそれらの情報を基に、中国側の主張には偏りと主観的主張が多く信憑性に欠くと指摘すべきだったし、証拠不十分として、ユネスコに登録の見送りを指摘すべきだったのです。また、ユネスコ自身も、本来であれば本件には諸説あり片方の主張だけを事実として認定する事は不可能、判断が困難、として棚上げにすべきだったのです。余りにも中国側に甘すぎて、国連機関としての公平さが本当に保たれているのか甚だ疑問ですし、その姿勢に深い憂慮と疑念を持たざるを得ません。

慰安婦と同じく、この南京大虐殺のユネスコ登録に対する、日本政府の無作為、放置は、日本国民と英霊に対する背信行為と言えます。本来であれば、この点でも首相と外務大臣は、日本国民に対し、謝罪すべきです。“中国による南京大虐殺のユネスコ登録を積極的に止めなかった点は、あれは完全なる我々の怠慢であり、自国民への裏切り行為であった。今後ユネスコに対し、徹底的且つ継続的に撤回の申し入れを実施する事を約束する。そして、実現できるまで止めない事を、ここに誓う、大変申し訳なかった。”、と深く謝罪して頂き、また靖国に足を運んでは、英霊達と松井大将に深くお詫びすべきです。そして、その失態への責任を取り、総理と外務大臣は議員辞職をすべきだと思います。

そもそも、先の大戦までに至る歴史の流れも、振り返ってみれば、我々の教えられていた欲望のままに拡張政策を取り、近隣諸国に迷惑を掛けて来た横暴な日本国、というイメージとは違った姿がここ何年かでハッキリ見えて来ました。その点について少なくとも日本は何故明治維新を起こし、その後戦争を3度も正確には4度も行ったのか、その時代背景と、日本の動機を明らかにし、日本の為政者達が成さんとした事は何だったのか、考えてみたいと思います。

ただ、また、ここでその話を始めてしまうと、止らなくなりますので、今回はここまでとし、また別の機会にお話しさせていただければと思います。

今日は、日本にとっての守るべき正義とは何かを考えてみました。

湖畔人


改訂①:2017.01.22

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